まるでドブネズミとハムスターの対比



 ベランダから繋がる部屋の中に婆さん以外の人影は無い。いくつか別の部屋へ繋がる扉の無い出入り口はあったが、その奥まで確認は出来なかった。

 俺はまず室内にまで置かれていた植木鉢の陰に、身を潜めた。それにしても、人間ってのは思った以上に可笑しな生物だ。当たり前に俺が身を隠すには打って付けではあるが、なぜこれほどまでに植物を可愛がるのか理解出来ない。外に出ればいくらでも木々はある。花だって咲き乱れている。それなのに家の中で植物を育てる事になんの意味があるのか? 俺がドブネズミだからその意味を理解出来ないのか、そもそも人間ですらその意図を分からずにやっているのか。もっと言えば外に生える植物はまるで厄介者の様に切り倒され、引き抜かれては踏み潰される。まるでドブネズミとハムスターの対比。ドブネズミ界で囁かれる人間七不思議の一つではあるが、いくら考えた所で、答えは出ない。

 猫と虎が似ているなんて言い出した阿呆ネズミの思考よりも不可解な人間の思考に嫌気がさした俺は、考えることを止めて当初の目的に思考を切り替えた。


「お昼にしましょうっ」

 いつの間にか歩幅の狭い婆さんが、食卓に腰を落ち着けていた。そのシワガレた声に反応して、歩幅は大きいが酷くノッソリとした動きの爺さんが、別の部屋から姿を現した。ほぼ初対面の俺はそのナマケモノすら急かしてしまいそうな爺さんの動きにモドカシさを感じたが、婆さんは茶か何かを啜りながらゆっくりと待っている。俺はなぜだか少しばかり、羨ましさも、感じていた。

「さぁ、いただきましょう」

 爺さんが食卓に腰を下ろして、婆さんの掛け声と共に二人は食事を始めた。食の進み具合を見ると、俺が目的のあれを探す時間はたっぷりとありそうだ。


 時間軸の狂った食事風景から目を逸らして、俺は爺さんが出てきた部屋に狙いを付けた。出入り口の向こうに、ベッドの端が見える。おそらく寝室だろう。俺の読みが正しければ、目的のそれは高確率でそこにある。

 俺は植木鉢の裏側から、隣に立つ背の低い棚の上に駆け上った。いくつも並ぶ写真立てや小坪の裏に身を隠しながら、寝室へ向かう。

「あららっ」

 可愛げなシワガレた声が、俺の耳に届いた。不器用な爺さんの食事に、婆さんが笑みを浮かべて対処している。いつまでも見ていられそうな光景ではあったが、俺は心をドブネズミ(鬼)にして、そこから目を背けた。

 俺が今から行う行為は、この老夫婦の平凡を、踏みにじる行為だ。だから微かな情も、抱く訳にはいかない。誰が傷つこうとも、誰が嘆き悲しもうとも、この世の全てに蔑まれようとも、少女が僅かにでも幸せになればそれで良い。俺はただのドブネズミな訳だから。気にもならない。


 老夫婦の穏やかな視線を掻い潜り、俺は寝室へ侵入した。部屋の中央には大きめのベッドが一つ。壁際に年期の入った衣類棚が、年期を感じさせない小綺麗さで、二つ並んでいる。そしてもうひとつ、俺の予想を確信に持ち上げる、化粧台があった。すぐさま、そこに向かった。

 化粧台の周りには、首に巻く鉄輪、ネックレスと言うらしいが、それが三つ程壁に掛けられている。裕福な家庭にあるそれと比べれば質素ではあるが、それでも無意味な輝きを放っていた。


 その輝きから目を逸らして、俺は化粧台に上がった。探す手間もなく、所狭しと並ぶ意味不明なモノに混じって、俺が求めていたモノは転がっていた。指に巻く鉄輪、そのまんま、指輪と言うらしい。くわしく言えば、俺の目的はそれに備え付けられた石ころ。

 ネズミ界で囁かれる人間七不思議の一つでもある、ただの石ころだ。人間はそれを身につけている。裕福であればあるほど、大量に。それはラクダの背にある不格好なコブや、やたらと威圧的なスズメバチの色味と同じぐらい、ドブネズミの俺としては理解に苦しむが、ネズミ界においても、それが多額の富に換わるというのは、周知の事実だ。質の良い食料を求める野心家のドブネズミなんかは、その石ころを大量に身につけた人間を品定めして、後を付ける事もある。他ネズミ事の様に言ってはいるが、若いドブネズミなら誰でも通る道だ。


 俺の目の前に、それが三つ転がっていた。四本の足が健在で若ければ、全部盗んでやりたい所だが、三本足の俺では、小さな口に一つ挟むだけで精一杯。別に落ち込む事もない。少女が喜んでくれれば、また明日にでもお伺いすれば良いだけだ。

 小さめの透明な石ころが二つと、大きめの青色をした石ころが一つ、それぞれ指輪に付けられている。俺は当たり前に、青色をした大きめの石ころをくわえ込んだ。ここで童話に出てくる善人の様に遠慮や御託を並べ、小さな石ころを選び奇跡を呼び寄せられる程、現実は甘くない。現実ってのは、命を助けた恩返しに貰った木箱の蓋を開けると、絶望が飛び出してくる様なモノだ。まさしく、身も蓋もない。ならば大きめの青色を選ぶ事に、なんの躊躇も必要ない訳だ。欲望は果てしなく、抑えることに意味はない。ドブネズミの本質だ。


 食卓からは、爺さんの立てる不必要な物音と、それに比例する婆さんの気遣いが漏れている。その心地よい耳障りに少女の老後を思い馳せたが、後先短い老ドブネズミが一々感慨に耽る事もない。俺はただ、正義を振りかざし罪人を処刑する執行官や、はたまた正義を振りかざし大量殺人を犯す罪人と同じように、少女の為という正義を執行する。

 用が済めば長居は不要だ。俺はすぐさま化粧台を降りて、這いずった道を戻る。やはり老夫婦は食事に夢中で、俺に気づく気配は、欠片も感じられない。


 すまない。

 食卓からベランダへ出る直前、未だ胸に巣くう昔の俺が、謝罪なんかを口にしやがった。何も悪いことなんてしちゃいない。俺は罪悪感を振りに振り払って、羨ましい程の平凡に、貧相な尻尾を向けた。



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