いい最終回だった

「そこのお兄さん。空の買い物カゴ持って何してんの? ここにお菓子入れていいの?」

 寸刻前の追憶にふけっていた俺に、また誰か年若い少女が声をかけてきた。

 そいつは俺の持ってる買い物カゴの中に、勝手に大量のお菓子を投入していて、

「お、お前何してんだ⁉ バカじゃねえのか!」

「……っ! 初対面の女の子にそういうこという? 最低」

 冷然といい放って、目元だけで微笑するこの少女は、たしかこの前の……

「く、黒マスク⁉ 見覚えるあるぞお前には」

 そうだ。俺は先日レイナさんとデートをしていた最中にこいつを目撃した。しかし、あの時みたく悲壮な感じはしなかった。むしろ今のこいつの性質は逆だろ。

「そうよ。私はあなたを探しにここまで来たのだから!」

「俺を探しに⁉ な、何いってんだ……」

 怖い。ストーカーかな? 今すぐ逃げた方がいいかな? そろそろグサッと刺されるんじゃ?

 黒マスクの少女は爛々と瞳を輝かせ、ぐいっと身を乗り出してきた。俺は身を翻して立ち去りたいのだが、足元が床に縫い付けられたように動かない。

 鈴江の意味深な言葉を思い出す。例の、詳しいコって……

 もう一度まじまじと目の前の少女を眺めてみる。黒マスク、黒い髪、黒いセーラー服。どこか知らない学校の制服だ。身長が低いから中学生か高校生かは判別不可能だ。

「ねえ、私、」

 少女はやけに艶めいた唇から言葉を紡ぎ出す。きっとなにか衝撃的な発言を口にするつもりだ。レイナさんに関する秘密を、いうのか⁉ 今! ここで⁉

「お腹空いたよ~~」

 よろめいて俺の胸へと倒れて込んでくるそいつを、ふわっと受け止めた。その体の軽さとか、色々なことが拍子抜けだった。なんやねん。

「ど、どうした?」

「探しに来たの。君を……歩いてきたの……幸せにしてあげて。助けて。朝ご飯しか食べてないの」

「あ、朝ご飯しか食べてないのか⁉ よし、待ってろ! どこか店に連れてってやる!」

 買い物カゴを放り出して、黒マスクを背負いながらスーパーを出た。駅向こうにはこの前行ったカラオケを始め多種多様な店が営業してる。どこの店に行こうかと迷った末に、最近気になってるけどまだ行ったことのないローストビーフ丼の店に入ることに決めた。


 ローストビーフ丼が机に置かれた途端、黒マスクは息を吹き返し、生にしがみつくようにガツガツと丼ぶりに食いついた。そしてあっという間に完食。俺はサイドメニューのポテトフライを軽くつまみながら、豪快な食べっぷりを観察する。

「生き返った~朝ご飯しか食べてないから死ぬかと思った」

「大変なとこだったな。朝ご飯しか食べてないなんて。今度から気をつけろよ?」

「はーーい!」

 と、元気よく返事した。透きとおった青空を連想させる良い声だ。

 余談だが、黒マスクの中身の件について。食べてる最中は丼ぶりで隠れていたし、食べ終わったらすぐ黒マスクを装着したから、こいつの真の容貌は見ることができなかった。

 なんだろうな。彼氏に命令されてるとか、かな。俺以外の男の前では素顔を晒すなよ? みたいな。だとしたら凄い強制力と忠誠心だ。ある意味理想の関係ともいえる。

 と、俺には俺の用事がるわけだし退散させてもらうことにする。ただの腹ペコを相手にしている暇はない。俺はこれから料理を作って学校に持っていく使命がある。けどよく考えるとそれだって腹ペコを相手にすることに変わりないんだがな。

「俺やることあるからもう行くわ。残ったポテト食ってけよ」

「ありがとう」

 席を立とうとした俺は、謎の力に抑えられて再び椅子に尻をついた。見ると、黒マスク……面倒くさいから名前を聞こう。

「名前、何ていうんだ?」

「淡雪ゆこ。君は?」

「真智さそりだ。そんでお前はどうして俺のシャツの袖を掴むんだ?」

 ちなみに十月現在、学校では冬服への移行期間中で、俺もあと少し寒くなったら学ランにするつもりだ。

「私……実は……」

 ん? もしかして今度こそ爆弾発言が飛び出るのか?

「家出、してきたの!! 私をあなたの家の娘にして下さい!」

 痛切に訴えかけるような、心からの叫びだった。針を落とす音も聞こえるくらいに店の中が静まり返る。

「ちょっと、急にそんなこといわれてもなあ」

「……君を、真智を、当てにしてきたんだけど。ダメ?」

「どうして俺を当てにしてきたんだ? 一度街ですれ違っただけじゃんか」

「正直にいうと、真智と一緒に歩いてた女の子を、ね。なんとなく分かっちゃうんだ。同じ人の居場所が」

「??」

 いよいよ要領を得なくなってきたな。毒電波女か? 

「無理だよ。家に親いるし……」

 頑張って理由を説明して納得してもらえば、もしかしたら。でも、俺がそこまでする義理ねえしなあ。どうやら鈴江の話してたのと違うみたいだし。淡雪ゆことはここでお別れしよう。

「え~じゃあその代わりにもう一杯ローストビーフ丼奢ってよ」

 脈なしと見極めると態度は打って変わって、ふてぶてしくなった。渋々と俺は追加注文してやる。すぐに店員がローストビーフ丼を持ってきた。淡雪ゆこは、おもむろにスマホを手にしてローストビーフ丼の写真を撮った。目元だけでにっこり笑っている。喉からはくすぐったそうな笑い声が漏れている。なんて強い奴だ。こいつならどこに行っても生きていけるだろう。

 ようやく俺は帰れそうだ。とんだ災難だった。

「じゃあな、淡雪ゆこ。優しい人に拾われてくれ」

 答えず、淡雪ゆこは色んな角度からローストビーフ丼の写真を撮ろうと試行錯誤していた。なんなんだよ。


 スーパーに戻った俺は、食材を買いあさり自宅へ自転車を走らせた。作るのは、焼きそばだ。焼きそばパンじゃなく。特に深い考えはなかった。


 暮色蒼然たる道を駆け抜けて、ひっそりとした校内へ忍び込む。よく耳を澄ますと、なにやら作業をする音が聞こえる。文化祭の準備は少しずつ始まっているらしい。階段を昇って自分たちの教室へ向かう。窓の外が暗いと、廊下の蛍光灯の明かりが頼りなく感じられる。

 ドアの小窓からそーっと中の様子を覗いてみる。ジャージ姿のクラスの連中が何人かいて、台本を持ちながら喋ったり動いたりしている。やはり蛍光灯の明かりが寂しく感じられた。ゆっくりと音を立てないようにドアを引いて、ささっと侵入する。

 しばらく劇の練習風景を見学した。十分ぐらい経って今日の練習はお開きになった。なかなかハードそうだ。

「じゃあ、今日の練習はこれで終わり! 皆風呂入る前にストレッチして、今日の疲れを明日に持ち越さないように気をつけてねー」

 レイナさんが締めの挨拶をする。一応主役だから、座長ってことなのか?

「それと、さそりくん。ちょっとこっちきて」 

 近づいた俺の耳元にレイナさんが囁きかける。差し入れをちゃんと持ってきたかと確認された。俺は肯定の意を示した。

「さそりくんが差し入れを持ってきてくれましたー! もう遅いから帰る人は帰ってもいいけど、どうせならさそりくんの手料理食べてかない?」

 俺の手料理にそんなに需要があるとは思えないが……少し不安になる。何でこんな役目を押し付けるんだよ。俺は震える声を努めて平静に保ちつつ、

「い、一応……家で焼きそば作ってきたんだけど。もし人の手料理苦手なら無理して食べなくてもいいから。大丈夫。猫にでもあげるよ」

 猫ってのは淡雪ゆこのことである。実は心のどこかではあいつが心配だったりする。

 すると昼休みに一緒に飯を食べたあの女子Aが、

「せっかく作ってきてくれたのに、食べないなんて……そんなのってないよ! そうでしょ?皆、どうなの? 答えて! その答えを、私に聞かせて頂戴!」

 後に続いて他の生徒たちも、

「ちょうど腹が減っていたところさ。男の手料理というやつを、久しぶりに食べてやろうか。いつも食事のメニューは僕のメイドに任せているんだがね」

「仲間が作った料理。ありがたく頂かせてもらうわよ」

 練習の名残りか、誰も彼も変てこなキャラクターが憑依していた。俺はそれにツッコミを入れずにはいられない。

「おい! 皆、演技口調になってるぞ!」

 適切なタイミングで放たれた鋭いツッコミに(自画自賛)、教室が爆笑の渦に包まれた。女子Aが恥ずかしそうに両頬に手を当てて、

「やー、いっけなーい!」

「安心しろ。お前は通常営業だ」

「ちょ、ちょっと! 何よそれ~!」

 ぽかぽかと、俺の胸を叩いてくる。

 文化祭が近づいて、新たに知ったクラスメイトたちの一面に、俺はつい口元が綻んでしまう。


 さて、焼きそばを詰め込んだタッパーの蓋を開け、人数分の紙皿に取り分けて、皆に手製の焼きそばを行き渡らせた。しかし、ここで重大なミスがあり、

「やばい! 割り箸持ってきてない!」

 しまった。割り箸がなくてどうすんだ。多分弁当の箸を持ってる人はいるだろうけど、それは一度使った箸だしなあ。困っていると、女子Aから予想外の助け舟が出された。

「大丈夫。私常に割り箸五十本くらい持ち歩いてるから」

「す、凄いな……女子A、強烈なキャラしてやがるぜ」

 またも教室に笑いが起こった。こいつは今までもこんなキャラしてたのか? それとも文化祭を機に覚醒したのか?

 女子Aの大活躍で全員に割り箸が回った。後は食べてもらって、その結果を待つのみ。やれることは全てやった! 間違いなく、俺はベストを尽くした。

「いただきます」

 箸を割って、それぞれ焼きそばを口に運ぶ。

 どきどきと心臓が早鐘を打つ。例えば、初めて他人に小説を見てもらった時のような気持ちだ。頑張って、結果がダメでも、それでいいなんて割り切れない。俺は今、熱い意欲を燃やしている。俺が作った焼きそばを、美味しいって、好きだって、そういってもらいたいんだ。

「うまい。お前すげえな、真智」

 およそ感激とは程遠い、でもそれだけに飾り気のない率直なコメントが教室の隅から漏れた。その声のする方へ向き直ると、堀北が壁に寄りかかって座っていた。

「美味しい~」「これはイケる。嫁にしたい、男は嫌いか?」「焼きそばの宝石箱や」嬉しいコメントが続々と聞こえた。おお、これだ。

 俺のやりたいことは、これだ。

 俺は昔から料理を作るのが好きで、麗奈に食べてもらうのが好きで……そうか、俺が求めていたのはこの気持ちだ。多幸感に満たされるってこういうことか。喜びの戦慄が背すじの辺りを震わせるのを禁じえなかった。喜びの戦慄なんて日本語として間違ってはいるけども。

 そして、勿論レイナさんも、

「うん。さすがの味だね!」

 俺の料理を食べて、とろけたような表情をしている。その弛緩は、その笑顔は、麗奈だった。

いっぱい褒められて気を良くした俺は、もっと沢山の人と話してみたいと思った。一度きりの高校生活なんだから、もっともっと楽しもうと。


 いかがだったろうか。やりたいことが見つからず、訳もなく拗ねていた未熟な俺が。ひねくれていた俺が。そんな俺の中にも、こんなにぴゅあぴゅあなはーとがあったなんて。

 きっと誰の心の中にだってあるさ。誇れるような熱い何かが。

 俺は将来、料理人になるんだ。うまいってさ、もっともっといわせてやりたいんだ。沢山の人を、笑顔にしてやりたいんだ。

 できるかな、俺に……。

 これから辛いことも傷つくこともあるだろうけど、俺は諦めない。もう、拗ねたりしない。

 今日のこの日を一生忘れない。今日の俺に、そして皆の笑顔に、恥じぬように頑張ろう。

 じゃあな。またどこかで。

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