―3―
学校には慣れたか、友達はできたか、なんて話を渡嘉敷さんとしながら歩いていると、目的地まで辿り着いた。
部室棟三階。階段を上ってすぐのところに位置する部室である。その扉には、“新聞部”のプレートが掲げられている。
「ここが目的地なんですか?」
「そうだよ。僕の後輩がいるんだ」
言って、僕がノックすると、はい、どうぞ、と中から女子の声が返ってきた。僕はドアを開けて、部屋に入る。
「失礼します」
新聞部の部室は、広い。僕が所属する文芸部の部室の二倍の広さがある。というのも新聞部は習志野学園の部活動の中でもかなり長い歴史を持ち、部員数も文化系部活の中ではトップクラスに多い部活なのだ。
そんな風に大手の部活には、部室棟三階の部室が与えられる。部室棟三階にある部室は、他の階にある部室より格段に広い仕組みとなっていた。
部室内を見渡す。広い部室の中央には長テーブルが置かれ、その上には取材資料らしきプリントが置かれているが、基本的にはきちんと整理されているようだった。長テーブルの周りを幾つかのパイプ椅子が囲み、そしてホワイトボードが構えている。おそらくそこを中心に会議などをやるのだろう。
そして目的の人物は、パイプ椅子の一つに腰かけていた。他の部員はいないようだった。
「真先輩、遅いです」
「ごめん、クルミさん」
一応、頭を下げておく。待ち合わせの時間は十二時三十分。そして今の時刻も、十二時三十分なのだけれど。
「私は五分も待ちました。女性を待たせる人は嫌いです」
そう言って、パイプ椅子に座る女子生徒はプイとそっぽを見てしまう。
僕は、後ろから付いてきている渡嘉敷さんに、このクルクルとしたブラウンの天然パーマと、あるいは小学生にも見える小さな容姿が特徴の彼女のことを説明することにした。
「渡嘉敷さん。こちらは
「ああ、この方が楠木さんが紹介したい人物の」
渡嘉敷さんがクルミさんの方を見直す。
「初めまして。渡嘉敷雅と言います。楠木さんとは、」
「全部知ってます」
渡嘉敷さんの自己紹介を、クルミさんが遮る。
「二年C組に転入してきた渡嘉敷雅さん。父親は貿易商で会社の役員。母親はこの辺りの大きな地主の一人娘。父親の出張と両親の教育方針により、十五歳までイギリスで育つ。
成績優秀。運動神経抜群。おまけに人当たりも良いことから、既にクラスメイトや教師から一目置かれている。真先輩には二週間ほど前に起こった事件の調査で世話になった。
……以上のことに間違いはありませんか?」
渡嘉敷さんは一瞬キョトンとした顔をした後、
「ええ、間違いありません! 全部当たっています! まるでエスパーみたい! 一体どうやったんですか!」
「風の噂で聞いただけです」
あっさりと、クルミさんはそう答えた。
「風の噂でそんなことまで分かるんですか! すごいです!」
渡嘉敷さんはそう言って、眼を輝かせ、身を乗り出す。今にも目の前の小さな少女の小さな両手を握りしめそうだ。
「えっと、あの、ありがとうございます」
クルミさんは恥ずかしそうに視線を逸らし、クルクルとした髪の毛を右手の人差し指で弄んだ。どうやら自分の情報収集能力についてここまで正面から褒められた経験はないらしい。如何にも照れくさそうだ。
「風の噂というのは比喩ですよ、渡嘉敷さん」
僕は欠けていたクルミさんの説明を補足することにする。
「彼女は学園中の人間のツイッターアカウントやフェイスブック、ブログを把握しているんです。生徒、教員、頻繁に出入りする業者――そのほとんどをね」
「ふん。褒めても何もでませんよ」
しかし、渡嘉敷さんが首を傾げる。
「本当ならすごいことですけど……そんなこと、可能なのでしょうか?」
「可能です。今時、何もSNSをやっていない人の方が珍しいです。そして大抵の人間は部活動や委員会に所属しています。そこから辿っていけば、芋づる式に捉えることができます」
「なるほど。でも、教員や業者の方は?」
「教員の出身大学を探るのは簡単です。何なら出身高校も。そこから辿っていきます。業者の方は名前か連絡先が分かれば、大体は追うことができます」
もっとも、これは元々それらのSNSをやり込んできた彼女だからこそできることだ。ましてやまだ彼女はこの学園に入学して一カ月程度、普通の新入生ではそこまでの情報を得ることはできないし、得ようともしないだろう。
「だからクルミさんはその情報網を活かして情報屋をやっているんですよ。大抵の生徒の情報は彼女に聞けば手に入れることができます」
有料ですけどね、と付け加える。
「それでもやっぱりすごいです! それにしても、やっぱり情報屋もいたんですね」
「やっぱりって?」
「探偵小説には付き物じゃないですか。探偵と情報屋の渋いやり取りとか、憧れます」
どうやら、このお嬢様はとんでもない誤解をしているようだった。あるいは妄想か。とにかく、僕とクルミさんの間にはそんなハードボイルドじみたやり取りは存在しない。
それに、僕は中学時代のとある一件以来、彼女には嫌われているのだ。
枢木胡桃の楠木真への好感度は、ある時を境に絶対値をそのままにして正から負へと変換されている。自分で言うのもなんだが、彼女はかつて僕に惚れていたのだ。その想いに付け込んで、僕は彼女を利用し、そして切り捨てた。
野々宮さんに返すべきなのが恩だとするなら、クルミさんに報いらなければならないのが、僕の罪なのだろう。
「まったく、酷い男ですよ、真先輩は! あんなに先輩に尽くした私を捨てちゃうんですからね。渡嘉敷先輩も気を付けた方が良いです!」
「はあ。あの、何があったのか訊いても?」
その視線は、僕にも向けられていた。僕は勿論、あんなことを言っているクルミさんでさえ、中学時代の出来事を語るのは嫌だろう。それがただの盗った盗られたの失恋話ならば良いのだが、当事者――一人の少女は、既にこの世にいない。そんな話をして、一体誰が幸せになれるというのだろうか。
「私は情報屋です。どんな情報でも、頼まれれば教えます。料金さえ頂ければ」
「じゃあ、お金をお支払いします」
正気か、このお嬢様は……いや、お嬢様だからこその発想なのだろうか。
「いくらお支払いすれば教えて頂けるんでしょうか」
その質問に、クルミさんは両手を突き出し、指を広げた。おそらく金額は指の数と同じ――十だと言いたいのだろう。
「百円玉が十枚でも、千円札が十枚でもないです。十万円です」
まあ、こうなることは予想できた。ちなみに他の情報――例えば気になるあの娘の好みのタイプだとか、あるいは嫌いなアイツの弱点だとかの情報は、大体は千円札一枚か、なんならワンコインで買うことができる。
渡嘉敷さんが困った表情を浮かべる。
「それは……さすがにお支払いできませんね」
「そうでしょうね」
「分割で良ければお支払いできますけど」
「はい?」
今度はクルミさんが素っ頓狂な声を上げた。
「私の一カ月のお小遣いが一万円なので、十回払いでどうでしょう?」
「正気ですか」
そう聞き返したのは僕だ。たかだか他人の、それもつい先日知り合ったばかりの人間の情報に、一体どのように考えたら十万もの大金の価値を見出すのだろうか。
「私は十分正気ですよ?」
何なんだ、このお嬢様は……。
僕はあまりのことに唖然とせずにはいられなかった。
唖然としている僕の代わりにクルミさんが尋ねる。
「どうしてそこまでして真先輩の過去を知りたいんですか?」
「それは……分かりません。でも、知らなくてはいけないことだという気がするんです!」
「興味本位ですか?」
「違います! 違いますけど……すみません。上手く言葉にできません。でも、私はそのことを知らなくてはならないと思うんです」
「……」
枢木胡桃は考える。あるいは、過去の事を回想しているのかもしれない。それは僕に寄せた想いか、あるいは死んでしまった恋敵のことなのか、僕には分からない。
クルミさんが大きく息を吐く。
「分かりました。私の負けです。十回払いで良いですよ」
「本気ですか、クルミさん」
僕の問いかけに、彼女はコクリと頷いてみせた。
「どうせ、調べればすぐに分かることです。それにあることないこと言われている出来事ですから、むしろ正しいことを教えた方が良い」
「……」
確かに、彼女の言うことも一理あるが。
目を閉じれば、一人の少女の後ろ姿がフラッシュバックする。大空に向かい、まるで鳥のように両手を広げる姿だ。それは、僕が最後に見た想い人の姿だった。
「……分かりました。渡嘉敷さんに教えることを許可します」
まあ、隠しておくことでもない。それに僕自身がその出来事を自らの罪と認めているのだ。ならばその償いのためにも、もしかしたらより多くの人々に知ってもらう必要があるのかもしれない。
「料金が十回払いなんだから、情報も十回払いですよ」
「分かりました。お願いします」
と言い、渡嘉敷さんは財布から一万円札を取り出した。それを何の躊躇もなく、クルミさんに受け渡す。クルミさんは受け取ったお札を財布にしまうと、ゆっくりと語り出した。
「それでは、まずは真先輩の置かれている現状を説明します。真先輩は、私を含めて特定の人間からはかなり嫌われています。特定の人間というのは、私たちと同じ中学出身の人たちです」
「あれ? でも、野々宮さんはそんな素振りを一つも見せませんでしたよ?」
そういえば、僕たちの過去は野々宮さんも知っているのだった。だけど彼女もおそらく口を割ることはないだろう。それはたとえ彼女がどんなに善人であっても、だ。それほどまでに、猫屋敷の自殺にまつわる一連の出来事は重い意味を持っているのだ。
「あの人は究極の善人ですから。どんなことをしても、誰かを嫌ったり憎んだりしません。……まあ、今日のところはこのくらいですか」
そう言って、クルミさんはこちらに許可を求めるような視線を向けてくる。僕は頷いて応えた。
「それだけ、ですか。あの、枢木さんとの関係とかは」
「それは次回のお楽しみ」
渡嘉敷さんが拍子抜けといった顔をする。無理もないが、十分の一の情報ならばこんなものだろう。
「では、お二人と同じ中学の出身者が楠木さんを嫌っているということは、楠木さんが中学時代に何かした、ということでしょうか」
「まあ、そういうことになるね」
僕の良いところも悪いところも、全てはあの中学時代に集約される。正確には、中学二年の夏から、中学三年の冬にかけてのことだ。
「とにかく、僕は一部にはすこぶる嫌われている。だから今回は二人に協力を仰いだんだ」
話を吹奏楽部に戻すことにする。僕の過去については、渡嘉敷さんはいずれ知る時がくるだろう。それに、長話が過ぎた。もうすぐ吹奏楽部が活動を始める午後一時だ。
「分かりましたよ、真先輩。先輩を部活の取材に連れていけば良いんでしょう」
「どういうことです?」
渡嘉敷さんが聞き返した。そういえば、まだ彼女には作戦のことを説明していなかった。
「今回の作戦は大きく二つです。一つは渡嘉敷さんに吹奏楽に潜入してもらい、情報を集めること。もう一つは、部活動の取材と称して僕とクルミさんが調査することです。取材という名目を得るために、クルミさんに協力を求めたんです。この二つの方法で情報を集め、僕が犯人を見つけ出します」
「そんなこと、できるんですか?」
「できますよ」
答えたのは僕ではなく、クルミさんだ。
「むしろ先輩の得意分野じゃないですか。こんな風に誰かの悪意を証明するなんて」
そんな風に言われても、別に誇らしかったり嬉しかったりはしない。むしろ誰かの悪意に敏感な自分を憐れに思えてきてしまう。が、実際僕が解決させてきた事件は、悪意渦巻くものがほとんどだった。先日の渡嘉敷さんのようなパターンは例外中の例外――事件の突然変異と言っても良いかもしれない。
「とにかく、そろそろ時間です。音楽室に行きましょう」
僕がそう言うと、クルミさんはやれやれといった表情を浮かべて、椅子から立ち上がった。
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