3
誰にも秘密はある。生きていれば、話せない秘密が。
悪の秘密結社ブラックカンパニーが世界征服を企んだ時、正義の戦士レッドバロンはたった独りで戦った。
十年に及ぶ激闘の末、勝ったのはレッドバロン。
悪は滅び、日本は平和を取り戻した。
その瞬間、改造人間は役割を失った。
争いの絶えない時代には超人にも価値がある。しかし平穏を迎えれば、人を超えた力を持つ改造人間など、ただの危険分子だ。
戦いから離れ、ユウキはふつうの人間として生きようと決めた。
だが履歴書には十年の空白がある。今まで改造人間として戦っていましたとは書けない。就職活動は簡単にはいかなかった。書類選考で幾度となく落とされ、ようやく見つかったのが倉庫のアルバイトだ。
これで日常に戻れる。二度と、自分が改造人間として戦うことはない。
いくら自分に言い聞かせても、過去は簡単には消えない。
忘れたフリをしても、まだ昔の夢を見る。
赤い仮面のレッドバロン、不死身の怪人サイドリル。
二人の超人が対峙する。夢の中でもあの日と同じ、雨が降り続いていた。
雨粒が体を打つ感覚がリアルだ。改造されたこの身体は雨の冷たさなど感じない。これは夢だ……
十年に渡る因縁、七度目の、最後の戦いの時。
稲妻が轟いた。それが決戦の合図となった。
レッドバロンがコンクリートを蹴る。時速にして2500キロ、マッハ2を超えるキックが電光となってサイドリルを襲う。
サイドリルは両手を交差させて防ぐ。ロケット弾の直撃さえ耐える装甲皮膚がキックで砕け、血しぶきが雨に舞う。
両腕を砕かれながら、サイドリルは倒れない。
叫び声をあげると、頭の角がうなりをあげて回転する。
必殺のドリルと化した角が、レッドバロンの心臓を貫いた――。
これは夢だ。
あの戦いの時、ドリルの一撃は当たらなかった。レッドバロンはドリルを避けて、必殺の亜光速アッパーでサイドリルを成層圏まで吹き飛ばした。
最後の戦いはそうして決着したはずだ。
それなのに夢の中で、ドリルはレッドバロンの心臓を貫いている。
――悲鳴をあげて、跳ね起きた。
全身が汗でぬれている。自分の身体を見る。変身はしていない。生身の、人間の姿だ。
ユウキは深くため息を吐いた。
(どうしていつまでも、あんな夢を……)
昔の夢を見ると、いつも憂鬱になる。いくら改造人間とはいえ、死と隣り合わせの戦いを十年も続けて来た。よく生き残れたものだと思う。
目覚まし時計を見る。時間は八時三十分。アルバイトは九時からで、ここから仕事場までは電車を乗り継いで二時間かかる。
悲鳴を上げて、ベッドから飛び降りた。
流し場で頭から水をかぶり、寝癖を直す。脱ぎ捨ててあったジーンズに足をひっかけ、急いで着替えた。
五分で支度を終えて、外へ飛び出す。だがどうがんばっても、遅刻だ。
こういう時……どうすればいいんだ?
普通の人間としての生活に不慣れで、遅刻の対処も思いつかない。方法として頭に浮かんだのはただ一つ、九時までに辿り着くことだけだ。
そうだ、間に合えばいい。電車で二時間の道を五分で行けば、遅刻せずに済む。
ユウキは覚悟を決めた。悠長に電車なんか乗っていられない。周囲を見渡したが、アパートの周りには誰の姿もない。
息を吸って、ゆっくりと走り始めた。車がギアを入れ替えるように、徐々に加速していく。数メートルのダッシュで時速二百キロを超える。眼前に塀が迫る――地面を蹴って、跳んだ。
ボン、と耳元で何かの爆ぜる音がした。
音速の壁を越えたユウキの身体は、一瞬で電線を潜り抜け、建物を飛び越え、冬の空気を切り裂いて数百メートル上空まで跳ね上がった。
突き抜けるような空、遮るもののない視界、眼下に広がる町……わずか数秒、舞い上がったユウキは数十キロの道のりを一跳びで越えた。
自由落下で駅ビルの屋上に落ちる。着地と同時に転がって、衝撃を逃がした。
屋上に誰もいないことを確認して、そっと胸を撫で下ろした。ここからバイト先の事務所まで、歩いても五分だ。身を乗り出し、二十階建てのビルから飛び降りる。
「なにをしてるの?」と、声をかけられたのは着地した直後だ。
ユウキは悲鳴をあげた。
マキノだ。マキノがすぐ真後ろに立っていた。
彼女は仏頂面でユウキを睨んでいる。
「え、あの……ちょっと……」
言葉に詰まる。着地した路地裏にマキノが居たとは、気付かなかった。
「早く着き過ぎたから駅の周りを散歩しようと……奇遇ですね……」
「屋上から飛び降りてたよね?」
「え、あの、あー、それは、ですね。ぼ、ぼくの趣味といいますか……コツを掴めば誰にでもできるって言うか」
しどろもどろになりながらも言い訳を考える。
「こう、着地の衝撃を分散させると言いますか、柔道の受け身のテクニック的なことで、六十メートルくらいの高さなら別に難しいことじゃなくてですね……普通の、ただの人間なら誰でもできるんです。ホントに」
「正体が知られてもいいの?」
単刀直入に言われた。
「ふつうの人間じゃないって気付かれたらどうなるか想像できる?」
まるでユウキの正体を知っているような、口ぶりだった。
「あ、あの。その、えっと……」
言葉が何も出てこない。
「あのね、正体がバレたらもう今の生活はできないわよ。世間から後ろ指をさされて、つまはじきにされて、こそこそ隠れながら生きることになる。それか、生きるために犯罪をしたりね。そういう人たちの受け皿だった悪の秘密結社はもうないんだから」
正体が露見した時の恐怖は、ユウキにだってわかっている。
世間から石を投げられるくらいでは済まない。
かつてユウキは、自分の信じる正義のために戦った。
地球の未来のために戦った。
言い分はユウキにもある。だが自分の身体は改造人間で、ふつうの人間とは違う。
戦いの中で犠牲になった者も、巻き添えで死んだ者も大勢いる。
大義名分があったのだと言い訳したところで、過去の罪は消せない。
罪に罰が与えられる前に、ユウキは世間から姿を消したのだから。
「ぼくは……」
言い訳が思いつかなかった。
「わかってるわ。別に、言わなくてもいいの」
すべてお見通し、とでも言うようにマキノがうなずいた。
「ユウキくん、あなた忍者なんでしょ」
「え!?」
「隠さなくてもいいよ。わかってるから。わたしの知り合いにも多いし」
「ち、違いますよ。なんですか忍者って」
「え、違うの? ぜったいそうだと思ったんだけど」
「違います。ぼくは子供のころに改造を……」
言いかけて、ハッと口をつぐんだ。
「改造人間?」
しまった。カマをかけられた。
「え、いや……」
「大丈夫、だから通報しようってワケじゃないし。あなた、ブラックカンパニーの元戦闘員でしょ?」
違います、と言いかけて今度は口にしなかった。
自分の正体を知られるわけにはいかない。いつまでも疑いをかけられるよりは、ブラックカンパニーの戦闘員だと思われていた方がマシだ。
「実は……そうなんです。遅刻しそうで、それで、ちょっと建物を飛び越えてきました」
「そんな理由で?」
呆れたようにマキノが言う。
「すいません」
「わたしに謝っても仕方ないでしょ。目撃者がわたしだけだからいいけど……まあいいわ。とりあえず行きましょ。バイト終わったあと、時間ある?」
関わりたくはなかった。だが、ノーと言うわけにもいかなかった。
どうしてだろう。
彼女の言葉には、逆らえない力を感じる。
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