焼きが回る

 ふと目を開けると、見知らぬ天上があった。


「おじさん、起きた?」

 私は声のする方へ視線を合わせる。その先には少年の顔があった。

「ママ~、おじさん目覚ましたよ」

 私は起き上がり、周りを見渡す。

 暖炉に燃える薪がパチパチと音を立てている。微かに食べ物の匂いがしていた。

「大丈夫? おじさん、雪の中で倒れていたんだよ」

 そっか私は戻ってきてしまったのか。

「これ、おじさんに返すね。大事な物なんでしょ?」

 少年が金メダルを私の前に差し出す。

「これは君にあげたんだ。いらなかったか?」

 少年は首を横に振る。

「でも、こんな大事なもの貰っちゃ駄目だって。ママが」

 そう言うと少年は俯いた。

「そっか、悪かったな」

 私は少年の頭を撫でた。

「ねぇ、おじさん足早いの?」

 今度は目を輝かせて聞いてくる。

「昔はな」

 私は視線を遠くに移して返事をした。

「そしたら教えてよ。ボクもっと速く走りたいんだ」

 少年は私の期待に満ちた瞳を見ていられずに視線を逸らした。


「ハワードさん、目を覚ましましたか? ジョセフがあなたの事を見つけた時はびっくりしました。こちらをどうぞ。温まりますよ」

 女性の声が聞こえる。彼女は私にマグカップを差し出す。

「ありがとう」

 私はマグカップを受け取り口へ運んだ。コーンスープだろうか。久しぶりに飲む味わいだった。一口飲むと体の内側から温もりが発生してくるのが伝わってくる。

「あなたが私を運んでくれたのでしょうか?」

 私は彼女に質問する。

「いえ、運んだのは主人や近所の人です。どうしてあんな所に……」

「助けてくれたのには感謝します。ただ、申し訳ないが私はそんなに優しくされる価値はない……」

「そんな、あなたはこの町の誇りですよ」

 俯く私を彼女は寂しそうな目で見つめていた。


「ねぇ、どうやったら速く走れるの?」

 ジョセフは私の体の上に手を置き、目を輝かせている。

 私はその目に驚き、かつての自分を思い出していた。

「ジョセフ、ハワードさんは疲れているのよ」

「いや、構わない」

 私はジョセフの目をしっかりと見つめる。

「速く走りたいのか?」

「うん」

 ジョセフは間髪入れず返事をする。その言葉の覇気には迷いを感じなかった。

「ハワードさん、こんなことをお願いするのは失礼かもしれませんが、ジョセフに教えてあげてもらえないでしょうか?」

「私はもう走ることはできない」

「違うよ、走るのは僕だよ」

 ジョセフは少し口を尖らせている。

「ジョセフ!」

 私はジョセフの表情を見て少し表情が緩んだ。

「少し走ってみるか?」

「ほんと!?」

 ジョセフは私の手を引っ張り、外へ行こうとする。

「ジョセフ! いい加減にしなさい」

 彼女は再び声を上げる。

「大丈夫」

 私は立ち上がり、ジョセフに引かれて外へ出た。


「見てて!」

 そういうとジョセフは家の前の通りを駆け抜けていく。

 ジョセフの姿はどんどん小さくなり、そしてまた大きくなった。

「はぁ、はぁ、はぁ、どう?」

 私の前まで戻ってきて息を切らしながら聞いてくる。

「まだまだだな」

 そういうとジョセフは少し下を向いてしまった。

「だが、素質はある」

「ほんと!?」

 ジョセフは私の方を見上げて、顔を赤くする。目は大きく見開き、何かを期待しているようだった。

「僕も金メダルとれるかな」

「練習すればとれるかもしれないな」

 私は「かもしれない」という言葉の残酷さを知っている。現実を教えた方が良いのか? ただ思わなければ届く可能性すらない事も同時に知っていた。


 私はジョセフに手を引かれて公園まで歩いて行く。

 しばらくはこの生活も悪くはないかもしれない。

「まったく、俺も焼きが回ったものだ」

 そう思う自分のことを少し笑っていた。



* * * *



ショートショートですが9話から読むと繋がってます。

こちらには「お題」は入ってないです。


こちら単体でもいけるはず……

最後に自分の事を「かもしれない」と言っているのは自虐的だったかもしれない

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