―10―
クラリネット、オーボエ、ホルン、打楽器を取材した結果、盗難事件に関わっているだろうという人間が、少なくとも三人はいた。と、言ってもこちらも確かな証拠があるわけではない。
それに、その人物たちは明らかに便乗犯といった感じだった。説得するまでもなく、被害の数が減っていけばそのうち止めるだろう。もしまだ続けるというのなら、野々宮さんやしかるべき機関に届けるだけだ。
僕はその旨を部活が終了し、合流した渡嘉敷さんに報告していた。
「貴女のいるクラリネットパートにも、それらしき人間がいたので、気を付けて下さい」
「そうなんですか……分かりました」
自転車を押しながら隣を歩く彼女は、何だか浮かない表情だ。もしかして。
「もう被害に遭っている、とか?」
「ああ、いえ、そういうわけじゃないんです。ただ……」
「ただ?」
彼女は眼を閉じる。静かに。
「私がお会いしたパート内の方々は、皆さんとても善い人に感じたので……」
「信じられない?」
「ええ、まあ」
「でも、僕の方が間違っているのかもしれない」
「いいえ」
即答だった。なぜだ?
「楠木さんは間違えないと思います。だって、貴方は誰よりも間違うことを恐れている」
「……」
「以前私がお世話になった時のことを覚えていますか?」
それは勿論。忘れるわけがない。渡嘉敷さんが遭遇した『偽ラブレター事件』は、僕が知る中でもかなりレアなケースだった。人の悪意がない事件というのも、本当に珍しい。
「あの時、楠木さんはわざわざ待ち合わせ場所まで調べに行ってくれましたよね。最初に事件の内容を説明した段階で、既に見当が付いていたにも関わらず、です。あの時に思いました。この人は慎重な人なんだなって」
あれは、僕の推理以外にも可能性がないか検証したに過ぎない。
彼女は続ける。
「それに、今回のことでもそうです。既に犯人の目星が付いているのに、犯人と決めつけて弾劾するつもりがない。それは貴方が、本当は犯人ではないと信じたいからじゃないんですか?」
「……」
僕が他人を信じたいと思っている?
この僕が?
それはどうだろう。
僕はあくまで論理的に考えて、結論を出すのはまだ早いと判断しているだけだ。それに今回の依頼内容は犯人の確保ではなく、盗難事件の撲滅である。その二つが何もイコールで結ばれるとは限らない。
「そうかもしれませんね。けれど、楠木さんが優しい人だというのは、間違いないと思いますよ」
そう言って、渡嘉敷さんは微笑む。彼女の背後に夕陽が重なり、実に幻想的な空気を醸し出していた。まるで一枚の絵画だ、と僕は思った。
あるいは、彼女は聖母なのかもしれない。
それほどまでに夕焼けに染まる彼女は美しく、幻想的で、神聖だった。
気が付けば僕たちは分かれ道の交差点に差し掛かってた。僕は右に、そして渡嘉敷さんは左へと進むことになる。
「また明日」
「うん。また明日」
何てことのない別れの言葉を交わし、僕たちは背中を向け合うのだった。
翌日の事である。事件が起こった。盗難事件なんてものとは比べ物にならないほどの、大きく、派手な事件だ。
「……はい、もしもし?」
僕は携帯電話の着信音で目を覚ました。見ると着信はクルミさんからなのであるが、しかしその時間が問題だ。朝の七時だった。普段ならばまだ深い眠りの中にいる頃である。
『あ、先輩! 大変なんです!』
「どうかしたの?」
僕は寝ぼけ眼を擦りながら、尋ねた。彼女がここまで慌てているというのも珍しい。猫屋敷に比べれば、確かに感情を表に出す方だけれど、しかし彼女は大抵のことは事前情報で知っているから、怒ることや悲しむことはあっても、驚くということは極端に少ない人種なのだ。
そんな彼女が、息を切ってまで電話をかけてきたということは、それ相応のとんでもない出来事が起こったのだろう、といくら寝起きで未だ覚醒しきっていない僕の脳でさえ結論付けることができた。
『学校に宇宙人が出たんです!』
……何だって?
さすがの僕も、その言葉は理解することができなかった。
宇宙人。宇宙から来た人。地球外生命体。
まだ寝ぼけているのだろうか。
『本当なんですよ! とにかく、今すぐ学校に来てください!』
プツン。ツー。ツー。
僕は何が何だか分からないまま、携帯電話を置く。
宇宙人がどうしたって?
しかし、あのクルミさんがそんな冗談を言うとは思えない。少なくとも、他人の安眠を妨害しかねないこの時間に電話を掛けるという、非常識極まりない行動を取る女の子ではないはずだ。枢木胡桃はマナーには口うるさいのである。
ということは、宇宙人というのは、嘘ではないのだろう。
僕は大きな溜め息をついた。
時刻を確認する。
七時十分。二度寝を決め込むには、少々遅いだろう。
僕は今度は大きく背伸びをした。
早起きは三文の得という。起きたからにはたまには早めに登校するのも悪くないと思った。
僕が学校に到着したのは七時三十分を回ったところだった。校門まで行ったところで、クルミさんが立っているのに気が付いた。彼女もすぐにこちらを見つけたようで、短い脚を必死に動かしながら駆け寄ってくる。
「真先輩! 遅いですよ!」
「ごめん、クルミさん。それで、宇宙人がどうしたって?」
「とにかく来てください! こっちです!」
クルミさんはそう言って、強引に僕の右腕を引いた。僕は特に逆らわず、彼女と同じ方向に歩き出す。
校門を潜ると、校庭の真ん中辺りに人だかりができているのが目に入った。あれは何だろう?
僕たちもそこの人だかりに向かって行く。そして、クルミさんはそのままズンズンと人混みの中に分け入っていった。僕もその後に続くが、しかし小さな彼女が押しつぶされないか少し心配になる。
プハッと人混みから顔を出し、彼女はその先を指さした。
そこは、人だかりの丁度中央である。そこを中心に、まるで円でも描くかのように習志野学園の生徒たちが集まっていたのだ。
「あれです! 宇宙人の仕業ですよ!」
「宇宙人?」
言われて、少女が指さした方向――地面を見る。
そこには、石灰の白い線で描かれた摩訶不思議な図があった。基本は円で構成されているようだが、大きすぎてその全容はイマイチ掴めない。まるでナスカの地上絵である。
さらに奇妙なのは、その上に、バラバラに粉砕された物体があったことだ。残っている塊を見る限り、それは元々は人の形をしていたのだろう、ということはすぐに推察できた。
「あれって、マネキンか何かでしょうか」
「多分そうだろうね」
「ということは、これはもう宇宙人の仕業に違いありませんね!」
「どうしてそう思うの?」
「どうしても何も、ミステリーサークルがありますし、それにあの壊れたマネキンを見てくださいよ!」
僕は改めて、人だかりの中央に目を向ける。
「あの壊れ方、まるで高いところから落としたみたいじゃないですか! きっとUFOからばらまかれたんですよ!」
「誰かがどこかで壊して運び込んだのかもしれない」
「それは無理です」
「どうして?」
「先輩、知らないんですか? マネキンって結構重いんですよ。たとえバラバラでも、台車か何か使わないと運ぶには大変なんです」
「それじゃあ、台車を使ったのかもしれない」
クルミさんは呆れたように一つため息をつく。
「先輩、まだ頭が目覚めきっていませんね。台車があるなら、あの図形の上にはタイヤの跡ができるはずなんです」
そう言われても、既に辺りは人で一杯で、タイヤの跡なんかたとえあったとしても分からないだろう。
クルミさんがちっちっち、と人差し指を振ってみせる。
「これを見てください」
そう言って差し出されたのは、一枚の写真だった。
「これは?」
「今朝、私が屋上から撮影したものです。幸いほとんど第一発見者でしたから、現場の保存状態はバッチリです。何より一大スクープですから」
「なるほど」
それで?
「ここを見てください」
僕はもう一度写真に目を落とした。
「この図形、タイヤの跡なんてないんですよ」
確かに、見た限りではそんなものは見受けられない。それどころか人の足跡さえほとんどないくらいだ。クルミさんの言うことに、嘘や間違いはないのだろう。
そして高い所から見たおかげで、校庭に起こったことの全容をようやく理解することができた。
まずクルミさんがミステリーサークルと称した図形は、円が幾つも重なったものだった。どちらかと言えばファンタジー小説に登場する魔法陣に近いイメージだ。
そして無残な姿になったマネキンらしき物体は、正確には図形の中心から少し離れていた。上から見れば一目瞭然なのだろうが、しかし地面から見たのではとても分からなかっただろう。
しかし――
「何か気になることでも?」
「ああ、大したことじゃないんだけれど」
僕の視線はマネキンに向けられている。正確には、その下に不自然に散らばった砂に、だ。
「これは凄いニュースですよ! 面白くなってきました!」
「そうだね。面白くなってきた」
言いながら、僕は歩き出す。
「先輩! どこに行くんですか!」
「ちょっと確認したいことがあるんだ」
そう言って、僕は首だけ振り返ってみせる。
「クルミさんも来るかい?」
「行きます!」
彼女はその大きな瞳をキラキラと輝かせながら、僕の後に続いた。
このミステリーサークルに降ったマネキンと、吹奏楽部内の連続盗難事件を結び付けた人間は、まあ、自分以外にはいないだろうと、僕は思った。
始業までそう時間はないのであるが、僕とクルミさんは屋上へと続く階段を上っていた。ここに来ると、丁度天海さんと話したことを思い出すな。
「先輩、こんなところに来て、何をするつもりなんですか?」
「ちょっと確認したいころがあるんだ」
「それはもう聞きました。何を確認したいのかって話です。ミステリーサークルなら私が写真に……」
「うん、それは分かっているよ。確認したいことはもっと別のことなんだ」
階段を上り終え、扉を開けようとしたが、やはり鍵がかかっていた。僕は以前黒森さんに教えてもらった方法で、鍵を解除する。扉を開けると、薄暗い階段に一気に光が差し込んできた。
屋上に入る。さすがに朝から天海さんはいないようだ。まあ、これから調べることは吹奏楽部内の盗難事件にも関わってくるかもしれないから、彼女はいない方が好都合かもしれない。
真っ直ぐに進むと、丁度校庭を一望できる。おそらく先程見せてもらったクルミさんの写真はここから撮ったものなのだろう。
鉄格子とサークルまでの距離は五十メートルほど。それなりの重量のマネキンを投げ入れるのは、まず不可能だろう。
僕は鉄格子を辿りながら、屋上を一周する。校庭とは逆側の景色はなかなかに新鮮だ。
――そして僕は、
思わず、笑みが零れてしまう。
「見つけたよ、クルミさん」
「見つけたって何をです?」
「吹奏楽部を舞台とした一連の盗難事件――それを解決させる最後の鍵だよ」
あるいは、決定的な証拠と言ってもいいかもしれない。
僕は視線をクルミさんの方に向ける。
「この前頼んだことは調べてくれた?」
「ええ、まあ……」
頼んだことというのは、盗難事件が起こり始めた時期と、小比類巻部長の動向についてだ。
「でも、それとこの宇宙人騒ぎは関係ないんですよね?」
「いいや、それは違う」
大いに関係がある。なぜならこのミステリーサークルやバラバラになったマネキンこそ、盗難事件の初めの犯人によるものだからだ。
「それじゃあ……」
「うん。いよいよ正念場だ」
そう言った直後、始業を知らせるチャイムが鳴った。
謎解きは、放課後までとっておくとしよう。
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