―5―

「こっちは美術部員の上堂かみどう夕陽ゆうひさん! そんで、私たちが炎氷姉妹リバース・シスターズ! そっちの高校生は探偵の楠木真と、渡嘉敷雅さんだ!」


 花火さんが間に入って紹介し、僕は軽く頭を下げる。

 美術部員――上堂夕陽さんは、しかしこちらに一瞥もくれずにキャンパスに向かい続けている。ショートカットと赤いフレームの眼鏡が特徴の女子中学生である。

 美術室は普通の教室よりも少し広い。後ろの方が少し空いていて、そこには作りかけの美術部の作品が置いてある。眼鏡の少女以外に人はおらず、もしかしたら今日は本来ならば部活が休みなのかもしれない。あるいは、そもそもあまり活発な部活動ではないのかもしれないと、僕は思った。

 普通の教室と違う点と言えば、壁際に置かれた棚に美術用具や資料が置かれていることや、絵を描きやすいように傾斜をつけられる机があることくらいだろう。


「……貴女の友人である森本さんから、相談に乗ってあげて欲しいと頼まれています」


 氷乃さんが注釈すると上堂さんは小さく舌打ちした。


「アイツが勝手にやったことだから、私は知らない」

「おいおい、折角友達がお前のことを考えて動いてくれたってのに、その言い方はないんじゃないのか?」

「かもね。でも、実際私には関係ないことだし」


 言いながら、筆を動かす。

 僕は彼女の後ろに回り込んだ。


「オレンジ畑ですか。素晴らしい絵ですね」


 少女が描いているのは、オレンジ畑の絵だった。何本もオレンジの木が立ち並び、地面に落ちた果実が、一面をオレンジ色に変えている。しかし、不思議なことに、そのオレンジの上には雪が降り積もっていた。季節感はまるで合ってはいないが、しかし何とも幻想的な雰囲気を醸し出している。

 僕は絵画のことはよく分からないけれど、実に見事な絵に見えた。もし猫屋敷がここにいたら、百の言葉をもって彼女の絵を賞賛するかもしれない。

 少女が振り向く。


「楠木先輩、だっけ。先輩は、絵のことが分かるの?」

「少しだけね。そういうのに詳しい友達がいるんだ」

「ふぅん……その人も美術部員とか?」

「いいや……」


 僕は首を横に振る。


「じゃあ、趣味が絵画とか?」

「どうかな。多趣味な人だったんだ」

?」

「その子は、もうこの世にいないからね」


 僕の言葉に、渡嘉敷さんが俯く。

 上堂さんは、静かに目を伏せ、しかしすぐにまた顔を上げた。


「そっちのバカな二人組はともかく、先輩になら話してもいいかもね」

「何! どうして楠木真だけ! ズルいぞ!」

「……いや、花火ちゃん、まずはバカ扱いされたことに怒ろうよ」

「ん……? ああ、そうか! 誰がバカだ、このヤロー!」


 何というか、やはり残念な思考だった。


「……まあ、姉のことはさておき、私はバカではありません。私にもお話を聞かせてもらえないでしょうか?」

「嫌」

「……そこを何とか」


 重ねて頭を下げる氷乃さん。

 僕としては、まあ、このまま不戦勝という形でも良いのだけれど、しかしそれではこの双子は納得しないだろう。これ以上付きまとわられても面倒だ。


「あの、上堂さん。僕からもお願いします。この二人にもお話を聞かせていただけないでしょうか」


 上堂さんは、少し考える。そして、観念したようにため息をついて、答えた。


「分かった。話せば良いんでしょ」

「ありがとうございます」


 僕が礼を言うと、彼女は持っていたパレットと筆を机の上に置いた。

 そして、彼女は語り出した。




 私にはおじいちゃんが一人いてさ、すごく可愛がってもらってたんだよね。私の“夕陽”って名前もおじいちゃんに付けてもらったんだって。

 それで、私もおじいちゃんにかなり懐いてた。

 私のおじいちゃんは、仕事は舞台のスタッフだったんだけど、絵を描くのが趣味だったんだ。

 基本的には風景画。私はおじいちゃんの影響で、絵を描くことを始めた。

 おじいちゃんは私に色んなことを教えてくれたよ。デッサンのコツから、色の出し方まで。絵に関係ないことも、色々と。

 で、まあ、その絵を描くことに興味を持ったきっかけが、一枚の絵だった。

 ……うん、そう。おじいちゃんが描いたやつ。

 一本のオレンジの木があって、その周りにオレンジと、それから真っ白な雪が積もってる絵。

 まあ、確かに季節感はバラバラなんだけど。でも、すっごく綺麗でさ。いつか私もこんな絵を描いてみたいって思うようになった。それがきっかけ。

 でも……。

 おじいちゃんは、二度とその絵を私に見せてくれることはなかった。

 あんなに素敵な絵だったのにって、私は不思議に思ったよ。

 そして、あの絵のことを教ええてくれる前に、死んじゃった。去年の夏にね。

 だから私、決めたんだ。

 ……何をって、そんなの決まってるじゃん。

 私が、あの絵を再現しようってこと!

 それ以来、ずっとオレンジ畑に雪が積もっている絵ばっかり描いてる。

 ま、一度も再現できたことはないけどね。




「それで私がその絵と、描き方を探してるって、親友の森本の話したんだ。そしたらそっちの双子が聞きつけてきたってわけ」


 そう言って、上堂さんは肩を竦めてみせた。


「あの」


 と、渡嘉敷さんが口を開く。


「そのおじいさんというのは、どのような方だったのでしょう」

「と言うと?」

「いえ、その方の性格から、何か分からないかと思いまして」

「そうだなぁ……」


 眼鏡の少女が腕を組み、記憶を辿る。


「面白い人だったよ。イタズラとかサプライズとかも好きだったし」

「では、私たちは上堂さんが感銘を受けた絵と、その描き方を探せば良いんですね?」

「まあ、力を貸してもらえると助かるけど」


 渡嘉敷さんが、クルリとこちらを向く。


「だ、そうですよ、楠木さん!」

「え、ああ、うん。そうだね」

「もしかして、もう何か分かったんですか!」

「まさか」


 相変わらず、このお嬢様は僕に過度な期待をかけているらしい。いくら僕でも、これだけの情報で何かを導き出すのは不可能だ。

 僕は上堂さんに尋ねてみることにする。


「幾つか質問があるのですが」

「何?」

「どうしておじいさんは、貴女に例の絵を見せなくなってしまったのでしょう」

「さあね。少なくともケチだったから、なんてことはないと思うけど。他の絵は何度も見せてくれたし」

「なぜオレンジと雪の絵だったのでしょう」

「……どういうこと?」

「絵のモチーフにするには、なかなか珍しい組み合わせだと思うんです。何か理由があったのかなって思いまして」


 オレンジが好きだったとか。雪が好きだったとか。あるいは、その両方とか。


「さあ。それも分からず終い。その絵以外にもオレンジとか雪が描かれた絵は沢山あったし、単に好きだったのかも」

「では、おじいさんの名前は?」

「何、その質問……まあ、良いや。上堂かみどう彦助ひこすけだけど」

「先程、貴女のおじいさんは、例の絵の他にも絵を描かれていたと言っていましたが、それを見せてもらうことはできますか?」

「幾つかはスマホに写真があるけど、全部を見せるとなると、家に来てもらうしかないかな」

「では、そのの方を見せてもらえますか?」

「ん。ちょっと待って」


 そう言って、上堂さんはスマートフォンを操作した。そして彼女はそれを僕の前に差し出す。

 差し出された画像を、僕と渡嘉敷さん、それから葉住姉妹が覗き込む。四方から覗き込むと、顔が近くなって何だか窮屈だが、仕方がない。

 上堂さんのおじいさんが描いた絵は、どれも素晴らしいものだった。とてもアマチュアが描いたものとは思えない快心の出来ばかりだ。

 幼い頃の上堂さんを描いた絵。満開の桜の絵。満天の星空の絵。

 そして、その中に、僕は気になる一枚の絵を発見した。


「あの、これは?」


 それは、オレンジ畑の絵だった。中央にオレンジの木が一本生えていて、その周りの地面をオレンジが埋め尽くしている。雪は描かれていないが、上堂さんが過去に見たという絵に似ているのではないだろうか。


「それは、確かに似てるけど、違うものだよ。私が見た絵には確かに雪が描かれていた」

「でも、何か関係があるんじゃないでしょうか?」


 と、渡嘉敷さん。

 まあ、そう考えるのが普通だろう。雪の有無はともかく、構図がここまで条件通りなのは、何らかの意図があってもおかしくはない。もしかしたら、上堂さんがかつて見たという絵は、この絵の冬バージョンではないのだろうか。


「ああ、そうそう」


 上堂さんが思い出したように声を上げる。


「おじいちゃんは、一つ気になることを言っていた」

「何です?」

「死んじゃう前に言ってたんだけど、もしあの絵をもう一度見ることがあったら、木の根元を見なさい、って。ま、絵自体が見つからなかったら何の意味もない遺言なんだけどね」

「ふむ……」


 そんな遺言を残すくらいなのだから、彼女の祖父にとってもその雪の中のオレンジ畑の絵というのは、特別な意味を持っていたのだろう。とすると、捨てられたり売られたりしている可能性は低いのではないだろうか。


「よっしゃ! そんじゃあ、私は上堂さんの家に行って、その絵がないか探してくるぜ!」

「……私は、科学技術を使って、残された絵を調べてみます。何か手がかりがあるかも」


 葉住姉妹は、そう言って椅子から立ち上がった。


「仕方ないわね。案内するわ」


 と、上堂さんも立ち上がる。そして手早く画材を片付ける。


「それで、楠木先輩はどうする? 家に来るってなら案内するけど」

「僕は遠慮しておきますよ。あまり大勢で行っても迷惑なだけでしょう。ああ、でも渡嘉敷さんは行った方が良いかもね」

「どうしてです?」


 渡嘉敷さんが聞き返す。


「もしかして残された絵の中に手がかりがあるかと思って」

「なるほど! では、私もお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 上堂さんがやれやれと首を振る。


「良いよ。この際二人も三人も同じだし」


 そう言って歩き出した彼女に、三人の女子が続いた。

 美術室には僕一人が残された。

 ――さて。

 せっかく中学校にまで足を運んだのだ。行ってみたい場所がある。

 僕は一人きりで、歩き出した。

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