―2―

 五月三日。月曜日。憲法記念日。晴れ。実に素晴らしい登校日和だ。……登校なんてしたくないけれど。

 目覚まし時計が七時丁度に鳴り響き、僕はゆっくりと体を起こした。いつものように顔を洗い、朝食を済ませ、制服に着替える。何一つ変わらないルーチンワーク。違うのは、今日は本来なら祝日だということだ。こればかりは進学校という点を呪わなけらばならないだろう。

 欠伸をしながら家を出る。


「やあ、楠木君。おはよう」


 猫屋敷が玄関の前に立っていた。


「おはよう。猫屋敷」


 僕は一言挨拶してから歩き出す。彼女が僕の隣に並ぶ。今日は先日のデートの時と違って、彼女も制服姿だった。


「随分眠そうな顔をしているね」

「うん、まあね」

「何か悩みでもあって眠れなかったのかい?」

「……うん、まあね」


 一昨日、野々宮さんから依頼を受けてから、猫屋敷はずっと不機嫌なのだ。そしてそんな彼女は連日連夜、僕の枕もとに立ち、金縛り現象を引き起こしている。僕の寝不足はそのせいである。


「君も反省したまえ。デートの最中に他の女に付いて行くなんて」

「仕方ないだろう、依頼なんだから。それに、謎を解け、名探偵になれって言ったのは君だろう?」

「それはそうだけど……今後は控えてくれよ」

「分かったよ」


 と言っても、今日から吹奏楽部の調査をするわけだから、必然的に野々宮さんをはじめとする女子に関わることが多くなるだろう。僕の通う学園の吹奏楽部は女子が大半なのだ。もし女子から事情を聞く度に猫屋敷が怪奇現象を起こすとしたら、それこそゾッとする話だ。


「それで、調査の方はどうするつもりなんだい?」

「一応、考えてるよ」

「犯人の目星が付いているのかい?」

「まさか」


 肩を竦ませてみせる。


「吹奏楽部員の野々宮さんでさえ見当が付かないのに、僕に分かるわけがない」

「じゃあ、どうするつもりだい?」

「取りあえず、部長さんに話を聞こうと思ってる」


 実は昨日の内に野々宮さんを通してアポをとっておいた。


「それで何か分かれば良いけれどね」

「まったくその通りだね」


 まあ、何かしら分かるだろう。


「それにしても、君は一体どうやって吹奏楽部に潜入するつもりなんだい? 文芸部と掛け持ちかな。一応、校則では認められてはいるようだけれど」

「いや、吹奏楽部には入部しないよ」


 猫屋敷が意外そうな顔を見せる。


「入部しないで、どうやって調査をするんだい?」

「それも一応考えてはいるよ。取りあえず、一週間で片を付けられると良いかな」

「一週間?」

「休日出勤は御免だ」


 それに、僕の考える作戦にもがある。


「どういう作戦なのか、訊いても良いかい?」


 僕はそっと人差し指を立ててみせる。こういう風にイタズラめかす仕草は、猫屋敷の特権かな。


「放課後までのお楽しみ」




 祝日の授業ということもあり、学校は午前で放課を迎えていた。いつもなら真っ直ぐに家に帰るか、あるいは文芸部の部室で読書でもするのだが、今日は違った。

 僕は二年C組の教室に行くことにしていた。とある女子生徒に会うためだ。

 教室の前まで通りかかると、丁度、その人物が廊下に出てきたところだった。彼女はすぐに僕に気付き、こちらにやって来る。

 僕はそのサラサラとした長い黒髪が特徴の女子生徒に話しかける。


「突然お呼び立てしてすみません、渡嘉敷とかしきさん」

「いえ、全然構いませんよ。お役に立てるなら嬉しいです。楠木さんには先日助けていただきましたし」


 そう言って、渡嘉敷とかしきみやびはおしとやかに笑った。

 彼女はつい先日この学園にやって来た転入生である。そして転入から三日で謎の恋文をもらい、その件で僕のところに依頼に来たのだ。今回、吹奏楽部の事を探るにあたって、彼女の協力を仰ぐことにしたのには理由がある。


「それで、メールで伝えた通りですが、大体の話は分かってもらえたでしょうか?」


 僕は歩きながら尋ねた。彼女も僕の脇を歩きながら答える。


「はい。私は吹奏楽部に仮入部して、事情を訊けば良いんですよね?」

「ええ。転入生の貴女が仮入部するのは自然ですから。大変だとは思いますが、よろしくお願いします」


 僕自身が仮入部するというのも考えたのだが、転入生でもない二年生である僕がそれをするのには些か無理がある。それに、僕の学園における立場を知っている人間がいるかもしれない。そしたら調査は難航することこの上ないだろう。


「任せてください。何だか楠木さんみたいに探偵になったようで、少しワクワクしますね」

「深入りはしなくて良いですよ。あとあと面倒が残っても嫌でしょう?」

「それは、まあ……でも、頑張るのは事実です」


 彼女がより面倒なことに巻き込まれるのは僕としても避けたい。だが、もう一つだけ気がかりなのは、我ながら冷たいとは思うが、彼女が失敗するかもしれないという可能性だ。他の部員たちに怪しまれては、真相の追及は叶わないだろう。渡嘉敷さんがただの天然のお嬢様でないことは分かってはいるが、どうにも不安が拭えない。


「それで、今日からさっそく吹奏楽部に行けば良いんですよね」


 吹奏楽部の部長と顧問の先生には、既に依頼人の野々宮さんを通して話をしてある。もっとも、僕や調査のことは伝えていないが。野々宮さんには仮入部したい人間がいるとだけ伝えてもらっている。


「ところで、私が潜入捜査をするのは良いんですけど、その間、楠木さんは何を?」

「勿論、ただ指を咥えて待っているってことはありませんよ。僕なりに調べてみるつもりです」

「具体的にはどうやって?」

「新聞部の知り合いに頼んで、吹奏楽部の取材に同行するつもりです。それに先立って、紹介したい人物がいるのですが」


 渡嘉敷さんがニコリと微笑んで答える。


「ええ、私は構いませんよ。練習は午後からということになっていますし」

「それは良かった」


 そう言って、僕は目的地へと向かって歩き出した。

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