焼きそばパンとサンドイッチ

 高校生のイベントとしては特大イベントの週末デート。それに比べるとこうして普通に学校に通ってるだけの時間というものはなんて平凡なんだろう。あれから一週間ちょっと経ったけど、何も起こらない。変わったことといえば、季節が冬に近づいて気温がぐっと下がったことぐらいだ。あと校内では隠微な文化祭ムードが漂いつつあった。たしか俺も文化祭委員だ。

 あれ、文化祭のうちのクラスの演劇ってもう進んでるとかレイナさんに聞いたよな。もしかして、俺はのんびりしすぎているのか。手伝うことが無限にあるんじゃないか。知らないところで堀北の怒りが沸々と湧き上がっていたりして……。

 ふとそこはかとない恐怖が頭をもたげて、休み時間におそるおそる堀北に声をかけてみる。久しぶりの会話だ。

「あの、堀北」

 気怠そうに振り返った堀北の目からは何の感情も読み取れなかった。

「この前はごめん。……それと、文化祭の件の進捗状況はどうなってる?」

「あ~ぼちぼちだな。今は劇の方の打ち合わせが難航してる」

「ごめんな。けど、お前が何もいわないから」

「まあ、別に真智には頼ってないしな。やる気のない奴に任せられる仕事はない」

 淡々と心に刺さることをいった。

「もしかして、怒ってるのか?」

「怒ってねえよ! あんたなんかに怒ってる暇あるかよ!」

「わ~! すいませんすいません!! 何でもしますから許してください!」

「だから怒ってねえんだけど……そんなに怯えなくてもいいじゃん」

 はあ、と堀北は悩ましげに嘆息した。細い眉がひそめられる。

 と、堀北の表情が明るくなり、薄く紅を塗った唇から息を弾ませながら、

「そうだ! よし、許す。許してやる! だからお前、あたしと契約してパシリになれ!」

「御意……」

 パシリ。意外とまんざらでもない。

「昼休みまでに炭酸と焼きそばパン買ってこい」

 はい! こんな元気な返事をするのは小学校以来だだった。


 昼休みが始まるチャイムと同時に俺はダッシュで購買に向かった。

 あいつ、炭酸と焼きそばパンっていってたよな。糖分だらけだな。ここは機転を利かせてお茶とサンドイッチを買ってってやろう。

 パシリが自分が頼んだのと別の物を買ってきた。しかしよく話を聞いてみると、それは主の健康を心配しての行為だった。その時、不良少女はどんな顔をするか。怒るか、悔しがるか。頬を赤らめて礼を述べるか。へっへっへ。

 教室に戻ると、堀北とレイナさんと加えて女子二名が机寄せて会議の姿勢だった。ビニール袋をぶら下げた俺はふらふらと近づいていった。

「何だ? 珍しいメンツじゃん」

「さそりくん! さそりくんもここ座って参加してよ」

 レイナさんはやけに嬉しそうに、机の島の誕生日席に用意してある椅子を叩いて示した。

「今ね、文化祭のクラスの劇の打ち合わせしてるとこだよ」

「ほう。やってんだな~」

 しまった。つい他人事みたいに返事してしまった。ちゃんと、真面目に、俺も参加しなきゃ。

「俺にできることがあったらいってくれ! まあ劇のことはよく分からんから、主に雑用を押し付けてくれ。パシリにしてくれてもいいぞ。現にこうして堀北のパシリもやってるからな! ほら、昼飯だ」

 ビニール袋からサンドイッチとお茶を出して堀北の前に置いてやった。

「あたしの頼んだのと違うんですけど~」

「パシリ?」

「だってお前さあ、焼きそばパンと炭酸飲料とか糖分取りすぎだぞ? 俺が選んでやったスペシャルヘルシーメニューを食べるんだな」

「お、おう。なんか今日のお前やりづれえよ。ったく調子狂うよな~」

 俺の真心溢れる釈明を聞いて、怒るに怒れず釈然としない様子の堀北。

「パシリ?」

 歪な笑顔を顔に張り付けたレイナさんはさっきから同じ単語ばかり繰り返している。気にせず他のメンバーたちは打ち合わせを進めた。堀北も真剣そうだ。そんな、堀北を見て俺は肩の重荷が落ちたように安心した。真面目な時は真面目なんだよな、こいつって。文化祭委員の仕事で周囲の人との間に軋轢を生んだりしないかって憂慮してたけど杞憂だったようだ。

「パシリ?」

「どうした戸泉? てかこの台詞なんだけど、お前いえるか? 中々恥ずかしいのだけど」

「ねえ、堀北さん。さそりくんをパシリにしないでくれる?」

 その瞬間、凍てつく波動が迸ったのを幻視した。

「へぇ⁉」

 堀北はいつになく素っ頓狂な声を上げた。よく見ると冷や汗まで流してる。

「な、なんだよ。穏やかじゃないなあ。大丈夫大丈夫、もう真智には変な事頼まないから」

 その異様なまでの怯えには同情できた。俺も怖かったし。

 女子Aがわざとらしく空咳をして雰囲気を変えようとする。

「ごほん! あっ、ごほんっていっちゃった。てへ。そ、それより! 真智君、劇の脚本出来上がったんだけど軽く目を通してくれない?」

 そういって渡された印刷用紙の束は、軽く目を通せる量じゃなかった。

「これだとちょっと……もうちょい短くまとめたあらすじとかは?」

「あるよ! あ、今戸泉ちゃんの机にあるやつ。ほら、愛しの真智君に渡して戸泉ちゃん!」

 その戸泉ちゃんとやらは相変わらず凍てつくオーラを放出していたが、女子Aの空気を読まない要求を受けてオーラを抑え込んだ。

「ん? ああ、これ? はい、さそりくん」

 その笑顔はいつものレイナさんだった。いや、いつものレイナさんって何だよ。レイナさんなんて元々いない存在だっつーの。けど最近は慣れてきたかもしれない。前みたいに酷いこととか、とてもいえない。俺はレイナさんはレイナさんとして尊重するようになっている。その想いは、先ほどの恐怖体験もあってか自分の中で強くなってきている。

 さて、俺は渡されたプリントから劇のおおまかな構成を知った。

「ど、どう?」

 レイナさんがノーマルに問うてきた。

「女子高生パンツスティール事件というタイトルから想像もつかないような熱いドラマだった。これは、かなり成功が期待できるんじゃないか!」

「そうだよね! 脚本も読んでみてよ! 放課後までに真智君の分も刷っておくからさ」

 と、女子A。このコはどういうポジションなんだ。文化祭委員の俺より文化祭の出し物に詳しいのは、妬ける。

「是非読みたいよ。これ、隣のクラスの紅涙詩穂璃が書いてるんだよな」

「そうだよ、あの紅涙さんが!」

 その後演出や大道具小道具の話をして打ち合わせは一段落ついた。腹が鳴って、まだ飯を食っていなかったことを思い出す。

 堀北は恐怖の記憶もけろっと忘れてしまったようで、能天気に食事し始めた。

「うまいな、サンドイッチ」

 俺はおもむろにビニール袋から焼きそばパンを取り出した。めざとい堀北にそれを見つけられる。

「お前! 自分だけ焼きそばパン買ってやがるな!」

「俺は男だからいいんだよ。炭水化物上等だっつーの」

 サランラップ的な透明な包みを開くと、パンとソースの旨味成分たっぷりの匂いが鼻腔をくすぐった。見た目だって完璧だ。この安っぽい感じがたまらなく食欲をそそる。女だって安っぽく気楽そうな方が興奮する、知らねえけど。紅ショウガが存在感を醸し出すと共に、全体的な印象をキリっと引き締めている。そこに青のりがつとめて自然に控えていて。

「おう、これだよこれ。空きっ腹にはがつんと炭水化物を与えてやらないとな~」

「お前! それをどうするつもりだ⁉」

「どうするってそりゃあ、こうするんだよ」

 かぷり、と先端を軽く咥え、さらに歯を立ててそのまま噛み千切った。

 なんか……痛そうな表現になっちまった……。

 味の方だが、文句なしのB級グルメテイストだった。こいつとなら、食べ過ぎて死んでもいいと思えるくらいに。

 恨めしそうに俺をジト目で睨みつける堀北に向き直って、

「うまい! 優勝!」

「さっすが真智君! 豪快な食べっぷりだねえ! 焼きそばパンのCMくるかもね!」

 やけに女子Aがよく喋るような気がするが、皆で昼飯食べてるんだしそんなもんだろ。

「さそりくん、そんな見せつけるように食べなくても……」

 常として俺の味方のはずのレイナさんが、悲しそうな顔をして窘めてきた。堀北は呆れた目つきで俺を見詰めて、

「くだらねえ。サンドイッチだって充分うまいわ。BLT最高」

 真っ白でふわふわなパンに挟まれた具は、ベーコンレタストマト。ついつい堀北の口に吸い込まれていくそれから目が離せない。やべー。結構うまそう。

 負けたくない。焼きそばパンのアピールをより激しくしなくては。

「ただの炭水化物の塊では終わらないところが良いんだよな。紅ショウガがアクセントになって味覚を刺激してくるぞ!」

 対して堀北はこちらに視線を向けもせずに、

「ご飯は静かに食べような~」

 俺は堀北の口元を凝視した。よく噛んで、嚥下して。満足そうな表情を浮かべる。う、うまそうだ……。今回は負けだな。てか、サンドイッチ代金貰ってないんだけど。しかし敗者が勝者に要求するのもなんだし、代金の徴収は諦めよう。

「私はサンドイッチ派かな。ねえねえ、戸泉ちゃんは好きなパンとかある?」

 女子Aの唐突で素朴な質問に、レイナさんが答える。

「私はピザパンが好きなの。さそりくんが昔よく作ってくれて」

「えええ⁉ なにそれ凄く良いじゃん!」

「真智が料理するのか、意外だな。しかも、よく作ってくれて、か」

 料理できる男子への過剰すぎる好意的な反応にたじろいでしまう。ほっとけよ、俺が料理してもしなくても関係ないだろお前らには。これは料理できる女子にときめきを覚える男子にもいえることだ。

「よし真智! どうせお前文化祭委員の仕事サボるんだし、ピザパン係やれよ」

 堀北が昂然としていい放った。

「サボるって決めつけてんじゃねえよ。けどまあ、ピザパンを作るのは嫌いじゃないし、別にいいけどさ。ピザパンはいいぞ。あと、全部手作りのクリームパンも作れるぜ」

 おおお! と黄色い歓声が上がった。パン作るんなら、早起きしなきゃな。


 もう十月も半ばに差し掛かるらしく、本来なら放課後は俺も文化祭関連の手伝いをするはずだった。がしかし、ピザパン大臣である俺は……ピザ係だっけか、偉くなっちゃった。

 そんで今俺は駅向こうのスーパーに訪れている。早速の仕事は、夕暮れまでに家で一品作ってから学校に戻ること。パシリより労力を消耗するぞ。けどこれはパシリと違って誰にでもできることじゃあない。だから、労力を費やすのも惜しくない。レイナさん的にも、パシリはダメだけどピザパン係はいいらしい。

 あ~こんなことはどうでもいいんだった。


 さっきの話。放課後になって半ば急かされるようにスーパーへ買い出しに行かされる俺は、昇降口前生徒個人ロッカーにて、鈴江姫香に呼び止められた。やはり美少女に話しかけられるのは緊張する。それは青春映画の一瞬だった。茶髪でショートカットの転校生。他校から引き抜かれてこの学校にやってきた、その矢先に怪我をしてしまった少女。いつもなんとなく俯きがちで、影のある少女。レイナさんに鈴江のその話を聞いてからというもの、俺は折に触れて、彼女の失意の程をぼんやりと想像してみる。まあ俺のポエムはもういいとして、急に話しかけてきた鈴江は、

「最近あのコと仲良いね……けどいいよね、最初から偽物なんだし」

 その言葉の真意を読み取るには、俺はあまりにもバカすぎた。だが、

「あのコってレイナさんのことか? 偽物って……たしかにそうだけど。やっぱり、お前知ってたんだな」

 自分でいって自分で理解した。理解より先に口が動いたらしい。そうか、偽物のあのコってレイナさんのことなのか。

「私が元通りにしとく。泉のレイナを、元の麗奈に。お互い戸惑ったよね。もう大丈夫だから」

 鈴江はふっとスポーツ少女らしい笑顔を見せた。その爽やかな笑顔から、こいつバレーボール上手そうだなって思った。いやどんなエスパーだよ俺は!

「作戦は決まってないんだけど、今週末までにはうまく片を付けとくつもり」

「……ちょっとよく分からないから質問させてもらうけど、元に戻すってどういうことだ?」

「あ~私もよく分かってないんだよね。それは詳しいコに聞いてよ」

「詳しいコって誰⁉」

「え? もう会ってるんじゃなかったの?」

 ダメだ。こんなファンタジーな会話にはついていけない。

「俺の知ってる奴なのか?」

「あのコはもうあなたのこと知ってるよ。うん、その内分かるから。じゃあ、私生物のレポート書かなきゃいけないから、これで!」

 そういい残して校舎の奥の方へ去って行った。女バレ部員っぽい小走りをしながら。

「今日はやけに溌剌としてんな」

 思わず独り言をいってしまうくらい、今日の鈴江は明るかった。

 謎が沢山あって肩が凝ってしまう。近々レイナさんが麗奈に戻るらしい。本当か?

 結局よく分からん、ってのが俺の結論だった。そして俺はスーパーへ。

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