第12話

「やるじゃねえかお前も。普段はすげえ腰が重いのに。ま、今回は自分自身のためだもんな」

「うるさい」

 待ちに待った水曜日の放課後、俺たちは保健室へと向かっていた。待っている間に月は変わって、大型の台風が到来。外はあいにくの雨だった。多くの学生が傘を片手に、これから強くなるという予報の雨を避けようと、足早に玄関口に向かっている。

 その一行に混じりながら階段をおり、佐々と俺は人ごみを掻き分け、玄関口を真横に突っ切った。その先にあるのが、保健室と生徒指導室だ。

「失礼します」

 念のため、先行して俺が中へ入る。先生は入り口近くの備品棚で、こちらに背を向けて立っていた。彼女の姿が見えない。引き止めるのに失敗したのだろうか?こちらに気がついて先生は振り返った。申し訳なさそうに、眉をひそめる。

「ごめんなさいね。白崎さん、なかなかおしゃべりに付き合ってくれなくて、うまく誤魔化せなかったの」

「帰ったんですか?」

 無理もない。外はこれから大雨になるのだ。理由なく学校にとどまりたくはないだろう。

 そう諦めかけて目線を落としたとき、先生が驚いた声を上げた。

「あら、帰ってはいないわよ?ただ、あなたのことを伝えないで欲しいと言われてたでしょう?でも彼女、理由なくここにいてくれる子じゃないから――。友達があなたに会いたがっていると伝えてしまったの。そうしたら、しばらく考え込んで、じゃあ残ります、って言ったのよ。びっくりしたわ。あなた達、本当に仲が良かったのねえ」

 先生はにこにこしている。本当に俺たちが友人だと思い込んでいるようだ。一体どういうことだ?白崎に親しい友人はいないはずだ。それとも本当はいて、俺をそいつと間違えているのか?

 隣にいるとの伝言を受け、俺たちは生徒指導室へと向かう。

「やっと、ご対面か」

 教室の前で佐々が呟いた。俺は何も言わず、横開きの扉の取手に手をかけた。立て付けの悪い音を出しながら、扉が開く。

 古びた木のにおいと、じめじめとした湿気をはらんだ空気が鼻に入ってきた。中は普通の教室の半分ほどの広さで、正面の窓にはカーテンが引かれ、狭い黒板の前に、机が二つ、向かい合わせで置かれていた。彼女はその一方、黒板に背を向けて座って、静かに本を読んでいた。

「なるほど、そうきたか」

 佐々はうなり声を上げた。

 机に座っている彼女は、俺の知る、白崎実琴の姿だった。つまりは、長い黒髪を後ろで無造作に束ね、マスクと眼鏡をし、猫背で机に向かう姿である。しかし、俺は確信した。彼女に違いない。制服の袖口から見える白い腕や、肩を描く細い線、そして背中に撫で付けた黒髪が、あの日駅で見た姿と重なった。

「あなたが、白崎実琴さんですね」

 俺は声をかけた。その時まで、彼女は本に目線を落としたまま、顔を上げていなかったからだ。俺の声に反応して、彼女は本を置いてこちらを見た。

「そうです。――あなたが私に会いたいと言った “私のお友達” ?」

 印象がずいぶん違った。皮肉めいた言い方は、外見と似合わなかった。佐々が俺のわき腹をコツいてくる。わかっている。佐々も同じことを思ったようだ。

「失礼かもしれませんが、素顔を見せていただいてもいいですか?」

 これ以外に何といえばよかったのか、知っている人がいれば教えて欲しい。「駅で俺と会いましたか」という問いのほうがよかったか?どっちにしろ同じだろう。確信が持てるのは素顔を見ることだ。それに、自分を呼び出したのが友達ではないということを、彼女は知っていてここに残っていたのだ。今から来るのは駅で会った俺だということに、気がついていただろう。それでも俺と会ってくれたということは、それなりの覚悟をしているといってもいい。

 俺と佐々は固唾をのんで彼女の言葉を待った。少し考えているようだったが、彼女はそうね、と言った。

「あなたとは駅でお会いして、私の素顔をもう見られているし、危ないところを助けてもらったから別に構わないけれど、そちらのご友人に見せる必要はないわ。それとも、何か理由を持っているのかしら?」

 その物言いに、佐々は苛立ちを抑え切れなかった。俺が制する前に、声を荒げていた。

「さっきから、その言い方、腹が立つんだけど。そんなに素顔を見せるのが嫌なのか?お前の顔はそんなに特別なのかよ。俺はこいつの友達で、お前を探すのを手伝った。それで見つけたからここにいるだけだ。理由なんかない。俺はこいつの役に立てると思っているからここにいる」

 佐々はきっぱりとそういった。

「それじゃ、私を探すために、変な噂を広めたのはあなたなのね。そして、私のメッセージを見て、噂を止めたのもあなた」

 驚いた。確かに、彼女からのメッセージを見てこれ以上騒ぐ必要がないと感じた俺たちは、噂を終息させようということになって、佐々の勘違いということにして終わらせた。後始末にかかったのはもちろん佐々だ。

 何も言わず、顔を見合わせた俺たちを見て、それが正解であることを悟ったのだろう。白崎は俺に言った。

「あなたが彼に何もかも話しているなら、隠すことに意味はないわね。彼の名は?」

「俺は佐々圭斗。こいつとは、一年のとき同じクラスだった」

 佐々が代わりに答えた。

「そう、佐々君。あなたも。二人共にお願いなんだけれど、私のことは誰にも言わないでね。私は別に、静かに勉強したいだけなの」

 彼女は念を押してから、ゆっくりと、顔周りにつけていたものを取り除いた。隣で佐々が息を飲むのがわかった。俺も、もう一度、素直に驚いた。最後に彼女はくくっていた髪留めをとると、深呼吸をした。

「本当は、窮屈だからさっきの格好をしているのは好きじゃないの。でも、仕方がないわね」

「仕方がないってどういうことだ?」

 きれいな顔を俺に向ける。う、話をするだけでこんなに狼狽えなきゃいけないのか。めんどうだ。やはり、マスクはつけていてもらおうか。

「母が気にするのよ。この顔のせいで、面倒事に巻き込まれる度に、母に心配をかけるのは申し訳ないから。お願いを聞いているの」

「そうか。悪かったな。もう隠してもらって構わない」

「え!ちょっと待てよ!別にこのままでもいいじゃねえか」

 今まで放心状態だった佐々が叫んだ。

「こんなに、美人なのにさ」

「だからと言ってだな。本人は隠したがっているんだから、しょうがないだろう」

「白崎さんは窮屈といっていたぞ。それはお前が恥ずかしいから隠して欲しいだけだろ」

 図星を付かれて言葉に詰まった。

「美しいかどうか私にはわからないけれど、隠しているように言われているから、隠すわ」

 え、と俺の横で佐々がショックを受けていたが、そんな彼に構うことなく、白崎は元通りの姿に戻った。俺は少し安心するが、改めてみると、この姿の中身があの外見、口調だと思うと、なんだか笑いが込み上げてきた。何とか咳払いで誤魔化す。

「それで、お二人は私を探し出して、どうしたかったのかしら?」

 マスクでくぐもった声で尋ねる。あ、そうだった。言われて思い出した。佐々を見ると、大きく頷いている。

「それじゃあ」

 俺は右目のアイパッチをはずした。学校内で両目になるのは、能力を有してから初めてだ。視界が開けて、少ない光が入ってくる。押さえつけていた右目が曇っていて、うまく前が見えない。俺は右目をこすった。すると次第に見えてきた。

 俺はまっすぐ前を向いて、目の前に立っている白崎実琴を見つめた。

 やはり、彼女からは何も見えなかった。

「どうだ?」

 佐々から聞かれて、彼のほうを向く。佐々の幸福度ははっきりと見える。80対20ほど。相変わらず、あきれるほど幸福な奴だ。

「お前のは見えるけど、彼女のは見えない」

「やっぱりか。どういう仕組みだ?」

 彼女と出会う前も、出会った後も、多くの人間を見てきたわけではなかったが、自分の悩みの解決のため、折に触れて人を見るようにはしていた。もちろん、視界の範囲内に人が少ないときに限ってはいたが、いかなる場合でも、彼女以外に過去能力が効かなかった人間はいないのだ。

 彼女は首をかしげていた。だが、能力の説明をするつもりはなかった。信じてもらえるわけがなかったからだ。それに、彼女は俺と関係がない。

「んで、どうしたいんだ、お前は」

「そうだな、なぜ彼女だけ見えないのか、知りたい」

 俺は正直に言った。だが、言ったところでどうすればわかるのかは見当がつかなかった。

「んじゃ、とりあえず連絡先だけでも交換すっか」

「は?」

 急に佐々が陽気な声で言って、自分のスマホを取り出す。

「いいよね、白崎さん」

「ええ、構わないわよ」

 ちょっと待て、いや、いいのか?ありがたいが……それとも、これが普通なのか?

「ほら、早くしろよ。あ、白崎さんにQRコード出してもらってもいい?俺とこいつで読み取るから」

 あれよこれよという間にLINEを交換し終わっていた。俺の数少ない友達欄に、白崎の名が追加される。

「え、白崎さん、もしかして俺らが初めての友だち!?」

 佐々が彼女のスマホを覗き込んで叫ぶ。俺も後ろから覗いたが、彼女のLINE画面は真っ白だった。ますます、良くわからない人間だ。変わっているとは思っていたが、ここまでとは。

「へー変わってるね、白崎さん」

 と、佐々が悪びれも無く言い出したから、俺はこけそうになった。

「そうかしら」

「そう!今時の女子高生って感じじゃないね。個性があっていいと思う!」

 あーなるほど。悪気は無くても、意識してはいなくても、こいつは彼女と仲良くなりたいと本能で思っているわけだ。つくづく怖いやつだ。

 俺は佐々の本能とやらにあきれてため息をついた。

「そういえば、私もあなたに聞きたいことがあったの」

「え?」

 彼女が、眼鏡の奥の瞳を俺にまっすぐ向けていた。

「私が線路内に落ちると、どうしてわかったの?」

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