―1―

「連続盗難事件ですか」


 僕は野々宮さんの言葉を復唱する。連続盗難事件。まるでアルセーヌ・ルパンだ。あるいは怪人二十面相か。

 僕たちは中央音楽ホールのすぐ近くの喫茶店に来ていた。彼女の話によると吹奏楽部は既に現場解散したらしい。ちなみに猫屋敷にも事情を話したのだが、彼女はえらく不機嫌な顔を見せた後、消えてしまった。これは後が怖い。金縛りの一つ二つ覚悟しなければ。


「そうそう、連続盗難事件」


 野々宮さんは喫茶店で新たに注文したアイスを口に運びながら答える。一体どれだけアイスを食べれば気が済むんだ。


「甘いものは別腹だって」

「それで、盗まれた物は?」

「うーんっと、どれも大したことのないものなんだ。不思議なことに」

「例えば?」

「ハンカチとかポケットティッシュ、消しゴムとか、後はちょっとしたプリントとか。ほぼ実害はないけど、何分数が多くてねー」

「部員がどこかに置き忘れたんじゃないんですか?」

「そういう物もあるかもしれないけど、にしても一カ月に二十件近くもだよ? そんなことってあると思う?」

「それは……」


 確かに考えにくい。明らかに数が多すぎる。勿論、その全てが“盗難”ってことはないだろうけれど、間違いなく誰かの悪意が紛れ込んでいるだろう。


「それで僕に依頼というのは、その連続する盗難事件の犯人探しですか?」


 野々宮さんが頷く。

 僕は深く椅子にもたれかかった。テーブルの上のコーヒーに視線を落とす。そして、考える。


「怪しいと思う人はいるんですか?」

「それがさ、いないんだよ」

「……」


 僕は話を続けるように視線で促す。


「やっぱ吹奏楽部なんて大所帯に長いこといるとさ、こういうことがこれまでも無かったわけじゃないんだ。高校だけじゃなくて、中学時代も考えると。でも普通、そういうことがあったら大体の目星は付くものじゃない?」


 それはそうだろう。僕は吹奏楽部のような大所帯に属していたことはないが、それはクラスや学年単位で考えても誰もが経験するようなことのはずだ。大体は何となく犯人が分かっていて、それを先生が注意する。盗難は起きなくなって、噂も消える。そうやって事件は収束していくものだ。


「今回は回数も多いのに、犯人らしい犯人がいないんだよ」


 ふむ……。僕は考えた上で、言った。


「犯人の確保は難しいかもしれませんね」


 野々宮さんは、やっぱりそうか、という表情をした。


「それは楠木君が吹奏楽部の内情に詳しくないから?」

「それもあります」


 内情に詳しいはずの部員たちですら犯人の目途が付かないのだ。完全に部外者の僕では、分が悪いのはあきらかだろう。

 それに、と付け足す。


「犯人が一人ではない可能性があります」

「それは複数犯ってこと?」

「はい」


 それが協力しているのか、便乗なのか、あるいは敵対心、報復心からなのかは分からないが、犯人は複数いるとみて間違いないだろう。でなければ、二十件以上の犯行を、誰にも見つからずにこなすのは不可能だ。単独犯ならば、必ずどこかで足が付く。


「犯人の内、一人を見つけて処分を下すことで、他の犯人に対する抑止力にすることはできますが……」


 根本的な解決にはならないだろう。それに、その作戦には大きなリスクが伴う。


「最悪、その一人に他の人の罪が擦り付けられることになるかもしれない」


 その先にある未来は、深く考えなくても察することができる。吊し上げられた一人が心を壊すか、あるいは疑心暗鬼による吹奏楽部自体の断裂だ。


「それは……」


 野々宮さんの表情が曇る。


「避けたいな。できれば」

「でしょうね」


 僕はコーヒーを一口、口に含む。少し冷めている。砂糖を入れなかったから、苦い。


「じゃあ、どうしたら良いのかな」

「……」

「……私、今のままの部活じゃ嫌だよ」


 ……。

 おそらく、既に吹奏楽部内は崩壊寸前の状況なのだろう。誰だって、自分の所属する部活に盗みを働く人間がいるのなら疑心暗鬼に陥ってしまう。盗まれた物が、たとえどんなに些細なものであってもだ。

 彼女は俯いたまま、顔を上げない。もしかしたらその瞳には涙が一杯になっているのかもしれない。

 野々宮美里は善人である。善人であるが故に、今の吹奏楽部内を何とか取り持とうと、奮戦したのだろう。悔しい。悲しい。そんな感情が溢れるのにも、納得がいく。

 僕は、僕なりに今の吹奏楽部の様子を想像してみることにした。

 静かな罵り合い。嫌味、舌打ちの応酬。もしかしたら直接の諍いが起きているのかもしれない。一触即発の火薬庫。それが、今の吹奏楽部なのだろう。

 そんな風にピリピリした状態では、きっとただ単純に音を楽しむなんてことも、難しいのかもしれない。それどころか、事件が終息したとしても亀裂の入った関係が元通りになることはないのかもしれない。

 僕は、静かに口を開いた。


「何とかできるかもしれない」

「え……」


 僕は残りのコーヒーを飲み干す。


「確証があるわけじゃないし、失敗しても責任はとれませんけど……策はあります」

「策? それって、どんな」

「犯人を見つけ出します」

「でも、それは無駄だってさっき」


 確かに僕はさっき、犯人を見つけても事態が余計に悪くなるだけだと言った。ただしそれは、犯人を公的機関――学校や警察――に届けた場合だ。


「それじゃあ」


 僕は頷いてみせる。


「犯人を見つけて、直接説得します。事件自体が収束すれば、部内のいざこざも今よりはマシになるでしょう」


 仮に上手くいったとして、そこから先は僕の仕事ではない。吹奏楽部を建て直すのは野々宮さん本人を始め、吹奏楽部の現状を憂いている人間だ。


「でも、犯人は一人じゃないんでしょ?」

「だから犯人全員を特定し、説得します」


 全員と言っても、実際は何人かを説得した時点で事態は収束していくだろう。犯人の多くは報復を目的としているか、あるいは模倣犯だろうから。


「分かった。ありがとう楠木君。調査の方、よろしくお願いします」


 そう言って、野々宮さんは頭を下げた。普段はあんなに明々朗々としている彼女がここまで弱っているのを見るのは初めてだ。

 いや、二回目だ。

 前の時は……そう。猫屋敷が自殺した時だ。半暴走状態だった僕を止めようとした野々宮さんは、今のような表情をしたのだ。だから、僕は彼女に多大な恩がある。その恩はたとえ一生かかってでも返さなければならないだろう。

 僕は、野々宮美里の依頼を受けることにした。

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