―1―
野々宮さんに連れられて行ったのは、サッカーグラウンドだった。
習志野中学のサッカーグラウンドと言っても、そこは陸上部、野球部と合同で使っているグラウンドで、話によると曜日制で使用割が組まれているらしい。が、まあ、厳密に仕切られているわけでもなく、現にサッカー部が練習している隅で、陸上部員が高跳びの練習をしていた。
そして当のサッカー部員たちはというと、連携プレイの練習中のようだった。ジャージ姿の部員たちが赤と青のゼッケンで別れてさながら試合のように、複雑に入り乱れている。
僕たちの存在に気付いたサッカー部員の一人が駆け寄ってくる。
「やあ、野々宮さん。わざわざ来てもらって悪かったね」
と、そのサッカー部員は爽やかな笑みを浮かべてみせた。
いやいや、気にしないで、と断ってから、野々宮さんが続ける。
「こちらは相談者の
野々宮さんの紹介に、男子部員――須藤さんが口を開く。
「エースってほどじゃないけど。よろしく。ええと、君は……」
「
僕は……一体何なのだろう。それこそ枢木さんが言うような名探偵なんかじゃないし。野々宮さんの友人? というのが最も正確に言い表していると思う。「?」も含めて。
その意見には枢木さんも同意してくれるらしく、うんうんと頷いていた。どうやら彼女も野々宮さんとはっはっきり友人関係と言い切れない関係らしかった。
何というか、野々宮美里という人間にはそういうところがある。一方通行的に仲良くなるというか、気が付けば一緒にいる時間が多くなっているという一面が。それを不快に感じる人間がいないのが実に不思議である。
そして僕同様、一方的に仲良くなられた側の人間の一人が、須藤さんのようだった。
彼は頷く。
「まあ、うん、何となく関係は分かったよ。それで相談内容のことなんだけど、もう少し待っていてもらえるかな? 部活がもうすぐ終わるから」
「勿論! 見学しながら待たせてもらうよ」
「ありがとう。見学なら、向こうのベンチを使うと良い」
そう言って彼はサッカーグラウンドの隅にあるベンチを指さした。
僕たちは須藤さんが練習に戻っていくのを見送ってから、言われた通りベンチに移動する。
ベンチに野々宮さん、枢木さん、僕の順で腰かけた。
枢木さんが口を開く。
「やっぱりかっこいいですね、須藤先輩は」
「知り合いなんですか?」
「一方的に知っているだけです。あの人は有名人ですから」
「有名人ねぇ」
須藤一馬。サッカー部所属。二年生ながらエースを務める。身長176センチメートル。イケメン。彼の爽やかな笑顔に陥落させられた女子は二桁に達するのだとか。
それが情報屋・枢木胡桃が持っている須藤一馬のプロフィールだった。
「あ、一方的に知っているっていうのは私が彼のファンとかそういうわけでなく、むしろそんな感じの人の方が多いんです。私は知ってるけど皆は知らない、みたいな」
勘違いしないで下さいね! と少女が口調を荒げる。
別に勘違いなどしていない。彼女が情報屋であることを考えれば当然のことだろう。
一方的に仲良くなるのが野々宮さんなら、一方的に知り合いになるのが枢木さんなのだろう。
一方的なのに知り
それより、と枢木さんが言葉を繋ぐ。
「野々宮先輩こそ、どうして須藤先輩と知り合いなんですか?」
「うーんと……」
話を振られた野々宮先輩が、記憶を辿る様に視線を泳がせる。
「よく覚えてないや」
「はい?」
「いやー、だってさー」
彼女が誤魔化すように運動部らしいショートカットの後頭部を掻く。
「友達って知らない間に増えているものじゃない?」
増えているものではない。現に僕は野々宮さんや猫屋敷と、知らない間に友人になってはいないからだ。もっとも、参考にできる例が二つしかないから正確なデータではないかもしれないけれど。
「情報屋さんに一つ仕事を依頼をしたいんだけど」
「何ですか、楠木先輩」
「野々宮さんがどうやって友人を増やしているのか、調べてくれないかな?」
「それは私にとっても最大の謎ですね」
そう言って、枢木さんが肩を竦めてみせた。
どうやら凄腕の情報屋であるところの枢木さんでもできることは限られてくるらしかった。
と言うより。
野々宮さんの生態が謎すぎだ。
よく分からないと言えば猫屋敷もそうだけれど。
しかし、それにしても。
「須藤さんの相談っていうのはどんなものなんでしょうね」
「そうですね……」
枢木さんが頷いてみせる。
「あれだけ完璧な人でも何か悩むことはあるんですかね」
「野々宮さんは何か聞いていますか?」
「ううん」
首を横に振る。
「実は私もよく知らないんだよね、相談内容までは」
「よく分からないのに、僕のことを連れてきたんですか……」
「まあまあ、良いじゃない! ほら、三人寄れば何とやらっても言うしさ!」
“三人寄れば文殊の知恵”だ。
しかし一般人、情報屋、お人好しが集まったところで、一体何ができると言うのだろう。
「まあ、でも、私は楠木君ならきっと何とかしてくれるって信じてるよ」
「買いかぶりすぎですよ。それと、相談に乗るのは構いませんが、責任を取るのは
野々宮さんですからね」
僕は面倒は御免だ。
そんな会話を繰り広げること約十五分。グラウンドに顧問の先生が現れ、部員が集合した。どうやらミーティングをして今日のところの練習は切り上げるらしい。
そして僕はその中に、見覚えのある顔を見つけた。
「ああ、河内先生だね」
と、野々宮さん。
やってきた顧問の先生と共にいたのは、教育実習生にして我が二年C組副担任代理である河内雪菜だった。副担任代理というのは僕が勝手に言っているだけだけれど。何なら担任代理でも良いだろう。あのものぐさな升田先生に比べれば、新人だろうと半人前だろうと幾分かはマシなはずだ。
「中学、高校ってサッカーをやってたんだって。だから放課後はこうして部活の手伝いをしているらしいよ」
ふむ。女子でサッカーとは少し珍しいかな。しかしなるほど。ジャージ姿が妙にしっくりきている。
「何でも中学時代は全国大会に行ったらしいですよ」
と、枢木さんが付け加える。
「そんなことも分かるんですか」
「当然ですよ!」
「ちなみに出身校とかも?」
「勿論! と言いたいところですけど、それは別に情報屋じゃなくても知っています」
そうでしょう、野々宮先輩? と視線を向ける。
「そうだよ、楠木君。自己紹介の時に言っていたじゃない。ここ、習志野中学の出身だって」
そうだっただろうか。どうにも記憶が曖昧だ。まあ、ホームルームは大抵上の空だから仕方がないのかもしれないけれど。
ちゃんと聞かなきゃ駄目じゃない、という彼女のツッコミをスルーする。
野々宮美里は基本的には優等生なのだ。
やがてサッカー部員が散り散りになっていった。どうやらミーティングは終了したらしい。そんな中、須藤一馬が僕たちの元へとやってくる。
「待たせて悪かったね」
「良いよ良いよ、気にしないで。練習お疲れさま」
「ありがとう。それで、相談というのは、その、変な話なんだが、他言無用で頼めるかな」
「どうしてです?」
と、枢木さん。
「僕のイメージじゃないっていうか……ちょっと情けない話なんだ」
「分かりました。決して口外しないことをお約束します」
「すまない。助かるよ」
そして、彼は語り出した。
始まりは、包装された手作りクッキーが下駄箱に入れられていたことだ。昨日の朝のことだった。別にそれ自体はそうおかしな話じゃないよ。確かに時期はちょっと変だけれど、バレンタインなんかの時期にはよくあることだ。
じゃあ、何が変だったのか?
それは、僕以外の人の下駄箱に入れられていたってことだよ!
……いや、それも別におかしくはないか。
何も僕だけが女子に人気ってわけじゃないしね。そこまで自意識は高くない。
ええと、説明がちょっと難しいから、事実だけを述べると。
下駄箱にクッキーが入れられていた。それも僕以外のクラスメイト全員の下駄箱に。
唯一、僕の下駄箱にだけ何も入っていなかったんだ。
ここまで話せばこれが不思議な話だって分かるだろう?
それも、こんな事があったのは一回じゃないんだ。
……そう。二回目があった。
発覚したのは今朝だよ。月曜に引き続き、二日連続でクラス全員の下駄箱にクッキーが入れられていたんだ。……しかも、僕にだけはなしでね。
それで相談というのはね、どうして僕にだけクッキーが送られなかったのか、その理由を考えて欲しいんだ。もしくは犯人の動機っていうのかな、どうしてこんなことをしたのか、でも良い。
犯人? そりゃあ、会ってみたい気持ちはあるけれど……いや、やっぱりやめておくよ。少なくとも僕のことが好きだからクッキーを贈らなかった、なんてことはないだろう?
むしろ嫌われているんじゃないかな、僕は。ハハ……。
まあ、うん、クラスの連中も気になってるからさ。調べてもらえたら助かるよ。
依頼人・須藤一馬の話は以上だった。
要約するに。
月曜、火曜と連続で、彼を除くクラスメイト全員の下駄箱にクッキーが入れられていた。
犯人がどうしてそんなことをしたのか。どうして彼にだけはクッキーを贈らなかったのか。その理由を考えて欲しい、ということだった。
考えるのはいい。考えるのはタダだ。
しかし、この場合の問題は。
「考える必要ないじゃないですか」
何か嫌がらせを受けているのなら話は別だが、この場合、依頼人は何も被害に遭っていないだろう。たかがクッキーをもらえなかっただけだ。美人税ならぬイケメン税ってやつだと思えば良い。
「いや、そうも言ってられないよ」
珍しく、真面目な表情で野々宮さんが言った。
「なぜ?」
「だって気持ち悪いじゃない。朝来たら自分の下駄箱にクッキーだよ?」
バレンタインでもあるまいし。
……まあ、確かにそうかもしれない。
クッキーでなくとも何でもない日に食べ物が入っているのは、不思議というか、理解に苦しむ。
そして人間は得体の知れないものを見た時、怖いと感じるものなのだ。
その点を考えると今回のケースの場合、被害者は須藤さんではなく、彼以外のクラスメイト全員と言えるのかもしれない。
「どうかな、楠木君。須藤君を助けるっていうのが不満なら、彼以外のクラスメイトを助けると思ってさ」
「別に不満っていうわけじゃありませんけど」
と言うより、そんな言い方をされれば断るに断れないじゃないか。
一個人の悩み(この場合は被害にすらなっていないかもしれないが)ならば断わる理由になるが、しかしより多くの人のためと言われると、断る理由がなくなってしまう。
僕はそれほど、反社会的でもない。
仕方がないか。
僕は大きな溜め息をついた。
「分かりました。考えてみましょう」
しかし、まさに猫屋敷が好みそうな展開になったものだ。
こんな時に彼女は一体何をしているんだ?
いや、考えるのはよそう。そんなことを考えると、本当に姿を現すのだ。面倒は、できるだけ避けたい。
さて。
「幾つか質問があります」
まず一つ目。
「そのクッキーというのはどんなものだったんでしょう?」
「ちょっと待って下さいね」
枢木さんがスマホを取り出し、操作する。
「こんなのだったらしいです」
見せられた画面には、可愛らしい包装をされたクッキーの画像が映し出されていた。
袋の中のクッキーは三枚。見たところ普通のプレーンクッキーだ。しかしこの画像、どうやって手に入れたんだ?
「須藤先輩のクラスメイトがツイッターで上げていました。まあ、クラス全員にクッキー、それも差出人が不明なんですからね、良い投稿のネタですよ」
なるほど。
「というか、楠木先輩、情報屋に情報を求めたんですから、それなりの報酬を要求しますよ」
「それは参ったなあ。僕の推理が間近で見られるっていうのじゃ報酬にならないかな?」
元々、彼女の目的はそれだったはずだ。
正直、お金は払いたくはない。今月は本を買いすぎたから金欠なんだ。
「それじゃあ、割に合わないですよ!」
「じゃあどうすれば?」
「そうですね……」
少し考えて、彼女は閃く。
「猫屋敷先輩のことを紹介してくれるっていうのはどうですか?」
「なるほど。それは良い考えだね」
彼女と交流を持つのは絶滅危惧種と遭遇するくらい難しいのだ。
普通に猫屋敷を紹介するのであれば、間違いなく拒絶されるだろうが、しかし今回は訳が違う。何せ彼女好みの謎が存在しているのだ。しかも僕は須藤先輩の依頼によって、その渦中にいると言っても過言ではない。そこに猫屋敷も巻き込むと言えば、喜んで関わってくれるだろう。
「では、交渉成立ですね。特別サービスとして、今回の事件を調査するにあたって必要な、私が持つ情報は全て提供しましょう」
「分かった。じゃあ、そういうことで」
そして僕は、明日の昼休みにでも猫屋敷と枢木さんを会わせることを約束したのだった。
話を戻そう。
二つ目の質問だ。
「須藤さん、クッキーを配られたクラスメイトはそれを食べましたか?」
「何人かは食べていたようだけど、怪しがって食べない人も多かったよ」
ツイッターに画像を上げた生徒は食べたそうですよ、と枢木さんが付け足す。
「食べた人は味について何か言っていましたか?」
「いや……普通に美味しかったって」
「匂いや形、色、何でもいいので何か変わった点はありませんでしたか?」
「うーん。特に何も言っていなかったけど」
それについても情報を集めている枢木さんは同意してくれるらしく、頷いてみせた。情報屋を語っている彼女のことだから、おそらくツイッターでもかなりの人数、習志野中学の生徒を把握しているのだろう。
野々宮さんが口を開く。
「クッキーの味とかって関係あるの?」
「分かりません」
「分からないって……」
「分からないからこそ、情報を細かく正確にするべきなんですよ」
次の質問だ。
「これは須藤さんというより、枢木さんに調べて欲しいことなんですけど」
「何ですか?」
「クッキーが入れられた時間について。第一発見者が誰だか分かるかな?」
「ちょっと待って下さいね」
言って、再びスマホを操作する。
「ありました。月曜のクッキーは朝練に来た野球部の男子が見つけていますね。火曜は、同じく朝練に来た男子です。こっちはテニス部ですが」
「細かい時間は分かる?」
「どちらも朝の七時前後ですが、さらに詳しくとなるとちょっと……」
「分かった。ありがとう」
「それがどうかしたの?」
と、野々宮さん。
「犯行時刻の特定ですよ」
枢木さんの情報をまとめると、犯人がクッキーを入れたのは朝の七時より前ということになる。
「前日の放課後にやったのかも」
「あり得ませんね」
「どうして言い切れるの?」
「放課後は人が途切れることがないからです。仮に途切れたとしても、いつ誰がやって来てもおかしくはない」
僕が犯人ならそんなリスクは冒さない。
対して朝の早い時間ならば――例えば学校の鍵が開けられた直後ならば、犯行の最中誰かがやって来るなんてリスクはかなり減るだろう。朝練があると言っても、来る時間はたがが知れているわけだし。
「この学校の玄関が開放されるのは?」
「えっと、朝の六時半ってなっています」
「朝練が始まるのは何時くらいかな?」
「そうですね……どの部活も七時以降が多いです」
ということはつまり、犯行は朝の六時半から七時までに行われたことになる。
一クラスの人数は三十人余りだから、十分に可能だろう。
ふむ……。
質問が途切れてしまった。
というより、この犯人の狙いが一向に見えてこない。
善意なのか悪意なのかさえも、だ。それは理性的に考えてもそうだし、直感で判断してもそうだった。
仕方がない。あまりこういった強行手段というか、スマートでない方法はとりたくはなかったけれど。
「野々宮さん、枢木さん、明日の朝は暇ですか?」
「私は暇ですよ」
「ごめん! 私は部活の朝練があるんだ!」
まあ、一人いれば十分だろう。
「では枢木さん、明日の朝の張り込みをお願いします」
「分かりました……って、私だけですか!」
「そのつもりだけど」
猫屋敷ほどじゃないにせよ、僕だって早起きは苦手なんだ。
「そんなの不公平ですよ!」
「……やっぱり僕もやらなきゃダメかな」
「当たり前です!」
まったく厳しい後輩だ。
「あの、その張り込み、僕もやろうか?」
と、須藤さんからの提案だ。
が、僕はこれを断ることにした。
張り込みするのなら人は少ない方が目立たないし、何より張り込みしていることが犯人にバレて犯行を中止されるのが一番困る。
この手の連続した犯行は、その規則性に犯人自身も縛られるということが最大の欠点だろう。
「なるほど! 犯行現場を直接抑えるわけか!」
「ええ。上手くいけば明日にでも事件は解決するでしょうね」
なぜクッキーを配るなんてマネをしたのか。確かに謎だけれど、しかしそんなことは犯人に直接訊けば良いのだ。勿論、素直に話してくれるとは限らないけれど。
「それに、推理という程の事でもないので、何だか申し訳ないですけどね」
「いや、力を貸してくれて助かるよ。僕一人だったら、こんな作戦すら考え付かなかった」
そして須藤さんは、礼を言った。
かくして僕たちの事件調査は幕を開けたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます