第13話

 彼女の問いに、俺は即座に答えられなかった。当たり前だ。俺はそんな質問の答えなど、用意してはいなかったし、そんな質問が飛んでくるとは思ってもみなかったんだからな。

 三人だけの空間に沈黙が流れる。外で振り続ける雨の音が、いっそう強くなったような気がした。

「何で、そう思ったんだ?」

 堪りかねて佐々が口を出す。彼女は素直に答えた。

「彼は私が線路内に落ちる前に助けようとして動いたのよ。距離は5メートル以上離れていた。知らなかったなら、届かない距離だと私は思うけれど」

 どうかしら?と、彼女は今度こそ俺に尋ねた。

 仕方が無い。言うしかなかった。

「あんたが、落ちることをわかっていたからだ」

 ぶっきらぼうな言い方に、彼女は眉をひそめた。だろうな。納得するはずがない。

「答えになってないわ。私はどうしてわかったのかをきいているの」

「きいてどうするんだ」

「どうもしないわ。私が知りたいからきいているの」

 俺は頭を搔いた。

「わかった。言う。でもお前が信じなくても、俺は知らん。俺は事実を言うだけだからな」

「どういうこと?」

 その問いを無視して、俺は続けた。

「俺はお前が落ちるところを見たんだよ。未来を見たんだ。正確に言うと、お前が線路内に落ちるという不幸を見た」

 彼女は顔をしかめて、といっても、額しか見えなかったが、おそらく顔をしかめていたのだろう。俺の言葉の意味を理解できずにいた。佐々を振り返る。それに対して、佐々は「ほんと、ほんと」と訴えた。

「あなたは未来を予測できるというの?」

 苦し紛れに彼女が答えをひねりだす。

「未来を予測することはできない。ただ、俺は目の前の人間の、少し先に起こる幸福や不幸を見ることができるだけなんだ」

「それじゃあ、さっき私をじっと見ていたのも、そのことに関係があるわけ?」

「すごいな、そのとおりだ」

 簡単にだが、ざっと説明した。過去能力と未来能力のこと。信じられない、といった顔で彼女は黙って聞いていた。

「それで、私には見えないから、その理由が知りたいのね」

 俺は頷いた。

「そう。悪いけど、私に心あたりは無いわ。他の人と、私と、何が違うのか私にはわからないし」

「そうか」

 俺は少し落胆した。彼女に会えば、自分の悩みの解決につながる糸口が見つかるのではないかと思っていたのだ。

「引き止めて、悪かったな」

「いいえ。私も疑問に答えが出たし、すっきりしたわ」

 俺たちはそろって生徒指導室を出た。玄関口に立つと、外は酷い雨に変わっているのがわかった。うへーと佐々が漏らす。

「雨は嫌いだわ」

 彼女がそっと呟いた。そして、マスクと眼鏡を外す。

「いいのか?」

「ええ、湿気が酷くて、マスクは重くなるし、眼鏡に雨飛沫が飛んで前が見えなくなるの。それに、この雨だと、誰も外にはいないでしょう?」

 大きな赤い傘を開いて、彼女は雨の中へとおどりだす。

「そうそう、」

 くるりと傘をまわして、彼女が振り返った。

「さっきの話、あまり誰にも言わないほうがいいと思うわよ。もし本当ならね」

 それだけ言うと、彼女は雨の中を、背筋を伸ばして歩き出した。

 やっぱり信じていなかったか。

 彼女の背を見送りながら肩をすくめる。

 その時、猛烈な痛みが俺を襲った。頭痛。

「――――っ」

 目の前を走馬灯のように何かが駆けていく。古い、廃屋、錆、鋏、これは切り刻んでいるのか?何を?人形?違う、人。――エグい。

「おい!大丈夫か!?」

 頭を抱えて座り込んだ俺を、佐々が横から支える。我慢できなかった。俺はその場で吐いた。昼飯が全部出た。あっけにとられて佐々が黙り込む。まだ消えない。血が鼻や口にまとわりついているように臭い。俺は何も見ていなかった。目の前で繰り広げられる斬殺だけを見ていた。俺はもう一度吐いた。今度は何も出なかった。胃液と唾液だけが口から垂れてきた。しかし二度目の嘔吐で場面が変わった。腕をひかれ、車に押し込められる。赤い傘が土砂降りの道路で、雨水だけを溜めていた。

「白崎!」

 目の前には、雨で白い靄が立ち込めるコンクリートしか見えなかった。


「――すまん」

 呼吸が落ち着くと、次第に頭痛も治まった。俺は不安そうな表情で俺にしがみついている佐々に謝った。

「すまんじゃねえよ~マジで死ぬかと思ったんだぞ~」

 泣き顔で訴えられる。その様子がなんだかおかしくて、俺はまだ胃液ですっぱい口の中で笑った。

「急に、唸りだして、何聞いても答えねえし、んで仕舞いには吐くしよ~」

 と、本当に泣き出すようだ。

「だからごめんって」

「……何を見たんだ?」

 俺は顔を強張らせた。その表情を見た佐々が、痛々しい顔をする。

「言えないような、不幸だったのか」

「ああ。白崎が危ない」

「白崎さんが?」

 俺は佐々の腕を振りほどいて立ち上がった。

「おい、」

「助けに行ってくる」

「待てよ!俺も行く!」

「だめだ。絶対連れて行かない」

「うるせえ!そんな顔して震えてるお前を行かせるわけがないだろ!?」

 俺は、いつの間にか握っていた自分の拳を見た。震えている。何とか抑えようとしても、震えは止まらなかった。

「……それでも、一緒には行けない」

「それなら俺はお前を行かせない。力ずくでもな」

 佐々は拳を握った。俺と同じように震えていた。

「俺とお前、今まで意見がぶつかったとき、先に折れるのはどっちだったか思い出してみろよ」

 迷いのない強い目が、俺を見つめる。その目を避けるように目線を外す。

「……お前になんかあったら、俺はお前を連れて行ったことを、一生後悔する」

「俺だって、お前に何かあったら、一人で行かせたことを一生後悔する」

 雨の音がうるさかった。

 ――結局、いつも俺が負けるんだ。

「わかった。でも、お前に不幸が見えたら、その時点でお前は絶対に無茶をするな」

 佐々はニッと笑って、拳を前に突き出した。

「おう、承知した」

 俺たちは雨の中、走り出した。

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