―11―

「単刀直入に言います。貴女たちが吹奏楽部内の盗難事件の、最初の犯人ですね?」


 放課後。僕は学校の屋上に来ていた。夕焼けが少し眩しい。

 今日は天海さんの姿はない。それもそのはずで、彼女には昼休みに事情を伝え、放課後にここには立ち入らないようにと頼んでいたのだ。

 そして、僕の目の前には今、二人の人間がいる。対峙している。

 二人の内の一人、眼鏡をかけている女子生徒が口を開く。


「盗難事件? 一体何の話ですか?」

「とぼけなくても大丈夫ですよ。そうですね……初めに僕のことを話しておきましょうか。僕は、吹奏楽部内のとある人物から依頼を受けて、調べていたんです。盗難事件のことを」

「じゃあ、取材というのは……」

「ええ。嘘です。と言っても、新聞部の取材に僕が同行させてもらっただけなんですけどね」


 騙していたことは、素直に悪いことをしたと思う。僕はそのことを二人に謝罪してから、話を続ける。


「さて、何の証拠もなく貴女がたを犯人と決めつけるのもおかしな話だ。なので、証拠をお見せしようと思います」


 言って、僕は前に出る。

 そこには鉄格子があった。屋上から落ちるのを防ぐために取り付けられたものだろう。鉄格子の向こうには、今朝話題になったばかりの校庭が見える。

 僕は校庭を指さした。


「あれを見てください」


 二人が、僕が指さした方向を見る。


「あ、あれは……!」


 二人の内の一人、今度は制服を着崩し、前髪を上げた女子生徒が驚きの声を上げた。それもそのはずだ。なぜなら、多数の生徒が通過することによって消えたはずのミステリーサークルが、な状態でそこに存在していたからだ。


「どうして……?」

「簡単なことです。あれはミステリーサークルなんかじゃない。人間が描いたものだ。だから再現できます」


 僕は用意していたロープ、ライン引き、そして杭を二人の前に出す。


「全て体育倉庫にありました。ミステリーサークルの描き方は簡単です。まず、注目すべきなのは、あの図形は全て円だけで構成されていたものだということです」


 僕は犯人がとったであろう方法を、二人に説明する。

 まず描きたい円の中心に杭を打つ。そしてそこにロープを結び、ぴんと張るようにしてライン引きと繋ぐ。そうしたら、後は杭を中心に円を描くだけだ。馬鹿みたいに大きなコンパスだと思ってくれれば良い。後は繰り返し大きさの違う円を描いて、組み合わせれば、謎の図形のできあがり、というわけだ。


「貴女はこの方法で校庭にミステリーサークルを残した。おそらく、昨日のまだ若干明るかった時間でしょう」


 ジャージを着て運動部の振りをすれば、怪しまずにラインを引くことができる。それに進学校であるところの習志野学園の生徒は、遅くても夕方の六時には下校するはずだから、そもそもの目撃者だって少ないはずだ。


「では、犯人はどうしてこんな手間のかかることをしたのか。それは盗難騒ぎの眼をそちらに向けるためです。ならば、どうしてミステリーサークルなのか。全校――いや、吹奏楽部員の注意を引きたいのなら、もっと手軽な方法だってあったはずだ」


 しかし、彼女はそれをしなかった。どうしても、“ミステリーサークル”でなければならない理由があった。


「宇宙人の仕業に見せかけたかったから……そうですね?」

「……」

「では、なぜ宇宙人の仕業でなければならないのか。それは、僕が話したからです。盗難事件が、まるで宇宙人の仕業のようだ、と」


 そして、そう話した相手は、一人しかいない。

 一年H組で取材したトランペットパート――その副リーダー。


「貴女がミステリーサークルを描いた犯人ですね。黒森沙耶さん」


 僕は、真っ直ぐに彼女の眼を見て、言った。

 黒森さんが俯く。


「……マネキンは、どう説明するんですか?」


 やはり、そう来たか。

 結論を言うと、マネキンをあそこに設置したのは彼女ではない。


「マネキンを運ぶための痕跡は何もなかったと聞いています。それなら、一体誰がどうやってあれを」

「それも全て分かっています」


 そして、僕はもう一人の犯人の方に視線を向ける。


「あれをやったのは、貴女ですね。小比類巻京子さん」


 僕の視線の先、そこには、吹奏楽部部長――小比類巻京子の姿があった。


「一体どういうことか、説明してもらえるんですよね、楠木さん」

「勿論」


 僕は歩き出す。

 今朝屋上を調べた時と同じように、時計周りに、鉄格子を辿って。丁度校庭が見えるのと反対側に立った。二人も僕を視線で追った。


「ここ、見てください」


 そう言って、僕は腰を屈めながら、鉄格子の一本を指さす。

 その瞬間、小比類巻部長がはっとした表情になったのを、僕は見逃さなかった。

 やはり。ビンゴだったようだ。


「ここに傷があります。かなり新しいもので、まるで何か重いモノをロープか何かで引っ掛けてできたような傷です。それから」


 上体を起こし、少し離れたところの鉄格子を指さした。


「向こうにも同じような傷がありました」


 そしてポケットを探る。取り出したのは玩具のパチンコだ。


「犯人がやったことは、そう難しくありません」


 まず、傷のある二本の鉄格子に、強力なゴムの両端を結び付ける。そしてその中間点に、砂で重さを調整したマネキンをセットし、屋上から下に落とす。砂で重くなったマネキンは、地面すれすれまで落下し、そしてゴムの反発で、発射される。


「丁度、このパチンコでつぶてを飛ばすように」


 言いながら、BB弾を軽く飛ばして見せた。


「空を舞ったマネキンは、校舎を飛び越え、校庭に落下するという仕組みです」


 マネキンの下に不自然に散らばった砂は、その時のものだろう。


「多少の計算は必要ですが、理数系の特別進学クラスだった貴女になら可能です。仮に分からなかったとしても、資料はたくさんあるでしょうし、物理の先生にでも聞けばいい」


 その辺りは裏を取れば分かることだろう。

 小比類巻部長が口を開く。


「どうして、ミステリーサークルとマネキンが別の人間の仕業だと?」

「ズレていたからです」

「ズレていた……?」

「ええ。マネキンを飛ばすのは、先程も言った通り、計算が必要です。そして計算をするのなら、サークルの丁度中心に落ちるようにするはずです」


 しかし、散乱したマネキンの残骸は、サークルの中心から少し外れていた。仮に犯人が宇宙人の仕業に見立てるためだとすると、その辺りも計算に含めたはずだ。

 しかし、犯人はそれをしなかった。なぜか。


「そもそもあのマネキンは、別の目的のためにあそこに降らされたんです」

「……」


 彼女は何も言わない。

 僕は構わず続ける。


「あれは、“神隠し”のつもりだったんですよね?」


 神隠し。

 古来より日本に伝わる神秘的現象の一つだ。山の神や、天狗が、山村の人間をさらってしまうという、まあ、割と有名な話だろう。そしてその逸話には、奇妙なことに共通点がある。


「それは、被害者が全て空に連れていかれる、ということです」

「……」


 おそらく犯人は、“空に飛ばされる人間”を演出したかったのだろう。


「しかし、思わぬアクシデントが起こった」


 先にミステリーサークルが描かれていたんだ。

 小比類巻部長は、万が一にもマネキンが人間に当たってしまわぬように、夜の遅い時間に犯行を行ったのだろう。しかし、暗くなれば、校庭のサークルは見えなくなる。


「だから気付かなかった。いや、気付けなかったんだ」


 その結果、ミステリーサークルの中に人型の物体が散乱する、という奇妙な事態が発生したのだ。

 小比類巻部長が口を開く。


「確かに、その方法ならできるかもしれません、ですが、私がやったという証拠には」

「なりますよ」


 まあ、状況証拠かもしれないけれど。


「なぜなら、神隠しのことを貴女に話したのは僕だからです」


 事前に神隠しという単語を聞き、そして一日の準備期間をおかなければ、この犯行はまず思い付かないだろう。


「でも、楠木さんは吹奏楽部員の色んな人に、盗難事件のことを訊いて回ったんですよね? だったら、その中の誰かがやったんじゃ」

「いいえ。それはあり得ません」

「どうしてっ……」

「簡単です。神隠しのことは、小比類巻部長にしか話していなかったからです」

「は……?」


 僕は黒森さんの方に視線を向ける。


「黒森さん、僕が盗難事件のことを貴女に話したとき、何て言ったか覚えていますか?」

「確か……」


 少し記憶を辿って、答える。


「UFOの話を」


 頷いてみせる。


「では、小比類巻部長の時は?」

「だから、神隠しがどうだって」

「そうです。では、質問を変えます。その時、僕はUFOがどうしたとかって言いました?」

「それは……言っていないわね」


 そこまで説明したところで、小比類巻部長は僕が言わんとしていることに気が付いたようだった。彼女の口から、まさか、と呟きが漏れる。


「僕は話を聞く時に、全員にバラバラのオカルト話をしていたんです。もしその中に犯人がいるのなら、それをなぞった隠蔽工作をしてくるのではないかと予想して」


 どの選択肢をとっても変わらない。あらかじめ結果を見通されている。いわゆるマジシャンズセレクトというやつだ。

 そして予想は、見事に的中した。が、二つも当たったために余計に分かりにくくなっていたのだ。


「これで、今朝の出来事に関する推理は以上です」


 黒森さんが答える。


「確かに、私があのミステリーサークルを作りました。でも、それが盗難事件に繋がりはしないでしょう?」

「いいえ、繋がります。全ての推理は繋がっているんです」

「どういう……」

「これも犯人の心境になってみれば、簡単なことなんですよ」


 ここまで大掛かりなことをした犯人だ。イタズラということではないだろう。ならば、目的は何だ? 

 答えは出ている。

 僕がUFOだの神隠しだのと話したとき、それは盗難事件について訊いた時だ。犯人は明らかに盗難事件に関する何かを隠そうとして、犯行に及んでいる。

 僕は改めて、二人の女子生徒を視界に捉えた。


「もう一度言います。盗難事件の初めの犯人は貴女たちですね?」


 もう二人は、何も答えなかった。ただ項垂れている。


「ここからは、僕の想像です。何の証拠もありません」


 そう前置きして、僕は自らが導き出したこの事件の全容を語り出す。


「貴女たちはトランペットパートに入ってきた天才――天海奏さんのことが気に入らなかった」


 一連の盗難事件の初めの被害者は、クルミさんが探った限りでは天海奏さんだった。しかし妬まれることの多かった彼女は、その手の被害にも慣れており、事態はあまり大事にならなかったのだ。


「ですが、お二人は何も彼女が憎くて私物を盗んだのではないでしょう?」


 もしも恨みや妬みからの犯行ならば、もっと実害の出るものを盗んだはずだ。嫌がらせだって、もっと他の方法もあっただろうし。


「おそらく、貴女たちは天海さんを吹奏楽部から追い出すためにあんなことをしたんだ。いや、と言うべきかな」


 天海奏では天才である。それは、音楽に関しては全くの素人である僕ですら直観できるほどだ。

 そして依頼人の野々宮さんは言っていた。うちの高校の吹奏楽部はレベルが低い、と。


「だから貴女たちは彼女を辞めさせようとしたんだ。天海さんはもっと他のところで演奏するべきだと考えて」


 憎んでなどいなかったのだ。トランペットパートを取材した時に、あの一年生コンビが言っていた。天海さんは部長に贔屓にされている、と。おそらくその言葉は事実だったのだろう。

 僕がここまで説明すると、小比類巻部長が自ら語り出した。ポツリ、ポツリ、と。その隣で黒森さんは涙を浮かべている。


「初めは、何回か嫌がらせをすればすぐに辞めるだろうと思っていました。正面から言おうとも思いましたけど、ほら、あの娘も頑固なところがあるでしょう? だから、彼女の実力を認めていた私たちは、協力することにしたんです」

「お互いの私物を盗み合ったのは、容疑者から外れるためですね?」


 静かに首肯する。


「被害者は怪しまれることはありませんから」


 しかし、小比類巻部長と黒森さんの計画は破綻することになる。


「どれだけやっても、天海さんは退部しなかった。それだけでなく、最も危惧していた事態に陥ってしまった。――模倣犯の出現というね」


 天海さんが気にしていなかったとしても、いずれ話は漏れ、そしてそれに便乗する輩も出てきたのだろう。今となっては誰がその犯人だったのかは分からないが。


「だから貴女たちは、今朝の事件を起こした。注意を引き、連続盗難事件をあやふやにするために。これ以上、模倣犯を出さないようにするために」


 しかし、打ち合わせが不足していた。いや、それぞれの単独行動だった。自ら考え、そして自らの意思で、連続盗難事件に終止符を打とうとしていたのだ。

 黒森さんは泣いたままだ。よほど部内に窃盗犯が増えたのが悲しかったのだろう。悲しかったのだろう。

 小比類巻部長はまた俯いてしまった。気のせいか、肩が震えているように見える、もしかしたら、泣きたいのを我慢しているのかもしれない。

 僕は、二人に聞こえないように小さく息を吐いた。

 まったく。やりづらい。

 相手が悪人だったら、どれだけやりやすかったことか。生憎ここにいるのは、確かに悪党かもしれないけれど、しかしどうしようもなく不器用な善人だけだった。


「なるほど。そういうことだったんだ」


 突然、屋上に声が聞こえた。声は入口の方からだ。ゆっくりと扉が開かれ、そこに天海奏が現れた。


「天海さん……」

「全部聞いたよ、楠木」


 真っ直ぐに、小比類巻部長と黒森さんの元へ歩き出す。

 そして、二人の前で、ピタリと停止した。


「ごめんなさい、天海さん! 私、今まで貴方のことを……」

「別に良いです。気にしてません、部長。それに、黒森先輩も」


 天海さんは笑みを浮かべる。小さく、哀しそうに。それは作ったものなのだろうか。いや、おそらく彼女もそこまで器用な人間ではないだろう。


「私、決めました。この部を退部します」

「え……?」

「ああ、別にあんなことがあったからじゃないですよ。実は前から、ある音楽団体に来ないかって誘われていたんです。そこに行けば音楽系の大学にも有利になるし、何より勉強になるからって。それで私、そこに行くことに決めたんです」

「それじゃあ」


 と、僕が口を挟む。


「もしかして学校も……?」


 彼女ははっきりと頷いてみせた。


「転校することになるかな」


 そう言った天海さんに、二人は抱き着いた。そして謝った。何度も。何度でも、謝った。ごめんなさい、と。すみません、と。申し訳ない、と。言葉を代えて謝った。泣きながら、謝った。


「泣かないでくださいよ、先輩。せめて最後くらい、後輩に強い姿を見せてください」


 その言葉に二人は顔を上げ、そして言葉を発した。ごめんなさいでも、すみませんでも、申し訳ありませんでもなく。謝罪の言葉ではなく。それは――


「ありがとう」


 だった。

 やれやれだ。

 僕は空を見上げる。真っ赤に燃えていたはずの空には、すっかり星が出ていた。

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