探偵と幽霊少女と小さな情報屋

プロローグ

 自称・情報屋の少女のことを紹介されたのは、僕が猫屋敷と出会ってから二週間ほど経過した放課後のことであった。

 少女は小柄で、小学生くらいにも見えるが、彼女の着ている制服は確かに僕と同じ習志野中学のものだった。胸の学年章は彼女が一年生であることを示している。

 どことなく小動物を彷彿させる雰囲気だ。リスとかハムスターとか。

 天然パーマでクルクルとした前髪を弄りながら、少女が口を開いた。


「ふぅん。貴方が名探偵の楠木真ですか。一応、そちらが学年は上ですから、先輩って呼んであげますよ――楠木先輩」


 何というか、色々と言いたいことはあるけれど。


「僕は名探偵なんかじゃないよ」


 それと、


「図書室では静かにね」


 ここは図書室。放課後ということもあって生徒は少ないけれど、しかし静かにするのがマナーというものだ。

 本来なら放課後はさっさと帰宅することを旨としている僕がここにいる理由は、半分は趣味のためで、残りの半分は仕事のためだ。

 静かな空間で読書をしたかったから。図書委員会の当番だから。

 というわけで、僕は図書室にいる。

 僕はその小さな少女の後ろでニヤニヤ笑いながら事の成り行きを見守っている学級委員長――野々宮美里に視線を向けた。

 貴女の差し金ですか?

 いやいや、そんなことないよ。と、彼女が顔の前で手をひらひらと振る。そして貸出カウンターに鎮座する僕の元に歩み寄る。


「流石の私でも、楠木君の当番の曜日を把握してはいないよ。ここに来たのは偶然。校内を探していたらたまたまね……まあ、でも、楠木君に用事があったのは確かだね」

「用事って……また面倒を押し付けに来たんじゃないでしょうね」

「まさか」


 私がいつそんなことをしたんだ! とでも言いたげな様子だった。

 ほぼ毎回だと答えてやりたかったのを我慢する。今年になってから巻き込まれた様々なトラブルは、その大半が野々宮さんによってもたらされたものだということを、僕は忘れてない。


「それで、用件というのは?」

「あれ? えらく素直だね。いつもは何だかんだと文句を並べるのに」

「それが無駄だって気付いたからですよ。誰だって無駄なことはしたくないでしょう?」

「猫屋敷さんなら嬉々としてやりそうだけれど」


 あれは例外だ。彼女は変人なのだから。

 それに今日は特別なのだ。例え野々宮さんがどんな用件を持ち込んできたとしても、僕にはそれを断る大義名分がある――図書委員の仕事中だという大義名分が。

 ならば話を聞くくらいどうということはあるまい。ただしここは図書室だからある程度は静かにして欲しいけれど。


「用件っていうのは大して難しいことじゃないよ。この前みたいに理解不能で不可思議極まりないことが起きたとか、そういうのは一切ない。ただちょっと、楠木君に紹介したい人がいるだけなんだ」

「はあ……それがそちらの方ですか」


 僕は視線を、先程の少女に移す。

 小柄な少女は腕を組み、こちらに鋭い視線を向けた。しかしどうして彼女はこんなにも敵意を剥き出しにしているのだろうか。僕が何かしてしまった? いや、思い当たる点は皆無だ。というより、そもそも彼女とはこれが初対面なのである。


「ええと、君は?」

「一年A組、枢木くるるぎ胡桃くるみです。情報屋を生業としています。先輩のお噂はかねがね」

「はあ……ちなみにどんな噂を?」

「小学生の時に殺人事件を解決しただとかFBIに知り合いがいるだとか」

「まったく根も葉もない噂だね……」


 普通に日本で暮らしていればそんなことはまずないだろう。


「あとは違法行為を繰り返していた宗教団体を壊滅させたとか、イタリアンマフィアと中国系マフィアの仲裁をしただとかですかね」

「……ちなみに枢木さんは、その噂を信じているの?」

「まさか」


 彼女が肩を竦ませてみせる。


「問題なのはその噂が真実かどうか、確かめる術がないということです」


 確かめるも何も、殺人事件の解決を始め、現代日本においてほぼあり得ないことばかりだ。


「現実的にはそうですね。でも、確実にないとも言い切れない」


 なので、と言葉を続ける。


「先輩の連絡先を教えてください」

「それは良いけれど、僕なんかの情報を集めてどうするんだい? 僕はそこまで大層な人間じゃないと思うけど」

「私は情報を集めているんです。この学校に関わるあらゆる人間のね」

「それで情報屋」


 彼女が頷く。


「ですがどういうことか、楠木先輩に関する情報だけは一向に集まらなかったんです。どういうことですか! 誰に訊いても『楠木? 誰?』って聞き返されるし!」


 まあ、それも仕方がないだろう。何せ僕には友人と呼べる人間がほとんど存在していないのだから。野々宮さんと、それから猫屋敷くらいか。もっとも友人を必要と思ったことすら、あまりないのだけれど。


「苦労して入手できた情報は、先輩が毎回のようにテストでトップを取っていることくらいでしたよ」

「ほぼじゃなくて確実に、だけどね」


 と野々宮さんが付け加える。

 僕が学年トップを取り続けているのは事実だけれど、そういう風に第三者に言われたら少し照れてしまうというか、少々バツが悪い。

 とは言っても、学年二位とも拮抗状態なのだ。

 と言うか、僕がずっと一位に居座るのと同じように、二位の人物も常に同じであった。


「猫屋敷さんだよね。まったく、二人ともすごすぎるよ。一体どんな頭してんの?」

「普通の頭ですよ」

「普通の頭の人は毎回一位を取ったりしないよ」


 そう言う野々宮さんも、一応は学年でもトップクラスの成績らしい。百人余りいる学年の中でも毎回二十位以上に入っているのだとか。まあ、成績なんてものは他人と比較してどうこうというものでもないと思うので、あまり興味はないけれど。最終的な問題は志望校に行けるか、志望している企業に就職できるのか、ということだろう。

 しかし猫屋敷はあれで案外勝負にこだわる性格らしく、テストで負ける度に悔しがっていた(もっとも、本人はそれを隠したがっているようだったが)。

 猫屋敷と言えば、彼女も僕と同様、友達は少ないのだろうから、枢木さんの調査対象になっているのではないだろうか。


「なっていますよ。でもすぐに逃げられてしまいました」


 流石は人嫌いを自称しているだけはある。その点は僕も見習わなくてはならないだろう。トラブルを避けるには人を避けよ、だ。


「楠木先輩は逃がしませんから、安心してくださいね」


 そう言って、枢木さんはニッコリと笑ってみせた。

 ……実に恐ろしい笑顔だった。

 僕は一度溜め息をついてから話を本題に戻す。


「それで、僕は一体何をすれば良いんだい?」

「協力してくれるんですか?」

「どうせ、協力しないといつまでも付きまとうんでしょう」

「その通りですけど。でも、意外ですね」

「意外?」

「野々宮先輩から、楠木先輩は気難しい人だと聞いていたので」


 野々宮さんに視線を向ける。彼女は何事もないのを装うようにそっぽを向いていた。

 失礼極まりないな、まったく。

 僕は別に気難しくなんてない。そりゃあ、確かに気さくな方ではないけれど、基本的には人の頼みは断らない主義だ。……それが大きなトラブルに繋がっていなければ、であるが。

 それに大抵の頼み事というのは、むしろ断った方が面倒になるのだ。

 まあ、良いです、と枢木さんが小さく息を吐く。


「とにかく先輩には私の情報収集に協力してもらいます」

「具体的にはどうやって?」

「先輩、携帯電話とか持ってます?」

「一応は」


 両親が連絡用に持たせたのがある。もっとも、ほとんど使ってはいないのだけれど。


「SNSとかやってますか?」


 やっていない。まったくの無縁だ。


「友達のいない僕がそんなのやっていると思うの?」

「……それもそうですね」


 ふむ。と頷く。


「では、先輩の連絡先を教えてください」

「どうぞ」


 言って、僕は自分のスマホを目の前の彼女に手渡す。


「私が打つんですか!?」

「自分で打つのは面倒だからね。それに僕は赤外線のやり方を知らない」


 何せ、赤外線自体使うことがそうそうないからね。


「やるのは構いませんけど……よく躊躇なく自分の携帯を渡せますね」


 別に見られて困るものは入っていない。

 枢木さんは受け取った僕のスマホに、自分の電話番号とメールアドレスを打っていった。やはり手慣れている。その作業はあっという間に終了した。

 これで良いですよ、と僕の手元にスマホが返ってくる。

 見ると電話帳には枢木胡桃の名前が加わっていた。友達と呼べるかどうかは分からないけれど(おそらく呼べない)両親以外で電話帳に名前が載るのは彼女で三人目だ。


「それで、次は何をすれば良いのかな」


 とりあえずはこれで、噂の真偽を確かめる方法がないという問題は解決されたわけだが。


「そうですね……」


 枢木さんは少し考えた後、顔を上げる。


「先輩の推理力が、実際のところどのくらいなのか気になりますね」

「気にしなくていいよ」

「いえいえ、情報屋としては正しいデータの収集は義務みたいなものですから。まさか先程述べたようなことが本当に可能だとは思っていませんけどね」


 そりゃあそうだ。むしろそう思われていたら僕が参ってしまう。


「実際に事件があれば分かりやすいんですけど」

「そんなに都合よく事件なんて起こりませんよ」

「ところがあるんだな、ちょうどいい事件が!」


 言ったのは野々宮さんだった。

 まあ、薄々そんな気はしていた。

 僕を枢木さんに紹介したいだけなら、別にそれは今日でなくても良いはずなんだ。より正確に言うなら、もう帰ってしまったかもしれない時間にわざわざ探す必要がないはずだということだ。明日の朝に話をして昼休みにでも紹介すれば済むはずなのだから。

 ではどうして野々宮さんが今日、しかも放課後にわざわざ探してまで僕と枢木さんを会わせたのか。


 ――事件が起きたから。


 おそらく野々宮さんは以前から枢木さんに僕のことを紹介して欲しいと頼まれていたのだろう(二人は知り合い同士だったわけだし)。そこで彼女はまさに今起きているように、情報屋・枢木胡桃が楠木真の推理力を検証しようとすることを予想した。だから、わざわざ事件が起こるのを待った。

 まったく。つくづく抜け目のないお人好しだ。もしかしたら最も警戒しなくてはならない人物は彼女なのかもしれない。推理だの論理だのをひっくり返して本質に辿り着ける人間というのは、稀に存在する。


「いやー、実は友達に頼まれちゃってさ。相談に乗ってくれって」


 やはり僕の予想は的中したようだった。

 まったく。

 溜め息しか出ない。


「どうせ断っても、無理矢理にでも巻き込むつもりなんでしょう?」

「まあね」

「……図書委員の仕事を理由にして断っても?」

「まあね!」


 なんなら仕事が終わるまで待つよ! とも付け加えられる。

 彼女には敵わないな。

 僕は壁の時計を確認する。午後五時。放課後の図書委員の仕事は五時までということになっている。戸締りをすれば今日の仕事は完了だ。

 僕はまたもや野々宮美里の掌で転がされることを決意したのだった。

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