―4―
音楽室は特別棟三階の、地学準備室とは丁度逆側の一番奥に位置している。広さは普通教室の二倍ほど。正面にピアノと黒板があって、壁には著名な音楽家たちの肖像画が飾ってある。ごく普通の音楽室と言っても良いだろう。
僕たちが着くと、そこにはもう吹奏楽部員が集まっていた。部員数は四十五人。ほぼ全員が集まっているのだろう。音楽室が少しばかり狭く感じる。
吹奏楽部員たちは軽くミーティングを済ませた後、部長の合図でパート練習に向かっていった。どうやら仮入部の渡嘉敷さんはクラリネットのパートに合流したらしい。
僕とクルミさんは散り散りになっていく部員たちを見送った後、吹奏楽部部長と対面した。
吹奏楽部部長――
「新聞部の枢木です。こっちは助手です。今日は取材に協力していただき、ありがとうございます」
話を合わせ、挨拶する。僕はここにはクルミさんの助手ということで来ているのだ。
「いえ、私たちも取材してもらって感謝しているんです。今年は新入部員が少なくて……宣伝になれば良いなって、他の部員とも話していました」
なるほど。確かに先程のミーティングでは一年生の姿が目立たなかった気がする。
「それで、今日は私は何をお話すれば良いのでしょう?」
「そうですね。できれば各パートごとに回りながらお話を伺いたいのですが」
「各パート……」
小比類巻部長の表情が少し曇る。やはり、例の盗難事件を気にしているのだろうか。あるいは部員同士の摩擦か。どちらにせよ、あまり刺激したくはないのだろう。それが部長という責任ある立場にいれば尚更だ。
枢木さんが口を開く。
「無理に、とは言いませんが。私たち新聞部としては吹奏楽部を特集するからには、やはり各パートごとに目標だとか部内の雰囲気だとかを聞けると助かります」
「そうですか……」
少し間を空けて、小比類巻部長が答える。
「分かりました。ですが私も練習があるので、各パートにはお二人で行ってきてもらっても良いでしょうか?」
「それはもちろん」
やはり、小比類巻部長は今回の一件にあまり関わりたくないようだ。
では、と前置きして、クルミさんがペンとメモ帳、ボイスレコーダーをスタンバイする。
僕も一応はメモ帳を広げているのだが、その視線は目の前の小比類巻部長に向けている。
「まずは、学年とお名前、担当楽器をお願いします」
「三年A組、
「部活内の雰囲気を教えてください」
「全力で演奏に向かう人もいれば、音楽を純粋に楽しもうとする人もいます。だけどその異なるスタンスを互いに認め合い、双方の成長に繋げている……そんな雰囲気です」
「小比類巻部長は三年生ということもあり、今年で遂に引退となってしまうわけですが、ズバリ目標の方は?」
「勿論、コンクールでより高い結果を出すことです。でも、部員全員が楽しんで吹奏楽に向かい、引退するその日に良かったねって万歳することも、できたら良いなって思います」
「なるほど……」
クルミさんがメモを取る間を空ける。その間は僕も形だけは視線をメモ帳に落とす。
「では最後に、小比類巻部長にとって吹奏楽部とは?」
「私にとってこの部活は、家族です。喧嘩もするけれど、いつの間にか仲直りして……皆で素敵なハーモニーを奏でるんです。そうなれたら良いなって思います」
なれたら良い、ということは、現状はそうでないということだ。やはり、彼女はこの部活で何が起こっているのかを把握している。把握した上で、未だに信じている。あるいはそれは妄信と言っても良いかもしれない。とにかくこの小比類巻京子という人間は、部内が何事もなかったように、仲間たち――彼女風に言うのなら家族に、かつてのように戻って欲しいのだろう。
しかし、そんな彼女の願望は、きっと叶うことはない。一度こんな事件が起きて、互いに疑心を抱いてしまった以上、少なくともこれまでのような関係は続けられないだろう。
野々宮さんは言った。このままの部活で嫌だ、と。だから僕は今回の依頼を引き受けた。
仮に僕が立てた作戦が全て上手くいったとしても、部内の関係性は変わっていく。それはどうやったって仕方のないことだ。それを修復する、あるいは新たな信頼関係を築くのは、僕の仕事ではない。当事者である彼女たちのものだ。
「助手」
と、呼びかけられて、僕は顔を上げる。
「他に何か質問はある?」
どうやらクルミさんは、僕が小比類巻部長に質問する機会を与えてくれるらしい。僕は少し考えて、口を開く。
「実は、僕の友人がこの吹奏楽部に所属していまして」
「そうなんですか」
「ええ。その友人が言っていたのですが、最近、この部活で何やら変わったことが起きているだとか」
「変わったこと……」
明らかに、彼女の表情が変わった。声のトーンが少し低くなる。
「それは……?」
「神隠しです」
「神隠し?」
小比類巻部長の目が一瞬だけ丸くなる。拍子抜け、といった感じだ。それもそうだろう。彼女は部内での盗難事件を気にして、てっきりその話題を振られるのではないかと思ったはずだ。
神隠し、というのは僕が咄嗟にでっちあげたものなのだが、しかしこのワードで彼女を油断させることができたのなら上出来だ。
話を本題に移す。
「部員の私物が次々に消えているのだとか。まるで神隠しのように」
小比類巻部長の表情が、またもや重くなる。
「何か心当たりはありませんか?」
「……」
少しの沈黙の後、答える。
「……なぜ、そんなことを聞くんです?」
「いえね、実は僕の彼女がその手の話が大好物なんですよ」
「その手の話……?」
「ええ。幽霊とか妖怪とか、都市伝説とか」
嘘は言っていない。もっとも、彼女自体がその幽霊とかに分類されるわけなのだが。
鎌をかけてみる。
「いやあ、一体何なんでしょうね。なんでも手がかりがまったくない、犯人の目星すらつかないんだとか」
「……」
「何か、心当たりはありませんか?」
あくまで笑顔で、そう尋ねる。まるで盗難事件になんて興味なさそうに。あくまで彼女の喜ぶ顔を見るためであるかのように。
「……いえ、申し訳ありませんが、私は何も」
「そうですか」
まあ、予想通りの答えだ。
「では、その手の話に詳しそうな人物に心当たりは?」
「……ごめんなさい、それも」
あ、でも、と続ける。
「フルート担当の野々宮さんなら何か知っているかも」
残念だが、その野々宮さんからの依頼で調査している。彼女から得られる情報は、全て提供してもらった後だ。
「彼女、部員のことをよく見ているから」
「そうですか」
野々宮さんならば、そうだろう。もしかしたら次期部長は彼女なのかもしれない。
「では、その野々宮さんに聞いてみます。すみません、変なことを聞いてしまって」
「ううん、いいの」
僕はこれで十分、という意思を視線でクルミさんに伝える。
「では、私たちはこれで。ああ、次の取材先のことなんですけど」
「それならさっき言ったフルートはどうですか? 練習場所はここから少し離れてしまいますけど」
クルミさんがこちらに視線を送る。僕はそれでいい、と頷いてみせた。
「では、次はフルートに伺いたいと思います」
クルミさんがそう言い、僕たちは一度頭を下げてから音楽室を後にした。
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