チュロス食べたい
昼盛りからの昼下がりで、映画館への道のりには大勢の人の壁が立ちふさがっていた。それぞれが不規則に西へ東へ行き交うもんだから、真っすぐ進むのも容易じゃない。
すると、レイナさんの白く細い腕が伸びて、がしっと俺の腕を掴んだ。間抜けにも俺は呆然としてしまう。どうして腕を掴まれたのか咄嗟に呑み込むことができなかった。
「ほら、ちゃんとついてきて」
健全な高校二年生の男子であれば、こんなことをされるのは嫌な感じがしてシャレにならないことだろう。
しかし俺は不覚にも……キュンとして、
「あ、ありがとう」
緊張してどもりつつも、咽喉を突いて出た言葉がそれだった。
不思議と恥ずかしさも不甲斐なさもなく、ただただ俺を引っ張ってくれるその手の温もりが嬉しかった。
レイナさんに俺の全てを任せてしまいたいとまで思った。不明瞭な未来の先までも、俺の行くべき方向を示して欲しいと。それが俺の幸せの理想の形かもしれないと。あなたの背中の三歩後ろを付かず離れず歩いていきたいと。
「もう、遅いよ。あっ! 荷物、重たいね。持つよ」
三歩後ろを歩いていきたいと思っていた俺の心の内の密やかな願いもつゆ知らず、心が広すぎるレイナさんは俺の隣に並んで、俺の片手の荷物を引き取ってくれた。
再び胸が高鳴って、
「やっぱり三歩後ろより、隣がいいな」
そんなことモノローグでいえばいいのに、ぽつりと呟いてしまった。
「ん? なんかいったかな?」
鈍感難聴最高ヒロインのレイナさんには、俺の恥ずかしすぎる本音は聞こえていなかったみたいで安心した。けど、聞こえててもよかったのにと唇を噛んでしまう俺もいた。
ちらちらと横目でレイナさんの肩を見やる。その小さな肩で、俺の重荷の半分を担う。苦い顔もせず、隣を歩いている。
「……レイナさん」
かくっと首を傾けて、上目遣いで俺を見た。
「レイナさん、レイナさん!」
「何? 壊れちゃったの?」
「いや、呼んでみただけ」
レイナさんになら何をしても怒られないような。
どんな失敗をしても許してくれるような。
寂しいときは励ましてくれるような。
こんな俺には身に余る。たとえ同じクラスにいても絶対に相手にされないと諦めてしまうほど、出来過ぎた女子だ。たとえ同じクラスにいてもっていうか実際同じクラスにいるんけど。とにかく、最高の女子だと思った。
ここで新たな説が浮上する。レイナさんはサイボーグなんじゃないかと。どこかの誰かが科学の粋を集めて俺の理想を体現してくれたんじゃないかと。
謎めかしいレイナさんの存在には色んな仮説が浮かぶが、宇宙人説にしても異世界人でも未来人でも、どちらにせよ最後には悲しい別れが待っているような気がしてならない。
今、幸せの最中にいてどうしてもそんなこと思ってしまったのか、自分でも分からない。
きっとレイナさんの淡く儚い麗しさがそうさせたのだろう。
その優しい眼差しに吸い込まれて、俺も一緒に消えてしまいたい。
「さそりくん。ぼーっとして、どうかした?」
「えっと~なんか催眠術にかかったみたいになっちゃってた」
「眠いの?」
「別に、てかデート中に眠くなるとか男子として失格だし」
「映画観てるとき寝てもいいけど、私の方には寄りかかってこないでよ」
レイナさんは良い色をした唇を尖らせた。
映画代、どうするかな。払ってくれるのかな。悪いなぁ……。ダメ……だな……、俺。
「大丈夫。映画楽しみにしてるから、寝ない」
そういって俺は自嘲気味な笑みを浮かべた。レイナさんと一緒にいると自分がダメ人間に思えてくる。それと同時に、これでいいという気持ちもあった。自分を責めて責めて、どこまで堕ちていっても、レイナさんは俺を助けてくれるはず。めちゃくちゃ飛躍かもしれないけど、もう俺に怖いものなんてない。
え? 怖いものって何だ? 金のことか?
映画館に到着する数分前、レイナさんの指示で俺の手荷物を駅前のコインロッカーに預けておくことにした。割と大きなロッカーで、全部の買い物袋を収納できた。
そして映画館のロビーにて。こんな所にも時代の変遷は如実に現れている。
「あれ、カウンターで買わないの?」
「違う、この自動券売機で買うの」
慣れた手つきでモニターをタッチするレイナさんは俺から見れば未来人だった。
「席はどこら辺がいい?」
と、レイナさんは自分一人で先に進み過ぎず俺のことも振り返ってくれた。
「スクリーンの中心が丁度目線の高さにくる席で」
「細かいね」
くっくっと小さく笑いながら注文通りの席を選んでくれた。
二枚分のチケットを持ったままレイナさんは俺を連れ回す。劇場の入場時刻までの十分程を売店を冷やかすなどして潰した。
「そうだ。さそりくん」
と、立ち止まって、
「ポップコーンとか食べるの?」
その妙な調子の質問に俺は顔をしかめた。私はポップコーン食べるつもりないけどさそりくんが食べるんだったら買ってあげてもいいよ的なニュアンスを汲み取れた。俺は機嫌を損ねて、
「いらない」
「じゃあ私チュロス食べる~」
「お前チュロス食うんかい!」
リズミカルな足取りでチュロスを買いに行くレイナさんの背中は、年相応の少女らしかった。実は俺もチュロス食べたいかもしれないのは内緒だ。
そして席に着いてやがて予告編が始まった。今後注目の作品がずらりと紹介されていく。その中に、気になる作品があった。想い合う男女二人の小学校時代から社会人になった頃までを緻密な作画でエモーショナルに描くという内容のアニメーションだった。いつか観てみようと決意した。
「ねえ、これおもしろそうじゃない?」
はしゃぐ俺を、レイナさんは無視した。上映中はお静かにとでもいいたげな目付きで睨まれて竦んでしまった。
モデルかCAさんみたいな正しい姿勢のままスクリーンを凝視するレイナさんに習い、俺も背筋を伸ばした。しかし、いかにもデート向けの恋愛映画というものは俺にとってあまり作品のテーマというか方向性が肌に合わず……うとうとしてきた。
本当に眠くて我慢ができなくなった俺はこっそり寝ようとするのだが、寝るとなると首の力が抜けてどうしても片側に傾いて最終的には隣の席の人に寄りかかってしまうことになる。右の席には他人が、左にはレイナさんが。さすがの俺でも見知らぬ他人に迷惑をかける行為は避けたい。だから……と、考えてる間に意識が薄れていった……。
常として眠りの浅い俺は熟睡できず上映中の映画の甘いピアノの劇伴とレイナさんの細い肩だけを感じている。レイナさんがどんな嫌な顔をしてるのか分からないが、じっと動かないで俺の重みを受け止めてくれているように思えた。そういえば映画の代金も肩代わりしてもらったのに寝てしまって申し訳ない。けど凄く眠くて、ごめん。
そっと、俺の手の上に温かい感触がした。レイナさんがこっそり俺の手を握っているらしい。これは怒っていない証拠として解釈してもいいんだろうか。こんなダメな俺の手を、それでも握ってくれるのか。それは何か、好意的な気持ちの表れなんだろうか。
やはり、考えるより今は眠気の方が強い。俺は完全に落ちた。
……壮大な音楽に起こされる。映画は絶賛クライマックスシーンの最中だ。もう終わるのか、なんて脈絡の無い映画なんだろう。いやすいません僕が寝てて観てなかっただけです。映画自体は勿論素晴らしいものなんでしょう。スクリーンに釘付けのレイナさんは、俺がとっくに起きたのにも関わらず、ずっと手を握ったままだ。恥ずかしくないのかな、大胆にもこんなことして。
睡眠と映画鑑賞の喜びしっかりと享受した俺たちは、映画館からの喫茶店という黄金デートコースをなぞっている。喫茶店はレイナさんのチョイスだ。俺は手を引かれてついていくだけ。そう、映画が終わってもその手は繋がれたままだった。とても、すごく、顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。
「凄く良い映画だったね~」
「ん? それって俺に共感求めてるの?」
俺は寝てたんだぞ! 大きな声ではいえないが。
「せっかく私のおごりだったのに悲しいなあ、さそりくんどう埋め合わせするつもりなの?」
遠回しの批判が続くかと身構えているところに、いきなりのストレートが入った。
「埋め合わせ……ねえ」
「考えといて。私も考えとくから」
そこに、ケーキと紅茶が運ばれてきた。俺は気が重い話題を打ち切り、明るい方向へと転換させた。気が重いって俺がいってしまうのは非礼千万なのだが。
「た、誕生日おめでとう。蝋燭はないけどケーキでお祝いしような」
「うん。さそりくんも誕生日おめでとう」
「……あれ?」
「え、どうかした?」
いいやなんでもない、俺は小さく漏らした。
俺は今一体誰の誕生日を祝っていたんだ? レイナさんじゃなくて麗奈だろ。でも、レイナさんも麗奈と同じ記憶を持っていて。記憶さえ持っているならばそれは本人と同一人物なんじゃないか? 見た目と性格は関係ないか? こいつは、こいつは……
またスパイラルに陥ってしまう。今は楽しいデートの時間なんだし、一先ず忘れよう。
「やっぱりケーキおいしーね」
目を細めてケーキを頬張るレイナさんの姿が、一瞬麗奈と重なった。
しかも口調まで子供っぽくて。
「お前はケーキが好きだからな」
俺もいつものように、甘やかすような調子でいった。
昔どこかで、こんな会話をしたかもしれない。こんな光景があったかもしれない。けど、少し違う。何かが違う。麗奈がいない。麗奈だけがいない。
喫茶店を出た俺たちはゆっくりと歩き駅に向かう。
ここまで充実したデートコースを周ってきてまだ日が暮れていないとしたら、それは現実の範囲からはみ出してしまった世界の話だろう。ここは現実、ゆえに日は暮れている。夏の白夜の島に夜はこないが、日は暮れる。この世界のどこにいても日は暮れる。こんなポエムを考えていることを隣で歩く彼女にだけは知られたくない。彼女がレイナさんでも麗奈でもそれは同じだ。
「さっきから、ぽけーってしてるね。眠いの?」
「いや、ちょっとポエムを考えてただけだ」
「な、なにそれ凄く気になるんだけど」
ねえどんなポエム? としつこく聞いてくるレイナさんを華麗にスルーする。人のポエムを詮索するような女子は嫌いだ。
マジックアワーという写真用語がある。日没後のわずかな時間だけ訪れるシャッターチャンスだ。とても幻想的なオレンジ色の世界の写真が撮れるという。レイナさんは今その真っ只中にいて、現実離れした美しさで咲き誇っている。俺はその横顔をチラっと見て、次にしっかり見据える。あわよくばこの瞬間に、レイナさんにもこっちを向いて欲しかった。
だがしかし。人のポエムは気にするくせに、視線には気づかないみたいだ。
なぜだか俺はムッとしてしまう。そして、なんとなくレイナさんの視線の先を追いかけてみた。そこにいたのは一人の少女だった。途方に暮れたように佇んでいる。悲しそうに見えた。黒いマスクの下に隠された口元は、おそらく震えているのだろう。風が、黒マスクの少女の、黒い髪を揺らした。もう二度と会えない人に手を振るような、ゆっくりと寂しい揺れ方だった。
「レイナさん? あのコのこと、どうしてそんなに見てるの?」
「え、えーと。どうしたんだろう、って思って」
「うん。どうしたんだろうね……」
俺たちがその少女について言葉を交わしたのはそれきりだった。
駅前のロッカーで俺の買った服の買い物袋を回収し、わりと混雑する電車に乗った。乗り換えのために下車して、待つ。もうすっかり夜の帳が下りてきていた。田舎の駅で電車を待つことほど心細いことはない。それがたとえ誰かと一緒に待つとしても。もし電車が来なかったら……一度思うと、どうしても。強迫観念。
感傷的なのか不安症なのか、しんみりとしていたところにレイナさんが、
「もうデートもクライマックスって感じだよね」
「やけに体が重いわけだ」
「買い物袋で手一杯なのに悪いんだけど、実は渡したいものがあるの」
「なに?」
「ほら、私がさっき買った内緒のやつ」
ああ、そんなこともあったな。けどそれってたしか、パンツじゃなかったっけ? 女子の内緒の買い物ってパンツだよなあ。
「内緒は内緒のままにしておいた方が……」
「これ、開けてみて」
釈然としないままレイナさんに渡された袋の中を覗いてみると。
いつか俺が褒めたレイナさんのカーディガンの色違いが入っていた。
こんな感じでデート終了。
「誕生日、おめでとう」
「お、おう。ありがとう」
一方的に祝われただけで終わってしまった……。かといって俺は誰の誕生日を祝ってやるべきなのか分からない。簡単に順応できない。俺はもう少し大人になるべきなのだろうか。レイナさんを麗奈だと割り切って、今年もいつものように誕生日を祝ってやる……そうするべきなのか。自分の行動に指針が持てないし、自分の判断に自信がない。
しかしクラスメイトの女子に誕生日を祝ってもらったことに対する当然のお返しとして、プレゼントできそうな何かを今持っていないかな。ポケットには財布と携帯しかない。買い物リストを反芻してみるが、全部自分用で男物。
結局。苦し紛れに口をついて出た言葉が、
「レイナさんは、なんか欲しいものある?」
「いいよ。私はさそりくんを祝えればそれで満足だから」
まるで最初から何も期待していないような、一種の諦めを感じ取った。
俺ってそんなに唐変木だと思われているの⁉
「そ、そんな。どうして?」
一応は食い下がってみるが、何をいっても拒絶されるような気がした。レイナさんの肩にもさっきの黒マスクの少女と似たような悲しみの影が重くのしかかっている。その理由は分からない。その悲しみが麗奈との大きな違いでもあった。やっぱり俺のせい? 言外に醸し出してしまう俺の他人行儀なオーラが、レイナさんにはショックだったんだろうか。
仕方ないじゃないか。だって俺には何がなんだか……。
「……」
何を喋ったらいいのやら。けど俺は、決してレイナさんのことが嫌いなわけじゃないんだ。
「さそりくん、寒くなってきたね」
「そうだな。もう冬も近いんだろうな」
「私冬になったらさ、あったかい服着たいな」
「おう。あったかい服なら、俺に任せろ」
「やった。あったかい服、楽しみだな~」
「あったかい鍋も食べような。魚鋤とかさ」
「じゃあ、パーティしようよ。ピザパン作ってよ」
「分かった。あ、そうだ。カーディガン今着ていい?」
そういって俺は袋からカーディガンを引っぱり出した。柔らかい手触りが心地良い。袖を通してみると、優しい温かさが身を包んだ。
「似合ってる! 私の見立て通りだよ」
「月曜に学校に来て行くよ」
「本当? 嬉しい……お揃いだ。さそりくんと、お揃い……」
その時、闇の中を突っ走てきた電車がホームに滑り込んだ。窓から漏れる明かりが頼りないその電車に、ようやく俺たちは乗れた。こんな狭く小さな電車ですら、無いと困るんだ。
「さそりくん、眠かったら寝てね。起こすから」
「妙に優しいな」
「ツンデレするのも疲れたしね。デートって疲れるね。もうこりごりだよ」
「そうか、もう俺は口が動かない。おやすみ……」
長い長い一日だった。結局俺たちは二人とも眠りこけてしまったのだが、駅に着く直前に俺の野生の感で目覚めて事なきを得た。
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