第6話

 翌日の朝には頭痛はおさまっていた。まだ外に出るのが怖い俺の代わりに、佐々が近くのコンビニへ朝ごはんを買いに行ってくれ、それを食べてから俺たちはまた能力について話し合った。さすがに一日しゃべっていただけあって、いろいろなことがわかったが、肝心の外に出るために能力を抑える方法は思いつかなかった。とりあえず、わかったことをここに書いていこうと思う。といっても、発見は芋づる式に起こったので、その経緯を説明すれば、わかってもらえると思う。

 朝ご飯を食べてから、洗面台で俺は歯磨きをし、佐々は顔を洗っていたときだったと思う。コンビニへ行く前に顔を洗ってなかったのかよ、と俺は思ったが、まあ、別にたかがコンビニ、それに俺たちはかなり腹が減っていたし、買ってきてもらった分際で何も言うつもりは無い。それに、整ったこいつの顔は、寝起きでも見られないことはないのだ。そんなことを思いながら俺はシャカシャカ、佐々に買ってきてもらった歯ブラシで、佐々の後ろから鏡を覗き込むように歯を磨いていたのだが、突然顔を上げたこいつが、鏡越しに俺の顔を見てびっくりしたように大きな目を見開かせていたので、大いにこちらもびっくりした。しゃべれないので表情でなんだよ、と聞く。佐々は顔からしずくがたれたまま衝撃的なことばを口にした。

「お前、自分の幸福度とか見えねえの?」

 何で自分でも今まで気づかなかったんだろう、もしかしたら俺は相当の馬鹿なのか?と本当にびっくりして、歯磨き粉で真っ白な口をあんぐり開けてしまった。そして鏡に映る自分の姿に目を移すと、そこにはやはり、自分の間抜け面が映っているだけで、他には何も見えなかった。そりゃそうだ。今までずっとそうだったんだからな。風呂に入っているときも、顔を洗っているときも、能力を得てから俺はたぶん毎日のように自分を見てきたが、別になんら変化は無かったのだ。いまさら意識して見ても異なる点が出てくるわけが無い。

「見えない、な」

 かろうじてそう言って、俺はとにかく口をすすごうと洗面台に歯磨き粉を吐き出した。場所を譲ってくれた佐々がタオルで顔を拭いている。

「なんだお前、今までわかってなかったの?」

「そうみたいだ」

 急いで口をゆすいで顔を上げ、背中越しに後ろの佐々に返事をした。と、そこでもう一つの事実に気がついた。

「見えない」

「わかったって」

「いや違う、お前の幸福度」

「は?マジ?」

 鏡越しに見た佐々からは、幸福度がわからなくなっていた。つまり、過去能力が効かなくなっていたのだ。俺はすぐさま後ろを振り返った。

「見える」

「お、おう」

 もう一度鏡を見た。

「見えない」

「おう」

 そして最後に佐々を振り返ると、もう一言、

「見える」

 といった。佐々はわかったから!といったが、その顔はニヤニヤとしてかなり嬉しそうだった。

「つまり、鏡を見れば過去能力は作動しないってことだな!」

 佐々は急いで机に跳んでいってノートを開き、「・鏡越しには過去能力は使えない」と書き込んだ。

「もしかして自分自身の幸福度が見えないのって、自分の姿は鏡越しでしか見てないからか?」

 そう佐々から疑問が浮かび上がったが、検証の結果、自分自身に過去能力は効かないことがわかった。どうやって検証したのかは次の通りである。まず、鏡では過去能力は使えないのだから、自分自身を直接見ればいいのだという結論に至ったのだが、まあ、直接見ることは不可能だ。そこでとりあえずスマホで全身を写真に撮り見たが、見えなかった。ついでに佐々も全身を撮ったが、見えなかった。まあ、鏡越しに見えないのだから、写真を通してとか、動画を通しては見えないだろう。実際、俺は能力を得てからユーチューブで動画を見て、もちろんその中で人を見ていたわけだが、幸福度は見えなかった。気づかなかったのかよ!とこいつに怒鳴られたが、気づかなかったものはしょうがないのだ。とにかく写真や動画、鏡ではだめだとなると、がんばって自分自身を直接見るしかなく、俺は自分の足先から胸元まで首を曲げて見てみたが、やはり見えなかった。

「顔を見なきゃだめなのかな」

 そう考えたが、自分で自分の顔を直接見るのは眼球をはがすぐらいしか無理だろうし、俺は誰に何を言われようとはがすことは嫌だったし、果たしてはがして見ることは可能なのかはわからないわけで、事情を説明して手術してもらおうぜなんていうこいつの冗談を、冗談だとわかっていながらも本気で拒んだ。

「冗談だっつーの」

「冗談でもやめろ!何でもありなような気がしてきて怖いんだよ」

「んならどうするんだよ」

 その方法に一時間ぐらいだらだら世間話をしながら悩んで、結論が出ないまま、お昼過ぎに昨晩俺の母親が持たせた晩御飯の残りを二人で食べた。食べ終わって、佐々が流し台に片付けに行くのを目で追っている際、俺はあることに気がついた。

「おい佐々、そこから顔だけ出してみてくれないか」

「は?」

「全身は出してくるな。俺に全身は隠して顔だけ見せてくれ」

 ひょい、と顔だけ出した佐々には、相変わらず幸福度が見えていた。

「今度は足だけ出して」

 言われるがまま佐々は顔を引っ込めて、足首から下を見せた。今度は幸福度は見えない。

「なるほどな」

「なんだよ」

 戻ってきた佐々に、俺は説明した。

 佐々が頭を出したとき、過去能力が働いた。でも、足を出したときは過去能力は効かなかった。つまりは、俺の能力は顔を見ることで反応するらしい。

「ちょっと待て」

 佐々は俺の説明を聞いて立ち上がって、さっきと同じ流し台の壁に立った。

「今、見えねえよな!?」

「ああ」

「んじゃこれは?」

 佐々はひょっこり顔を出した。

「見える」

「んならこれは?」

 佐々は顔を引っ込めて足を出した。

「見えねえ。さっき言ったじゃねえか」

「まあ待てよ。んじゃ、これはどうだ?」

 今度は佐々は顔は出さずに、顔以外のほぼ全身を俺に見せた。

「……見える」

「やっぱな」

 佐々はひょっこり顔を出して、ゆっくり戻ってきた。

「何でわかったんだよ」

「んーなんとなくかな。だっておまえ、いつも俺の顔見てるわけじゃねえもん。だから顔見たら見えるってのはなんかおかしいなって思った」

 正確には佐々の表現は間違っているが、この時の俺の考えを否定するには充分だった。つまり、過去能力は顔を見たら作動するわけではなく、体の大部分を見たら作動するらしかった。もう一度佐々を同じ場所に立たせて今度はゆっくり足先から出てきてもらったとき、体の半分ほどが出てきたところで、俺は幸福度を見ることが出来た。二人で話し合った結果、推測になるが、過去能力は認識によって発動するらしかった。たとえば、足だけでは俺の目はそれが佐々だと認識することは出来ず、体の大部分が見えたところで目はそれが佐々だと初めて認識し、過去能力が発動する。しかし、二つ定かでないことがある。一つ目は、今そこに隠れているのは佐々であることを俺は知っているわけだが、その場合でも、視覚による認識が行われてから過去能力は発動するとすると、脳による認識によって、視覚による認識が手助けされる可能性はないだろうかということだ。わかりにくいだろうから具体的に言うと、佐々がそこにいるとわかっている状態で、目が佐々を認識出来るようになる佐々の体の範囲と、そこに誰かがいることを俺が知らない状態で、目がその人を認識できるようになるその人の体の範囲では、佐々のほうが少ない体の範囲で目は認識できるようになるのではないかということだ。このことは確かめようにも、もう一人必要だし、しかもその存在を俺が知っていたら意味が無いわけで、実験しようにも困難であるから保留とされた。そしてもう一つは、そこにいるのが人だとしても、俺がそれを人だと思っていなかったら、果たして過去能力は発動するのかどうかということだ。つまり、視覚による認識はあったとしても、脳による認識が無かったら、過去能力は作動しないのではないかということだ。たとえ目には全身が映っていたとしても、遠くから見て、あれは電柱だ、とか思っていたら、過去能力は作動するのだろうか?

「しないに一票」

「奇遇だな、俺もだ」

 と、俺たちは過去能力の発動に視覚と脳の認識が必要であるという意見で合致した。そしてこれも検証が困難であるため、今は保留とした。

 推測の域を出ない限りでは、それをまともに信じるのは危険だと俺は思うが、しかし推測から少しずつ実証していけるならば、推測も検討する価値はかなり高い。その上で、俺はある一つの推測を立てた。先ほどから俺は「視覚の認識」と「脳の認識」ということばを多用していて、一体何が違うんだとお思いになっていることだろうが、この二つは全く違う。上記を読んで俺の拙い文章力で理解していただいた方はなんとなくわかると思うが、俺の過去能力は、俺の視覚内に人間を捉えることと、捉えた人間を人間だと認識することで、発動するのである。前者が「視覚の認識」で後者が「脳の認識」だ。どちらか一方を満たさないと発動しない。実際では、この二つはほぼ同時に行われている。何しろ視覚神経が脳に伝わるコンマ数秒以下の話だからだ。だから分けて考えるのは難しいが、この足が佐々だと認識していても(つまりは脳の認識)幸福度は見られなかったことから、分けて考えることに何とか至ることが出来た。さらっと説明しているが、俺たちはこの考えにたどり着くまでには、西日が部屋を覆うぐらいになっていたのだから、勘弁して欲しいものだ。また、さらに「視覚の認識」で言うと、前述の通り、鏡・写真・動画などの障害物を通しての視覚の認識は無効であり、視覚の認識を満たすためにはある程度、相手が見えていないとだめだということがわかった。そして、この推測から行くと、やはり俺は俺自身の幸福度は見えないらしい。俺は自分自身の体の大部分を自分で見ることが出来、さらにそれが俺であることを認識しているが、やはり俺からは幸福度は見えなかった。残念、と確かに思ったが、安心のほうが大きかった。自分の幸福度なんて見たくないし、それになんとなくわかる。俺はたぶん不幸だ。

 と、つらつらと述べてきたわけだが、ここまでのことは全て俺と佐々の推測に過ぎない。これからこの推測を少しずつ事実にしていかなければいけないわけだが、その実験は今すぐ実践できるものではなかった。何しろ俺は頭痛のせいで自由に動けなかったし、実験を繰り返すには危険が大きかった。やはり立ちはだかるのは当初の目的である「どうやったら能力を制御できるか」だった。

「とにかく、そこまで考えれたんだから後は視覚か脳か、どっちかの認識を防げばいいってことだろー!」

 ふああああ、と大きく佐々は伸びをして、そのままベッドに倒れた。それと同時にぐるるるると腹の虫が不機嫌そうに鳴いた。時計を見ると、もう八時になりかけている。ここまでずっと頭を使いっぱなしだったわけだから、そりゃ腹も減るはずだ。

「もう無理。腹減ったし、これ以上考えたらおそらく俺の脳は爆発する……もう、何も、考えれません……」

 佐々の機能はそこでプツリと切れてしまったようで、身動き一つとらなくなった。俺は仕方なくスマホで出前を検索した。冷蔵庫や他の棚を探っても、いつのかわからないカビの生えた食パンが一斤出てきただけで、食料らしい食料が出てこなかったからだ。疲れた身体にピザはきつかったので、少々値は張るが寿司にした。まあ、これも今まで手伝ってくれた佐々への労いも兼ねていたわけだが、さすがの俺も住所はわからなかったので、屍と化した佐々を無理やり揺すって住所を吐き出させたのは、ちょっと悪かったかなと思っている。

 しばらくして寿司屋の配達のにいちゃんがやってきて、俺たちに寿司を届けてくれた。俺はその時、かなり緊張していた。何しろ、佐々以外でここのところ人に会っていなかったから、佐々以外の人の幸福度を見るのが久しぶりだったからだ。そのためかなり意識してしまった。それがやっぱりいけなかったと思う。寿司屋のにいちゃんの幸福度は60パーセント。そこまで見てしまった。

「お待たせしやしたァ!」

 その威勢のいい声は頭痛に少々響いた。か細い声で礼を言って、お金を支払う。すると、その時見えてしまった。

 寿司屋のにいちゃんが佐々の家の細い路地をいつもどおりバイクで走り去っていく。曲がり角を右折しようとすると、向こう側から左折ライトを光らせた車がやってきた。バイクのにいちゃんはお先にどうぞと手振りをする。しかし、車は止まらず、バイクめがけて突っ込んでくる――。

「まいどありー!」

 そういって部屋を出て行ったにいちゃんを、慌てて俺は追いかけた。

「待ってくれ!」

 とりあえず、何とか時間をかせいで止めないと……

「追加注文したいんですけどいいですか?」

「いいっすよ」

 気前よく応じてくれたにいちゃんは、メニュー表を差し出した。うーんとかでもなあ、と悩んでいるふりをしていると、にいちゃんの背中越しに、未来能力で見た車が現れた。そして、ガガッという音をたてて、平屋の民家の塀にぶつかった。その音に寿司屋のにいちゃんは振り返り、俺も今初めて気づいたかのようにそっちを見た。どうやら運転手は居眠りをしていたらしく、慌てふためいて運転席から降りてきて、頭を抱えていた。すると、音に気づいた家の人が自分の家の塀の損害を見て、怒鳴り声を上げていた。

「あー事故っすね。あれは結構額いくだろうな」

 ボソッとにいちゃんは呟いた。一通り事故を見た俺は後ろを向いている彼に声をかけた。

「すんません、やっぱ予算オーバーしちゃうんで、やめときます」

 ぺこりと頭を下げて、メニュー表を返した。

「そっすか、またお願いします!」

「おにいさんも、事故に気をつけてください」

「ありがとうございます!」

 その笑顔を見てから、ほっと胸をなでおろして、俺は部屋に引き上げた。帰って行く彼の幸福度が、さっきと変わっていないことに違和感を覚えたが、空腹と頭痛でそれ以上考えることはやめにした。

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