―3―

 野々宮さんから聞いた猫屋敷さんの置かれる状況というのは、そう複雑なものでもなかった。

 花壇荒しの最有力容疑者に、猫屋敷さんの名前が挙がった。何の証拠もなしに、である。

 放課後、僕は事情を聞くために二年C組の教室に残っていた。大体の事情は野々宮さんに聞いてはいたが、当事者であるところの猫屋敷さんから直接話を聞くためだ。教室には僕たち以外には誰もいない。遠くから吹奏楽部の楽器の音色と、運動部の掛け声が聞こえてくる。

 僕と猫屋敷さんは隣に座り、前の席の椅子をこちらに向けて野々宮さんが座っていた。


「証拠が全くないというわけでもないんだがね。と言っても全て状況証拠にすぎないが」

「それでも酷い話だよ! 証拠もないのに犯人扱いするなんてさ」

「別に犯人扱いもされていないさ。ただ事情を聞かれただけ。升田教諭がかばってもくれたしね」


 ほう。あの升田先生が。……猫屋敷さんが犯人に確定するともっと面倒が増えるからじゃないのか。

 猫屋敷さんに容疑がかかった理由はこうだ。

 彼女が新たに入った園芸部は校舎前の花壇の水やりを任されている。朝に一回と夜に一回だ。そして昨日と今朝――つまり事件があったとされる日の当番が、猫屋敷さんだったのだ。

 彼女は午後五時まで図書館で時間を潰し、そして昨日の水やりを終えた後、すぐに帰ったそうだ。真っ直ぐに家に帰ったからその後のアリバイを証明する人間はいない。

 そして今朝であるが、彼女が登校した段階で既に花壇の周りには人だかりができていたという。見ると花壇は荒らされた後であった。

 つまり猫屋敷さんは昨日の放課後から夜にかけて犯行を行った……ということになっているらしい。証拠なんて何もない、実に乱暴な推測だと言えるだろう。

 これならば僕がわざわざ駆けつけるまでもなかったかな。


「そんなことないよ、楠木君。まだ完全に疑いが晴れたわけじゃないんだから」

「でも、これくらいの事案なら、猫屋敷さん一人でも解決できそうだと思うけど」

「いいや、それは買いかぶりすぎだよ」


 と、猫屋敷さん。


「君が私のことをどう思っているかは分からないが、私は日頃の行いがそれほど善くはないんだ。ボランティアなんかにも顔を出してはいるが、人というのは存外その行動ではなく人柄で評価される場合が多い」


 なるほど。つまり不愛想なのが問題だったと。

 僕のその言葉に、彼女が一瞬むっとする。


「まあ、否定派しないが、君はもう少しモノの言い方というのを覚えた方が良い」

「それは失礼しました」

「そうだよ楠木君。猫屋敷さん、こんなに可愛いじゃない」


 まあ、その通りではあるけれど。

 それに、と猫屋敷さんが言葉を繋げる。


「私の容姿や人格はさて置くとしても、事件の当事者の話なんて信憑性に欠けるものさ」


 彼女の言葉は理解できないわけではない。容疑者がいくら論理的に事情を説明しても、そりゃあ罪に問われることはなくなるかもしれないけれど、しかし完全に潔白を証明するのは難しい。それは論理の問題ではなく、心理の問題だ。そしてその問題を解決する最も簡単な方法は、


「真犯人を見つけ出すこと」


 要は、代わりの人柱を見つければ良い。いや、人柱という言い方は間違いか。因果応報とか自業自得とかの方が正しいだろう。

 とにかく、


「花壇が荒らされた。その事実がそこにある以上、犯人がいるはずです。猫屋敷さんではない真犯人がね」


 真犯人を見つけ出す。そうすれば、猫屋敷さんへの疑いは晴れるだろう。

 確かに、と彼女が頷く。


「けれどどうやって見つけるつもりだい? 私も一応、現場の周辺は調査してみたけれど、特に手がかりは見つけられなかったよ。それに第一、私が本当に犯人ではない確証はないじゃないか。それでも、君は私を信じられると?」

「信じられますよ」


 と、言うより、僕は彼女以外の要因を信用したにすぎない。

 一つ。猫屋敷さんが本当に犯人なのだとしたら、こんなに間抜けな犯行はない。彼女が犯人だとバレバレじゃないか。頭の良い彼女が、そんなことをするわけがない。

 二つ。野々宮さんが信頼したから。彼女の人を見る目は、僕なんかよりよっぽど頼りになる。世の中には事実や論理なんかをすっとばして、真実に辿り着ける人間というのも少なからず存在しているのだ。

 二つ目は完全に僕の個人的な感情だけれど、しかし、まあ、一つ目の要因だけでも猫屋敷さんが犯人ではないと信じるには十分だろう。彼女はそこまで愚かではない。

 結論・真犯人は猫屋敷綾の他にいる。


「一応、もう仮説はありますけど」

「え、嘘!?」

「ほう。聞かせてもらおうじゃないか」


 まだ推測の域を出ないから何とも言えないけれど、と前置きをしてから僕は語り出した。


「さっき猫屋敷さんは現場を調べたって言っていましたけど、何を観たんですか?」

「何をって、そりゃあ花壇の周辺に怪しい痕跡がないかだが?」


 例えば犯人の足跡だとか、と付け加える。


「ええ。ですがそこには何もなかった」

「ああ。なかなか抜け目のない犯人のようだね」

「それにしてもおかしな話です。そんな犯人だったら、そもそも花壇を荒すという犯行自体がずさんだ」

「そう言えば、犯人はどうして花壇なんか荒したんだろう」


 と、野々宮さん。なかなかに鋭い意見だ。

 猫屋敷さんが確かに……と頷いてみせる。


「私に罪を擦り付けるため、とか?」

「だったら何も新たに犯行を犯す必要はない。元々存在している粗を探せば良いんだ」


 例えば、立ち入り禁止である屋上に度々出入りしている、とか。升田先生ならいざ知らず、職員室に通報でもすれば必ず誰か他の先生からお叱りを受けることになるだろう。


「考えられるパターンはこうです。一つ目、猫屋敷さんに罪を擦り付けるにあたって、犯人には花壇を荒らさなければならない何らかの理由、例えば何かの当てつけだとかメッセージだとかがあった」


 まあ、この場合は猫屋敷さんが気付いているだろう。


「二つ目、犯人は猫屋敷さんに罪を擦り付けるにあたって、花壇を荒す以外の方法をとれなかった」

「どういうこと?」

「物理的にそれ以外は不可能ってことです」


 花壇の傍を離れられないだとか、校舎内に入れないだとか、理由はいくらでも考えられるけれど、しかしどれも現実的ではないかな。


「そして三つ目、犯人は意図せず花壇を荒らしてしまった。そしてその犯人として、猫屋敷さんが選ばれた」


 おそらく、これが最も現実的な考えだろう。

 というより、実は全て分かっていた。真犯人も。動機も。


「犯人の目的は、まあ、もう分かっているとは思うけど、花壇を荒らすことじゃない」

「どうかな。花が憎かったのかも」

「だとしたら、全部の花壇ではなく一部の花壇だけを荒らしたのは不自然だ」


 荒らされたのは、丁度僕たちのクラスの真下にある花壇だけだ。同じ花が植えられた花壇はまだまだあるというのに、そこだけを荒らすのは不自然だろう。


「さて、最終確認です。猫屋敷さん、貴女は花壇を観察した」

「ああ」

「それはどこからです?」

「どこからって、当然、花壇のすぐ傍だが?」

「ええ。普通の人間ならそうやって観察するでしょう」


 片膝をついて、虫眼鏡を片手にといった感じか。

 だが、それでは真相に辿り付けない。


「どういうこと、楠木君?」

「いえね、実は僕も見てみたんですよ。ホームルームが終わった後に」


 推理なんて大袈裟なことはなく、ただ気になったからだけれど、しかしお陰で大体のことは分かった。

 僕は立ち上がり、窓際まで移動した。下を見下ろすと、幸いなことに花壇は朝のままだった。

 二人も席を立ち、僕の隣に並ぶ。


「あれを見て何か気になりませんか?」


 二人が同時に下を見下ろす。


「うーん。別に変なところはないと思うよ」


 野々宮さんが首を傾げながら言う。


「いいえ。よく見てください」


 僕は花壇を指差す。

 明らかに不自然な荒らされ方をしている花壇を。

 花壇は手前――つまり校舎側だけが荒らされていた。

 逆に言えば校庭の方の花は無事だった。


「あれがどうかしたの?」

「……ああ、そうか!」


 猫屋敷さんがポンと手を打った。

 どうやら彼女も真相に気が付いたらしいな。


「花壇に足跡はなかった。だが、足跡を残さずに校舎側の花壇を荒すのは不可能だ!」

「その通りです」

「じゃあ、犯人は空を飛んで花壇を荒らしたってこと? でもそんなことあり得る?」


 それがあり得ることなのだ。


「この事件の真犯人は――鳥です」


 カラスかスズメか、正確な種類は分からないけれど、何らかの鳥がやったことだろう。


「おそらく、あの花壇にパンなどの食べ物か、あるいは鳥が好む肥料か何かがばらまかれたのでしょう。だから足跡を残さず、校舎側の花だけが荒らされていた」


 これを説明すれば、おそらく猫屋敷さんの疑いは晴れるだろう。そして同時に彼女を助けて欲しいという野々宮学級委員長からの依頼も達成したことになる。

 まったく、慣れないことはするものじゃないな。思考だけならともかく、それを他人に説明するというのは案外疲れることのようだ。

 説明は以上です、と締めくくり、僕は自分の鞄に手をかけた。


「待ちたまえ」


 背後から猫屋敷さんの声がして、僕は振り返る。


「何ですか?」

「楠木君、その……」


 彼女が俯く。体の前で組んだ両手の指を、何やら落ち着かない様子で絡ませている。気のせいか、いくらか赤面しているようにも見えた。

 そして顔を上げ、言った。


「ありがとう。本当に助かったよ」


 不意に向けられた笑顔に、僕は思わず息を呑み、目を逸らしてしまった。まったく、その笑顔は反則だろう。彼女は不愛想なくらいで丁度良いのだ。そういう顔を向けられたら、否が応にも意識せずにはいられなくなりそうだ。

 僕は早まる動悸を抑えようと息を深く吸った。

 そして答える。


「いえ、当然のことをしただけです」

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