第16話

 甘かったといわなければいけない。俺たちはたかが高校生だった。たとえ一方が人並み以上の人脈を持っているとしても、もう一方が人智を超えた能力を有しているとしても、俺たちは非力な高校生なのだ。

 俺と佐々は、勢い良くドアを突き破って、部屋の中へ転がり込んだ。勢いは良すぎた。二人とも転がった先の家具に頭をぶつけて、すぐに起き上がれなかった。床に転がったまま目を開けると、動体を二つ捉えた。人であるとすぐにわかって、俺の過去能力が作動する。しかし、一つにしか能力は反応しなかった。とすれば決まっている。反応の無いほうが白崎だ。俺は危機感により、目を見開いた。

 目の前の光景は信じがたいものだった。いや、わかってはいたのだ。大きな男が、肌の白い、線の細い女の上に、覆いかぶさっていた。二人とも、凝視しなくても、服をほとんど着ていないのがわかった。女の腕は、新聞紙を包むような白いロープで、ベッドと結ばれていた。

 俺がそうやって視認による情報の整理をしていた一瞬の間だった。隣で同じように寝そべっていた佐々が、急に起き上がって二人に向かって突進していった。

「おらあああ」

 しかし、相手のほうが一足反応が早かった。そのあたりに散らばっていたゴミ袋を掴むと、佐々に向かって放り投げた。もろに受けた佐々が狼狽えた一瞬のうちに、男が立てかけてあったバッドを手に取り、佐々めがけて振り下ろす。

「佐々!」

 俺の叫びは意味を成さなかった。ゴミ袋を慌ててかなぐり捨てた佐々は、目の前に振りかざされたバッドに受身をとる暇もなく殴られた。同じだ――見たとおりだ。未来能力で見たとおり、佐々は殴られた。俺は言い表しようのない暗い感情が身体中に染み込んでいくのを感じた。

「危ない!」

 白崎の声がして、はっと気がついた。振り向きざまに後頭部を殴られ、俺の視界は闇の中に消えた。


 全身が、鉛のように重い。目が、開けられない――

「うう、」

 乾いた唇から、自分のものとは思えない呻き声が漏れた。それに反応したのか、近くで何かが動く気配がする。

「気がついた?」

 俺の気持ちとは裏腹の、変に明るい声が響いて、俺はうっすらと目を開けた。目の前に若い女が座っている。白崎だ。俺はバッと飛び起きた。だが、

「――っ」

 後頭部に鈍い痛みを感じて、その場にうずくまる。その時、俺の両手がロープで結ばれていることに気がついた。

「まだ、じっとしていたほうがいいと思うわ。動くと目が回るわよ」

「犯人は?」

「今は下にいるわ」

「――佐々は?」

 俺は声を絞り出して尋ねた。白崎は学校の制服を、かろうじて羽織っていた。リボンは解け、ボタンはほとんどが取れかけていた。スカートは履いていなかった。露出した太ももが薄暗い中で異様に白く光って見えた。

「おそらく、反対側の押入れに入れられていると思うわよ。大丈夫、生きてるから」

 俺の質問の意味を汲み取ってくれたのか、白崎はそう付け加えた。

 どうやら、白崎の言葉から推測するに、ここは部屋の物置らしかった。差し込むわずかな光でしか見えないが、ガラクタが山のように、傍に積み上げられていた。

「彼、身長が大きくて、ここに入らなかったのよ。私を向こうにいれて、あなた達をここに押し込みたかったんだろうけど、仕方が無いから、小さい組み合わせにしたのね」

 淡々と推察を話す。何でこいつは、こんなに飄々としているんだ?

「そ、そんなことより、白崎、大丈夫なのか?」

「なにが?」

「何がって、その、身体。何かされたんじゃないのか」

 白崎は肩をすくめた。

「確かに、何もされなかったとはいえないわね。現に、あなた達が転がり込んできたときも、襲われかけていたわけだし」

「それじゃあ」

「言ったでしょう」

 彼女は俺の言葉をさえぎった。

「この顔のせいで、面倒に巻き込まれるって。こんなこと、もう何回目かわからないの」

 俺は耳を疑った。面倒?これがたかが面倒という言葉で片付けられるものだろうか?これはれっきとした強姦罪だ。こんな目に何度もあっているというのか?

「そんな顔しないで。これが日常だったんだもの。感覚が狂っているのよ。あなたが思い悩む必要はないの」

「でも――」

「いいのよ、何も思わないの。こんなことになっちゃって、母に心配をかけてしまったな、と思うだけよ。それに、今回はあなた達を巻き込んでしまったし」

 申し訳ないことをしたわ、と白崎は謝った。俺は慌てて訂正した。

「謝れられるいわれはないぞ。俺はお前の不幸を見て、勝手に追いかけてきたんだ。お前がその、襲われて、殺されかけるのを見たんだ」

「私が、襲われて殺されるところを?」

 俺は素直に頷いた。本当は言うつもりは無かったが、これからまた、その危険があるかも知れない。その時に、自分の身に降りかかる危険を、知っておいたほうがいいと思ったのだ。しかし、白崎の関心は違ったところに向けられた。

「本当に、あなたはそれを見て、私を追いかけてきたの?」

「あ、ああ。その光景を見て、お前が車でこの家に連れて行かれることを知ったんだ」

 彼女は息をのんだ。そして、暗闇でもわかるぐらい、目を輝かせた。

「あなたがさっき言ってたこと、事実だったのね」

 彼女がいうさっきというのは、学校での彼女との会話のことだろう。もう、ずいぶん時間がたったような気がする。

 俺は彼女の初めてみる表情に慄きながら、首を縦に振った。

「そう、あなたの思い込みか何かだと思っていたわ。信じなくてごめんなさい」

 そう簡単に、人に話して信じてもらえるとは端から思っていなかったから、別段気にしてはいなかった。普通は信じれるわけがない。佐々が例外なのだ。それより、彼女の反応のほうが気になった。さっきまで、どこか遠くを見ているようだった眼差しが――駅で初めて彼女を見たときもそうだった。どこかこの世界以外のところ、駅のホームを包んでいた、夕陽の向こう側を見ているような、そんな目が、今はこの世界に気がついたように、目の前にいる俺に向けられていた。しかも、興奮したように、大きく見開いて。俺はその目に、少し恐怖を感じた。

「どうしたの?」

 俺がずっと見ていたことに、訝しがった彼女が尋ねた。びくっとして目をそらす。

「なんでもない」

「そう?」

 調子が狂う。なぜだろう、白崎の声を聞くと、現状を忘れる。この窮屈な物置に閉じ込められているという現実を忘れて、ただ、ここにいて彼女とおしゃべりを楽しんでいるだけな気がしてくる。原因はわかっている。彼女のなんともない声のトーンが、似つかわしくないのだ。この状況に。強姦未遂犯、及び人を殺す恐れのある犯人に、こうやって捕らえられて、いつ危害を加えられるかわからない状況に。こいつは何も感じていないのだ。なぜだ?慣れているから?それだけじゃないんだ。こいつにはなにかが欠けている――。

「白崎は、自分のことを、不幸だと思わないのか」

 俺は身体を起こして、白崎の隣に、同じように並んで座った。

「不幸――?」

「そうだ。こんなことが何回もあったといっただろ。普通はこんな怖い経験なんてしないし、殺されるようなこともない。それに、駅で転落死しそうになることもない。お前は、自分の境遇を不幸だと思わないのか?」

 きょとんとして、白崎は俺の横顔を眺めた。そして黙ってしまう。

「白崎?」

 不思議に思って名前を呼ぶ。すると、彼女はかすれた声で、静かに言った。

「幸せや不幸せなんて、考えたことなかったわ」

「え――」

 考えたことがないなんて、ありえるだろうか?人はみな、自分の置かれた環境に、一喜一憂するものだ。嬉しければ幸福だし、苦しければ不幸だ。そして皆、幸福になりたいと願い、不幸であると嘆く。

「普通は考えるだろう?生まれた環境や、運の有無や、自分の社会的意義に、皆、幸福や不幸を当てはめて、自分がどこにいるか知ろうとする。少しでも幸福でありたい、不幸は嫌だと思う。どうして自分は、他人よりも幸福なのか、他人よりも不幸なのか、その差をいつも気にして、一方で安心を得て、一方で嫉妬する」

 いつもそうだ。俺は不幸だ。人並みの青春も送れない。生きてきた中で、最大の恋愛にも、報われない。佐々のように、友人が多いわけでなく、スポーツで汗をながして勝利の喜びや友情のすばらしさを知ることはない。しかし一方で、世界には毎日の生活もままならない人々や、紛争で生命の危機を毎日経験している人もいる。その差は何なんだろう。一体何が決めているのだろう。人の幸福を、不幸を、それだけで、どれだけの人が身動きを取れなくなっているのだろう。その差で、どれだけの人の人生が決められていくのだろう。

 俺はまくし立てた。自分がなぜ興奮しているのか、わからなかった。俺の荒い息が、小さな空間に響いた。

「――それは、無意味じゃないかしら?」

「は?」

 顔を上げると、白崎がまたいつもの表情になって、淡々と口にした。

「他人を羨んでも、ただ指をくわえているだけじゃ、何も手に入らないわ。やるしかないのよ。やらない人間は、結局のところ、現状に満足しているのよ。人と比べて何になるの?途中の努力と得られる成果は、他人ではなく自分のものでしょう。もともと基準が違うのに、比較して測るだけ無意味だわ」

 俺は唖然として、ただ、白崎の整った横顔を見ていた。

 ――そうか。

 俺は呟いた。声にはならなかった。

 こいつには、自分しか存在していないんだ。こいつの世界には、自分の中と外しか存在しないんだ。他人は自分とは違う。そう線引きしているんだ。俺が犬や鳥や虫を同じだとは思わないように、こいつは自分と他人は違うんだとわかっている。だから、他人と自分を比較しない。そもそも感じ方が違うのだから、比較したって無駄なんだ。だから他人の幸福と不幸と自分の幸福と不幸を比較しない。だから、自分の中に、幸福と不幸が生まれないんだ――

 俺は、はっとした。

 もしかして、白崎に過去能力が効かないのは、幸福と不幸を感じていないからなのか?でもそれなら――どうして白崎に未来能力は見える?

「さて、」

 黙りこんだ俺を横目に、白崎が持ち前の場にそぐわない調子で言った。顔を上げて白崎を見る。すると彼女は晴れやかな表情で宣言した。

「そろそろ、ここを出るとしましょう」

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