第15話

「覚悟はできてるんだろうな」

「お前こそ、日ごろの運動不足で悲鳴あげるんじゃねえぞ」

 俺たちは目的の家まで、タクシーを走らせていた。行き先は桜森町1丁目9ー4、誘拐犯の家だ。

「運転手さん、その角で充分です。そこでとめてください」

 俺たちは目的地の少し手前でタクシーを降りた。外はまだ雨が強く振っている。俺は目の前の住宅路を眺めた。来たことなど一度もない。なのに、既視感があった。靄がその感覚を、いっそう引き立てていた。

 あちこち損傷の激しい、二階建ての小さな一軒家。周りを所々崩れかけているレンガ造りの塀がぐるりと囲んでおり、家の壁と塀に蔦が巻きつく。見るからに陰湿な家だった。家の前には、先ほど白崎を攫ったのと同じ車がとめてあり、ナンバーも合致していた。ここに間違いない。俺は蔦の陰になって見えなかった表札を見た。石が割れており、そこには江藤と書かれていた。

「おい、こっから中に入れそうだそ!」

 周りを物色していた佐々から報告が入る。声のする方向にまわると、塀が崩れて意味をなしていない箇所があった。ここからなら敷地内に入れそうだ。

「白崎の居場所はわかるか?」

「そこまではわからん。ただ、窓があったから、地上であることは確かだ」

「それなら侵入するしかないか」

「相手は一人だ。凶器は鋏を使ってた。二人でかかれば、負けることはないと思う」

 ただ、相手の異常なほどの憎しみが気にかかった。相手の身体を切り刻むという行動がそれを物語っている。いやな予感がする。

 俺は佐々を見た。

「そいじゃ、行くとしますか」

「待て!お前はここで待ってろ」

「は?なんで」

 意気込んだところに水を差されて、怪訝な顔をする。

「気づかれる。だめだ」

「……見えたのか」

 俺は黙って頷いた。佐々に未来能力が見えた。

「中に入ると、お前はリビングらしき場所から光が漏れているのに気がついて、そちらへ向かおうとしていた。前方に気を取られていて、お前は後ろから忍び寄る犯人に気がつかなかったんだろう。そのまま何かで殴られて、気絶した」

「お前は?その時一緒じゃなかったのか?」

「俺の姿は見えなかった」

「なら、なおさら一緒に行こう。行動を共にしていたら、そんな不幸は起こらねえだろうし、犯人の居場所がわかったなら、捕まえるチャンスができたってわけだ」

 佐々はにやついた。

「一網打尽にしてやろうぜ」

 相手は一人しかいないというのに。俺はため息をついた。こいつをビビらせようと思っても無駄なようだ。

 観念して、佐々の同行を許す。俺たちは敷地の中に足を踏み入れた。

 先ほど見たおかげで、家の中の様子が少しわかった。なるほど、未来能力の便利な使い道もあったもんだ。家の玄関から入ると廊下につながっており、その右手にドアが二つ、左手にドアが一つある。左手側が明るいことからおそらくそこがリビングで、佐々はリビングの入り口付近で背後から殴られた。つまりは、犯人はその辺りにいることになる。しかし、腑に落ちない。犯人は本当に、そこにいるのだろうか?

「お前なら、人を誘拐した後、どうする?」

 俺は家の壁にぴたりと背中をくっつけた。ここならかろうじて雨が当たらない。後から俺にくっついてきた佐々も、同じように背をつける。

「は?俺は誘拐なんてしねえぞ!」

 唐突に聞くと、佐々は声を大きくした。慌てて「しー!」と人差し指を唇に当てる。当人の佐々も、自分で自分の声の大きさに驚いたようで、慌てふためいていた。落ち着いてから、質問を繰り返す。

「だからもしもの話だ」

「そうだな――俺なら、安全な場所に隠して、誘拐の目的とやらを果たすかな」

 誘拐の目的。今回の場合は、おそらく――いや、見たのだからわかる。犯人の目的は、白崎への性的暴行、及び殺傷だ。未来能力で見た彼女が切り刻まれた姿は、あまりに痛々しく、そしてむごかった。どれだけ強い憎しみを持てば、人間はあそこまで、人を無残にできるのだろうか。

 そして今、犯人は興奮状態にあるだろう。目的を遂げる瞬間が、目の前にやってきているのだから。そういう人間が、玄関で俺たちが来るのを待ち構えているだろうか?おそらく犯人は、白崎誘拐の瞬間を、俺たちが目撃していたのを知らない。知っていたとしても、ここまでくれば絶対にばれるはずがないと思うだろう。

 そうすると二通り考えられる。一つ目は、犯人はリビングにおり、そこで白崎と対面している。しかし、俺たちの侵入に気がついて、佐々を後ろから殴りつける。二つ目は、犯人は他の部屋におり、そこで白崎と対面している。つまりは、俺たちの侵入に気がつかない。となると、誰が佐々を殴った?何かを見落としている気がする。犯人、俺、佐々、そして白崎。それ以外の第三者の可能性。

 俺はもう一度、白崎と佐々から得た未来能力の情景を、頭に思い浮かべた。

 白崎のときは、俺は後ろからその情景、犯行を見ていた。仰向けの彼女の身体に、何度も振り下ろされる鋏。思い出すだけで吐き気をもよおす。違う、今注目すべきはそこじゃない。犯人の体型――そう、犯人は男で、体格の良さを思わせる背中をしていた。歳は若くないが老けてもいない。おそらく40半ばぐらいだろう。

 今度は佐々のほうだ。振り下ろされるとき、顔は見えなかった。でも、身長は低い、体つきも軟弱そうだ。それに、手のしわ!

 この二人は同一人物ではない。つまりは、犯人は一人だが、同居人がいる。おそらく犯人の母親、息子が何をしているのかは知らないのだろう。俺たちの侵入に気がつき、泥棒かなにかだと思ったのだ。

 安全な場所で、誘拐の目的を果たす――これを達成するのに一番都合のいい場所は、同居人の母親が、物音で気づかない場所。不審に思っても、入ってこれない場所。つまりは、リビングからできる限り遠く、そして、鍵のかかった部屋。

「二階へ登ろう」

 俺の意図を汲んだ佐々が、大きく頷いた。

 さてどうやって二階へ登ろうかと考えていたところ、庭に無用心にも開けっ放しで放置してあった倉庫の中から、佐々が脚立を見つけ出してきた。二階に一箇所だけ、開いている窓を目指してそっと立てかける。

「俺が先に行く。もし、上で犯人とかち合わせて俺が襲われることがあったら、お前はすぐに逃げろよ」

 言い残して脚立に手をかける。雨で滑らないよう、物音を立てないよう、慎重に登っていく。上まで来ると、俺は少しだけ頭を出して、窓から家の中を覗いた。そこは廊下で、右手に階段が見え、左手に三つのドアが並んでいる。正面の奥にも、ドアが一つあった。

 俺は体を乗り出して、鍵のついた部屋を探した。左手のドアにはない。見つけた。一番奥のドアに、小さな鍵穴が見える。――さて、どうする?

 俺は下を振り返り、はしごの傍に立つ佐々を手招きする。そして自分は足を窓枠にかけた。ここからは立派な不法侵入。言い訳はいくらでも用意できたが、何より自分のこの能力を本当に信用していいのかを、土壇場に来て疑問に思った。しかし、すぐに頭を振って否定する。もし間違っていたとしてもいい。合っていたときに、人が一人、犠牲になるよりは全然ましだ。俺は体を持ち上げ、家の中へと足を踏み入れた。

 廊下の角で、佐々が同じように慎重に登ってくるのを待ってから、俺たちは行動を開始した。例の鍵穴がついている部屋の前まで来て、そっと耳をそばだてる。人の気配がする。一人ではない、複数。俺はにおいをかいだ。血のにおいはしなかったが、異臭が鼻の奥をツンと刺激した。その様子を見ていた佐々が、嗅いではうっと眉をひそめた。少しそのにおいに慣れてくると、異臭に混じって錆のにおいを認識できた。知っている、このにおい。ここに白崎がいる。

「ここで合っているのか?」

 佐々が目で聞いてきた。俺は確信を持って頷いた。

「じゃあ、突っ込むぞ」

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