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 五月四日。火曜日。みどりの日。昨日に引き続き天気は実に素晴らしい五月晴れなのであるが、いかんせん補習というのは気を重くさせる。確かに進学校であるところの習志野学園を志望したのは僕自身であるが、しかしこうも補習の多い学校だということは、せめて前もって教えて欲しかったと思う。

 補習はそれなりに真面目に受けるとして、さておき問題は盗難事件の方だ。昨日の調査で何人かの話を聞いて、気になる人は何人かいたけれど、決定的な証拠は何も見つかっていない。

 しかし、それはそれでも良いのだ。大事なのはこれ以上被害が広がるのを防ぐことだ。そのためには確証があろうがなかろうか、犯人を特定し、説得することが必要だ。あるいは牽制と言っても良いかもしれない。とにかく、何人いるのかは分からないが、犯人をより多く見つけることが大切なのだろう。


「その為に、どうするつもりだい?」


 通学路。背後から声を掛けられた。聞き慣れた、女の子の声だ。僕はおはようと挨拶してから、隣に並んだ女子生徒――猫屋敷綾に応えることにした。


「具体的には、まだだよ、猫屋敷」


 けれど、足がかりはある。

 被害者の数は依頼人の野々宮さんの話によれば、十数人にも上るらしい。その全てが異なる人間の犯行なのか? それは違うだろう。当然一人ではないにしても、しかし複数の犯行に手を染めている人間がいるはずなのだ。ならばその人間を特定し、説得することができれば、犯行の広まりは止めることができる。ほとんどは便乗犯だろうし。


「まあ、お手並み拝見かな」

「うん。楽しみにしていて構わないよ」


 僕がそう答えると、彼女は静かに笑って、消えた。


「真先輩!」


 再び、背後から声を掛けられた。僕は振り返る。


「やあ、クルミさん」


 そこには、自転車に乗ったクルミさんがいた。彼女はわざわざ自転車を降り、僕の隣、つい一瞬前まで猫屋敷がいたところに並んだ。


「おはようございます」

「おはよう」

「先輩に言われた通り、小比類巻部長のSNSを張ってみましたよ」

「どうだった?」

「別に、怪しい点はありませんでした。ツイッターで友達とのやり取りが幾つかあっただけです。それも当然、事件には何の関係もないです」

「鍵アカウントやその他のSNSの可能性は?」

「ないとは言えませんけど……何の気配もないのはおかしいです」


 クルミさんほどの情報屋ともなると、で鍵アカウントや、その他の別アカウントの存在を気配で察することができるらしい。

 まあ、そう簡単にはいくまい。


「ああ、そうだクルミさん」

「はい?」

「その調査のことだけれど、ちょっと追加で頼みたいことがあるんだ」

「良いですけど、追加料金は頂きますよ」

「君は商売上手だね」

「ただで仕事をしないのは、ポリシーなんですよ」


 知っている。なぜならそれは中学時代――僕が一番荒んでいた時期に生まれたポリシーだからだ。

 かつて僕は彼女を利用し、傷つけた。

 彼女の僕に寄せる想いを理由に、無償で仕事をさせた。それはやはり、間違っていたことなのだろう。僕は彼女を周囲の人間の情報を集める検索機器か何かだと思っていたのかもしれない。

 だから枢木胡桃は僕のことを嫌悪しており、そして僕はそんな彼女に報いなければならない。

 ともすれば、ここにきて彼女に頼るのは間違っているのかもしれない。例え料金を払っていたとしても、だ。

 しかし、その心配はない。

 ――先輩は、正義の味方にならなくても良いです。

 ――先輩は、弱い人の味方でいてください。

 私みたいに、と付け加えた。今でも幼い容姿の少女が、もう少しだけ幼かった頃に言った言葉だ。

 そして言った。先輩が弱い人の味方である限り、私は先輩に協力する、と。ただしこれまでのように僕への好意があるわけじゃないのだから、料金はもらう、と。

 そう言った少女の表情は、それまでよりも少しばかり大人びて見えた。

 僕は財布から千円札を一枚取り出し、彼女に渡す。


「確かに。……それで、今度は何を調べて欲しいんです?」

「盗難事件の最初の被害者は誰か。そしてその時期の小比類巻部長の行動を」

「了解です。でも、どうして小比類巻部長を? 確かに先輩は昨日、気になるって言っていましたけど、でもあの人自身も被害者なんですよ」


 それが一番の問題だ。あるいは謎と言っても良いのかもしれない。

 仮に小比類巻部長が犯人の一人だったとして、彼女自身が被害者にもなっているのはどうしてだろう。単に他の犯人に狙われただけなのか。しかし、彼女は立派な部長だ。誰かに恨まれるというのは考えにくい。

 では金銭目的の犯行か?

 それも違う。彼女は金銭的に価値のあるものを盗まれてはいない。強いて言えば小銭入れだが、しかしそのリスクにしては金額が少なすぎる。怨恨以外の犯行動機があるとは思えない。

 だから僕は、小比類巻京子が気になっているのだ。


「なるほど……分かりました。調べてみます」

「ありがとう。よろしく頼むよ」


 さて。

 クルミさんがそちらを調べてくれるというのなら、僕は僕にできることをやろう。

 “取材”と称した調査を。


「今日はどこのパートに?」

「まあ、色々とね。渡嘉敷さんのいるクラリネットパートにも行ってみるつもりだよ」


 ゴールデンウィークが終わるまで今日を含めて二日。今日一日あれば全てのパートを回ることができる。その間で犯人を見つけ出し、そして事件を収束させる。それが依頼だ。

 さておき。


「そろそろ行こうか。遅刻してしまうよ」


 そして僕たちは、まるで憂鬱ではあるが、学校に向かうことにした。




 授業は昨日と同様半日で終了し、放課を迎えた僕は渡嘉敷さんと合流して、音楽室へ向かっていた。クルミさんは僕が追加で依頼した調査で忙しいらしく、今日の取材は僕一人なのだ。きちんとボイスレコーダーも預かってきたし、取材の段取りも聞いてきた。


「それで、今日はどこのパートを取材するつもりなんですか?」

「クラリネット、オーボエ、ホルン、それと打楽器かな」


 昨日の取材も合わせれば、これで全てのパートを取材したことになる。

 そして今日の取材で、ある程度は事件解決の目途をつけるつもりだ。


「じゃあ、私のところにも来るんですね」

「そうなるかな。ところで」


 僕は隣を歩く渡嘉敷さんを見る。


「楽器はどうしてクラリネットを選んだの?」

「ええと、笑わないでくださいね……?」


 とりあえず、頷いておく。


「前から憧れていたんです。金管楽器ならトランペット、木管楽器ならクラリネットに。この二つの楽器が一番音が目立ちますから。かっこいいなって」


 なるほど。自分の感覚に素直な彼女らしい選択と言える、かもしれない。

 そんな会話をしていると、僕たちは音楽室の前まで来ていた。一緒に行動するのはここまでだ。ここから先は別行動になる。

 音楽室に入り、間もなくすると昨日と同様にミーティングが始まった。と言っても、僕たちが取材する旨を伝えた昨日のミーティングと違って、今日は特に連絡事項はないようだった。小比類巻部長がいつもと同じ練習メニューを発表し、練習場所の戸締りをしっかり確認するように伝えた後、部員たちは解散したのだった。

 僕はバラバラになっていく部員たちの中から、小比類巻部長を見つけて捕まえた。


「小比類巻部長!」

「ああ、貴方でしたか。えっと」


 そう言えば、昨日は“助手”とだけしか紹介されていなかった。僕は改めて自己紹介することにする。


楠木くすのきまことです。昨日はどうもありがとうございました。今日もよろしくお願いします」

「こちらこそ。ところでもう一人の方は?」

「枢木は今日はちょっと別件が入っていて、僕だけになります」

「そうなんですか。それで、今日の取材はどちらに?」


 僕は先程、渡嘉敷さんに話したことと同じことを、小比類巻部長にも説明する。


「では、取材が終了次第、声を掛けてください」


 小比類巻部長はそう言い残すと、音楽室を後にしてパート練習に向かって行った。

 さて、僕も取材に向かうとするか。

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