Mercury and the Woodman

 これから辛いことも傷つくこともあるだろうけど、俺は諦めない。もう、拗ねたりしない。

 今日のこの日を一生忘れない。今日の俺に、そして皆の笑顔に、恥じぬように頑張ろう。

 じゃあな。またどこかで。


 熱くも切ないモノローグをしながら感慨にふけっていた俺は思考を切り替えて、壁際に小さく座って俯いている堀北の顔を見に行く。

「どうしたんだ? 焼きそば、食べたかったんだろ? 柄にもなくめそめそしちゃってさ」

「うまかったよ焼きそば。さっきもいっただろ。はぁ」

 ため息混じりに呟く。

「劇の役がさ、すげえ難しいんだよ」

「へえ、どんな役なんだ?」

「あたしと真逆のタイプ。大人しい、たおやかな、美少女系」

「それは難儀だな。まあお前も、び、美少女ではあるけど」

 勇気を出してキザなことをいってみた。

「え? なんかいった?」

「……お前も鈍感ヒロインか」

 がっかりだよ。

「からかうなよ。お前のヒロインは戸泉だろ?」

 その声には、愉快そうで、けどどこか咎めるようなおもむきがあった。

「聞こえてたんじゃねえか……」

「うるせー」

 こつん、と頭を叩かれた。俺はむずがゆい気分になる。

「戸泉とさ、最近仲良さそうじゃん。よかったな」

 それは鈴江にもいわれたことだった。レイナさんと、俺が……。最初は随分拒絶したものだったが、最近は割と仲良いのかもな。

「そう、見えるか?」

「見えるよ。前からそうだよな。喧嘩でもしたかと思ったけど、すぐにまたくっつきやがって」

「ははは。そうだな」

 我ながら渇いた笑いだった。

 いいのかな。麗奈じゃないのに。麗奈がいなくなって、そしたらレイナさんと仲良くなって、自分が軽薄で薄情な男に見えてくる。

嘘か真か不明だけど、もうすぐレイナさんは麗奈に戻るらしい。それはきっと良いことなんだろう。俺の前から消えてくれだなんて、レイナさんに対してもう思ってないけど、俺には麗奈が恋しいよ。会えるものなら、早く麗奈に会いたい。

「お前なんかメチャクチャいってたもんな? 戸泉は偽物だとか、あれ何だったんだ?」

 丁度よくその件についての質問が出た。俺は自分の考えを整理する意味も兼ねて、言語化することを試みてみる。

「あれは本当のことなんだ。今のレイナさんは偽物で、でも麗奈の記憶もあって。偽物だからといって心が無いなんてことはなくて。俺はレイナさんを傷つけて、レイナさんは俺を許してくれて。あれ? 許してくれたっけ? うやむやになったんだっけ? ん? とりあえずもうすぐでレイナさんは麗奈に戻るらしいんだ」

「は?? ちゃんといいたいことをまとめてから喋れ」

 俺の説明がしどろもどろ過ぎて若干堀北はキレている。しかしそう簡単に説明できる問題じゃあないんだよ。いいたいこと……俺のいいたいことって、一番優先してることって……

「いや、今はまだまとまんないわ。事の経過を見届けてからじゃなきゃ。全てが終わってからじゃなきゃ、俺には分からないよ」

 堀北は始終頭痛がしているように眉を寄せながら俺の話を聞いていた。

「あ~そう。変な奴だな、お前」

「うん。本当変だよ。それと変な奴はもう一人いるんだ」

「は? それはあたしのことじゃあないだろうな」

「違う。鈴江だよ、鈴江姫香」

「ああ。あのバレーボールの転校生」

 鈴江の存在って意外と当たり前に認知されているんだな。

「あいつが俺と同じこといってた。偽物って……しかも俺より知ってることが多そうで。そんであいつはレイナさんを元に戻すっていってた」

 眠そうに目をつむりながら堀北は俺の話を聞く、いや、聞き流している?

「眠いのか? まあ疲れてる時にこんな荒唐無稽なデタラメを頭に入れたくないよな、はは」

「いいよ」

 と、堀北は閉じた瞼を動かすこともなく薄い唇だけを動かして、

「あんたが大変な状況で。あたしに打ち明けて少しでも楽になるんなら、好きにしろよ」

 けどどう考えても、その口調には疲労と眠気が充ち満ちていて。そんな、バイトが忙しくても彼女へのサービスを怠らない年上の彼氏のような堀北の男前っぷりに、俺は胸が高鳴るのを禁じえない。

「ありがとう。なんでかな、堀北には何でも話せる気がする。信じて欲しいなんて贅沢はいわないけど、聞いてくれるだけで、ほっこりする」

 俺は、さながら少女漫画のヒロインが憑依したように、ぽつりと呟いた。

 甘い台詞の応酬ならあたしに任せないといわんばかりに、ドヤ顔で堀北は、

「信じるさ。だって、あんたのいってることよく分かんないけど、マジみたいだからさ」 

「……それ、前もいってたな。台詞の使い回しか?」

「ほう、あんたはあたしの台詞を一つひとつ覚えてるわけ?」

 ぐっと肩を寄せてきた。しかしそれは全然ロマンティックじゃなくて、むしろ挑むようだった。

「そゆわけじゃないけど。特に印象的だったから」

「だからといって使い回しはないだろうが。ったくよー」

 最後にそう悪態をついてから、つと堀北は立ち上がった。

「もう帰るわ。面倒だからジャージのままかーえろっと」

 ふと思い浮かんだ台詞を俺も口に出してみることにした。それは、堀北にならって、使い回しの台詞だった。

「堀北、ジャージ似合ってるぜ」

「それ誉め言葉のうちに入らないからな! バカやろう!」

 不良少女は頬を赤らめて不機嫌そうに教室を去った。てかあいつ、本当に不良少女なのか?


 堀北が帰るのをきっかけに女子Aも一緒に帰って行った。女子Aは堀北に懐いているらしく、さっきも俺と堀北が二人で会話している様をチラチラと見てきたのだ。

 残った者たちの間にも解散の雰囲気が漂い、色々と片付けをしてから、――といっても軽く机の並びを整えたがけだが――三々五々に散って行った。俺はレイナさんと二人きり。暗闇に包まれた田んぼ道の中で、スピードを出すわけにもいかず、ゆっくりと自転車を漕ぐ。風が少し冷たい。忘れていた冬の寒さが近づきつつある。冬の寒さに慣れる頃には、うだるような夏の暑さのことを忘れてしまうのだろう。そうして季節の色彩を、人の顔を、覚えて忘れてを繰り返していくうちに、大切なものが心に刻まれていく。俺にとって大切なのは麗奈とピザパンのレシピだ。


 薄く墨を塗ったような黒雲垂れ込める朝。早すぎも遅すぎもせず普通に家を出た俺は、近頃の高校生らしい青春の毎日に安堵しきっていて、注意力が散漫だったのかもしれない。突然目の前の道に飛び出してきた黒い物体に衝突してしまった。黒い物体は苦しい悲鳴を上げて倒れた。俺も自転車ごと横倒しに倒れた。

「……どこ見てんのよ?」

「お前が急に前に出てくるからだろ!」

 この場合どっちが悪いのだろうか。たしかに俺はぼんやりしていたが、余所見をしていたわけじゃない。その証拠に、衝突寸前にブレーキをかけたし。おかげで俺もこいつも深いダメージを負わずに済んだ。そう、こいつが悪いのさ。この、黒マスク少女こと淡雪ゆこが!

「淡雪ゆこ! またお前か。一体何の用だ」

 ふるふると震える足を踏ん張らせて俺たちは立ち上がった。

「最低。女の子を自転車でひくような男はロクな男じゃないわ」

 なぜか淡雪ゆこをひいてしまったことに罪悪感を覚えなかった。しかし彼女の制服に地面に擦れた跡がついてしまっているのを見て、少々負い目を感じた。

「てかお前今日も制服かよ。家出少女って普通制服を着るものなのか? てかどこかに泊まれたのか?」

「疑問文ばっかりでウザいんだけど」

 キッっと鋭い眼光で睨んでくる。目は口程に物を言うよな。特にこいつの場合、常に黒マスク装着してて口が見えないから余計に。

「なんか凄く棘があるんだけど。泊めてやらなかったからか? けどそんなのお前が家出するのが悪いんだし」

「それは別にいいわよ。それより女の子を自転車でひいたことを棚に上げて話題変えてんじゃないわよ」

「ひいたっていうか、ひかれるような危ないことをお前がするからじゃん」

「ふん。まあそれもいいわよ」

 いいのかよ……。あ、こうしてる間にもどんどん時間が過ぎていく。朝の時間の流れは物理的な実感? を伴うくらいに速い。

「話があるなら、歩きながらにしようぜ。このままだと遅刻しちまうからな」

 そう促して、ゆっくり自転車を押す。淡雪ゆこはとぼとぼと後をついてくる。

「学校……良いね、学校に通えて。普通に暮らせているんだね」

 その言葉には、どこか物寂しい響きが含まれていて。敏感な俺はそのことに思いを巡らわさずにはいられなかった。一体こいつに、何があったんだろうか。

「何いってんだ? そんなに学校が恋しいならさっさと自分の家に帰ればいいだろ」

 そんな薄っぺらい助言めいたこといっても解決には繋がらないだろうと思いながら。歩く。

 淡雪ゆこは……とフルネームで呼ぶのは舌に負担がかかるから、もっと短い呼び方を決めよう。

「俺、お前のこと何て読んだらいいかな?」

「えっと。ゆことか、ゆっことか、雪とか。かな」

「じゃあ、雪にするわ。お前は真智でもさそりでも好きに呼んでくれ」

「じゃあ、さそり」

 付き合いたての初々しいカップルのような通過儀礼を経て、晴れて互いの呼び方はここに決定した!

「雪は昨日どこか泊まれたのか? まさか野宿とかしたんじゃ」

 ちなみにウチのクラスの女子Aの趣味は野宿をすることらしい。

 雪は左右に軽く首を振って、

「優しい人に見つけてもらったから大丈夫。その人はこの街に来て最初に会った人で、連絡したらすんなり了承してくれた」

「そうかい。悪かったな、心が狭くて」

 きっと俺の顔には自嘲の色が浮かんでいたことだろう。それを察してか、雪が言下にフォローを差し込む。

「そんなことない! さそりは、よく出来た人間だと思う! 少なくとも今まで私が見てきた人の中では」

「よく出来た人間?」

 斜め上を行く称賛に、上手く喜べない俺。かえって半信半疑になってしまう。

「お前は俺を貶したいのか褒めたいのかどっちなんだ」

「それはとても難しい質問……」

「ああ、そう。けど泊まれてよかったな。優しい人って誰なんだ?」

 狭い街だし、俺の知ってる人かもしれない。

「鈴江姫香。あなたたちのクラスメイトなんでしょ?」

「え⁉ 鈴江、お前鈴江の家に⁉」

 鈴江は一人暮らしらしいし、本人の裁量で家出少女の保護くらいできるもんな。

「へえ~。狭いんだな世間は」

「はん。ここが田舎だからでしょ」

 たまに雪は毒を吐いてくる。次第に雪の性格が掴めてきたかもしれない。

 やばい、そろそろ本気で急がなくちゃ遅刻する。

「ちょっと時間ないから、行くな。んじゃ! あんま鈴江に迷惑かけるなよ~」

 俺はサドルに腰かけて勢いよくペダルを踏み込んだ。

「え! まだ話してない大事なことあるんだけど⁉」

「それはまた今度な!」

「今度っていつー?」

「今度は今度だー」

 雪の声を遠く聞きながら俺は学校へと急ぐ。


 文化祭委員である俺の仕事はピザパン係。皆に手料理を差し入れする役だ。放課後、クラスメイトたちが劇の練習に取り組んでいる間、食材を買い出し調理してから学校に持って行くのだ。まったく骨が折れる。部活のマネジャーがレモンの蜂蜜づけを作ったりするのを、よくスポーツ漫画で見かけるがあんな感じだ。つまり俺はマネージャー? 

 そんな料理とは関係ないことを考えながら、本日はローストビーフを作った。前日にしっかり仕込んでおいたし、味には自信がある。皆喜んでくれるだろう。

丁寧にタッパーに詰めて、大きめのビニール袋に入れる。それを自転車のカゴに乗せて慎重に運んでいく。今度は人をひかないように安全運転も心がける。

教室のドアを開けた俺の目に飛び込んできたのは、意外な人物だった。

「あ~このコ鈴江さんの家に居候してて、真智君の友達なんでしょ~? ちっこくて可愛いね」

 そういって女子Aは雪の頭をぽんぽん叩いた。この状況を理解できない。

「雪、何してんだ? 学校まで来るなんて」

「いいじゃん。もう放課後なんだから。それより、さそり料理作ってきたんでしょ」

「お、おう。お前心臓強いな」

 不法侵入だろ。

「ゆこちゃん、さそりくんの料理は練習終わってからね? それまで大人しく待っていられるかな?」

 と、レイナさんが噛んで含めるようにいった。

「はーい!」 

 こいつの褒めるところはその元気の良い返事だけだ。


 劇の練習中、こそこそと雪が話しかけてくる。

「さそり。私はあなたに大事なことをいわなきゃいけない」

「……今ここでか? どうせなら場所を変えないか? まあ、場所を変えることのほどでもないんだろうけど」

 どうせ大した用事じゃないだろ。

「さそりが場所を変えたいなら構わないよ。私はそこには特にこだわらないから」

「うん、とりあえず話してみろよ」

 逆に、劇の練習をしてるとこで隅っこでこそこそ話してたら迷惑かもしれないが、どうせ軽い用事だろうし。

「まず、イソップ寓話の金の斧の話って分かる? それを知っていたら話は早いんだけど」

「あ~あの、きこりが泉に斧を落とすやつな。それがなんだ?」

 現在教室の中心では激しい劇の練習が繰り広げられている。皆かなりの熱意がこもっている。

 そんな熱気とはうらはらに、雪はどんどん神妙な面持ちになって、

「知ってるね。じゃあさ、金曜の夜に放送してる某国民的アニメの某ガキ大将キャラが、金の斧の話をモチーフにした泉に落ちて……っていう回があるんだけど。それは観たことある?」

「分かるよ。アニメでも観たし、原作も読んだことある。お前がいおうとしてることってのは、つまり……」

 雪は軽く頷いた。そして黒マスクを通して声を紡ぎ続ける。

「その泉がね、現実世界にも存在しているの。戸泉麗奈は、その泉に落ちた」

 頭のてっぺんに鉄の楔を打ち込まれたような強い衝撃を覚えた。

 もう一度聞いても理解できないだろう。たとえ百回聞かされても絶対に否定するだろう。

 俺は注意深く言葉を選びながら、

「あのさぁ……俄かには信じがたいな~。そ、そんな非現実的な出来事が起こるわけないじゃん。今は科学の時代だぜ? 合理主義の天下だ。ふざけたこというなよ……」

「心当たりない?」

「あ、あるかそんなもん」

 といいつつも、俺はかつてない動揺をきたしていた。

 非現実的な出来事。超自然的で世界の法則的にイレギュラーな事態。パラレルワールド。俺だってありえない可能性をいくつも挙げてみたことがあるじゃないか。だって、現実の法則に則っていちゃあ説明できない。ホントの本当に、雪の、この謎の黒マスク少女の話したことは真実なのか?

「雪、お前、どうしてそんなこと知ってるんだ?」

 雪は微かに目元だけで笑って、

「だって、私はずっとそのことを調べてきたから」

「そ、それは答えになっているのか?」

「信じて……もらえないかな。私結構真剣だよ?……」

 堀北だったならここで例のあの台詞をいってのけるはず。ちなみに堀北は今そこで――ステージに見立てた教室の中心で――自らの性格と真逆の役を演じるのに苦心している。恥じらいの乙女の役だ。

 しかし俺は、いくら雪が真剣であろうと疑わずにはいられない。そんな半信半疑のままに、

「つまりこういうことか。麗奈は泉に落ちて、代わりに出てきたのが、あの綺麗なレイナさんだって」

「そゆこと」

 え……そんなのって、あるの。

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Aeolian Harp @kourui

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