―6―

 次の目的地であるトランペットパートの練習場所――一年H組の教室は、教室棟一階の一番奥に位置している。よって、フルートパートの練習場所からはそれなりに離れていた。

 ちなみに僕たちの通う習志野学園は一応は進学校を唱えており、中でもA組は理系、B組は文系の特進クラスとなっている。そのため、それらの教室は補習で使用されることが多く、そこでは部活動ができなくなっている。

 僕とクルミさんは化学実験室に来た時と同じように並んで歩き出す。


「野々宮先輩、元気そうでしたね」

「会ったのは久しぶり?」

「はい。廊下ですれ違うことはありましたけど、なかなか話す機会はなくて」


 まあ、入学してから一カ月程度ならそうかもしれない。


「それで、どうでしたか。野々宮先輩と話して何か分かりましたか?」

「そうだなぁ……」


 正直、あまり収穫はなかった。あらかじめ事件に関する情報を聞いていたから仕方がないと言えば仕方がないのだが。


「気になったことはあるけどね」

「何です?」

「トランペットのパートリーダーの話。僕に似ているって言っていた」


 あれはどういうことなんだろう。


「正直、平凡の代名詞と言ってもいい僕に似ている人なんて、それこそ山のようにいると思うんだけど」


 クルミさんが、はぁ、と大きな溜め息をついてがっくりと肩を落とす。


「真先輩、自覚がないのにも程がありますよ。先輩は十分に変人です」

「僕が? 一体どこが変人だって?」

「うーん、何て言うか、全てに渡って、ですね。言動から女の子の好みまで」

「う……」


 女の子の好み、と言われると耳が痛い。

 何せ僕が中学時代に付き合っていたのは自称・変人であったし、他人からの評価もまさしくそうだった彼女だ。そんな人を好きになった時点で、僕ももしかしたら変人の一端に含まれるのかもしれない。

 しかし、だ。


「君のその理屈だと、僕のことを好きな人も変人ってことになるよね」

「ええ、そうですね」

「……」


 じっと、彼女の横顔を見る。


「まあ、私もそうなのかもしれませんけど!」


 そう言って、クルミさんはプイッとそっぽを向いてしまった。顔を少し赤らめていたように見えた。時刻はまだ早い。夕陽のせいで赤く見えた、なんてことはないだろう。




 一年H組の教室からはトランペットの音色が聞こえてくる。それはチューニングの音ではなく、何か楽曲を合わせている音だった。

 もしかしたら聞こえないかもしれないとも思いつつ、僕たちはノックしてから教室の扉を開ける。


「失礼します。新聞部の者ですが、トランペットのパートリーダーさんはどちらでしょう?」


 先に教室に入ったクルミさんに続いて、僕も中に入る。と、同時に室内の吹奏楽部員が一斉にこちらを見た。

 吹奏楽部員は三人。全員が女子だ。その内、まだ制服に慣れていない感じの女子が二人。足元に目をやると案の定、その二人は一年生だった。習志野学園では上履きの色で学年を判断することができる。一年生は緑、二年生は青、三年生は紫のラインが上履きには入っているからだ。

 唯一の二年生がこちらに近づいてきた。制服を少し着崩し、カチューシャで上げた長そうな前髪が特徴的な女子生徒である。


「何か?」

「こちらのパートリーダーさんにお会いしたいんですが」

「パートリーダー……」


 三人が顔を見合わせた。


「すみませんが、ここにリーダーはいないんです」

「いない?」


 聞き返したのはクルミさんだ。

 それに、二人の一年生部員が答える。


「いつもそうなんです」

「勝手に一人でどっかに行っちゃうし」

「はっきり言って調子に乗ってるよね」

「ちょっと上手いからってさ」

「やっぱり、黒森先輩の方がリーダーに相応しかったんだよ」


 一体何の話だ、と思っていると、二年生部員が二人を止めた。そしてこちらを向き直す。


「すみません、騒がしくて。私は二年の黒森くろもり沙耶さやです。ここでは副リーダーをやっています」

「はあ」


 どういうことだろう、と今度は僕たちは顔を見合わせる。


「あの、さっきの話は?」


 いえ、何でも、と言いかけた黒森さんの言葉を、またもや一年生部員が遮った。


「天海っていうすごい生意気な一年がいるんです」

「ちょっと上手いからって部長に贔屓にされてるんです」

「天才なんて言われて、他の部員全員を見下してるんだわ」


 なるほど。大体の状況は読めた。

 つまりここ、トランペットパートのパートリーダー、天海さんと言ったか。一年生の彼女はいわゆる天才という人種で、要は他の部員に嫉妬されている、と。さすがに彼女の性格が本当に歪んでいるものなのかは、一年生コンビの話からは断定できないが(妬みのあまり本当のことを言っていないのかもしれない)。

 ごめんなさい、と黒森さんが再度謝る。


「あなたたちも、もう良いから」

「でも……!」

「私はあの娘の能力を認めているし、部長に彼女をパートリーダーにするように推薦したのは私よ」


 そこまで言われると、後輩であるところの二人は何も反論することはできなくなったようで、黙り込んでしまった。どうやらこの黒森とかいう二年生は、本来のパートリーダーよりもメンバーの信頼を集めているらしい。

 黒森さんが再度こちらを向き直す。


「忘れてください。私、こんな見た目の通り、いい加減な性格で……そういうこともあって、パートリーダーは天海さんにお願いしたんです」


 こういう見た目、とはおそらく着崩した制服のことを言っているのだろう。今時生徒会役員だって制服を着崩すことがあるのに、黒森さんの根は真面目なのかもしれない。


「それで、肝心のリーダーさんはどちらに?」

「取材の話は通してあるんですよね?」

「ええ。部長さんを通じて」

「じゃあ、帰ってはいないはずです。だとしたら……多分、屋上かな」

「屋上?」


 聞き返す。確か、あそこは立ち入り禁止になっているはずだ。生徒が入れないように施錠だってされているだろう。


「実は秘密の開け方があるんです」

「へえ、そうなんですか。それは知らなかった」

「吹奏楽部内では割と有名なんですけどね。内緒ですよ」


 分かりました、とクルミさん。


「では、私たちは屋上に行ってみます。教えていただきありがとうございます」


 行くよ、とクルミさんの視線が向けられる。僕は頷いてみせる。


「ああ、最後に一つだけ」

「はい、何でしょう?」

「最近、何か変わったことはありませんか?」


 黒森さんの表情が明らかに変わるのが、分かった。これは、何かある。


「どうして、そんなことを……?」


 僕は笑顔を作った。にこやかに、答える。


「いえね、新聞部なんてのをやってると、ついつい日常にネタを求めてしまうんですよ」

「ああ、そういうこと……」

「ええ。UFOがやって来て地上に大きな絵を描く、とかね。最高に派手で良い。で、どうですか。何かありませんかね?」

「そうですね……」


 少し考えた後、口を開く。


「そう言えば、UFOほど面白いものではありませんけど、小比類巻部長の私物が幾つか盗まれたって言っていました」

「ほう。部長さんの私物が」


 それはなかなかに興味深い情報だ。


「具体的には何を盗まれたか分かりますか?」

「確か、お気に入りのシャープペンと、それから小銭入れ。後は楽器ケースに着けていたキーホルダーって言っていました」

「なるほど」


 どれも金銭的には大した被害ではないが、小銭入れというのが引っかかる。依頼人の野々宮さんは、盗まれたものはほぼ実害のないものばかりだ、と言った。小銭入れは直接的すぎて、野々宮さんの言葉とは矛盾しないとも言えない。まあ、単に小比類巻部長が小銭入れだけをどこかに置き忘れた可能性や、野々宮さんが小銭入れの一件を知らなかったという可能性もある。


「ちょっと」


 クルミさんが袖を引く。どうやらタイムオーバーらしい。だけど。


「最後にもう一つだけ。黒森さんは小比類巻部長とは親しいんですか?」

「親しい、というほどでもないですけど、それなりには話しますよ」

「そうですか」


 答えたところで、クルミさんがぐいと腕を引いた。小さな彼女の体では、僕の腕に抱き着くような形になる。さすがに、これ以上彼女を怒らせるわけにはいくまい。


「ありがとうございました。それでは」


 そう言い残して、僕たちは一年H組を後にした。




「さっきの質問、一体何だったんですか!」


 廊下を進みながら、クルミさんが言う。語気が強い。やはり時間がかかりすぎたのを怒っているのかもしれない。


「ごめんごめん。時間をかけすぎたね」


 他のパートの取材もあるのに、こんなところで時間をかけていられない、というのももっともな話だ。


「別に、時間をかけすぎたことは怒ってません」

「じゃあ、何を」

「あの失礼な態度です!」


 ああ、そのことか。


「私たちは誰かもわからない窃盗犯を探しているんですよ! あんな訊き方して、もし黒森先輩が犯人だったらどうするつもりなんですか!」

「警戒されるかもしれないね」

「それが分かっているならどうして」

「鎌をかけてみたんだよ」

「鎌?」

「うん。お陰で収穫はあった」


 鎌、というのは当然、何か変わったことはないかという質問のことだ。何の情報も得られない、言わばダメ元の作戦だったが、思惑通り、彼女は盗難事件についての情報を漏らしくれた。


「それなら良いですけど。それで、収穫って何ですか?」

「部長の私物が盗難した話だよ」

「それが何か特別な情報なんですか? 吹奏楽部員は無差別に盗難事件に遭っているんですよね。だったら小比類巻部長だって被害者になっていたって……」


 まあ、当然だろう。だが、問題はその先にある。


「じゃあ、何でさっき僕が小比類巻部長に神隠しについて訊いた時、何も心当たりがない、なんて答えたのかな」

「それは……なぜでしょう」


 彼女が首を傾げる。


「別に隠す必要はないよね。彼女は被害者だ」

「じゃあ、やっぱり」


 頷く。


「小比類巻部長は知っているんだ。犯人の正体を」


 それが彼女自身のことなのかは分からないが、とにかく犯人を知っていることについては間違いないだろう。


「じゃあ、事件解決じゃないですか!」

「うーん、どうかな」

「何か気になっていることでもあるんですか?」

「まあね」


 今回の事件はただ犯人を見つければ良いというものではない。見つけて、説得するまでが依頼だったはずだ。たとえ小比類巻部長が犯人の一人だとしても、彼女の犯行動機が分からなければ、説得は難しいだろう。


「学校側に訴えれば良いじゃないですか」

「そういうわけにもいかないんだよ」


 その一人が全ての事件の責をとらされる可能性がある。仮に学校側に通報するにしても、もっと多くの犯人を特定してからだ。それに、そんなことをしてしまえば、どうやったって吹奏楽部内に亀裂が入るだろう。それは依頼人の野々宮さんが望んでいることではない。


「……なかなか難しいですね」

「難しいよ、人間って奴はね」


 どんなにその人間を観察したとしても、その人間の考えていることなんて分かりはしない。利害についてならともかく、感情を伴った犯行動機は、やはりその本人の口から語られなければ到底他人には理解できるものではないのだ。

 クルミさんが立ち止まる。

 僕は振り返った。


「どうかした?」

「……先輩は、変わりましたね」

「そうかな」


 彼女が変わったと言うのなら、それはきっと中学時代の僕と比較して、ということなのだろう。

 そして僕自身にその自覚は、あまりない。確かに変わりたいとは思ったことはあるが。


「ええ。変わりましたよ」

「それなら、僕はどんな風に変わったかな」

「そうですね……優しい目をするようになりました」


 驚いた。他人の眼には僕はそんな風に写っているのか。


「僕が優しくなれたというのなら、それはきっと野々宮さんのおかげだろうね」


 中学時代、僕が最も荒んでいた時期に手を差し伸べてくれたのが、野々宮さんだった。彼女がいなければ、きっと僕はもっと取り返しのつかないところまで行っていただろう。


「だから先輩は、今回の依頼を請け負ったんですか?」

「まあ、そうだね」


 勿論、猫屋敷との約束も理由の一つだけれど、しかし野々宮さんに恩を返したいという気持ちも本心だ。


「やっぱり、先輩は変わりましたよ。今の方が昔よりも断然かっこいいです」

「惚れ直した?」

「まさか」


 クルミさんが肩を竦めてみせる。


「もし仮に私が先輩に惚れ直したとしても、先輩は猫屋敷先輩の事が好きなんですよね」

「うーん、まあ、そうかな」


 何だか、こういうことを言うのは少しばかり照れくさい。本人を前にして言葉にするのは別に平気なのに……不思議だ。


「……今でも、まだ視えるんですか?」


 声を落とし、彼女はそう言った。


「うん、たまにね」


 僕が現在進行形で愛し続けている女の子――猫屋敷綾は、幽霊である。僕以外の人間には決して視えることはない。僕だけが視ることができるゴースト。そのことは付き合いが長く、彼女とのいきさつを知っている少数の人間には知らせてあることだった。例えば、野々宮さんだとかクルミさんだとか。


「あの、やっぱりちゃんと診てもらった方が良いんじゃないでしょうか」

「診てもらうって?」

「お医者さんとか、霊媒師さんとか!」


 それも、昔はずいぶん言われたことだ。僕の答えも決まっている。


「必要ないよ。彼女との約束を果たせば、多分視えなくなるだろうし」


 それに、たとえ死んでしまっているとしても僕は彼女と別れるのは少し寂しい。


「でもっ……いえ、何でもありません」


 クルミさんが俯いてしまった。まだ何か言いたげだ。

 別に君が悪いわけじゃない。なんて言葉で言うのは簡単だけれど、おそらくそれは何の意味も持たないのだろう。

 だから代わりに僕は言った。できるだけ明るく。


「さ。屋上に急ごう」


 クルミさんは笑顔で頷いた。それが本物の笑顔だったのか、あるいは作られたものだったのかは、僕には分からなかった。

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