探偵と幽霊少女と孤独な天才

プロローグ

 自称・変人の彼女が言う。


「デートに行こう」


 一瞬、僕は彼女が何を言っているのか理解できなかった。いや、言葉の意味を解せなかったのではない。デートとは、恋人関係、あるいは互いに好意を持った男女が一緒に出掛けることだ。それは分かる。しかし、目の前の少女――猫屋敷ねこやしきあやに限っては、とてもではないが“デート”なんて言葉を使うような人間ではない。

 僕はいつものように、文芸部室で文庫本を広げていた。そこに突然現れた彼女が、突然デートなんて単語を口にしたものだから、当然のことながら僕は困惑を隠せなかった。


「良いじゃないか、デートくらい。思えば生前もデートらしいデートには行ったことがない」

「まあ、それはそうだけど」


 というか、幽霊が生前とかブラックジョークにも程がある。僕にはなかなか堪えるジョークだ。

 僕は読んでいた文庫本を閉じる。


「明日からゴールデンウィークだし、丁度良いと思ってね」

「そう言えば、そうだったね」


 正直、県内でも一、二を争う進学校であるところの習志野学園の生徒において、ゴールデンウィークなんてあってないようなものだ。半分くらいは補習で潰れるし、残りの半分は課題をやっていればあっという間に過ぎ去ってしまう。まあ、それでも少しくらいは自由な時間を取られるかもしれない。


「僕はできれば読書をしていたいけれど」


 と、言いかけたところで猫屋敷がこちらを睨んでいるのが分かった。やれやれ、どうやら僕の意見は通らないらしい。めったになかったけれど、昔から彼女は怒ると怖いのだ。


「それで、デートと言ってもどこか行きたい所でもあるの?」

「明日、隣町の中央音楽ホールで音楽会があるんだ。地域の音楽団体を募って行われる音楽会で、歴史はそれなりに長い。二十年くらいかな」

「へえ。そんなのあるんだね」

「この学園の吹奏楽部も参加するようだよ」


 ふむ。音楽か。たまには悪くないかもしれない。

 猫屋敷が普通の――生きている――女の子だったら、一人で行くことを薦めることもあったかもしれないが、幽霊となった彼女はどうやら僕のすぐ近くにしか出現できないらしい。けれど、その辺の細かい制約は彼女自身も分かっていないらしい。


「分かった。明日だね」

「明日の午前十時に開演だから、九時に駅集合でどうかな」

「うん、大丈夫」


 近くにしか現れることができないんだから、待ち合わせなんて意味ないじゃないか。以前そう訊いてみたこともあったのだが、しかし彼女はそういった情緒を大切にする性格なのだ。あるいは、自分を幽霊扱いして欲しくないのかもしれない。


「くれぐれも寝坊はしないでおくれよ」

「分かったって」


 僕がそう答えると、彼女は満足したように笑って、消えた。




 と、いうやり取りをしたのが昨日のことだ。

 五月一日。土曜日。本日は快晴なり。実にデート日和だ。

 八時に起きて顔を洗い、いつも学校に行く前にしているようにトーストとコーヒーで朝食を済ませる。しかし、着替えるのはいつもの制服と違って、淡い青のポロシャツだ。最近はすっかり暖かくなってきたから、ポロシャツでも肌寒くない。音楽会に行くのだからもっとカジュアルな服装の方が良いかとも思ったが、地域の音楽家たちが募る会ということで、普通の私服でも大丈夫だろうと判断した。


「よし」


 忘れ物がないか確認して、僕は家を出た。




 九時十分。駅に到着してから二十分程が経過した。


「やあ、お待たせ楠木君」

「幽霊なら時間に間に合うように出てきて欲しかったな」

「良いじゃないか。女性の遅刻はデートには付き物さ」


 それは君の理屈だろう、と言おうと思ったが止めた。この人はそういう“らしさ”とか“っぽさ”にこだわる人だった。

 目の前に現れた猫屋敷は、いつも見る制服姿ではなく私服姿だった。赤いチェックのスカートが似合っている。

 彼女が制服以外の服を着るのを見る度に思うのだが、一体どういう仕組みで幽霊の彼女が着替えているのだろう。前に訊いたことがあったのだが、しかしやはり猫屋敷自身にもよく分からないらしかった。まったく、幽霊は謎が多すぎる。


「ええと、服、似合っているね」

「棒読みでなければもっと点数が高かったよ」

「棒読みで悪かったね」

「そう不機嫌になるなよ。この通り、今日はデート日和だ」


 猫屋敷が空を見上げる。確かに、今日の天気が絶好のデート日和だということは僕も思ったけれど。むしろ少し暑いくらいだ。


「とにかく、そろそろ行こうじゃないか。このままだと遅れてしまう」

「それもそうだね」


 言いながら、僕は券売機の方へ向かう。当然、買うのは僕の分の切符だけだ。幽霊であるところの猫屋敷は僕以外には見えないから、切符を買う必要がない。少しお得に感じてしまう。

 ホームに出ると、電車はすぐにやって来た。僕たちはそれに乗り込む。

 電車内は土曜日にしては空いていた。少なくとも僕と猫屋敷が並んで座るだけの余裕はある。

 僕たちは対面を見る。対面の、窓の外を眺めながら、話をする。青空が広がっていた。

 正面を見ているのには理由があって、単に猫屋敷と顔を突き合わせるのが照れくさいだけ(不思議と部室だと平気)ということと、僕が横を向いて話していると、他の乗客に僕が不審者だというあらぬ誤解を受けるからだ。つくづく幽霊と会話するのは面倒くさい。

 猫屋敷が口を開く。


「随分平和な一日だ」

「そう毎日のように事件だの謎だのがあっても困るよ」

「私は退屈しないけれど」

「君の場合はね。でも僕は疲れるだけだ」

「疲れることは嫌かい?」

「誰だって、嫌だと思うけれど」


 まあ、彼女はそうでないのかもしれない。が、彼女は変人だ。自称もそうだし、僕から見た彼女もそうだ。それは昔から現在に至るまで変わっていない。


「それはそうと、楠木君」

「何だい、猫屋敷」

「あれを見たまえ。どう思う?」


 言われて、僕は車両の隅の方に立つ人物を見た。

 それは女子高生だった。習志野学園の制服を着ている。長い黒髪がほんの数日前、「偽ラブレター事件」を依頼してきた渡嘉敷さんに似ているが、しかし彼女ではない。どこか達観している視線を窓の外に向けていて、どちらかというと猫屋敷の方に雰囲気が似ている。


「どうやら音楽会に参加する人間のようだね。おそらく吹奏楽部の部員なのだろうけれど、実力は部内でもトップクラスだ」

「どうして分かる?」

「あれを見て」


 僕は小さく顎でその黒髪の女子の足元を指した。彼女の足元には黒いケースが置かれている。


「大きさからして中身はトランペット。ということはおそらく音楽会に参加する吹奏楽部の人間だろう。この時間に電車に乗っているというのは、明らかな遅刻だ。開演は十時だけど、リハーサルなんかのことも考えて、前乗りするのが普通だからね。なのに彼女は慌てた素振りを見せていない」

「もう諦めているのかも」

「そうかもね。でも、一度も携帯電話を確認しないのは変だ」


 実は、彼女の存在には僕が乗車した時から気付いていた。休日に乗った電車で同じ学校に通う人間がいれば、意識するのが普通だろう。そして僕が見ていた間、彼女は一度も携帯電話を確認していない。


「時間の確認もだけれど、普通、他の部員からの連絡を気にするものだよ。メールとかね。でもそれをしないということは、彼女は遅れてきても文句を言われない立場だということさ」

「ふむ」


 あるいは、他の部員に見捨てられているか。だが、できればそんな可能性は考えたくない。

 猫屋敷が頷く。


「実に見事な推理だ。やはり君は天才だね」

「茶化すなよ。僕は天才なんかじゃない」


 どこにでもいる一般的な男子高校生だ。


「天才はすべからくそう言うものさ」

「そうは言っても、猫屋敷。あの女子生徒を見れば、誰でも僕と同じ結論に辿り着くと思うよ」

「かもしれない。けれど、君は圧倒的に早く気が付いた。どの分野でもそうだけれど、大抵のことは凡夫でもできてしまうんだ。――時間さえかければね。それを他者より早くやってしまうのが天才なのさ」


 例えば君のように、と彼女は付け足す。


「僕が推理の天才なら、君は会話の天才だ」

「それだけはないね」


 どうして、と聞き返す。


「私は一人が好きだからね。会話は相手がいなければ成立しない」

「一人が好き、ね」


 とても休日に誰かをデートに誘う人間の言葉には思えない。


「君は特別だよ、楠木君。私は君を愛している。この世界の人間の、誰よりも」


 何の恥ずかしげもなく、真っ直ぐにこちらを見て言った。僕は正面を見据えたまま答える。


「そう。僕も君が好きだよ」

「ふふっ。嬉しいよ」


 その笑顔は、反則だろう。しかし、それならどうして彼女は自殺なんてしたのだろう?


「それは教えられない。そういう大切なことは、自分で見つけなければ意味がないんじゃないかな」


 やはり、自称・変人の言うことは僕には理解できないようだった。




 音楽という横道にそれて、このうんざりするような毎日から抜け出そうじゃないか、という猫屋敷の言葉通り、音楽会は実に素晴らしいものだった。参加者のほとんどがアマチュアの演奏者だというのが信じられないくらいだ。それには猫屋敷も同意してくれるらしく、実に満足げな表情をしていた。ここまで楽しそうな彼女というのも珍しい。


「アイスクリームを食べたい」


 会場を出たところで、猫屋敷が言った。丁度、ソフトクリームのワゴン販売があったからだろう。


「けれど、君は」


 言いかけた言葉を、僕は飲み込む。

 幽霊だから食べられないじゃないか。そうは言えなかった。


「分かった。買ってくるよ」


 僕は一人、ワゴンの方へと向かう。


「チョコアイスが良い」


 背中から聞こえた言葉に、僕は右手を軽く上げて応えた。まったく、注文の多い幽霊だ。




 アイスクリームのワゴンに並ぶ。音楽会が終わった後ということもあって、先には何人か並んでいたが、順番はすぐに回ってきた。僕は猫屋敷に頼まれたチョコアイスと、自分の分のバニラアイスを注文した。二つで六百円。


「あれ、楠木君じゃん」


 二つのソフトクリームを受け取った丁度その時、背後から名前を呼ばれた。僕は振り返る。振り返って、後悔した。


「……あー、奇遇ですね、野々宮さん」

「うん! 奇遇だね!」


 そこには今日も今日とて元気一杯、天真爛漫の御節介委員長――野々宮ののみや美里みさとがいた。笑顔で立っていた。


「楠木君も音楽会に?」


 野々宮さんがアイスクリームを注文しながら言う。


「ええ。野々宮さんも?」

「まあね。って言っても、私はだけどね」

?」

「うん、そう。言ってなかったっけ? 私、吹奏楽部なんだ!」

「へえ、少し意外です」


 どちらかというと、運動部のイメージがあった。


「そっちは趣味でやってる。ソフトボールをちょろっとね」


 どうやら、僕のイメージも間違っていなかったらしい。でも。


「それって兼部ってことですよね。大変じゃありませんか?」

「まあ、片方は趣味だしね、何とかなってるよ。でもこっちは、結構本気」


 そう言って、野々宮さんは持っていたケースを顔の横に持ってくる。


「フルートですか」

「よく分かったね」

「まあ、何となく」

「あ、そっかそっか、さっきの演奏を見てたんだっけ」


 見てはいない。演奏中は目を閉じることにしているんだ。だから彼女の楽器についてはそのケースの大きさと、彼女が持ち上げた時の動きから推測したにすぎない。


「これでもパートリーダーを任されてるんだよ」

「それはすごいですね」


 僕は吹奏楽部の内情には詳しくないが、やはり二年生でパートリーダーを任されるというのはすごいことなのだろう。野々宮さんは誇らしげに胸を張っていた。


「って言っても、うちは弱小だからねー。部員も少ないし」


 店員がソフトクリームを差し出した。野々宮さんはそれを受け取りながら続ける。


「まあ、私は演奏できればそれで良いけど」

「私はってことは、他の人は違うんですか?」


 僕は自分のソフトクリームを舐めながら、何気なくそう尋ねた。日差しが強い分、アイスが美味しい。

 しかし、野々宮さんは違った。何やら一瞬だけ目を丸くしていた。


「相変わらず、君は面白い発想をするねー」

「そうでしょうか」

「うん。本当に」


 野々宮さんが俯く。彼女の顔に影が差し込んだ。思わず尋ねる。


「どうかしましたか?」

「楠木君さ、ちょっと相談に乗ってくれない?」


 ああ、しまった。これはまた面倒事に巻き込まれるパターンだ。自然と視線を逸らしてしまう。今のやり取り、なかったことにできないだろうか。いや、できないだろうな……。

 僕は大きな溜め息を挟んでから答える。


「分かりました。お話を伺いますよ」


 猫屋敷の分のアイスは、既に溶けかけていた。

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