第7話

 さて、ここまで俺の話に真摯に耳を傾けてくださっていた方なら、おい、あと一日で問題を解決し、学校に行けるようになるのかよ、なんてお思いになっていることだろう。佐々は見ての通り、頭を使いすぎてぐったりしていたし、(寿司はすごい勢いで食べて、その後、満腹で気持ちよさそうに眠っていたが)、俺は俺で、頭痛が酷くて朦朧もうろうとしていた。酷い理由は、なんとも無様に佐々の幸福度をいちいち細かく見てしまっているからだが、本当に洒落にならないぐらい疲れるのである。とにかく、タイムリミット二十四時間となる朝、といっても寝すぎてもう昼だったが、俺達はのそのそ起きだして、会議を再開した。そして、見事にすぐ終了した。

「昨日どこまで考えたんだっけ?」

 寝起きでくせ毛が大変なことになっている頭をぼりぼり搔きながら、佐々は大きくあくびした。そのあくびが俺にうつって、くぐもった声で返事をする。

「えーっと、ふあ、なんだったっけな、あ、そうそう、視覚の認識と脳の認識があるんじゃないかって」

 目の前に転がっていたノートをめくる。

「あーそうだ。視覚の認識は、体の大部分が、視界に入ることで――」

「脳の認識は、俺が対象を人間だと認識すること」

「それ」

 まだ目覚めきっていない半開きの目で俺のほうを見て指差してきたが、かっこよくはなかった。どや顔してみせるが、寝ぼけまなこではしまりがない。俺がリアクションをしないでいると、佐々は諦めたようでふらふらとキッチンへと向かっていった。そしてカップめんを二つ持って帰って来る。どうやら俺が寝ている間にコンビニへ買いに行っていたようだ。

「お前の能力を制御できる方法なんてあるのかね?」

 ティファールのコンセントに手を伸ばして差し込み、前の晩から入っていた水のままスイッチをオンにする。

「なかったら、俺は一生ひっきーか、この能力を生かして占い師にでもなるかだな」

「それ面白そうじゃん。“ 絶対当たる占い師。ただし、予言できるのはあなたの身の上に不幸が起こる直前です ” ってか」

「使えないな」

 カチッという音が鳴って沸騰を知らせる。俺達は順番に麺に湯を浸した。先に使ったのは佐々だが、俺のときに湯がちょっと足りなかったことは未だに忘れてないからな。

「三分測っといて。んで、なんだっけ、視覚の認識と脳の認識、どっちかをなくせばいいって話だったよな」

「そ」

「んだー」

 とどっかの方言でうめきながら、佐々はベッドに転がり込んだ。駄々っ子のようにごろごろと転がり、「あー」とだるそうな声を漏らす。しばらくしてピタっと止まり、考えているのかぼけっとしているのか、はたまた寝かけているのかわからないが、身動き一つしなかった。

「三分経ったぞ」

 スマホの時計で確認して、佐々に知らせる。と、バッと飛び起きてカップめんの前に座った。割り箸を両親指の間に挟み、手をあわせる。

「いただきます」

 こういうところも、日本人らしいと俺は思うのだ。そうして二人してずずーっとカップめんをすすりながら、方法は思いついたか、と聞き合った。

「お前本当に考えてるか?」

「考えてるよ。ただ、理詰めるには時間がかかるんだよ。一つずつ検証していかないとだろ。視覚の認識を妨げる方法はないか?視覚の認識がだめなら脳の認識はどうか、って。俺が思うに、脳の認識より、視覚の認識を妨げるほうが現実的だと思う。脳の認識は錯誤を恣意的に起こさないといけないし、かなり難しそう」

「そこは俺も賛成。でも視覚の認識ってどうやって妨げるんだ?」

 そこが問題だった。視覚の認識を妨げるためには、相手の身体が半分以上見えなくなる必要がある。だからといって、相手に身体を隠しておくように仕向けることはできないし、どうあっても見ないようにすることは不可能だ。俺は答えが見つからなくて、黙り込んでしまった。佐々も思いつかない様子で、うーんと唸っている。

「もういっそのこと、目隠しでもしとくか?」

 ざっくばらんに言ってくる。

「おまえな……。んなことしたら、生活できねえだろ。学校行く以前の問題だわ」

「んじゃ片目だけとか」

「片目だけねえ」

 おもむろに、俺はカップめんの丸いふたを、箸でつまんで右目の前にかざした。目の前で佐々が麺をすすっている、と。

「佐々ああ!」

「何だよ、いきなり大声出して。何してんだ?」

 佐々は俺の奇怪な言動を訝しがって、眉をひそめた。

「見えない!」

「はあ!?」

「だから見えないんだって!」

「え、マジで!」

 二人で麺がのびるのを忘れて、はしゃいだのは無理もない。「目を閉じる」という一番原始的な行動に、答えは潜んでいたのだ。つくづく、俺は目の前の事象を取りこぼしてしまう癖があるらしかった。一通り叫んで飛び跳ねたりしていると、佐々がテーブルに膝をぶつけてカップめんがこぼれそうになり、慌てて座った。しかしまさか――

「テキトーに言ったことがあってるなんて」

 二人してそう言って一息ついて、カップめんの残りをすすった。麺がのびてまずかったが、別にそれでも満足だった。

「でも今まで俺ら何してたんだろうな……」

「言うなそれは」

 確かに今まで難しいことばかり考えて、無駄な時間ばかり使ってきたような気もするが、まあ、俺は結果オーライ、少しでも能力のことを知れてよかったと思う。でもやっぱりこの時は、確かにあの時間はなんだったんだと、佐々と同じ気持ちであったことは否めない。

 カップラーメンをすすり終えた俺達は、それから大急ぎで残りの宿題に取り掛かった。なんてたってまだ俺は五教科ほど残っていたし、佐々に宿題の写しを手伝ってもらおうにも、あいつの字は汚すぎて役に立たないからな。

 俺がせっせと佐々のを写している間、佐々は買出しをしてきて、そのついでに何かを買ってきたらしい。スーパー以外の袋を持っていた。

「なんだそれ?」

「んー?」

 そういってはぐらかしつつ、俺に背を向けて座り、なにやらごそごそやりだす。なんかまた企んでいやがると、俺はそれ以上訊く気も失せて作業に戻ったが、しばらくして、にょっと後ろから目の前に手をまわされた。近すぎて視認できない。手に何か黒いものを持っている。

「なっ」

「いいからいいから」

 にたにた笑いと共に佐々は俺の制止を振り切って、そのまま黒いものを俺の目に当てた。ちょっと待て、これは――

「これで正真正銘の廚二病だな!」

 目の前に回りこんだ佐々がげらげら腹を抱えて笑っていた。その目線の先には右目に黒い眼帯を当てた俺が、きっと今まで見たことのないぐらい、むすっとした顔で座っていただろう。

「くそっ、おもしろすぎだろ!」

「おまえな!」

「だってよー!あ、あれか?左目のほうが良かったか?」

「しばくぞ」

「やだ怖ーい」

 まだげらげらと笑っていやがる。とにかく一発はしばいておいた。

「うそうそ冗談だって!ちゃんと普通の眼帯も買ってあるから。ほらよ、アイパッチ」

 袋から投げてよこしたのは、紐がついていない、医療用の白い眼帯だった。紐がないのには驚いたが、最近はこういう画期的な眼帯もあるらしい。アイパッチというらしいが、知らないといったら、これだから引きこもりはよーと馬鹿にされた。いやまて、普通に考えて日本の薬局の製品に詳しい帰国子女のほうが気持ち悪い。まあ、これも一人暮らしで得た生活の知恵らしいが、薬局に行けば何でもそろう、薬局はいいぞ、となんだか薬局オタクみたいなことを言われて物悲しくなった。まあ別にいいんだけどな。

「ま、廚二病眼帯はおしゃれに使ってくれよ。別に学校につけて来てくれてもいいぜ?」

 誰がつけるか。ちなみにその眼帯は俺の部屋のたんすの奥深くに入れてある。捨てるに捨てられないし、かといってその辺に置いておいても母親に見つかったら何を言われるかわかったもんじゃない。いや、別に眼帯の隠し場所はエロ本の隠し場所じゃない。期待に添えなくて残念だ。そっちの隠し場所を言うわけがないだろう?

 とにかく、こういった経緯で、俺は晴れて外を、人目を憚らずに自由に歩ける身になった。そして、多くのこの能力に関する知見を得た。そこで参考がてらまた、記しておくことにする。


 ○事実

✓・人がこれから経験する幸福または不幸が見える(たまに)

✓・人の人生の幸福度や不幸度が見える(いつも)

✓・一度に多くの人の幸福度や不幸度がわかる(今のところ、最大五人)

 ・最初にこの力を得てから、三日間眠り、覚醒してから力はなく、二日後にもう一度力を得た。

 ・もう一度力を得てからは倒れていない(最初は一度に大勢見た)

 ・再び力を得たと発覚した十分ほど前から、頭痛がしだす

 

 ○追記

 ・第一項目を「未来能力」、第二項目を「過去能力」と名づける。

 ・未来能力は(比較的)直後に起こる幸福または不幸を見る

 ・過去能力は、少しでも自ら意識的に使用すると、ひどい頭痛を伴う

 ・過去能力は、鏡・写真・動画を通して効力を有しない

 ・過去能力は両目で見ないと効力を有しない

 

 ○推測

 ・過去能力は「視覚の認識」と「脳の認識」を満たすことで効力を有する

 ・視覚の認識とは対象の身体の大部分を見ること、脳の認識とは対象を人間だと脳が認識すること

→・脳による認識が先にある場合とない場合では、視覚が認識する身体の範囲に違いはあるのか?

 ・視覚の認識は満たしていても、脳の認識が満たされていない場合、過去能力は効力を有するのか?

 ・自分自身に対し、過去能力は使えない


 その日は夜遅くに、久しぶりに家に帰って母と会った。幸と不幸の割合は変わっていなかった。

「あーそうそう」

 寝る間際、普段は世間話などしてこない母が俺を呼び止めた。

「すぐそこに寿司屋さんあるの知ってるでしょう?そこの息子さんがいつもね、お寿司の配達してるらしいんだけど、昨日だったかしら、事故で亡くなったらしいのよ。相手の車が悪いらしいけど、かわいそうに、あんたより二、三歳ぐらい年上なだけでまだ若いのにねえ。配達の途中だったらしいわよ」

 昨日?昨日っていったか?

「そ、それって、何時ぐらいだよ?」

「え?確か夜の、八時か九時ぐらいって言ってかしら。言われたらそのぐらいの時間に、救急車が通っていたような気がするわね。あんたも、車には気をつけなさいよ」

 俺は目の前が真っ暗になった。

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