―5―
僕とクルミさんは並んで廊下を進む。
次の取材先であるところのフルートパートの練習教室は、特別棟二階の化学実験室。確かに音楽室からは少し離れている。
廊下にはどこからともなく運動部の掛け声や、あるいは既にパート練習を始めた吹奏楽部員の楽器の音色が響いていた。人の気配はあまりないのに音だけは聞こえるというのは、実に不思議な感覚だ。
クルミさんが尋ねる。
「さっきの話、どう思いますか?」
「さっきの話?」
「小比類巻部長の話です」
「立派な部長さんだと思ったよ」
コンクール入賞を目標に掲げながら、しかし最後の瞬間に皆で万歳して終わりたいと、彼女は言った。それはすごく素晴らしい志だと思う。
確かにコンクール入賞を目指すというのは、吹奏楽部員にしてみれば正しい。しかし、もっと長い目で見ればコンクールの一つや二つがどうだと言うのだ。それが人生を左右する人間なんて、例えば音楽系の進路を考えている、ごく少数の人間だろう。
「そういうことを聞いてるんじゃなくて」
ジロリ、と小さな少女が怖くもない睨みをきかせる。
「例の盗難事件についてです」
「ああ」
そのことか。
「彼女は白ですか? 黒ですか?」
「そうだね。まあ、灰色ってところかな」
「灰色って……はっきりしませんね」
「うん。まあ、予想はしていたけど」
「どういうことですか? ちゃんと分かるように説明してください!」
「えっと」
頬を掻く。
「もう一度、小比類巻部長の言ったことを思い出してみて」
「言ったこと? 別に普通の反応だったと思いますけど」
まあ、うん、そうだろう。表面だけ見れば。
もう少し分かりやすく説明しよう。
「僕が小比類巻部長にした質問を覚えている?」
「えっと、神隠しがどうだとかって」
「うん。部員の私物が消えていることをそういう風に表現したんだけど」
「それが何か?」
「じゃあ、僕の質問に彼女は何て答えた?」
「えっと、心当たりはない、と」
「その後は?」
「その後?」
クルミさんは記憶を辿るように視線を泳がせる。そして答える。
「確かフルート担当の野々宮先輩なら何か知っている、と。だから私たちはフルートの練習場所に向かっているですよね」
「うん、そう」
で、だ。ここからが本題。なぜ小比類巻部長が灰色なのかという理由だ。
「その時、野々宮さんを紹介した理由を、小比類巻部長は何て言っていた?」
「えっと……確か、野々宮先輩は他の部員をよく見ているからだとか……あ」
どうやら気付いたらしい。
「僕は神隠しに詳しい人はいないか、と質問した。それに小比類巻部長は
誰も人間の仕業だとか、盗難事件だとかは言っていない。あくまで超常的な理由で部員の私物が消えているが、何か知らないか? と質問したのだ。
「それに対して、彼女はあくまで人間の仕業であることを前提とした回答を示した。超常現象に詳しい人ではなく、ね」
「つまり、小比類巻部長は盗難事件が人間の仕業であることを知っていた……?」
「そう考えるのが普通だよね」
ならば。
「彼女は犯人を知っている……?」
「多分ね」
確証はないが、部長という立場といい、何か隠しているような態度といい、何かしら情報を握っているのは間違いないのだろう。
あるいは彼女自身が犯人か、だ。
「だから灰色なんですね」
「そういうこと」
僕は頷いて、先を急ぐことにした。
化学実験室は本来ならば化学部が使用するはずの教室なのだが、その部活は学祭前まではほぼ帰宅部と化しているので、そこには野々宮さんを始めとするフルートパートの吹奏楽部員以外はいなかった。
実験室は普通教室とあまり広さは変わらない。変わっている点といえば個別ではなくグループごとに座るためのテーブルが並んでいることと、教室後方に実験器具が入った棚があるということくらいだろう。
僕たちがノックしてから教室に入ると、野々宮さんが気付き、他のメンバーにチューニングを続けるように指示を出してから、こちらにやって来た。
「新聞部の方ですね?」
「はい。新聞部の
「フルートパートの
そう言って、野々宮さんはこちらにウインクしてみせる。
クルミさんと僕、それから野々宮さんは中学からの付き合いなのだが、ここでは初対面ということになっている。その方が調査が滞りなく進むだろうという判断の元だ。それに、どこに連続盗難事件の犯人が潜んでいるか分からない。情報は、できる限り秘匿しておきたい。それらのことは野々宮さんにも伝えてあるので、それなりの振る舞いをしてくれるらしい。
「それでは早速お話を伺いたいのですが」
「ええ、少し騒がしいですけど」
野々宮さんが柔らかな笑みを浮かべた。こうしてみると、いかにも善人といった感じだ。しかし、僕は彼女によって巻き込まれた数々の面倒を忘れるつもりはない。
僕たちは空いているテーブルに着いた。僕とクルミさんが並び、その対面に野々宮さんが座る。
ボイスレコーダーをセットして、クルミさんがインタビューを開始した。
「それでは、まずは学年とお名前、担当楽器をお願いします」
「二年C組、野々宮美里です。フルートを担当しています」
「パート内の雰囲気を教えてください」
「そうですね……私の所属するフルートパートは、私を除いて全員が一年生なので、他のパートと比べても活気に溢れていると思います」
「二年生でパートリーダーを務めているということで、何か大変なことはありませんか?」
「やはり経験の少なさですね。メンバーは色々と協力してくれて助かっているのですが、突然のアクシデントなんかがあるとついつい慌ててしまいます」
「なるほど。では、次の質問です。ズバリ野々宮さんの今年の目標は?」
「部活としてはやはりコンクールの上位入賞を。私個人としては着実に実力を付けていけたら良いと思います」
「ありがとうございます」
言って、クルミさんはこちらに視線を向ける。先ほどと同じように、僕に質問の機会を与えてくれているのだろう。とは言っても、事件に関することで訊きたいことは、依頼を受けた際や、打ち合わせの段階済ませてある。どうしたものかと少し考えてから、僕は口を開いた。
「部長の小比類巻先輩について、どう思いますか?」
「部長についてですか? そうですね……立派な人だと思いますよ。他の部員のこともよく見ているし、演奏は上手いし。私の尊敬する先輩です」
「そうですか。では、その部長が……」
今回の一件の犯人だと思いますか?
そう言おうとしたのだが、直前で言葉を飲み込む。それはなぜだか分からない。野々宮さんが小比類巻部長に対して尊敬していると言っていたかもしれない。彼女は善人だが、しかし善人であるが故に、他人を評価しようとしない。そんな彼女が認めている相手、というのは実に珍しかった。
飲み込んだ言葉の代わりに、続ける。
「フルートという楽器の魅力について教えてください」
その質問に、野々宮さんは必要なことなのか? という表情を浮かべていたので、僕は小さく首を横に振った。この質問に、深い意味はない。あくまで
彼女は少し考えた後、答える。
「吹く人によって音色が変わることですね。演奏方法はもちろん、息の吹き込み方や唇の形で音が全く変わってくるんです」
「それは面白いですね」
「はい。なので“歌うような楽器”なんて言われることもあります」
そう語る彼女の表情は、眼は、とても輝いていて、盗難事件について語る時のそれとは打って変るようなものだった。それはおそらく、彼女がフルートを、ひいては音楽という文化そのものを愛している証拠なのかもしれない。
僕は開いていたメモ帳のパタンと閉じる。
「ありがとうございました。質問は以上です」
「もういいんですか?」
首肯。元々、野々宮さんに訊きたいことはあまりなかったし。
僕とクルミさんは立ち上がる。立ち上がりながら、そうだ、とクルミさんが口を開いた。
「次の取材なんですが、どこのパートに行けばいいと思いますか?」
「そうですね……トランペットはどうでしょう?」
「それはなぜ」
「花形ですし、ここからあまり離れてもいません。それに」
こちらを見る。
「どことなく楠木君に似ているよ、彼女は」
悪戯めかしたように、野々宮さんが笑った。
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