第8話
片目の仕組みを解明しても、この力はまだまだ不可解で、俺に難問をふっかけてくるらしい。昨夜、母親から聞いた交通事故の話以来、まとまらない問いが、俺の頭の中をぐるぐるかき回している。どろどろに溶けて混ざって、まるでスムージーのようだ。
俺は幸福と不幸に対して、能力を有する以前でも、少しばかり考えたことがある。人生において、人間それぞれにおいて、果たして幸福と不幸は均等なのだろうか、と。俺の願いとしては、イエスだった。ならば、生まれてすぐ死ぬ赤ん坊はどう説明しよう?家族を残して戦場に赴く兵士をどう幸せにしよう?俺の願いとは裏腹に、現実は無慈悲だ。しかし、俺はそれでも信じようとしなかった。きっと、赤ん坊は生きていたら背負う不幸を背負わないために死んでいったのだろうし、兵士はこれまで多くの幸福を得てきたのだろうと思った。そう思う上で、俺は勝手に、推測を立てた。人間は、幸福と不幸の価値観に違いはあれど、人生が終わるころには必ず幸福と不幸が均等になっているものなのだと。そう信じた。いや違う、そう思わずにはいられないほど、俺にとってこの世界は、あまりにも悲しすぎたのだ。
だから、その脅迫観念から、俺は俺の能力に対しても同じ条件を当てはめていた。幸福が来れば不幸が来る。不幸が来れば幸福が来る。順番に違いはあれど、人は皆、幸福と不幸が均等になるようにできているのだ。現に、俺が過去能力で見る幸福と不幸は、大概の人間が均衡を保っていた。確かに佐々のような人間はいるけれども、歳をとった人間ほど、バランスは均衡なのだ。これは、俺の推測を裏付ける根拠になりはしないか?
だからこそ、俺はもっと早く気が付くべきだったのだ。いや、気づいていた。気づいていたのに、見ないふりをした。母親の不幸を見たときに俺を襲った、ある仮定からの予想。俺が幸福と不幸の理に介入することで起こる調整の波。その可能性を、俺は知っていたのに、目を背けていた。完全に俺のせいだ。俺が殺したのだ。
もし俺があの時、未来能力で見た現象に対して一切口出しをしなかったら、おそらく、いや確実に、彼は死んではいなかっただろう。俺が見た事故は、少なくとも大通りではなく民家の立ち並ぶ細い路地で起こったし、相手の車は、それほどスピードは出ていなかった。実際に、車がぶつかった壁の損傷はあったけれども、それほど大きなものではなかったのだ。車自体の損傷は激しかったが。それに、未来能力の中で彼はその車を目視していたし、避けようと思ったら避けれただろう。つまり、あの事故は死ぬほどの事故ではなかったのだ。それなのに、彼の幸福と不幸に俺が介入したことで、彼はさらに幸福を蓄えてしまい、より大きい不幸を呼んでしまった。死、という不幸。どうしても取返しのつかない不幸。
俺はさらに大きな過ちを犯した。俺はこの大きくした不幸に気づけたはずなのに、怠惰と妥協で無視をしてしまった。彼からSOSのサイン。それを見逃してしまったのだ。不幸を避けた後の彼の幸と不幸のバランスは、変わっていなかったのだ。普通なら、不幸を回避したことで、何らかの変化はあるべきだ。おそらく、幸福に偏るのだろう。しかし、俺の目視で変化はなかった。目視じゃわからなかったのかもしれないが、俺は確かにその時違和感を覚えていたのだ。それなのに、何もしなかった。考えることを放棄した。もしあの時、きちんと向き合っていれば、彼は死ななくてすんだのかもしれない――。
過去はどれだけ悔やんでも変えられない。そんなことはわかっていたけれど、俺は考えずにはいられなかった。人が身近で死ぬのは初めてだった。人の死に、自分が関わるのが初めてだった。怖い。俺の中にある感情はそれだけだった。ただ怖かった。この力が、俺には理解不能だった。俺は、この力の強大さに気がつかず、それが俺に与えられた特権だと、いつの間にか、そんな自惚れを持っていたのだ。なんて愚か者なんだろう。
この未来能力が直後に起こる不幸を確実に予測できたとしても、俺が相手の不幸を避けることができると、一体誰が教えただろう。俺達人間は、きっと大きな幸福と不幸の世界の渦の中にいて、幸と不幸を操作しているのは、きっとちっぽけな人間なんかじゃどうにもならないぐらい大きな、神様みたいな存在なんだ。たかが人間が神様から与えられる幸や不幸が少し見えるからといって、どうして幸や不幸を避けれたり、はたまた失くしたりすることができよう?そんなことができるわけがないんだ。俺は神様なんかじゃない。絶大な力に対抗できる勇者なんかでもない。ただの人間なのだ。俺は一体何を勘違いしていたのだろう。
それならこの力は、一体何のために存在しているのだろう。どうして俺はこの力を得たのだろう。俺に何をして欲しいのだろう。俺は何ができるのだろう。俺が答えをまだ見つけられていないだけなのか、そもそも答えなんてないのか。果たして、目の前の人の不幸も救うことが許されない、ただの力。むしろ呪いのようなこの能力の本質は、一体どこにあるのだろうか?
どれだけ考えても答えは出ない。
ただ、単調な日々だけが、足早に過ぎていった。
「どうした?顔色悪いぞ」
すっかり夏休みモードが抜け切り、秋空が目立つようになった頃、久しぶりに佐々としゃべる機会があった。昼休みの喧騒の中、廊下でばったりと出くわした。部活の大会に備えて練習三昧だった彼を、ここのところ、グラウンドで時たま見かけるぐらいだった。
「いや、何でもない」
「ならいいけどよ、やっぱ片目だと調子狂うか?」
佐々は、そのまま階段の手すりにもたれて、持っていたオレンジジュースのパックをすすった。そういえば、こいつの家で飲んだジュースもオレンジだったな。
「いや、充分助かってる。久しぶりに普通の人間を見た」
「んだそりゃ。まるで魔界にでも行ってたかのような感想だな」
ストローを加えたまま笑う。それ見ろ、むせやがった。
「ごほっ、ほんとは翌日すぐ様子見に行くつもりだったんだけどさー、HR終わってお前の教室行ったらもう帰ってやんの。それからは知ってのとおり、部活に明け暮れていたわけだ。ま、何事もないようでよかったよ」
「そうか、悪い、ありがとな」
実際、過去能力を通して人を見るのと見ないのでは、大きな差があった。精神的疲労が全くないのだ。過去能力を通したときは、人といると常に何か見ていなければならなかったが、アイパッチのおかげでそれがない分、精神的にかなり楽になった。確かに視界は狭くなるし、平衡感覚はなくなって人や壁にぶつかりそうになったりはしたが、別にこれといって不便さは感じない。片目に残る違和感も、そのうち消えるだろう。それもこれも、佐々のおかげだ。だが、やっぱり人を見ることにまだ、少しの恐怖心があった。それ故、人ごみでは下を向いている。下を向くと、なぜか不思議と、心も下を向く。
「やっぱりしんどそうだぞ、お前。本当に大丈夫か?」
気がつくと、佐々が覗き込んでいる。
「あ、ああ。すまん。考え事をしていた」
「またいつものぼーっと癖か?ほどほどにしとけよー」
そういって肩をたたく。
「そんじゃ、行くわ。なんかあったら言えよ?お前はすぐ溜め込むからな」
そのとおりだ。だけれど今度はお前にすがれない。こんな、どうしようもない悩みに――これは俺が、見い出さなければいけない答えなのだ。
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