探偵と幽霊少女と謎との邂逅

プロローグ

 自称・どこにでもいる委員長が言う。


「楠木君、これからちょっと時間ある?」


 野々宮ののみや美里みさと。習志野中学二年C組所属。学級委員長。女子サッカー部とテニス部、手芸部の兼部。ショートカットとハツラツとした笑顔が特徴。多趣味。そして善人。あきれるほどの善人。クラス替えの直後でもあるにも関わらず、人付き合いが得意ではない僕の耳にもその名前が届くほどの有名人でもある。

 五月半ば、そんな彼女が話しかけてきたのだった。

 僕は帰り支度をする手を止めて、顔を上げた。


「特に予定は入っていませんけど」

「じゃあ……ちょっと付き合ってくれない?」

「デートに……なんて冗談はさておき、行き先は職員室ですか?」

「え、うん、そうだけど」


 目の前の少女が一瞬、目を丸くする。


「いやー、デートとか勘違いしてくれたら面白いなーなんて思ってはいたけど……引っかからないにしても、まさか行き先まで当てるなんてね。どうして分かったの?」

「僕と貴女はほとんど面識がないから」

「……ちょっと分からないんだけど、もしかして楠木君って言葉を省略する癖がある?」


 彼女は首を傾げた。

 しかし彼女の言う通りかもしれない。何せ僕は人と話すのが得意ではないのだ。

 僕は説明を付け足すことにした。


「僕と貴女はほとんど面識がありません。ということは、貴女が僕に話しかけてきたのは業務上の理由があるということになります。僕は図書委員ですけど、特に何も仰せつかってはいません。だったら理由は貴女の方にある、ということになります。貴女の学級委員長という業務の上にね。そして学級委員長がクラスの一人でしかない僕に話しかけてきたとすると、それは担任から仕事を頼まれたから。……だから行き先は職員室なんじゃないかって思ったんです」


 ふぅ。一気に話したら少し疲れた。これが普段の人付き合いを放棄していた弊害かな。


「なるほどなるほど。楠木君、もしかして君って、頭良いの?」

「いえ、そんなことはないと思いますよ」

「そう言えば、去年の定期テストでずっと一位にいたような」


 それは確かに僕のことだけれど、まあ、人の頭の良し悪しなんて成績だけで判断できるものじゃないだろう。


「ははは! 確かにそうかもね。でもまあ、それを差し引いても君は頭が良いと思うよ。賢いって言うのかな」


 実に屈託のない笑顔だった。他の人間に言われたら嫌味と取りかねない言葉だけれど、しかし彼女の言い方にはまるで悪意を感じない。育ちが良いというか、人が良い。悪く言うのならお人好しだ。


「うん。とにかく、一緒に来てくれる? 職員室の升田先生のところまで」


 さっきも言ったけれど、別段急いで帰る理由もない。それに担任に逆らう気もない。僕は面倒が嫌いなのだ。

 僕はスクールバックを机の横に掛け直して、立ち上がった。




「よーう。来たか」


 職員室で僕たちを迎えたのは、白衣を着た中年男性だった。眠たげな眼差しを携え、片手にはコーヒーの入ったカップを持っている。

 升田ますだ幸一こういち。僕と野々宮さんが所属している二年C組のクラス担任である。

 彼と関わるようになったのはクラス替えがあってからだから、付き合いは一カ月ほどしか経過していないのではあるけれど、しかし彼の大雑把な性格は初対面の時点でほぼ察することができた。

 そんな彼がわざわざ僕を呼び出したということは、それほどまでに緊急性を有する事態なのだろうか。


「いやいや、別に緊急ってほどじゃねえよ。部活のことだ」

「部活、ですか」

「うちの中学は部活強制なのは知ってるだろ」

「ええ、まあ」

「じゃあ、お前の所属していた地理研究部が今年度から廃部になったのは?」

「それは……」


 知らなかった。まあ、連絡網すらない実質は帰宅部のようなものだったから、仕方がないのかもしれないけれど。


「つうわけで、どっか別の部活に入ってくれや」

「はあ……」

「入部届けは来週までな」

「分かりました」


 僕が答えると、升田先生は大きな溜め息をついて、カップを持っていない方の手で後頭部を掻いた。


「ったく、もう一人もお前みたいに聞き分けが良かったら良いんだがな」

「もう一人?」


 野々宮さんは既に部活に入っているはずだ。それも三つも。それに、間違っても聞き分けが悪いなんてことはないだろう。


「ああ、猫屋敷さんですね」


 と、野々宮さん。

 その猫屋敷という名前には聞き覚えがあった。確か下の名前はアヤだったと思う。どういう字を書くかは覚えていないけれど。多分、“綾”だろう。

 ショートカットで手足は細く、しかし顔立ちはかなり整っている。街を歩けば十人に八人くらいは振り向きそうだ。もっとも不愛想でなければ、であるが。彼女が誰かと話している場面を、僕は一度も見たことはない。

 彼女はいつも窓際の一番後ろ――教室内で唯一の居場所であるそこに鎮座し、本を読むか、あるいは窓の外を眺めていた。退屈そうに。けれどその景色は実に絵になるものだった。

 有名人でもない彼女を僕が知っていたのに、大した理由はない。強いて言えばどこか自分と似ているように感じたからか。友達が少なそうというだけで同じ種類だと認定するのは、少し乱暴かもしれないけれど。

 そんな猫屋敷さんも地学部に所属していたのか。全く知らなかった。


「猫屋敷さんのことも探したんですけど、見つけられなくて……もう帰ってしまったんでしょうか」

「さあな……そう言えば、屋上には行ってみたのか?」

「屋上ですか? いいえ、行っていませんけれど」


 というより、屋上は立ち入り禁止のはずだ。


「それはルールの上での話だ。物理的に不可能かと言えば、そんなことはない」


 俺もよく煙草を吸いに行ってるしな、と付け加えてから、彼はコーヒーを啜る。おそらく屋上に続く扉には鍵がかかっていないということなのだろう。


「猫屋敷ならあそこにちょくちょく来ていたぞ」

「それを知っているんだったら自分で探して下さいよ……」

「嫌だね。面倒くさい」


 つくづく、彼は仕事嫌いのようだった。

 いや、ある意味最高の教師と言えるのかもしれない。ただし反面教師ではあるけれど。


「まあ、とにかくお前らちょっくら行ってきてくれや。そんでそこに猫屋敷がいたら、来週までに入部届けを提出するように伝えてくれ。楠木、お前もな」


 分かりました、と答えておく。

 升田先生はこれで話は終わりと言わんばかりに右手をひらひらとさせ、僕たちに帰るように促した。




「野々宮さんは猫屋敷さんと話したことは?」


 二人で廊下を進みながら、何となしに尋ねてみた。


「あるけれど、あまり要領を得ないって感じかな。彼女の話す言語は私には難しすぎる。もしかしたらそういう風に壁を作って、あえて他人を遠ざけているのかもしれないけどね」


 楠木君は? と聞き返してくる。


「僕もありませんよ。できることなら仲良くはしたいですけどね」

「ふぅん」


 彼女がにやりと笑う。まるでイタズラめかした子供のように。


「ふむふむ」

「何ですか?」

「いやいや、何でもないよ。ただ楠木君が女の子に興味を持つなんて意外だなって思ってさ」

「そういうつもりはないんですけど」

「あらら、そうなんだ。でも、仲良くしたいって」

「誰でも、誰かと敵対したいなんて思わないでしょう。僕は平和主義なんです」


 と言うより、事なかれ主義かな。面倒はないに越したことはない。


「そういうところは、もしかしたら猫屋敷さんとは真逆かもしれないね」

「どういうことです?」

「何て言うのかな……彼女は確かに人付き合いは好きではなさそうだけれど、でも、面倒事は嫌いではなさそうだよ」


 具体的にはボランティアとか委員会活動とか、と付け加える。


「人の輪を広げるというより、経験を積むって感じだね。だからそこでもあまり人とは話してないみたい。やっぱりちょっと変人かもしれないね。まだしも楠木君の事なかれ主義の方が理解できる」

「僕の考えの正当性はともかくとして……変人、ですか」

「うん、そう。変人」


 何というか。それこそが意外だ。

 猫屋敷さんが変人だということではなく、野々宮さんが他人の評価を一言で表現してしまったのが、だ。彼女はこと他人のこととなると言葉を尽くして表現しようとする性格だったと、僕は記憶している。


「それは少し買い被りすぎかもしれないね。だけど、猫屋敷さんに関して言えば、私の語彙不足なのは否めないかな。彼女を表現するのはちょっと難しいものがある」


 それに、と続ける。


「彼女自身が言っていたんだよ。自分は変人だって」


 屋上へと続く階段は体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下のすぐ手前にある。そこまで行くと体育館で活動している運動部の掛け声や、あるいはボールのバウンドの音、足音などが入り乱れて聞こえてくる。

 階段を上りながら、そういえば、と野々宮さんが口を開く。


「楠木君は運動はどんな感じなのかな」


 運動部が活動している音を聞いてか、彼女がそう尋ねた。


「どんなも何も、別に普通ですよ」

「興味はあるのかな」

「それも普通ですね」


 持久走も短距離走も去年のクラスでは真ん中くらいだった。多分、今年もそんな感じだろう。観戦もそこまで興味があるわけではない。テレビを点けて放送していたら呆然と眺めるくらいか。


「じゃあ、部活はどうするつもりなの? 運動部? それとも文化部?」


 そうだな……。運動も、まあ別に嫌いではないけれど、しかし部活でやるとなると面倒な人間関係は付きものだろう。となると、楽な文化部が良いかな。部員の少ない感じの。本音を言えば前の地学研究部のような部活が望ましい。


「へえ。興味があるならテニス部に勧誘しようと思っていたんだけど」

「できることなら帰宅部が良いんですけどね」

「まったく……勿体ないよ。折角の青春なんだからさ」

「青春ですか」


 それを言うのなら、家に早く帰るのだって青春だろう。あるいは、窓の外をただ眺めるのだって、青春だ。要は当人の感じ方の問題だ。

 それはそうと、一般的な青春のイメージというのもある。毎日部活に励んだり、友達と駄弁ったり、あるいは誰かに想いを寄せたり……思い返せば僕には何もないな。まあ、別にそれが悪いことだとも思わないけれど。


「その点、野々宮さんは青春を満喫しているって感じですね」

「うん、まあね。充実はしてるよ」


 そうだと思った。

 しかし、それを考えた時、これから会おうとしている猫屋敷さんはどうなのだろう。彼女自身が今の生活を楽しいと思っているのなら問題はないのだけれど……まあ、ろくに話したことのない相手のことを考えても仕方がないだろう。

 踊り場に差し掛かった。窓の外からは夕焼けの紅が差し込んでいた。見ると窓からは街が一望できる。ここに来たのは初めてだけれど、こんなに綺麗な景色を見ることのできる場所が校内にあったとは。

 そのまま階段を上ると扉が現れた。

 野々宮さんがドアノブに手をかける。回す。升田先生が言っていた通り鍵はかかっていないようで、扉は簡単に開いた。

 埃っぽい階段に風が吹き込んでくる。夕陽が眩しい。

 そしてそこには、一人の少女がいた。

 夕焼けを背負ったその少女は、こちらを見て微笑んだ。


「やあ。君は、楠木真君だね」

「そう言う君は、猫屋敷綾さんだ」


 こうして僕は、自称・変人の彼女と初めての邂逅を果たしたのだった

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