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 音楽室は特別棟三階の、地学準備室とは丁度逆側の一番奥に位置している。広さは普通教室の二倍ほど。正面にピアノと黒板があって、壁には著名な音楽家たちの肖像画が飾ってある。ごく普通の音楽室と言っても良いだろう。

 僕たちが着くと、そこにはもう吹奏楽部員が集まっていた。部員数は四十五人。ほぼ全員が集まっているのだろう。音楽室が少しばかり狭く感じる。

 吹奏楽部員たちは軽くミーティングを済ませた後、部長の合図でパート練習に向かっていった。どうやら仮入部の渡嘉敷さんはクラリネットのパートに合流したらしい。

 僕とクルミさんは散り散りになっていく部員たちを見送った後、吹奏楽部部長と対面した。

 吹奏楽部部長――小比類巻こひるいまき京子きょうこは、ふんわりとしたカールの髪形で眼鏡をかけた三年生の女子生徒である。担当楽器はサックスらしく、彼女の手には楽器がある。


「新聞部の枢木です。こっちは助手です。今日は取材に協力していただき、ありがとうございます」


 話を合わせ、挨拶する。僕はここにはクルミさんの助手ということで来ているのだ。


「いえ、私たちも取材してもらって感謝しているんです。今年は新入部員が少なくて……宣伝になれば良いなって、他の部員とも話していました」


 なるほど。確かに先程のミーティングでは一年生の姿が目立たなかった気がする。


「それで、今日は私は何をお話すれば良いのでしょう?」

「そうですね。できれば各パートごとに回りながらお話を伺いたいのですが」

「各パート……」


 小比類巻部長の表情が少し曇る。やはり、例の盗難事件を気にしているのだろうか。あるいは部員同士の摩擦か。どちらにせよ、あまり刺激したくはないのだろう。それが部長という責任ある立場にいれば尚更だ。

 枢木さんが口を開く。


「無理に、とは言いませんが。私たち新聞部としては吹奏楽部を特集するからには、やはり各パートごとに目標だとか部内の雰囲気だとかを聞けると助かります」

「そうですか……」


 少し間を空けて、小比類巻部長が答える。


「分かりました。ですが私も練習があるので、各パートにはお二人で行ってきてもらっても良いでしょうか?」

「それはもちろん」


 やはり、小比類巻部長は今回の一件にあまり関わりたくないようだ。

 では、と前置きして、クルミさんがペンとメモ帳、ボイスレコーダーをスタンバイする。

 僕も一応はメモ帳を広げているのだが、その視線は目の前の小比類巻部長に向けている。


「まずは、学年とお名前、担当楽器をお願いします」

「三年A組、小比類巻こひるいまき京子きょうこです。サックスを担当しています」

「部活内の雰囲気を教えてください」

「全力で演奏に向かう人もいれば、音楽を純粋に楽しもうとする人もいます。だけどその異なるスタンスを互いに認め合い、双方の成長に繋げている……そんな雰囲気です」

「小比類巻部長は三年生ということもあり、今年で遂に引退となってしまうわけですが、ズバリ目標の方は?」

「勿論、コンクールでより高い結果を出すことです。でも、部員全員が楽しんで吹奏楽に向かい、引退するその日に良かったねって万歳することも、できたら良いなって思います」

「なるほど……」


 クルミさんがメモを取る間を空ける。その間は僕も形だけは視線をメモ帳に落とす。


「では最後に、小比類巻部長にとって吹奏楽部とは?」

「私にとってこの部活は、家族です。喧嘩もするけれど、いつの間にか仲直りして……皆で素敵なハーモニーを奏でるんです。そうなれたら良いなって思います」


 なれたら良い、ということは、現状はそうでないということだ。やはり、彼女はこの部活で何が起こっているのかを把握している。把握した上で、未だに信じている。あるいはそれは妄信と言っても良いかもしれない。とにかくこの小比類巻京子という人間は、部内が何事もなかったように、仲間たち――彼女風に言うのなら家族に、かつてのように戻って欲しいのだろう。

 しかし、そんな彼女の願望は、きっと叶うことはない。一度こんな事件が起きて、互いに疑心を抱いてしまった以上、少なくともこれまでのような関係は続けられないだろう。

 野々宮さんは言った。このままの部活で嫌だ、と。だから僕は今回の依頼を引き受けた。

 仮に僕が立てた作戦が全て上手くいったとしても、部内の関係性は変わっていく。それはどうやったって仕方のないことだ。それを修復する、あるいは新たな信頼関係を築くのは、僕の仕事ではない。当事者である彼女たちのものだ。


「助手」


 と、呼びかけられて、僕は顔を上げる。


「他に何か質問はある?」


 どうやらクルミさんは、僕が小比類巻部長に質問する機会を与えてくれるらしい。僕は少し考えて、口を開く。


「実は、僕の友人がこの吹奏楽部に所属していまして」

「そうなんですか」

「ええ。その友人が言っていたのですが、最近、この部活で何やら変わったことが起きているだとか」

「変わったこと……」


 明らかに、彼女の表情が変わった。声のトーンが少し低くなる。


「それは……?」

「神隠しです」

「神隠し?」


 小比類巻部長の目が一瞬だけ丸くなる。拍子抜け、といった感じだ。それもそうだろう。彼女は部内での盗難事件を気にして、てっきりその話題を振られるのではないかと思ったはずだ。

 神隠し、というのは僕が咄嗟にでっちあげたものなのだが、しかしこのワードで彼女を油断させることができたのなら上出来だ。

 話を本題に移す。


「部員の私物が次々に消えているのだとか。まるで神隠しのように」


 小比類巻部長の表情が、またもや重くなる。


「何か心当たりはありませんか?」

「……」


 少しの沈黙の後、答える。


「……なぜ、そんなことを聞くんです?」

「いえね、実は僕の彼女がその手の話が大好物なんですよ」

「その手の話……?」

「ええ。幽霊とか妖怪とか、都市伝説とか」


 嘘は言っていない。もっとも、彼女自体がその幽霊とかに分類されるわけなのだが。

 鎌をかけてみる。


「いやあ、一体何なんでしょうね。なんでも手がかりがまったくない、犯人の目星すらつかないんだとか」

「……」

「何か、心当たりはありませんか?」


 あくまで笑顔で、そう尋ねる。まるで盗難事件になんて興味なさそうに。あくまで彼女の喜ぶ顔を見るためであるかのように。


「……いえ、申し訳ありませんが、私は何も」

「そうですか」


 まあ、予想通りの答えだ。


「では、その手の話に詳しそうな人物に心当たりは?」

「……ごめんなさい、それも」


 あ、でも、と続ける。


「フルート担当の野々宮さんなら何か知っているかも」


 残念だが、その野々宮さんからの依頼で調査している。彼女から得られる情報は、全て提供してもらった後だ。


「彼女、部員のことをよく見ているから」

「そうですか」


 野々宮さんならば、そうだろう。もしかしたら次期部長は彼女なのかもしれない。


「では、その野々宮さんに聞いてみます。すみません、変なことを聞いてしまって」

「ううん、いいの」


 僕はこれで十分、という意思を視線でクルミさんに伝える。


「では、私たちはこれで。ああ、次の取材先のことなんですけど」

「それならさっき言ったフルートはどうですか? 練習場所はここから少し離れてしまいますけど」


 クルミさんがこちらに視線を送る。僕はそれでいい、と頷いてみせた。


「では、次はフルートに伺いたいと思います」


 クルミさんがそう言い、僕たちは一度頭を下げてから音楽室を後にした。

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