第5話
それから、数日後の事だった。
私とIは、Aの通夜に参列した。
Aは二月十六日の未明に、心臓まひで死亡した。ベッドで一人もだえ苦しんだのちに、誰に看取られることもなく、息を引き取ったという話だった。心臓まひが起こった原因についてはよく分かっていないという事だった。ただ、殺人でもなく、もちろん自殺というわけでもないという事だった。
そのため、遺族はやむに已まれぬ気持に苛まれ、葬儀の際も、その後も嘆き悲しんでいた。
通夜のあと、私とIのところへAの母親がやってきた。
生前、Aと一番仲良くしていた私たちに話があるという事だった。
Aの母親は、泣きはらした顔をハンカチで拭うと、私とIに鋭い視線を向けた。そして、しわがれた声で言った。
「お願いだから、教えて。何か、何かちょっとでも変わったことはなかったの? あの時ね、あの日、あなた達一緒に帰っていたのでしょう? なら、変だなって思うことなかったの? 何でもいいのよ、何でも! あの子の様子じゃなくても、何か、ねえ、何かないの」
私とIは、Aの母親の剣幕に押され、一言も口を開くことが出来なかった。次第に、私たちの態度に苛立ちを募らせたAの母親は、私の両手を掴んで激しく揺さぶった。
私は、ただ恐怖した。
Aの母親はとても優しい人だった。しかし、その時私の目の前にいたのは、他でもない行き場のない怒りをぶつけるところを探す、ただの鬼である。
ようやく私とIが解放されたのは、Aの父親がAの母親をなだめにやって来てくれたおかげだった。Aの父親はことのほか冷静であるように見え、Aの母親を控室に下がらせると私とIに頭を下げた。
「本当に、すまないねえ。こんなことになってしまって、彼女も自分の気持ちをどうしたらいいのか分からないんだよ。誰を責めればいいのか、それがはっきりしてたら、私もまだ楽なんだけどねえ」
Aの父親は独り言のようにいった。
私たちはなおも黙ったままだった。
Aの父親はもう一度私たちに頭を下げると、踵を返して歩き始めた。その後ろ姿に、私はあの日のAを重ねた。私たちが二度とは見ることのできないAの後姿に、私の感情は高ぶってしまった。
「あの、十四日に」
私の言葉に、Aの父親は振り返った。
私は続けた。
「十四日に、何か変わったことはありませんでしたか?」
Aの父親は、顎に手を当てて少し考え込んだ。しばらくしてから言った。
「そうだなあ。特に何もなかったと思うけれど、そう言えばチョコレートを貰ったと言って大層喜んでいたような気がする。私は、市販の板チョコにリボン何ておかしいから、きっと悪戯だろうと言ったんだがね、それでもすごく、喜んでいたよ」
Aの父親は、遠い眼をして語った。
私は言う。
「それ、だけですか?」
「ああ、そうだが」
私は、背筋が凍るのを感じた。
「それが、何か?」
私にはもう二度とAの父親と目を合わせることが出来なかった。
「いえ、何でも、ないです」
それが、精一杯だった。
私とIは、通夜の席から一緒に帰った。
夜道を歩きながら、二人の間に以前のような楽しい会話はなかった。何も言う気にはなれなかった。それは、Iも同じだったらしく、例の三叉路に差し掛かるまで私たちは一言も口を聞くことはなかった。
三叉路は、私とIとAにとっての分かれ道だった。
あの日もここで別れた。
Iと私は三叉路で一度足を止めた。
私は、こらえきれなくなって言った。
「なあ、やっぱりこれって」
Iは激しく取り乱した。
「いうな! 何も、言うんじゃない!」
「けど、どう考えてもおかしいじゃないか。あいつは、もう一つチョコレートを持っていたんだぞ? それなのにどうして、あいつの父親は、二つ目のチョコレートのことを知らない風だったんだ! お前だって、あいつの性格は知ってるんだろ。だったら尚更、手作りの方のチョコレートを両親に自慢しないなんて変だよ。それに、それにさ」
「それ以上は、ダメだって、言ってんだよ!」
Iは、私の胸ぐらをつかんで言葉を止めさせた。
どうして、という言葉を言おうとして、唇を動かすと、Iは私の頬を思い切り殴った。私は、地面に倒れ込み、殴られた痛さに涙を浮かべて頬を抑えた。
「やめろ。本当に、それはだめだ。お前の気持ちは分かる。俺だからわかる。あの時一緒にいたんだ、分からないわけないだろ。けど、だからこそダメなんだ。これ以上深入りしたら」
Iは、眉を寄せた。そして、彼の頬を涙が伝った。Iはまるで女の子のように、両腕を抱いて震えていた。
私は、歯を食いしばって無言のまま、涙した。
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