コオロギの死骸よりは幾分も美味い




「ねぇピーター、どうしてお婆さんは私の事がきらいなの?」

 少女はガタツいた木の椅子に腰掛けて、いつものように色味の薄いスープに入った豆を一粒、俺に差し出す。ピーターってのは俺の名だ。元ドブネズミに名前なんて必要無かったが、今は気に入っている。

「チューチュー(二、三日放っておけば勝手に死ぬさ)」

 俺は豆を受け取って一カジり。まぁ、下水で食べたコオロギの死骸よりは幾分も美味い。


「でもねピーター、お婆さんは私が居ないと死んじゃうんだよ。だからお婆さんも本当は私の事が必要なんだと思うの」

 少女はいつもの台詞を口にして、確信を得たような笑みを浮かべた。客観的に見れば笑っているようには見えないが、付き合いの長い俺からすれば笑っている。

 まぁ、気持ちは分かるさ。母親も父親も居ない。婆さんが死んでしまえばこの薄汚い家に独りぼっちになってしまうからな。そりゃ俺が居るっちゃ居るが、どれほど背伸びをしても元ドブネズミだ。


「チューチュー(君もこの家を出れば良い。婆さんを介護したって何の得にもなりゃしない。あんな偏屈)」

「そうよね、お婆さんだって本当は私が居ないと寂しいんだわ。ありがとうピーター」

「チューチュー(十三にもなれば町で働いているヤツだって居る。商店の配達だって酒場の給仕係だって出来る。お金も稼げて知り合いも増えるさ。ここで婆さんの相手をするより大分マシだ)」

「私もそう思うのピーター。私がお婆さんの世話を頑張れば、お母さんも戻ってくる。そしてまた皆で暮らせるわ」

「チューチュー(好きにすればいいさ)」

 

 会話が噛み合うことは少ない。当たり前に俺は元ドブネズミで、少女は人間だからだ。俺は人間の話す言葉は理解できるが、話せる訳じゃない。そして何度も言うが、ネズミ語を理解出来るような奇跡に、少女が選ばれる確率は極端に低い。火も使わずにフライパンでホットケーキが焼き上がるほどには、低いと思っている。 


「あっ、早く食べなきゃ。今日はグリーンハンデ先生のお勉強会があるの」

 少女は蒸かし芋を一摘み俺に差し出して、残りを慌てて食べ始めた。

「チューチュー(そうさ、勉強はしっかりやるんだ。奇跡は起こらないと俺は見てる。だから自分で頑張らなくちゃいけない)」 

 そういって俺は蒸かし芋を一カジり。薄味だが干上がったミミズの死骸よりは旨い。

 

 少女はすぐに蒸かし芋を食いきって豆のスープを飲み干し、最後にまだ蒸かし芋を食い終わってない俺に一粒の豆を指渡して、着替えを始めた。俺は元ドブネズミでも紳士な訳だから、体の向きを変えて殺風景な外の景色に目を向ける。

 

 少女は月に二回町の広場で開かれる金の掛からない勉強会を、とても楽しみにしている。習っているのは小難しい計算式と文字の書き読みらしい。単純な計算なら元ドブネズミの俺でも多少心得はあるが、文字という概念が頭に定着しない。意味は分かっているが、その文字がどうなって何になるのか、全く分からない。たくさんの線にしか見えないんだから仕様がない。

 逆に言えば人間にドブネズミのご馳走を理解して貰うようなモノだ。例えば排水溝に絡まった羊肉とか、四十代の中年男性が切り取った足の爪とか、お腹を壊した馬の……もう止めておこう。別に理解して貰おうとも思わない。

 

 よしっ という少女の声が聞こえて、俺は豆を頬いっぱいに詰め込んだまま振り返った。

「ホッペタパンパン」

 見窄みすぼらしい寝間着から見窄みすぼらしい外出着に着替えた少女が俺の顔を見て笑った。これぐらいで辛い日常を少しでも忘れてくれるなら、頬ぐらいいくらでも膨らましてやるさ。

「じゃあ行こうかな」

 少女は空になった皿と布がほつれまくっている肩掛け鞄を持って部屋を出ていった。その背中を見送ってから、俺は取っ手の壊れたボロ洋服ダンスの裏に空いている壁の穴から外に出る。これから食後の一仕事だ。

 

 俺は元ドブネズミだが義理堅い。タダ飯喰らいに成り下がるつもりはない。ちゃんと仕事をして自分の居場所を確保しているつもりだ。まぁ簡単に言えば町へ出掛ける少女の身を守る気高き騎士、それが俺だ。

 

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