かなり泥縄 阿遅速雄神社
ちょっと思いついたので、難波宮から阿遅速雄神社まで歩いてきました。
難波宮は海から見える高台にあったとかいう都で、前期難波宮の最後が天武朝の終焉と重なります。阿遅速雄神社はかなり古いお社で天武朝の頃にはすでに存在していたことがわかっています。
実は拙作「言の葉の陵」の中で、焼失した後の難波宮から阿遅速雄神社までを主人公の稗田阿礼と大安麻呂、そして藤原不比等が歩くシーンがあります。それで比較的近所ではありますし、ちょっと歩いてみたくなったのでした。
いや、歩くなら件のシーンを書く前に歩けという話です。自分でもそう思います。今更歩きに行くなんて、本当に泥縄としか言いようがありません。
しかも歩いてみても当時の景色を想像するのは無理でした。建物がどうとかなんて話じゃありません。当時と今とでは海岸線が全く違うのです。
タモリさんの目が欲しい。
心からそう思いました。
埋め立てたり、堀を掘ったり、地形をいじったらしい跡もあるようではあるのですが、私ではさっぱり見分けられません。ブラタモリを見るたびに感服しているのですが、そのうち古代の大阪湾海岸線について歩いてはもらえないでしょうか。シリーズで古代の機内の水運などやっていただけましたら、本当に嬉しいんですが。
まあ、でもはじめたからには初志貫徹、ちゃんと歩くべきでしょう。幸いそんなに遠くはありません。地図アプリも五キロ足らずの道のりだと主張しています。
で、歩いてきました。
歩いてから思ったのですが、このコースは逆の順で歩く方が優れています。阿遅速雄神社でお弁当を食べるのはかなり空気読めてない感じになりますが、難波宮跡は公園です。みんな普通にお昼ご飯を食べています。大極殿の柱の礎石(再現)を枕にお昼寝するおじさんなんかもいて、まことにのどかな光景です。
すぐそばには大阪城公園もあり、晴れてさえいればお弁当を食べる場所の心配をする必要はないと思います。
私の場合は難波宮から歩き出したので、進むに連れて住宅街に入り込んで行くような形になりました。
住吉大社に伺った時にも思ったのですが、大阪の海岸線の変わり方は本当にすごいものがあります。住吉大社も船で詣でたという昔の姿を想像するのはのかなり苦しいものがありましたが、今回はそれ以上です。阿遅速雄神社はかつての大和川の河口だったという放出にあるのですが、ここのどこが河口なんだかさっぱりわかりません。
ただ、古い町であるのはわかりました。
人の営みが積み重なった町に特有のパッチワークのような町並みは、地図アプリに従って歩いていても、ちょっとさまようような感覚が味わえます。ふと昭和風の長屋の前を通りかかったり、そうかと思えばいかにも現代風な三階建に建て替えられた家があったり、大きなお屋敷の面影を残す駐車場があったり、家並みを見ているだけでも飽きません。
道も、町割りも、幾度もつけ変わったらしい痕跡が見てとれます。道の先に家が半分だけせり出しているところなど、誰かぶつかったりはしないのでしょうか。
目指すお社はJRの駅のすぐ近くにありました。それほど大きくはありませんが、手入れの行き届いた立派なお社です。このお社にはとても興味深いいわれがあります。
天智天皇の御代に新羅の僧が熱田神宮におさめられている草薙剣を盗み出したことがあったそうです。僧は剣を祖国に持ち帰ろうと船に乗りましたが、一天にわかにかき曇り、大嵐に巻き込まれました。これは神剣の霊異かと恐れた僧は剣を海に投げ出し、剣は大和川の河口であった現在の放出に流れ着きました。剣を見つけた人々は剣を社におさめて大事に守り、やがて剣は朝廷経由で熱田に戻されました。
この話を初めて知ったとき、どこから突っ込むべきか悩みました。
よその国の神剣を持って帰ってどうするんだ。
怒ってる神剣をいきなり捨てるってどんな了見だ。
そもそもなんで坊主に気楽に御神体盗まれてるんだ。
等々。
しかも調べてみると天武天皇の死は草薙剣の祟りだという話があったのです。
神剣が盗まれたのは天智天皇の即位の頃。そこから壬申の乱を挟んで、天武天皇即位。祟りの発動までに子供が親になるほどの時間があります。わりと気の長い祟りです。しかも時の今上を弑する祟り。熱田に帰りたかったにせよ、もう少し穏やかな主張の仕方はなかったんでしょうか。
それとも天武天皇の治世のほとんどが災害だらけであったのが、祟りだというのでしょうか。それにしたって天智天皇の治世は特に災害だらけというわけでもなさそうなので結構謎です。
神剣を拾った里人が、それを大事に自分たちの祀る社に収める下りは、なんとなく鄙びた漁村っぽいイメージで最初は想像したのですが、地図を見て考えを改めました。難波宮からこれだけ近くて、しかも大和川の河口という水運の要衝。鄙びているわけがありません。今回歩いて見たことで、そこはさらに確信を深めることができました。
簡単に歩ける距離です。
高い建物のない時代ですし、難波宮の火事の炎や煙の立ち上るのが、阿遅速雄神社から見えたのではないかと思います。難波宮は放出の人々にとって、身近な存在だった事でしょう。
たどり着いた阿遅速雄神社で、個人的にちょっと嬉しいことがありました。
剣が熱田神宮に戻された年が朱鳥元年だったのです。朱鳥元年は天武天皇崩御の年です。当てずっぽうで作中で書いたのと同じ展開だったのでした。
そうです、そんなことも確認できないまま、実は書いていました。どれだけ泥縄なんだと言う話です。本当に当たっていてほっとしました。
駅前のお社は、それほど大きくこそありませんが立派なものです。きちんと手入れされ、信仰を受けているお社なのがひと目わかります。今でも熱田神宮から使者を迎える関係を保っているのだそうです。もちろん御朱印をいただきました。
以上、かなり泥縄な取材っぽい散歩の話です。お付き合いありがとうございました。
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