第9話

 どうも俺は不幸に見舞われているらしい。不幸の神様は俺をまだ悩ませ足りなかったようだ。これでもかというように、俺の頭の中を悩みでいっぱいにしてくる。

 学校から帰宅途中、俺は一つ乗り換えをする。学校は都会の外れにあり、俺の家は都会をはさんで反対側になる。そのため、大きな駅に集約される二つの電車に乗って、俺は学校と家とを行き来しているのだ。ちなみに、佐々の家は俺の家の近くにある。一人暮らしなのに学校から遠い理由は、学校付近は住宅街で適当なアパートがなく、都会の地価は高かったりで、徒歩で行ける距離に部屋を借りれなかったらしい。そのためあいつは俺の家から徒歩でいけなくもない、自転車でちょうどいいぐらいの距離に住んでいて、学校まではロードバイクで通っている。俺はロードバイクなんて持っていないから、電車で通学しているのだが、そのちょうど乗り換えの駅、中心部のホームがいくつかある比較的大きな駅で、俺は、「彼女」に始めて遭遇した。

 「彼女」、少し前に数回、俺は彼女を登場させている。彼女と俺は恋愛関係にない。友人、いや、持ちつ持たれつの対等な関係にある。このような関係を世間では友人と言うのかもしれないが、おそらく彼女は、知人に会ったときに俺を友人だと紹介しないと思う。

 ホームの放送が次に来る電車の案内をしていた。その日、俺は列の先頭に立って電車の到着を待っていた。ここの駅のホームはいつも、この時間は近くの高校生や買い物帰りの客、仕事帰りのサラリーマンでごった返している。特に、この日は団体の客が多かった。でも、いつものことだ。俺は右目につけたアイパッチを触った。ずれてない。でも粘着力は少し弱くなってきている。きっと汗のせいだろう。俺はギュッとアイパッチを押さえつけた。

 その時、目の前を一人の女子生徒が通った。同じ高校の制服を着ていた。長くきれいな黒髪が俺の目線を流れたのを、今でもはっきり覚えている。そして、俺は「見た」。過去能力じゃない。未来能力だった。

 人が大勢通っているホームの内側を歩くのが嫌だったのだろう。彼女はそのまま、白線の外側を歩いていった。俺はためらわなかった。そんな暇はなかった。頭で考えるより先に走り出さなきゃ、間に合わなかった。

「危ない!」

 俺がそういって手を伸ばしたのは、彼女からまだ五メートルほど先、だめだ、避けられない。振り返った彼女を見つめた目の端に、夕暮れの中を走る電車のライトが光っていた。俺はもう一歩二歩、踏み出した。不審そうに眉をひそめたその女子生徒は、次の瞬間、驚いて顔をゆがめた。彼女のすぐそば、ホーム側に団体でしゃべっていたうちの一人が、彼女の存在を知らずに後ろに一歩、大きく勢いをつけて下がって、彼女とぶつかった。避けきれなかった彼女の身体が線路側に倒れていく。

 ぱし、と彼女の細くて白い腕を掴んだ。彼女の後ろで、ブレーキをかけた電車がホームに駆け込んでくる。ごごごごという電車の音だけが頭に響いて、しばらく呼吸をするのを忘れていた。夕焼けで朱色に染められた彼女の端正な顔立ちが、陶器のように浮かび上がった。電車の突風で右目から白いものがぱらりと剥がれ落ちた。彼女は無表情で俺を見つめていた。俺も彼女だけを両目で見つめていた。

「――大丈夫、ですか?」

 なんとか正気を取り戻して、腕を引っ張って体勢を起こしてから、彼女に尋ねた。息を整える。

「――」

「君たち!」

 彼女が口を開きかけた途端、駅員が俺達に駆けつけた。俺はとっさに片目を手で押さえ、目線をはずした。

「大丈夫かね!怪我はしていないか?」

「大丈夫そうです」

 答えない彼女に代わって返事をする。

「一体何があったんだ?」

 俺は軽く事情を説明した。もちろん、能力については伏せて、たまたま近くにいたから助けた、と。

「そうか、事故が起きなくて良かった。君――も、白線の内側を歩くように」

「はい、すみません」

 若い男の駅員は、彼女の顔を見て少し固まったようだった。俺自身もそうだったが、彼女はとてもきれいだった。きれい、なんて安易に人に対して使うような言葉じゃないが、彼女は美しさの中に儚さと色気を含んでいて、それが絶妙なバランスを構成していた。一言で表せば、目が離せない、芸術品みたいな存在だった。俺は驚いた。自分の高校に、こんなきれいな女子学生がいるなんて、知らなかったからだ。

 一言駅員に謝った彼女は、そのまま踵を返して、気がつけば人ごみの中にまぎれていた。俺は予備のアイパッチを慌ててつけると、彼女の姿を探したが、どこにも見当たらなかった。夢でも見ているのかと思った――確かに両目で「見た」のに、彼女からは幸福度が見えなかった。


 夜、一人ベッドに寝転びながら考えた。疲れきっているのか、前に数えた天井の染みが、いつもより霞んで見える。俺はアイパッチをしていない方の目を擦った。

 今日、俺は確かに片目を隠していた。現に、何も見えてはいなかった。彼女を見る前も、この手でアイパッチを触って確認している。それなのに、俺は彼女を未来能力で見た。どういうことだ?片目の法則が成り立つのは、過去能力だけなのか?未来能力は関係ないのか?いや、それよりも、過去能力が効かなかったことのほうが気になる。彼女を助けたとき、俺は確かに両目で彼女を見たはずだ。なのに何も見えなかった。それに、あんな女子生徒、俺の学校にいたか?いや、俺が知らないだけかも知れない。一年生や三年生だとわからない。

 俺はベッドの脇においてある目覚まし時計をちらりと見た。もうそろそろ、部活の奴らが帰宅している頃だろう。

 俺は天井に向かって、長くため息をついた。

 もう降参だ。こればっかりは俺の手に負えない。

 そのあたりに放っておいたスマホを寝転がったまま手探りで見つけて、俺は佐々に電話をかけた。ツーコールで彼は出た。

『おう、どうした』

「すまん、ちょっと聞きたいことがある」

『なんだ?なんかあったのか?』

「今日、未来能力を見たんだが」

『未来能力を?いつ?』

「帰り、駅で」

『え、アイパッチは?』

 こういうところの勘はよく働く。

「つけてた。けど見えた。両目で見なきゃいけない、っていうのは、過去能力に関してだけらしい」

 俺は未来能力で見たことと、現実に起こったことを話して聞かせた。

「――この女子生徒に心当たりはあるか?」

『そんな美少女、俺らの学校にはいねえと思うぞ。いたら注目の的だろ。本当に俺らの高校の制服だったのか?』

「間違いないと思う。お前でもわからないか……」

『曖昧だな。しかし、なんでお前はそんなに気にしてるんだ?一目惚れでもしたか?』

「それならまだ幾分かましだった気がするよ」

『どういうことだ?』

 俺は電話口でため息をもらした。

「――不思議なことにな、彼女から幸福度が見えなかったんだ。彼女を助けたとき、衝撃でアイパッチが取れたんだけど、その時彼女をはっきり両目で見たのに、過去能力が効かなかったんだよ」

『は?能力、使えなくなったのか』

「いや、使える。自分の母親の幸福度はちゃんと見えるんだ」

『つまり、過去能力が使えない奴がいる、ってことか……』

「何か要件が彼女にはあったのかもしれん。それか、俺が余りに動揺してたからうまく働かなかったとか。とにかく、もう一度その人に会って確かめてみたいんだけど」

『なるほどな。明日いろんな奴に聞いてみるよ。うちの制服を着た謎の美少女、なんて、きっとみんな面白がって食いつくぞ』


 ○事実

✓・人がこれから経験する幸福または不幸が見える(たまに)

✓・人の人生の幸福度や不幸度が見える(いつも→見えない人がいる?同じ高校の女子生徒)

✓・一度に多くの人の幸福度や不幸度がわかる(今のところ、最大五人)

 ・最初にこの力を得てから、三日間眠り、覚醒してから力はなく、二日後にもう一度力を得た。

 ・もう一度力を得てからは倒れていない(最初は一度に大勢見た)

 ・再び力を得たと発覚した十分ほど前から、頭痛がしだす

 

 ○追記

 ・第一項目を「未来能力」、第二項目を「過去能力」と名づける。

 ・未来能力は(比較的)直後に起こる幸福または不幸を見る

 ・過去能力は、少しでも自ら意識的に使用すると、ひどい頭痛を伴う

 ・過去能力は、鏡・写真・動画を通して効力を有しない

 ・過去能力は両目で見ないと効力を有しない(未来能力は関係がない?)

 

 ○推測

 ・過去能力は「視覚の認識」と「脳の認識」を満たすことで効力を有する

 ・視覚の認識とは対象の身体の大部分を見ること、脳の認識とは対象を人間だと脳が認識すること

→・脳による認識が先にある場合とない場合では、視覚が認識する身体の範囲に違いはあるのか?

 ・視覚の認識は満たしていても、脳の認識が満たされていない場合、過去能力は効力を有するのか?

 ・自分自身に対し、過去能力は使えない


 新たに湧き出た疑問を付け足しておく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る