―8―

 午後五時まで取材を続けた僕とクルミさんは校門前で部活を終えた渡嘉敷さんと合流し、今日の取材の成果を報告し合うことにした。自転車登校である渡嘉敷さんが自転車を取ってくるのを待ってから、並んで歩き出す。


「それで、今日の体験入部はどうでしたか?」

「とても楽しかったですよ」


 渡嘉敷さんは実に満足げな笑顔でそう言った。

 彼女の体験入部は一週間、つまりゴールデンウィークの間だけということになっている。だから渡嘉敷さんが本入部するにせよしないにせよ、それまでに犯人を見つけ出し、説得したいというのが僕の希望だ。


「何か手がかりはありましたか?」


 と、クルミさん。


「ああ、例の盗難事件についてはパート内でも話題になっていました。何人かは実際に被害に遭っているそうで、私も私物の管理には気を付けるように、と言われました」

「怪しそうな人は?」


 渡嘉敷さんが小さく首を振る。


「すみません。分かりませんでした。私にはどうにも皆さん善い人に見えて……」

「善い人、ね」


 まあ、誰でも悪い人に見られようとはしないだろう。ましてや今回は軽度とはいえ本当の犯罪に手を染めているのだ。怪しまれることは避けたがるはずだ。


「そちらはどうでしたか?」

「私たちの方も決定的な証拠は掴めませんでしたけど……でも、真先輩が怪しいって言う人はいましたよ」

「怪しいって程じゃないよ」


 一応、訂正しておくことにする。


「ただちょっと気になっているんだ」

「気になっていること?」


 渡嘉敷さんが小首を傾げながら聞き返す。


「部長さんについてですよね?」

「うん、まあね」


 どういうことです? と視線で訊いてくる渡嘉敷さんに、僕は改めてクルミさんにも話したことを説明してみせた。


「なるほど、それで怪しいと」

「や、だから怪しいって程じゃ……」


 まあ、良いか。


「でもあの小比類巻部長がそんなことをするでしょうか」

「どういうことです?」

「いえ、私にはとても善い人のように見えましたから。私が分からないことは何でも教えてくれましたし」


 確かに、僕にもあの人が他人の私物を盗むようには思えない。しかし、それは性格の話だ。彼女が話したことの矛盾点を考えると、何もないということはないだろう。


「明日も取材してみますけど、どうします? 何か揺さぶりをかけてみますか?」

「そうだな……」


 正直、揺さぶりはもう十分だろう。後は彼女が犯人だという決定的な証拠と、動機の解明が済めば、説得にもっていけるはずだ。そこまで聞き分けも悪くないだろうし。


「揺さぶりはもういいよ。ただ、念のため彼女のSNSを張ってくれないかな」

「分かりました!」


 クルミさんは任せろと言わんばかりに敬礼してみせた。やはりSNSを介した情報収集の方に自信があるのだろう。


「楠木さん、明日は私は何をすれば良いでしょう?」

「渡嘉敷さんは今日と同じように、パート内で情報収集をお願いします」


 くれぐれも怪しまれないように、と付け加えておく。


「分かりました。では、楠木さんは何を?」

「僕は……」


 さてどうしようか。今日一日でも気になったことはいくつか見つかった。例えばトランペットパートのことだ。

 黒森さんはともかくとしても、あの一年生コンビニは天海さんの私物を盗む動機がある。現に天海さんは被害に遭っているわけだし。


「天海さん?」

「そう。天海奏さん」

「天才トランぺッターです」


 クルミさんが天海さんについての情報を軽く説明する。


「なるほど。それで楠木さんはその天海さんのことが気になっているんですか」

「いやぁ、気になっているって程じゃないけど」


 クルミさんが嘘です、と即答する。


「先輩、興味津々だったじゃないですか。私、先輩があそこまで他人に関心を持っていたところは、久しぶりに見ましたよ」

「僕はそこまで他人に無関心かな」

「ええ。正直、猫屋敷先輩以外の人はどうでも良いって思ってますよね」

「そんなこと……」


 ないとも言えないかもしれない。無意識のうちにそう考えていたとしたら、まったくぞっとしない話だ。しかし実際の僕がそうであったとしても、今の僕はそれを否定し、取り繕う人間だ。だからこう反論することにする。


「そんなことないよ。僕はクルミさんのことも考えているし、渡嘉敷さんのこともね」

「まったく、真先輩は調子が良いですね!」


 クルミさんがぷいっとそっぽを向く。


「あの、猫屋敷さんというのは?」


 渡嘉敷さんの問いかけに、僕はしまった、と思った。そう言えば彼女にはまだ猫屋敷のことを話してはいなかった。チラリとクルミさんの方を見る。


「真先輩の大切な人です。まあ、詳細は秘密ですけど」

「恋人さんですか?」


 いやはや、参った。真面目な顔でそんなことを訊かれるとは。僕は頬を掻きながら答える。


「まあ、そんなところかな」


 猫屋敷の詳細については今後、クルミさんが説明してくれるだろう。しかし、それは彼女があくまでビジネスとしてやっていることだ。情報屋というビジネスのために。ならば僕が先に話すのは、彼女に対する営業妨害にあたるのかもしれない。


「とにかく、今は吹奏楽部内の事件を解決するのが先決だ」


 渡嘉敷さんが力強く頷く。


「そうですね。また明日も調査を頑張りましょう!」

「オー!」


 クルミさんが力強く拳を振り上げ、その日の捜査会議は幕を閉じた。




 クルミさんたちと別れ、一人で帰り道を歩く。辺りは既に薄暗くなってきており、街灯が点き始めていた。

 街灯によって発生した長い影が、二つに分かれた。片側の影は、手足が細く、毛先が軽くカールしていた。一目で猫屋敷だと分かる。


「あの天海さんとやらと随分親しげに話していたじゃないか、楠木君」


 猫屋敷は前に出て、器用に後ろ向きに歩きながら、話しかける。幽霊だから大丈夫だということを頭では理解しているが、何かにぶつからないかと少し心配になってしまう。こればかりは慣れないな。

 僕は答える。


「盗難事件を調査するためだ。仕方がないだろう」

「どうかな。君たちは天才同士だからね。シンパシーを感じたんじゃないかい?」

「それは……」


 ない、とも言い切れない。事実、天海さんは中学時代の僕と同じような悩み方をしていた。違うのは、そこに手を指し伸ばしてくれる人がいたかどうか、ということだろう。


「ふぅん。それで、君は彼女を助けたい、と」

「まあね。できることならそうしたいかな」

「……バカ」

「はい?」

「別に何でもないよ」


 そう言って、彼女はくるりと前を向いてしまう。まあ、前を見て歩いてくれるなら、僕も不安にならずに済むからありがたいけれど。

 僕は少しだけ歩く速度を上げ、彼女に追いつく。


「もしかして猫屋敷、嫉妬してる?」

「別にしていない」


 真っ直ぐ前を見たまま答える。


「でも、怒っているように見えるよ」

「怒っている? この私が? 冗談はよしてくれたまえ」


 やれやれ、どうやら猫屋敷は相当機嫌が悪いらしい。こうなった彼女は機嫌を直すまでかなりかかってしまう。どうしたものか。

 彼女が立ち止まる。そして今度は僕が少し前に出て、振り返った。


「まったく。君は少し女の子に優しすぎるんだ。野々宮さんといい、渡嘉敷さんといい」

「それは僕なりの償いのつもりなんだけれど」

「償い? 中学時代にしたことへの? 馬鹿げているね。卒業してからもう一年以上経っている。つまり、あれはもう時効だ。それに、君は償いをもう十分にしたはずだ」


 僕は過去を回想する。自らの目標達成のため、一つの学校を生徒、教師問わずに破滅させかけた記憶を。

 全ては猫屋敷のためだった。それが彼女の喜ぶことなのだろうと、本気で信じていた。

 けれど、それは違った。猫屋敷が望んでいることと違うということに気が付いた。だから変わろうと思った。僕の全ての行動は、もれなく猫屋敷綾という一人の女の子に繋がっているのだ。


「私は君が好きだ。昔の君も良いけれど、今の君の方が好きだ。だけど、恋人としては……」


 猫屋敷はその先を言わなかったが、しかし僕には彼女が何を言おうとしていたのか分かった。

 ――恋人としては、不安だ。

 おそらく彼女はそう言おうとしていたのだろう。

 ならば僕がすべき答えは一つだ。


「猫屋敷」


 彼女がじっとこちらを見つめる。


「僕は君が好きだ。世界で一番、君を愛している。君のためなら、僕は死んだって構わない」


 真っ直ぐに眼を見て、言ってやった。

 猫屋敷は小さく笑う。


「私は幽霊だ。君に死なれたら、私が困ってしまう」

「その時は、一緒に天国に行こうよ」

「ああ。けれど、それは君が謎を解き明かし、名探偵になってからだよ」

「分かっているよ」


 だから、僕は謎を解き続けるのだろう。

 この世でただ一人、自らの愛した人間の望みを叶えるために。

 だから僕は名探偵を目指すのだろう。

 この世でただ一人、自らを愛した人間が残した謎を解くために。

 ここは何てことのない路地の上。僕たち以外は誰もいない。そして、その二人を昼と夕方の中間――一日で最も美しい時間が、包み込んでいた。


「帰ろうか」


 そして再び並び、歩き出したのだった。

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