5

「わたしが夕飯、ご馳走するよ」

 初めての給料が入ったその日、マキノが言った。

「別に、そこまでお世話してもらう気はないですけど……」

「歓迎会みたいなものだから気にしないで」


 あの日以来、マキノはなにくれとなくユウキを気にかけてくれる。

 しかし……グンマの言うことを真に受けたわけではないが、マキノをどこまで信用していいかは悩んでいる。

 ただのお人好しに思えるが、そういう人が他人を苦しめるのを何度もユウキは見て来た。


 給料をおろすために、昼休憩の時に二人で銀行へ向かった。銀行の入口には、民間警備会社の警備員が立っている。

 警備員はショットガン――レミントンM870を手にしていた。

「昔は日本で銃器なんか持てなかったの、知ってる?」

「そうなんですか?」

 ユウキが聞き返すと、マキノはうなずいた。


「おじいちゃんとかおばあちゃんの世代かな。わたしも小さい頃に、そういう話を聞いたんだけど。昔は今とは信じられないくらい平和だったんだって。その当時で、わたしたちくらいの世代の死因で一位が何だったと思う?」

「さあ……銃器がないんだったら、毒ガスとかですか? あ、でも銃器の携帯が禁止なら護身用にナイフくらいはみんな持ち歩いてるんですよね? じゃあ、刺殺かな」

 毒ガスや殺人ウィルスは入手が簡単だ。高い建造物から毒ガスを散布する作戦をブラックカンパニーはよく企んでいた。


「一位はね、自殺なんだって」

「は? 自殺?」

 マキノがうなずく。

「それだけ平和だったってこと。ユウキくんの言ってる死因、それ全部殺人だし。病気とか事故とか、そういうのが死因ね。今みたいに殺す殺されるが当たり前の時代じゃなかったんだ」

 ユウキに過去の時代は想像が付かなかった。義務教育を途中で放棄し、ただ改造人間として戦い続けるだけの日々だった。

 戦い方、倒し方、武器の知識。ユウキの知っているのはそればかりだ。


「昔は昔で苦しいことがいっぱいあったんだろうね。だから自分で死を選んじゃう人が多かったんだろうけど……いつかだけどさ、殺したり殺されたりがなくなって、誰も自殺なんて考えなくて、誰もが幸せに暮らせる平和な時代が来たらいいなって、思わない?」

「……そうですね」

 ユウキは愛想笑いを浮かべた。

 馬鹿馬鹿しい。そんな時代が来るはずがない。

 平和な時代なんて、夢物語だ。


 ようやく現金をおろし、銀行を後にする。

「おい、止まれ!」

 警備員の叫ぶ声が聞こえる。

 自分に言われたのかと思い、ユウキは振り返った――警備員がレミントンの引き金を引いた。

 狙いは、ユウキたちではなかった。

 目出し帽をかぶった男が、両手を突き出している。男の手の前で、レミントンから飛び出したスラッグ弾が停止している。


 目出し帽の男が、突き出した両手を頭上に振り上げる。   

 警備員のショットガンが引っ張られるように浮かび上がり、持ち主の顔面を殴打する。見えない手で振り回されるように、警備員は自分のショットガンで何度も顔面を殴った。

 念動力だ。手を触れずにものを止め、動かす力。

 目出し帽の男は超人だ。力の扱いにも慣れているように見える。


 ショットガンで何度も殴打された警備員は気を失って倒れた。

 突然の凶行を目撃した人々は、誰も悲鳴すらあげなかった。たいした混乱も見せず、素早く逃げて行く。

 十年もブラックカンパニーの脅威にさらされていた東京だ。強盗、殺人は日常茶飯事で、犯罪も爆発的に増えている。何かあれば一目散に逃げ出すというのが、誰の身にも沁みついている。

 それができなければ、巻き添えを食って死ぬだけだ。


「わたし、あの人を止めてくる」

 しかしマキノは逃げ出そうともせず、言った。

「いや、なにバカなこと言ってるんですか。すぐに警察が来ますよ。ヘタに近付けば、巻き添えになるだけです」

「でも、超人扶助会はああいう人たちを助けるためにあるんだから」

「だからって……」

 マキノは本当に突撃しかねない。目出し帽が突入した銀行の中からは、断続的に発砲音がしている。

 銃声はすぐに止んだ。

 自動ドアのガラスが砕け、中からATMが転がり出た。続けて、目出し帽の男がバッグを抱えて飛び出して来る。


「どけッ!」

 逃げ出さなかったユウキとマキノに、男は叫んだ。

 男が右手を振り上げると、固定されていた自動販売機が念動力で浮かび上がる。

 自動販売機はユウキたちではなく、走行していた自動車に向かって飛んだ。

 車の側面に自動販売機が激突し、車が激しくスリップする。運転手が悲鳴を上げて逃げ出した。強盗は無人となった車両の運転席に乗り込んだ。


 どうする?

 ユウキは迷っていた。あの強盗を倒すのは簡単だ。変身する必要もない。それこそ、片手間で止められるだろう。

 だが、それで何になる? 

 ユウキは黙ってかぶりを振った。

 それで世界が平和になるわけじゃない。

 強盗を捕まえたところで、何の意味もない。

 悪を滅ぼしたところで、世界は何も変わらない。

 放っておけばいい。ぼくは正義のヒーローじゃない……。

「マキノさん」

 逃げよう、と声をかけようとした。

 だが、マキノはすでにいなかった。


 どこへ――ユウキは視線を走らせた。強盗の乗った車が動き出す。その先に、親子が倒れていた。

 逃げる人々に押されたのか。転んで泣く女の子を、母親らしき女性が立たせようとしている。

 強盗の乗った車は速度を緩めない。加速し、親子をそのまま撥ね飛ばす――直前、マキノが立ち塞がった。

 分厚いメガネの奥に、激しい怒りをユウキは見た。

 見えたのはそこまでだった。


 マキノが立ち塞がった。次の瞬間、強盗の乗った車が吹き飛んだ。

 空中で激しく回転しながら、何十メートルも宙を舞う。やがてビルの壁にぶつかって、コンクリートの破片を撒き散らしながら地面へと落ちた。

 マキノが拳を振り上げた姿勢で立っている。

 彼女が立ち塞がり、拳一つで……生身で車を吹き飛ばしたのだ。


「大丈夫ですか?」

 倒れたままの母親へ、マキノが手を差し伸べた。

 母親は悲鳴を上げた。悲鳴を上げ、子供を抱えるようにして逃げて行く。

 差し出したままの手を、彼女は気まずそうにおろした。

「まあ……そうだよね。怖いよね」

 あはは、とマキノは乾いた笑いを浮かべる。

「あーあ、やっちゃった。力を使わないでって、わたしが偉そうにユウキくんに言ったのにね」


 マキノの動きが、ユウキには見えなかった。

 改造人間であるユウキですら反応できないスピード。車を軽々と吹き飛ばすパワー。

 マキノは超人だ。それも並の強さではない。ブラックカンパニーなら怪人級――最強クラスの怪人に匹敵する。


「行こっか。ここに残ってると、騒ぎになっちゃうから」

 パトカーのサイレン音が聞こえて来て、ユウキはあわてて走り去った。

 職場の事務所に戻った途端、拳銃を構えた社員たちに囲まれた。


「……なんの真似ですか」

 ユウキが言う。

「見ていたんだよ。お前、超人だな」

 銃口はマキノに向けられている。

「見ていたなら、わかるはずでしょう。マキノさんは、逃げ遅れた親子を救うために……」

「だったらなんだ? 何のために力を使おうと、その女が怪物であることに違いはない。確かに今回は人助けをしたかも知れないが、その力がおれたちには向けられないと誰が保証する? いつでもおれたちを殺せるようなヤツと一緒に居られると思うか? その女の機嫌ひとつで、おれたちは皆殺しにされるんだぞ」

「そんなこと、するはずないでしょう!」

 ユウキが怒鳴っても、上司は顔色ひとつ変えない。


「起こってからじゃ遅いんだよ。本来ならここで死んで貰いたいくらいだが、抵抗されて犠牲者を出したら本末転倒だからな。さっさと消えろ。二度と姿を見せるな。それさえ約束すれば、追ってまで殺そうとは思わん」

 ユウキの手が怒りに震えた。

 こんなものを、こんな人間たちを守ることがレッドバロンの戦いだったとすれば、滑稽だ。

 命を懸けて戦った結果が、この世界か。

 やはり世界は変わらない。悪の秘密結社が消えようと、そもそも人間の本質が悪だ。

 恐怖と不安に疑心暗鬼になり、他者を犠牲にしてでも生きようとする。

 こんな人間のために、十年も……。

「ご迷惑をおかけして、すいませんでした」

 ユウキが怒りを爆発させるよりも先に、マキノが深々と頭を下げた。


「二度と皆さんの前には、姿を見せません。どうも、今までお世話になりました」

 それだけ言って、マキノは出て行こうとした。

「そんな、マキノさん! どうしてアナタが出て行く必要があるんだ! アナタは何も悪くない!」

 彼女は首を横に振った。

「いままで騙してて、ゴメンね。ふつうの人間のユウキくんと仲良くしてたら、わたしも疑われないかなって思って利用してたんだ。もうそんなことしないし、二度とアナタの前に姿も見せないから」

 わざと、この場に集まった人たちに言い聞かせるように、マキノは言う。

 かばっている。ユウキに超人としての疑いが掛からないように。


(どうして……どうして、こんな状況で他人のことが考えられるんだ)

 今までもそうして来たのだろうか。

 他人の為に、自分を犠牲にするような生き方を。

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