第11話

 翌日、不登校の生徒の名前をクラスメートに聞いてみた。

 彼女の名前は、白崎実琴といった。

 あの駅での遭遇がなかったら、俺は彼女をクラスメートだと認識していなかったのだろう。失礼なことに、もう一学期が終わっているのにもかかわらず。

 俺の知っている白崎美琴の姿は、長い黒髪を後ろで無造作にまとめ、眼鏡をかけ、マスクをし、いつも猫背で、目が悪いという理由で、教室の一番前の窓側の席に座っている一女子生徒だった。素顔は見たことがなかった。俺は確かにいつも窓の外ばかり見ていて、教室の中のことに興味を注いだことはあまりないから、俺が顔を見たことがないといっても説得力に欠けるかもしれないが、顔の広い佐々でも、知らない、見たことがないようだった。それが白崎だった。

 彼女は一年の終わりに転校してきて、二年が始まって二ヶ月ぐらいで教室から姿を消した。その間、誰ともしゃべっているのを聞いたことがないし、彼女の消失も、誰も話題にしなかった。

「そいうえばその頃、体育の江藤が不祥事を起こしたとかで、話題はもちきりだったな」

 佐々がぼそりとこぼした。そんなこともあったな。そのせいで、彼女が不登校になったことに、誰も言及しなかったのかも知れない。

 とにかく、俺たちは白崎実琴が本当に俺が探してる生徒なのかを確認しなくてはいけなかった。

「どうやって確認するんだ?」

「見る、しかないだろうな」

 まさか、本人に連絡をとって、駅で会った方ですか?と尋ねても、相手は探してくれるなといっているのだから、そうです、などと言ってくれるとは思われなかった。だとすれば、直接会って、俺のこの目でもう一度見るしかない。そうすればさすがの俺でもわかるだろう。なにせ、彼女はすごく目立つのだ。あんなにきれいなのだから。

 どうしても佐々が同行したいというので、決行は来週の水曜日になった。部活が休みの日だ。それまで、俺は彼女がどこに住んでいるのかを調べなければならなかった。そうすると、先生に聞くのが一番早い。しかし、クラスメートの、しかも女子の住所を聞くのが、こんなに躊躇ためらわれるものだとは思いもしなかった。俺は一日思い悩んでようやく金曜日の放課後に決心し、大きく深呼吸してから職員室へと赴いた。ただでさえ職員室は嫌いだ。こういった空気が張り詰めているところ、身体をこわばらせないといけないところは大の苦手だ。やはり佐々に押し付ければよかったと、とても後悔した。「他クラスの俺が聞くのはおかしいだろう」と一蹴いっしゅうされてしまったのだ。

「先生」

 俺は自分の担任、つまりは白崎実琴の担任に声をかけた。

「ん?どうした」

 俺のクラスの担任は、比較的温厚な人物だ。俺はそれを思い出してほっとした。

「白崎実琴さん、いますよね。俺のクラスの。彼女にどうしても聞きたいことがあるので、住所を教えて欲しいのですが」

 俺はあらかじめ考えていた文章を口にした。彼女の名前を出すと、担任はピクリと眉を動かした。

「――そうか、しかし白崎は不登校だからな。あんまり学校にも来ないんだ。聞きたいことがあるなら、先生から伝えておいてやろう」

 俺は首をかしげた。俺の言いたいことが伝わってなかったのだろうか?それに、さっきの間は何だ?

「いえ、彼女に直接会って聞きたいので、住所を教えて欲しいのですが」

 もう一度、確認の意を込めて、同じ言葉を口にする。すると、今まで和やかな表情を見せていた担任の顔が、急にぎゅっと真ん中に寄る。そして語調を荒くして、早口でまくし上げた。

「どういうことだね?なぜ彼女に会う必要がある?伝言でいいだろう。わざわざ家に訪ねていく必要はないはずだ。それに、簡単に個人情報を他人に教えることはできないのだよ。わかったら、もう行きなさい。私は仕事があって忙しいのだ」

 予期せぬ事態に言葉を詰まらせて、俺は何も言うことができなかった。そして言われるがまま、職員室を後にした。出て行く際、職員室にいた他の先生の視線が少し気になった。

 先生に住所を聞くのがだめだとすると、後は白崎がいつ学校に来ているのかを調べるほかなかった。担任に登校日だけ聞きに行こうかと思ったが、白崎の名前を出したときの反応が気になって、もう一度職員室に行く気は起こらなかった。それに、普通に嫌だったしな。

 それなら一体、誰が白崎の登校日を知っているだろう。そもそも、白崎は今でも本当に登校しているのか?いや、それは間違いない。彼女からと思われるメッセージが学校の俺の下駄箱の中に入っていたのは事実だし、駅で見た彼女が制服を着ていたことから、下校の最中だったと推測できる。その登校が一時的なものだったら手立てはないが、定期的なものなら、彼女は少なくとも火曜日と水曜日に、学校に登校している。しかし、彼女は学校に来て一体何をしているのだろうか。学生が学校に来るとすれば、それは勉学のためであるに違いないが、彼女の姿はここ数ヶ月、教室で見ていない。ましてや学校で見ていない。ならば一体どこへ?

 俺は下駄箱の前まで来て、辺りを見回した。今は放課後だから、遠くから部活動に励む学生の声が聞こえるだけで、静まりかえっている。そこへ、奥のほうからカチャカチャという物音が聞こえて振り返った。事務のおじさんだった。

 俺の学校では、教室やトイレ、廊下、体育館など、主に生徒が日常的に使うところは自分達で掃除をするが、玄関口などのエントランス、客室、職員室、校長室などは、事務のおじさんが掃除をしてくれている。

「すみません」

 俺は声をかけた。

「あの、ここで女子生徒を見ませんでしたか?」

 急な問いに、事務員のおじさんは固まっていた。そして、やっと口を開く。

「女子生徒なら毎日いやというほど、ここを通って登校下校していくが」

 間違いない。いや、そうではない。質問を間違えた。

「そうじゃなくて――」

 俺はその時、気がついた。

「そう、授業中とかです。普通の学生が授業中のとき、ここを通っていく黒髪でロングヘアの女子生徒、見なかったですかね?」

 そう質問して、ようやく事務員は合点がいったようだった。

「黒髪やらロングヘアやらは知らんが、女の子なら、時々おかしな時間に登校してくるときはあるね。もう授業は始まっているだろうに」

「その子、いつもここを通ってどこへ行くかは知っていますか?」

「いやあ、どこに行っているのかは知らないが、そういえば階段は登っていかないね。一階の奥に向かって行くよ」

 おじさんはその廊下を指差した。

「ありがとうございます」

 俺は言われた方向に駆け出した。俺の推測が正しければそこには――

「やっぱり、生徒指導室」

 俺の見上げた先には、もういつから使われていないだろう、わからないほどぼろぼろになった、生徒指導室の札が下がっていた。

 考えてみれば簡単な話だった。手紙で書いて寄越してきたように、彼女は目立つのが嫌いなのだから、決して人目につかないよう、生徒がうろつかない授業中に出入りするはずだった。それに、昔から、いや、これは俺の経験にしか過ぎないのだが、不登校者や学校に馴染めず教室に行けない生徒は、隔離された場所でマンツーマンで勉強することが多い。まさか、義務教育でもない高校でこのようなことがあるとは思っていなかったが、彼女はこのような形で、学生としての義務を果たしているようだった。そして、もう一つ、不登校者がお世話になるであろう場所がある。

 それは保健室だ。

 生徒指導室はこともあろうに、保健室のすぐ隣だった。ちょうど角にひっそりと生徒指導室があり、その手前の保健室で存在が薄くなっていたため、今まで気がつかなかったのだ。俺は保健室のドアをノックした。はーいと中から可愛らしい声が聞こえる。

「失礼します」

 そっとドアを開けて中へ入る。保健の先生が、デスクに座って仕事をしていた。

「どうしたの?」

 和やかな口調で声をかけられる。保健の先生は、学校によくいる朗らかなおばちゃんで、背が低く、お世辞にも細いとは言えなかったが、それ故可愛らしいマスコットみたいな体型をしていた。

「少し、相談したいことがあって」

「あら、どうぞ」

 椅子を勧められて、そこへ座る。正直、この先生も答えてくれるかどうかはわからなかったが、自然に切り出せばなんとか聞き出せそうな気がした。それに、先生は一応、生徒のカウンセラーとしての役割も持っている。いろいろ聞いてみるにはいい機会だった。

「実は、勉強は嫌いじゃないんですが、教室という空間が嫌で」

 無難なところから切り出す。嘘をついて相手を騙そうとする時、少しばかり真実を混ぜて話すと、その嘘がバレにくくなるらしい。なにかの本で読んで知ったのだが、確かにその通りだと思ってからは、この方法を使って嘘をつくようにしている。つまり、俺のこの言葉は、ある程度嘘ではないということだ。教室が快適などと思った事は、一度もない。

「あら、そうなの?友達と何かあった?」

「いえ、違うんです。俺は友達がいないほうなので。ただ、教室の中に興味が向かなくて、そのせいで、クラスの雰囲気を壊しているんです」

 これも嘘じゃない。こういう性格だから、こういった経験はいくらでもしている。

「そう。クラスの皆のことを、よく考えているのね」

「そんなことはないです。本当に友達がいないので、クラスの皆としゃべることも無いし、いつも窓の外ばっかり見ちゃうんです。白崎さん――クラスメートなんですけど、彼女がいた頃は、よくしゃべっていたんですが、今では教室に来てくれないから――」

 最後の台詞はもちろん嘘だった。でも、今まで神妙に聞いていた保健の先生には、大いに効果があったようだ。彼女は目を輝かせて言った。

「あら、白崎さんとお友達なのね。そう、そうなの――彼女、教室には行かない、いえ、行けないのね、かわいそうに。だけれど、よく保健室には遊びに来てくれるのよ。生徒指導室で勉強しているから、そのついでにね」

 ビンゴだ。俺は心の中でこぶしを握った。

「そうなんですか!彼女、学校には来ているんですね。会いたいなあ」

「あら、会えばいいわ。彼女、火曜日と水曜日は来ているはずだから。時々、木曜日にも来るわよ」

 その言葉を記憶する。ありがたいことに、佐々が希望した水曜日に、彼女は学校に来ている。

「じゃあ、水曜日の放課後に、彼女に会いにきます。あ、でも彼女のことだから、友達なんていない、と言いそうなので、僕が行くのは内緒にしていてもらってもいいですか」

「いいわよ。保健室で彼女を引き止めておいてあげる」

 俺は小さくお辞儀をして、保健室をあとにした。名前は名乗らなかった。先生がぽろっと漏らして、俺の名前を知っている彼女が、逃げ出しては困るからな。

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