もふもふ天国 イーブイDAYS

 夜7時半をまわった北新地は煌々とイルミネーションに輝いていました。ここは大阪屈指の歓楽街で、高給なバーや寿司店、小料理屋などがひしめいています。

 ランチ営業の多い昼間ならともかく、暗くなってから踏み込んだのははじめてでした。私はビールの中ジョッキをあけきった事がないレベルの下戸です。懐具合も至って寂しく、夜の北新地と私とはお互いを必要としない関係であると言って差し支えないかと思います。

 そんな私でも断言できます。

 その夜の北新地は違いました。

 煌々と照らし出された歩道を埋める人、人、人。

 いえ、それはおかしくないのかもしれません。音に聞くバブルの時代には御堂筋を三列駐車のタクシーが、北新地のお客さんを狙って埋めたとか聞きます。けれどそのバブルの光景はその夜の景色とはまるで違っていたはずです

 みんなスマホを見ています。

 静かではありません。かなりの人混みなのでざわざわしています。ただ、人数の割には静かです。

 そして何より、みんな素面しらふです。

 夜のそろそろ八時も近い北新地を埋める素面の群れ。これがどれほどの異常事態なのかは私にだってわかります。きっと空前の事態であるはずです。

 通りを徘徊する素面集団が手にするスマホには、茶色いもふもふしたポケモンの大群が、一様に映し出されていました。


 私はイーブイというポケモンが好きです。

 他でも書いたような気もしますが、知り合いに部屋を「イーブイの巣」とか「ブイズの洞窟」などと呼ばれる程度には、ぬいぐるみなども溜め込んでいます。

 そんな私はもちろんポケモンGOを嗜んでおりまして、ゲームは得意でないながらイーブイと一緒の散歩気分でぼちぼち楽しんでいます。

 で、ですね、そんなイーブイ好きな私のためにあるようなイベントがついに行われたのです。

 その名もイーブイコミュニティデイ。

 一応コミュニティデイというものについて説明いたしますと、これは月に一度一種類のポケモンを特別に三時間限定で大量に出現させるというポケモンGOのイベントです。併せてアイテムや経験値などの割増なども行われることから、ポケモンGOユーザーにはかなり人気のあるイベントになっています。

 その、八月のコミュニティデイの主役をイーブイが張るというのです。これは決して見逃せません。

 この八月のコミュニティデイはかなり変則的なものでした。

 まず、七月のコミュニティデイが移動になり、八月にありました。これは七月の台風から続く豪雨にコミュニティデイが重なってしまった結果、移動されたのです。同じく移動になったフリーザーデイ(レイドバトルというユーザーが協力して強いポケモンを倒すバトルの出現ポケモンが、全てフリーザーというレアなポケモンになるイベント。)と一緒に朝九時から六時間という長丁場で決行されました。

 それが終わってのイーブイコミュニティデイは二日連続である事は前から決まっていましたが、なんと夕方六時からの開催となったのです。

 ポケモンGOは位置ゲームと呼ばれるジャンルに属します。

 これはスマホのGPS機能を利用して、現実の世界を実際に移動しながら遊ぶゲームだということです。そんなゲームのイベントです。常識的に考えれば昼間に行われるのが妥当でしょう。しかしこの八月にはそうはいかない事情がありました。

 猛暑です。

 普通、コミュニティデイは正午から三時間で行われます。

 奇しくもこの時間帯は一日の最高気温が記録される時間でもあります。

 猛暑の最高気温の時間帯に、二日連続のイベント。

 誰が聞いたってヤバイ話です。

 先立って行われた七月のコミュニティデイが朝九時から六時間になったのも、猛暑対策としてのことでした。コミュニティデイとフリーザーデイは本来別のイベントです。それを強引にまとめて六時間という長時間のイベントにしたのは、途中で休憩を取りやすくしようという試みであったようで、その旨がアナウンスされてもいました。

 では、イーブイも同じように六時間のイベントにすればいいのではないか。そう思われるかもしれません。しかし、そうはいかない事情があります。

 そもそも、イーブイコミュニティデイが二日連続という形式になったのは、イーブイというポケモンの特殊性に起因します。

 イーブイは二段進化という一度だけ変化するポケモンですが、進化先が現在ポケモンGOに実装されているだけで五種類あります。そしてコミュニティデイには通常の色の個体に少数を混ぜる形で、色違いのポケモンが実装される事が通例となっているのです。色違いポケモンは進化させても通常と違う色の個体になります。

 ポケモンというコレクション要素の強いコンテンツにハマっているユーザーが、この「色違いイーブイシリーズ」のコンプリートを目指さないはずがありません。しかもこの五種類のうちの三種類はランダム進化、さらには未実装の進化系があと三種残っています。色違いはできるだけ確保したいと思うのが人情でしょう。

 さらには一部の進化系は連れ歩きポケモンに設定して十キロ歩かなければなりませんが、これは一匹づつしか設定できません。

 運営もそのあたりを勘案して、二日連続のコミュニティデイ開催に踏み切ったのでしょう。


 三時間で足りるはずがない。

 そんな事は最初からわかっていました。

 色違いの出現率は、実感で言えば二、三十匹に一匹程度。初日はたった五匹しか確保出来ずに終わりました。

 できるなら三十匹ぐらいは欲しい色違いですが、このままではぎりぎりの九匹を確保できるかどうか。九匹いたところで一度でも進化先が被ればもう揃える事は出来ません。せめて初日に十匹は欲しいと思っていましたが、色違いの出現はプレイヤーごとにランダムです。誰の助けも得られません。

 夜の事でもありますし、一人ではなく、よく一緒に遊ぶM先輩とこの日も一緒にまわりました。M先輩は私の影響でポケモンGOをはじめて、まんまと私のレベルを抜き去った人物です。私の部屋を犬小屋呼ばわりしてはばかりません。私の部屋にあふれているのはイーブイです。イーブイは犬じゃありません。

 このM先輩が腹立たしいことに、初日に色違いイーブイを十一匹捕まえていました。イーブイを犬呼ばわりする先輩に負けるなんて、あまりにもひどすぎます。

 私は二日目のリベンジをかたく誓いました。


 二日目は私の方が順調な滑り出しでした。

 それでも何匹も何匹も捕まえて、やっと一匹色違いにあたる程度です。一時間半かけて私は五匹、先輩は二匹の色違いを見つけました。

 ここで、突如先輩と別行動をとることになります。

 先輩はレイド戦(ジムという拠点に現れるレアポケモンを集団で倒して捕まえるミニイベント)に行きたいというのです。

 今日の私はイーブイしか見ていません。

 どんなレイドポケモンも色違いイーブイをたくさん揃えたいという欲望の前には無力です。

 先輩と別れた私は、北新地に足を踏み込みました。

 

 北新地は歓楽街です。

 大阪では最も「お高い」歓楽街として扱われています。東京で言えば銀座の位置づけということになるのでしょうか。

 この北新地は梅田では屈指のポケモン聖地にあたります。この場合の「聖地」はたくさんポケモンが出て、ジムもストップも多くて、遊びやすい場所だということです。

 私も昼間のイベントであれば、何度かお世話になっています。

 しかし夜。

 しかも週末。

 さすがにためらいました。

 どう考えたって場違いですし、迷惑です。

 しかし初日の成果の低さは私を少々揺らがせました。

 北新地をぐるぐる回遊するのはどう考えたっては迷惑だ。でも北新地を通って堂島アバンザまで行くぐらいならいいんじゃなかろうか。

 堂島アバンザは堂島にあるビルの名前です。中に茶屋町には負けるもののかなり大きなジュンク堂書店が入っています。

 話は変わりますが、このビルの表にはかなりアバンギャルドな球体の薬師堂があります。

 そのお堂がポケストップであるという以外本稿とは特に関係はないのですが、私はいつもそのお堂を見るたびに、成功した子供の建てたデザイナーズ住宅に住む老親を連想します。

 それはともかく堂島アバンザのまわりもかなりのスポットですので、そこを周回するだけでも成果は期待できるはずです。

 −通るだけ。通りがかりにちょっとイーブイ捕まえるだけ。

 内心言い訳しつつ北新地に踏み込んで、ちょっと驚きました。

 あまり広くない通りは人でいっぱいです。

 みんな素面でスマホを持っています。

 つまりは私のご同類です。

 (これ、営業妨害とか言われないかな。)

 まずそんな事を考えました。

 日曜日の夜にひたすらポケモンを捕まえる人の群れ。繁華街にとって迷惑以外のなにものでもないはずです。

 しかしさすがは北新地とでも言うべきか、店の関係者らしき人物が、「何が出てますか。」なんてポケモンユーザーに声をかけたりしています。

 前に風俗系無料紹介所の集まる通りで昼間にレイド戦があったときは、なぜだか警察官まで出ばってきて、追い散らされたことがあります。それを思えば実にフレンドリーな対応です。

 私自身は当初の予定通り、堂島アバンザへの道を辿ります。

 画面の中には次々に茶色いもふもふしたポケモンがあらわれます。イーブイです。

 歩きながらも片っ端からつかまえます。

 色違いはなかなか出ません。

 しかし前日よりはだいぶんマシです。堂島アバンザにつく頃には八匹の色違いイーブイを捕まえていました。

 アバンザまわりは北新地にも増しての人混みでした。

 ひたすら周回しながら捕まえます。

 「なかなかいいひんなあ。」

 「確率あげてくれよ。」

 あたりから聞こえる会話も心は同じです。みんなできるだけ色違いを確保したいのです。

 制限時間まであと十五分。先輩から近くまで来ているという連絡が入りますが、とりあえずイーブイです。先輩だってイーブイをおいて私が動くなんて思っちゃいないでしょう。なんといってもあと十五分です。

 制限時間時間いっぱいまで必死になって捕まえて、結局二日目に捕まえた色違いイーブイは十二匹でした。二日間のトータルは十七匹。連絡を取り合っているポケモン仲間の間では一番の成果でした。

 M先輩はトータル十六匹。

 からくも勝利を手にしました。

 

 さて、問題の色違い進化系の確保はまだおわっていません。

 とっとと進化系させればいいようなものなのですが、三匹目の進化で被りが出たことで、ちょっと怖くなってやめてしまいました。

 わりとヘタレなのです。

 しかも連れ歩けば進化先を固定できるはずの進化系の進化に失敗して、さらに被りを出した事でいっそう怖くなってしまいました。

 残りの色違いはイーブイのまま残すつもりの一匹を除いて五匹です。未実装の進化系は三種。

 あと二回、残り一種の進化系を私は揃える事ができるでしょうか。

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