―4―

 後日、僕は再び升田先生に呼び出されていた。場所は放課後の職員室だ。理由は分かっている。入部届けのことだろう。


「ふぅん。園芸部ね」


 受け取った入部届けを見て、升田先生は呟いた。意外そうに。


「何だ、園芸が趣味だったのか?」

「いえ、そんなことはありませんけど」

「じゃあ趣味だったのは猫屋敷の方か?」

「……いえ、そんなことはありませんけど」


 升田先生が椅子の背もたれに体重を預け、ギシリという音が出る。そして腕を組みながら言った。


「まあ、見てくれは良いからな、アイツは。だが気を付けろよ、楠木。ああいう女は一筋縄じゃあいかねえぞ」

「いえ、ですからそういった意味合いはありませんって……と言うより、教師なら生徒の不純異性交遊は止めなくてはならないのでは?」

「俺ァそんな野暮なことはしねえよ。馬に蹴られて死にたくはねえしな」


 それとも、と続ける。


「お前は不純な交遊をするつもりだったのか?」

「僕がそんなに不真面目な人間に見えますか?」

「見えねえな」


 と言うより、人間に見えねえ、と彼は付け加えた。まったく教師らしからぬ失礼な発言だ。僕ほど一般的な人間もそういないだろうに。


「とにかく分かった。入部届けは受理しとくよ」

「ありがとうございます」


 そう言って僕は升田先生に背を向けた。が、振り返る。もう一つ大事な用があったことを思い出したからだ。


「升田先生、一つお願いがあるのですが」

「お願い? 何だ、面倒は御免だぞ、俺は」

「いえ、大したことじゃないんです。園芸部の顧問の先生を紹介して欲しいんですよ」

「顧問っていうと……さかき先生か。まあ、そりゃあ構わんが、何か用事でもあるのか?」

「園芸部に入部する以上、挨拶くらいはしておかなくてはならないでしょう?」


 ふぅん。と言って、升田先生が頷いた。そして立ち上がる。


「分かった。理科準備室にいるだろうからな」


 付いてこいと言って歩き出した彼の背中を、僕は追いかけた。




 升田先生は僕を理科準備室に案内すると、さっさと職員室に戻って行ってしまった。まあ、できれば他人にいて欲しくなかったから丁度良いかな。

 僕は園芸部顧問のさかき亮子りょうこ先生と対峙する。

 彼女は新任の教師で、理科を担当していて、まだ若いがなかなかの大学を卒業しているらしく教師陣の中でも注目されている……というのが、僕があらかじめ野々宮さんから聞いていた情報だった。

 升田先生と同じく白衣を纏ってはいるが、しかしずぼらな彼とは打って変わった印象を受けた。何と言うか、几帳面な性格が全身からにじみ出ているようだ。

 そんな彼女が眼鏡をくいと上げながらこちらに視線を向けた。


「君は?」

「今度から園芸部にお世話になることになったので、ご挨拶に伺いました」

「それはそれは、わざわざありがとう。私が園芸部顧問の榊です。これからよろしくね」

「はい。よろしくお願いします」


 さて、これで挨拶という大義名分は果たしたことになる。

 僕は話を本題に移すことにした。


「そう言えば、榊先生、つい先日花壇が荒らされた事件がありましたよね?」

「え? ええ。それがどうかしたの?」

「いえね、その件で実は僕の友人があらぬ疑いをかけられてしまって」

「……」


 黙り込むということは、ビンゴだ。

 僕は畳みかけるように続ける。


「別に謝罪を要求したり糾弾したりしようだなんて考えてはいません。ただ一つ、条件を呑んで欲しいんです」


 彼女は僕の要求を断れない。

 彼女は新任の教師で、理科を担当していて、まだ若いがなかなかの大学を卒業しているらしく教師陣の中でも注目されている……というのが、僕があらかじめ野々宮さんから聞いていた情報だった。しかし、これだけが入手した情報ではない。

 ――真っ先に猫屋敷さんを疑った教師。

 そういった情報を、僕は得ていた。


「先生は今年から園芸部の顧問になられたそうですね」

「ええ」

「園芸にはお詳しいのですか?」

「……いいえ。正直、先日の一件があってから大慌てで勉強したわ」


 やはりそうか。

 僕が真相に気付いているのを直感したのか、榊先生は別段隠そうとはしていないようだった。

 事件の全容は、こうだ。

 榊先生はつい先日、花壇に肥料を撒いた。良かれと思っての行動だろう。しかし、その肥料は鳥が好むモノだったのだ。それに気づいた彼女は慌てて一度撒いた肥料を回収しようとした。だが、間に合わなかった。その結果、花壇が一つだけ鳥に荒らされてしまったのだ。

 教師陣の中でも注目株だった彼女は自らのイメージダウンを避けるべく、隠蔽工作を謀った。そしてそのために猫屋敷さんを犯人に仕立て上げようとしたのだ。入部したばかりの彼女は丁度良いと思ったのだろう。

 まあ、その計画も結果的には失敗に終わったわけだけれど。


「僕からの要求は簡単なことですよ。今後、僕や猫屋敷さんに余計な干渉をしないで頂きたい。それだけです」


 勿論、園芸部員としての仕事は果たしますよ、と付け加えておく。僕もそこまで贅沢というか、反社会的な態度をとるつもりはない。ただ今後、榊先生がヘマをやらかす度に僕や猫屋敷さんに疑いがかかったのではたまらないではないか。

 僕の言葉に、彼女は静かに頷いた。


「分かったわ。約束する」

「ありがとうございます」

「まったく……ままならないものね」

「ええ、そうですね」


 本当に、世の中というのはままならないものだと思う。とは言っても、僕はまだまだ一介の中学生にすぎないから、偉そうなことは言えないけれど。


「バレないとは……思ってはいなかったけれど」

「一つだけ訊いても良いですか?」

「何?」

「どうして隠蔽工作なんかを?」


 それだけが、どうしても理解できなかった。正直に話すまではいかないにしても、何も生徒を犯人に仕立て上げる必要はなかったように思える。ただ黙っていれば良かったのだ。知らぬ存ぜぬを通すことは、そう難しくなかったはずだ。


「きっと神経質になりすぎていたのね……私の父親は教師だったの」

「はあ」

「でもね、ある時、不祥事を起こして懲戒免職になっちゃった」

「……」

「だから多分、私はそうはなりたくなかったんだと思う。ミスせず、真面目に……そんな堅実な教師になりたかったのよ。でも駄目ね……どうやってもミスをした自分が許せなかった」


 その気持ちを、僕は理解できなくもなかった。誰だってミスなんてしたくはないだろう。ましてや期待をかけられていれば尚更だ。


「けれど、いや、だからこそ、貴女は正直に告白するべきだった。だって先生はまだまだ新人でしょう? 新人はミスするのも仕事の内だと思いますよ。それに誰だってミスくらいはします。そういうのを素直に認められる方が、多分、楽に生きられますよ」


 自分に厳しく生きるのは大変なことだ。世間の人間は楽をするのが悪いことのように言うけれど、僕はそうは思わない。楽をしたがるのは、自然な心理だ。

 榊先生は、はあ、と息を漏らした。まるで憑き物でも落ちたかのように。

 そして口を開く。


「まったく……つくづく情けない教師ね。そんな大事なことを生徒に教えられるなんて」

「人生は一生勉強だと言った人もいたそうですよ」


 誰だったかは忘れてしまったけれど。まあ、後で猫屋敷さんにでも尋ねれば分かることだろう。

 さて、これで僕の用件は済んだ。

 僕はくるりと体を反転させ、扉に向かった。


「ねえ」


 呼びかけられて、僕は振り向く。


「まだ君の名前を聞いていなかったわ」


 そうだっただろうか。僕としたことが、いや、僕だからだろうか、自分の名前すら省略してしまったようだ。そういえば野々宮さんにも言われたな、言葉を省略する癖があるんじゃないかって。

 僕は一度咳払いを挟んでから、答えた。


「二年C組、楠木真です。どこにでもいる、ごく普通の中学生ですよ」


 そう言って、僕は理科準備室を後にした。

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