閑話 ―1―

 自称・怪談好きの彼女が言う。


「この話は数年前に親戚のお姉さんに聞いたんだけどね」


 五月末のことだ。

 僕と野々宮さん、渡嘉敷さん、それからクルミさんは、中間テストの慰労会と、つい先日解決した吹奏楽部内の盗難事件の報告会も兼ねて、新しくできたケーキバイキングの店に来ていた。

 支払いは僕の奢りということになってはいるが、クルミさんや渡嘉敷さんはともかくとして、野々宮さんにも奢らなければならないのは全くの謎だ。本来ならば依頼人であるところの彼女からは、逆に報酬を受け取ってもいいと思うのだが……。

 僕の前には食べかけのショートケーキとコーヒーがある。渡嘉敷さんの前には残り少しとなったチーズケーキが、クルミさんの前にはまだ半分ほど残っているモンブランが、そして野々宮さんの前には既に食べ終えた後の皿が二枚も置かれている。こうして見るとその人の性格が出ているようで面白いな。


「洋館の魔女の話」


 野々宮さんの言葉に、渡嘉敷さんが首を傾げる。


「どういう話なんですか?」

「こ、怖い話ですか!?」


 クルミさんは明らかに動揺しているようだった。どうやら彼女はこの手の怪談話というのが苦手らしい。まったく、猫屋敷が彼女の前に現れなくて良かった。もし現れていたら、気を失ってしまうのではないだろうか。

 対して渡嘉敷さんは興味津々といった感じだ。怪談の類は苦手ということはなく、むしろ好きそうな印象を受けた。

 いや、あるいは謎解き感覚なのだろうか。どうにも彼女には名探偵というものに憧れている節があるし。もしくはただ思考するのが好きな人間なのかもしれない。だとすればかなりの高確率で猫屋敷と気が合うことだろう。

 しかし、まあ、猫屋敷とこの二人が会うことなんて、きっとないんだろうな。

 ちなみに僕は怪談を怖いと思ったことはない。少なくともここ二年間は。何せ本物の幽霊と頻繁に顔を合わせているのだから、当然だろう。

 怯えるクルミさんに構わず、野々宮さんが続ける。


「そのお姉さんは警察官で、生活安全課ってところにいるんだ」


 生活安全課というのは、詳しくはないが聞いたことくらいはある。確か防犯相談だとか少年犯罪だとか、とにかく住民に一番近い部署だと言えるだろう。


「そうそう。だから殺人とか強盗とか、そういう凶悪犯罪には滅多に関わらないんだよね」


 それでね、と繋ぐ。


「その街には有名な洋館があったんだ」

「洋館ですか?」

「うん。山奥にあったらまず間違いなく陸の孤島になって不可能としか思えない殺人事件が次々に起こるような洋館」


 推理小説の読みすぎだろう。


「あははっ、そうかもね。まあ、それはさておき、うん。映画なんかによく出てくるような洋館を想像してもらえると良いかな。結構立派な造りなんだってさ」


 まあ、想像するのはそう難しくはない。


「で、だ。その館には一つ問題があった」

「問題ですか?」


 渡嘉敷さんが相槌を打つ。

 クルミさんは耳を覆って下を見ていた。そんなに苦手なのだろうか。


「住人だよ」

「住人……どんな方だったんですか?」

「その洋館には二人の住人がいた。男と、それから若い女だ」

「男と女……お二人は夫婦だったんでしょうか」

「そうかもしれない。実際に籍を入れていたかどうかは分からないけどね」


 内縁の夫婦とか、恋人関係ということもあるだろう。


「男は中年で、街工場に勤めていたらしい。それに対して女は若く、美しかった」

「その女性は何かお仕事をやっていたんでしょうか?」


 野々宮さんが首を横に振る。


「一日中家にいたらしいから、多分していなかったんじゃないかな。内職とかは分からないけど」


 やはり渡嘉敷さんは思考が好きなのだろうと思った。先ほどから出される質問は、まさに探偵小説のそれだ。

 野々宮さんが、ここからが本題と言わんばかりに咳払いを挟む。


「二人は幸せに暮らしていた、というわけじゃなかった」


 それはそうだろう。もし二人が幸せだったのなら、そこで話は終わってしまう。めでたしめでたし、というやつだ。


「その男に問題があったんだよ」

「どんな問題でしょう」

「男は酷い奴だった。男は女を監禁し、家事もしなかったから、家は荒れ放題だった。いわゆるゴミ屋敷というやつだ。市役所に苦情がいくほどだったらしい」


 なるほど。そこから例の親戚のお姉さんとやらに繋がるわけか。


「その通り! 生活安全課にいたお姉さんも、当然付近の住人の相談に乗っていたんだ」

「それで」


 と、渡嘉敷さんが口を挟む。


「さっきの“監禁”というのは?」


 話の重さを悟ったのか、彼女の表情は先程までの興味本位というものから、もっと固いものになっていた。


「男は女を愛していた。一方的だったのか両想いだったのかは分からない。とにかく男は女を愛していて、彼女の美しさを他の人間に見せたくないと思った」


 だから女を館に閉じ込めたのか。……まったく、酷い話だ。いや、もはや酷いの一言で済ませるのもはばかられる。その女性は、男の持ち物ではないだろうに。


「館に閉じ込められた女は、いつも二階の部屋の窓から外を見ていた。そこが唯一外の世界との繋がりだったんだ」


 その女性は何を思っていたのだろう。どんな気持ちで、外の世界を眺めていたのだろう。それはやはり僕にも分からない。その女性が幸せだったのか、不幸だったのかも。

 ……ん? ちょっと待てよ。


「その女性はどうして逃げなかったんですか?」


 窓があるのなら逃げることもできただろう。高さがあって物理的に不可能だとしても、助けを呼ぶくらいはできたはずだ。男が普通に働いていたのなら、昼間は逃げ出すチャンスがあったはずだろう。


「さあ、そこまでは……もしかしたらその女性は足が悪かったのかもしれないし、声を発することができなかったのかもしれない。あるいは、本当にその男のことを愛していたのかも……」


 愛、か。

 まあ、確かに、愛の形は人それぞれだ。

 他人を監禁することが愛。

 他人から逃げ出さないのも愛。

 それはそれで正しいのかもしれない。

 幽霊になっても姿を見せてくれるのも、また愛なのだろう。


「とにかく、その二人はそんな環境で生きていたんだ」


 ゴミの山の頂に咲く一輪の花か。

 あるいは、悪い魔物によって塔のてっぺんに閉じ込められたお姫様か。

 何ともお伽話のような話だ。


「で、ある時事件が起こった。館からあふれ出るゴミを撤去するように、と役所の人が勧告に行ったんだ。強制撤去もあるって。何度も通知はしたらしいから、当然の計らいだよね。

 けれど、役人が何度もインターフォンを押しても男は出てこない。当然その女の人も。そこで役人の一人は、ここ最近男の姿を見ていないという近所の住人の話を思い出した。そこで、もしや、と思ったらしい」


 そこから先は、何となく想像できる。


「うん。遺体があったって」


 気が付けば、全員のケーキを食べる手が止まっていた。


「男は刺殺。女は毒殺だったらしい」

「それは、酷い話ですね……」


 渡嘉敷さんがそう言った。しかし、彼女の言う“酷い”は、先程のそれとは明らかに違っていた。もっと重々しく、そして悲哀に満ち溢れている。あるいは、救いのないこの世界そのものに絶望するような表情だ。


「それで、ここからが怖い話」

「ひっ!?」


 思わず聞き入っていたクルミさんが、再度耳を塞いだ。涙目になって震えている。


「館は完全な密室。男の遺体は腐敗していた。女の死亡した時期も同じくらいだって。だけどね――」


 言葉を溜める。


「親戚のお姉さんは見たんだって、その女の人を」


 渡嘉敷さんがゴクリと唾を呑む。


「遺体発見の……三日前に!」


 ガガーン! と、ドラマやアニメなら効果音が入っていただろう。


「つまりそれは、その女の人の……」

「幽霊、かもしれない。そしてその二人を殺害した犯人は、未だに捕まってないって」

「それは、怖い話ですね」


 そう言った渡嘉敷さんの顔は真剣そのものだった。

 クルミさんが涙目でこちらに視線を送る。どうやら怪談が終わったかどうか気になるらしい。僕はまだダメだと首を振る。

 しかし、密室殺人か……。

 僕が考えを巡らせていると、渡嘉敷さんが顔を覗き込んできた。


「えっと、何かな?」

「いえ、楠木さんなら何か分かったかもしれないと思いまして」

「そんなに簡単には分からないよ」


 そして僕は野々宮さんに視線を向ける。

 彼女は質問があるならどうぞ、と言わんばかりに右の掌を見せた。

 それじゃあ……。


「その親戚のお姉さんというのは生活安全課なんですよね」

「そうだよ」

「現場の状況をどうして知っているんですか?」


 殺人事件ならば本来捜査一課の担当のはずだ。


「何度か注意に行っていたから、事情を訊かれたんだって。でも、まあ、お姉さんも館の中にまで入ったことがあるわけじゃないから、あんまり詳しくなかったみたい」

「なるほど。で、そのお姉さんは、どこで亡くなっていたはずの女性を見たんですか?」

「中には入れなかったから、館の外から窓越しに見たってさ。でも、いくら遠目に見たからって、その人が腐っていたら分かるよ?」


 そうだ。だから、その女性は幽霊だったのではないか、という疑いが出てきている。


「殺されたことを恨んで化けて出たのかも!」

「それは怖い。質問を続けても?」


 野々宮さんはやれやれ情緒がないなぁ、とでも言いたげな感じで肩を竦ませながらも、掌を向ける。


「館は完全に密室だったんですか?」

「そうだったって聞いてるけど」

「では、第一発見者はどうやって館に?」

「ドアを蹴破ったらしいよ。なんか、その時のメンバーの一人に格闘技をやっていた人がいたんだって」


 なるほど。と、なると。


「僕はその密室の謎を解けば良いんですか?」

「そだね。できれば犯人も分かったら凄い。あ、あと、お姉さんが見た死んだはずの女の人も」


 もはや完全に怪談ではなく推理ゲームになっているな……。


「もしかして楠木さん、何か分かったんですか?」

「まあ。一応、一通りのことには説明を付けられると思います」


 僕は僅かに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。

 さて、謎解きを始めよう。


「まず初めに、ちょっとした雑学から。食品添加物って知ってますか?」


 渡嘉敷さんが首を傾げる。


「あの食べ物を腐りにくくするっていうアレですか?」

「そう。コンビニ弁当なんかには多く含まれていたりするんだけれど、それを食べ続けると、人間の体も腐りにくくなるんだよ」


 洋館はゴミ屋敷だったそうだ。

 それだけだらしのない男のことだから、自ら料理をしていたとは思えない。大体はコンビニやスーパーの弁当だったのではないだろうか。


「そしてその女性の体も、腐りにくくなっていた」


 つまり、野々宮さんの親戚のお姉さんが見たというのは、生きている女性ではなく、既に亡くなっている女性だったんだ。


「でも、同じ時期に亡くなっていた男性の方はもう腐敗していたんですよ」

「それは死因が原因さ」


 男の方は刺殺だった。体に大きな傷があれば、腐敗も早くなる。対して女の方は服毒死だ。少なくとも外見は腐りにくいだろう。


「これが野々宮さんの親戚のお姉さんが見たという、幽霊の正体だ」


 残るは密室と殺人犯だが、実はこの二つは話を聞いた段階でほぼ見当が付いていた。


「ポイントは、密室内で死んでいた二人の死因が違っていたということなんだよ」


 僕が犯人ならば、そんな面倒なことはしない。二人ともまとめて殺害するだろう。もし抵抗されるのを恐れて片方を毒殺するのなら、力の弱い女性の方ではなく、力の強い男性の方を選ぶ。

 そして、ここまで分かってしまえば、後は簡単だ。


「男を殺害したのは、同居していた女だったんだ」


 事件の流れはこうだろう。

 女は男に監禁されていたことを恨んでいた。まあ、初めからそうであったということはないだろう。おそらく、どこかのタイミングで愛情が裏返ったのだ。

 女は家にあった包丁で男を殺害する。

 そして、自らの一番好きだった場所で、毒を飲んだ。

 当然、館の鍵はかけられたままだから、密室となったわけだ。


「野々宮さんの親戚のお姉さんは、生活安全課です。捜査一課ならいざ知らず、遺体を見ることはない」


 だから腐らない女の死体を見て、幽霊だと勘違いしたのだろう。

 僕の話は以上です、と締めくくった。ふぅ。コーヒーが飲みたい。


「やっぱり、楠木君は天才だねぇ」


 野々宮さんがしみじみと言う。

 止めて欲しい。天才というのが何も良いことばかりではないと、つい先日の事件で知ったばかりだ。

 僕はクルミさんにもう終わりましたよ、と告げてから、コーヒーのお替りをもらうべく立ち上がった。




 帰り道、四つの影が伸びている。


「そう言えば、今日は中間テストの慰労会でしたよね。すっかり忘れていました」


 そんな話もあったな。


「じゃあ、どうだったか聞いてみますか?」


 と、クルミさん。怪談話を聞いてからすっかり沈んでしまっていたが、ケーキを食べたら機嫌を直したらしい。そういうところは、まだまだ子供っぽいな。


「私は全然ダメだったなー。特に数学!」

「そうだったんですか? 少し意外ですね」

「まあ、野々宮先輩は成績は普通ですからね」

「そうなんですか。じゃあ、枢木さんは?」

「私は超良いですよ! 何せ優等生ですから!」


 そりゃあ、テストの問題を事前に入手していればそうなるだろう。


「むー。ばらさないで下さいよ、真先輩」

「ごめんごめん。それで、渡嘉敷さんはどうだったの?」

「私ですか? 私もまあまあ、ですね。歴史でいくつかミスしてしまいましたし」


 そう言って、少し恥ずかしそうにはにかむ。


「まったまた~。雅ちゃんが成績悪いわけないじゃん」

「そんなことありませんよ。それに、試験なんてただの要領ですし」

「はー。言ってみたいね、そんなセリフ」


 野々宮さんがそう言うと、二人は笑いあった。

 嫌味に取られてもおかしくはない言葉を笑い合えるというのは、友情の証だろう。何にしてもこの二人がうまくやっているようで良かった。


「そう言えば、楠木さんはどうだったんですか?」

「僕?」

「あー、真先輩には訊かない方が良いですよ、渡嘉敷先輩」


 と、クルミさん。


「どうしてですか?」

「自分の成績が憐れになるからです」

「そんなに良いんですか?」


 まあ、うん、そうかもしれない。


「ちなみに、何点か教えて頂いても?」


 まったく。このお嬢様はどこまで好奇心に素直なんだろうか。


「一応、百点だよ」

「百点?」

「そう。全教科百点」


 まだ自己採点の結果だけれど、と付け加えておく。

 渡嘉敷さんはやはり信じ切れないようで、野々宮さんに視線で確認する。


「うん、そうだよ。楠木君なら多分そう。中学時代からずっとそうだもんね」

「本当に、腹立たしいことこの上ないです!」


 酷い言われようだな……。

 まあ、それでも、僕と唯一張り合った人間が一人だけいる。

 彼女と競うことはもうないのだろうけれど、しかし今晩辺り、ケーキバイキングのことを恨んで枕もとに立つことは簡単に推測できる。

 さて、金縛りにでも遭ったら敵わない。

 僕は帰路を往きながら、彼女への言い訳を考えることにしたのだった。その答えは、成績優秀な僕でも辿り着けるか分からないな。

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