難聴鈍感最高ヒロイン
理想のデートコースを頭の中に思い描いているらしいレイナさんは、俺の先を歩いてまず服屋に向かった。アパレルショップとかいい換えた方がいいのだろうか。
「この店が良いと思う。服を若い男子が好きそうなのが多いし、値段も安いし。適当に見てて。私はちょっと寄るところがあるから」
早口にそう捲し立てたレイナさんはどこかへ行ってしまった。
デートの初っ端からソロプレイを余儀なくされた俺は、それでも少し弾んだ気持ちで店内の商品を物色する。やっぱりTシャツっしょ。Tシャツが欲しい。けど、もう秋だし厚手の服を選んだ方がいいか。アウターとか早めに買っとくべきか。でもでも学校用の新しいリュックが欲しかったりもする。ベルトも格好いいのにしたい。
結果、総額三万円ほどの買い物をしてしまった。正に衝動買いだ。自分でもこんなにどでかい購買欲を隠し持っているとは思わなかった。ほんの少しの後悔と充足感を胸に、店の外でレイナさんの帰還を待つ。
やがって片手に買い物袋を一つ提げたレイナさんが戻ってきて、
「え⁉ そんなに買ったの⁉」
「お、おう。なんか欲しいもの沢山あって。三万円も使っちゃった」
へらへらとだらしなく喋る俺だったが、三万円という額をもう少し重く捉えておくべきだったと後に思い知ることになる。
「はまったら一瞬なんだね。まあ、私と似てるといえば似てるかも。ちゃんと試着した?」
「え⁉ してないけど……」
試着ってした方がいいのか?
「う~ん。私は試着するのが楽しいんだけどなあ。男子は別にしなくてもいいのかもね。それよりお腹空かない? 近くに美味しいイタリアンの店があるんだ。焼きたてのパンも食べらるるんだよ」
「いいけど、お前は何を買ったんだ?」
「えっとぉ……女の子にそんなこと聞いちゃダメだよ」
「あっ」
恥ずかしそうに赤面するレイナさんの態度から俺は察した。おそらくパンツとかブラジャーの類を買ったのだろう。気が利かなくて本当に申し訳ないです。
「それより、行こ? イタリアンだよ♪」
そんなにイタリアンにテンションが上がるものなんだろうか。イタリアンといえば、ここの街並み自体が地中海風で、あちこちに趣向が凝らしてある。意匠にこだわっている。シチリアレモンの爽やかな香り漂うような瀟洒な白い壁と石畳の旧市街。そのメインストリートを歩く俺たちはさながら恋人同士のようで。軽い足取りで先を行く彼女の背中を、両手に持ちきれないほどの買い物袋を抱えた彼氏が追いかける。
「待ってくれ~!」
その重たい荷物は全部彼氏の買い物だがな。
「さそりくん買いすぎなんだって。貸して」
見かねた彼女がさっと荷物を奪い取る。
「ごめん。俺の荷物持たせて。普通逆だよな」
ほんとだよ~、といいながらもレイナさんは微笑みを絶やさなかった。
舞台は転換し、ここはイタリアンレストランである。ファミレスではない。てかさ、ファミレス以外にもイタリアンレストランがあるなんてびっくりなんですけど。そんなジョークを胸中に浮かべながらメニューを眺める。
大きなガラス窓の外には大勢の多様な人々が行き交っている。向かいの建物の真っ白い壁に陽光が反射されて店内に差し込んでくる。優雅な想いでまたメニューに視線を落とした。
「早く選んでね」
正面に座るレイナさんがジト目で睨んでくる。そのジト目、やはり生身の人間にしか見えない。こいつは何者か、と考え出すと際限がないのは承知しているのでメニューに集中する。
レイナさんは組んだ手の上に顎を乗せ、じれったそうにしている。可愛いかも。
「よし! 決めたぞ」
店員さんに注文を取った。トマトパスタを頼んだのは勿論レイナさんだ。俺はどこか親しみのあるミートドリアを頼んだ。そして二人でシェアして食べる用にマルゲリータピザも。ピザは俺たち二人の思い出の品といってもいい。
違うわ。俺たちじゃなくて、俺と麗奈だった。けどそれは今考えることじゃあない。
「そういえば、堀北さんとはその後どうなったの?」
……嫌なことを思い出させやがって。
「まだ話してない」
文化祭委員の仕事をあるし、その内関係を修復しなければならない。それを思うと憂鬱だ。レイナさんと上手くいってるその半面では、また違う女子と険悪になっている……
俺は強引に話題を変えた。
「演劇もそろそろ進めるんだよな?」
「うん。堀北さんが仕切ってるよ。女の子に仕事放り投げてちゃダメだよ」
「おっふ。しまった」
クラス演劇も文化祭委員の仕事だったか。そんな話聞いたことあるようなないような。堀北は全然仕事を手伝わない俺にイラついていたんだな。
「たしか脚本が酷い内容だったんだよな」
「うん。そのまま進行してるよ」
「パンツスティール事件だっけか。誰が書いているんだ?」
「隣のクラスの詩穂璃ちゃん」
「あの有名なコか! たしかうちの隣のクラスはあんかけ焼きそば売るんだっけか。そっちの方はあんまり忙しくないのかな」
「忙しいよ。忙しいに決まってるじゃん! それでもうちに協力してくれるんだってさ。だから私も降りにくいんだよ」
内心どんなヤバい劇になるか楽しみだったりするのは内緒だ。
「こないだ鈴江姫香と喋ったんだけどさ」
と、俺は新たな話題かつ重要な議題を持ち出した。レイナさんは微かに肩を震わせた。
「鈴江って転校してきたんだっけ? 俺あまり覚えてないんだよな」
「知らないの? さそりくんってちゃんと学校通ってるはずだよね?」
「え、通ってますけど。知らない俺が変みたいにいうなよ。でも、少しは心得てるぜ。あいつが女子バレー部員だということとか」
「そ、それは……タブーだから……。ほら、知らないじゃん」
どうやら地雷を踏んでしまったらしいが俺にはさっぱりだ。珍しく狼狽するレイナさんを見て疑問が積もる。
「でもあいつが、バレー部の昼練行くっていってたんだけど」
「っ⁉ どうして姫香がそんなことを……それ、本当なの? そんなこと姫ちゃんがいうはずないんだけど……」
いつになく深刻そうな口調に、弥が上にも疑問が大きくなった。
「教えてくれ、何があったんだ?」
「うん。もう過ぎたことなんだけどね」
そう前置きしてレインさんはゆっくりと口を開く。
「姫香はね。他校からうちのバレー部に引き抜かれて転校してきたの。儚げに見えて意外と運動できるのよ。けど、転校した矢先に怪我しちゃって……日常生活に支障はないんだけど……」
「それは、大変だな」
「ううん、それからも、大変だった。姫香は泣くことはなかったけど、よく愚痴ってた。どうして転校してきたのか分からない、この学校にいる意味が分からないってね。すごく悩んでた」
「……そんなことが」
初デートにしてはよく続いてた会話が、そこで途切れた。
「お待たせしました。トマトパスタとミートドリアとマルゲリータピザになります」
ベストなタイミングで運ばれてきた料理には感謝しかない。それぞれトマトパスタとミートドリアを堪能しながら、ピザもお皿に取り分けてシェアする。いくつになっても、悩みもあれば腹も減る。お誕生日おめでとう。
「前の学校に戻ることはできなかったのか?」
「うちの学校に通ってる限りは学費免除なんだって、姫香の実家あまり余裕ないみたいで、それでずっとここにいるつもりだって」
「寮みたいなとこに住んでいるのか?」
「違う。一人暮らし」
「本当は戻りたいんだろうな……」
「私は姫香の傍にいて、ずっと話を聞いてあげてたんだ。その甲斐あって、てことでもないかもしれないけど、姫香はだんだん元気になっていった。それが夏前の話」
まさかあの麗奈がそんな善行を積んでいたとは思いもしなかった。
「けど最近なんかまた思いつめてるみたいで……」
「ああ……」
それはもしかして俺と同じ理由で悩んでいるんじゃ?
鈴江は確実に何かを知っている。麗奈がここにいなくなったことに気づいている。
「私が原因なのかな?」
「そ、それは……そんなわけねえって! だってレイナさんは何も悪いことしてないんだし」
俺は少し嘘をついた。腹の底にわだかまるモヤモヤがあることを押し隠した。けれど無暗にそのモヤモヤをレイナさんにぶつけてしまうのは間違いだと思う。これ以上余計なことをいってレイナさんを戸惑わせたくないから。
「でも、もしかしたら気に障るようなこといっちゃったとか」
「ないない! そんなの鈴江が勝手に落ち込んでるだけだ。放っておけばいいよ」
強いていうなら、その綺麗すぎる無自覚っぷりは受け取りようによっては不快だと捉えられてしまう可能性は否めない。けどやっぱりそれは受け取り手側に問題があるわけで。
「ありがとう。さそりくんにそういってもらえて、元気出たよ。単純だよね、私って」
別に俺はレイナさんを励まそうとしてはない。無益にクラスメイトの女子を傷つけるようなことは避けたかっただけ。自分で自分に罪悪感を背負わせないための保身から生まれた偽りの優しさだった。
その笑顔が綺麗すぎるほどに、かえって心に刺さった。グサッとな。
「まあ、困ったことがあったらいつでも相談してくれ」
「うん! 頼りにしてるよ」
しかし、こうして向かい合ってランチタイムを共にする女子が笑ってくれているのは男として幸せなことだ。レイナさんを泣かせてしまったあの日と比べると今日は良い一日だ。ミートドリアもマルゲリータピザも美味しいし。
「そうださそりくん、私にもそれ食べさせて。あっ! 美味しいね、ドリア」
「うん。じゃあ俺もトマトパスタもらうぞ」
トマトパスタも美味しいし。
楽しい、かも、な。
「あ~お腹いっぱいイタリアンだ~」
「なにそれ、それよりこの後どこ行く? 私は観たい映画があるんだけど」
女子にデートの主導権を握られるのはやぶさかでないが、俺は具体的なプランを持ち合わせていないし、ここはこいつに流されておこう。
「いいじゃん、付き合うぜ」
さりげなく、『仕方なく付き合ってやってるぜ』感を匂わせながら男の威厳を保つことも忘れない。
と、レイナさんはしげしげと伝票を見つめている。指を折って暗算しながら、
「千五百円ずつね」
自然な調子で割り勘を持ち掛けた。いやいやちょっと待ってくれ、ここは俺が支払うに決まっているだろ。
「俺が千五百円を二人分払っとくな」
「え? いいよ。自分で食べたものぐらい自分で払うよ? それに、さそりくんはもう十分私に優しくしてくれてるし、さすがにこれ以上は甘えられないよ」
「いいっていいって。女子ってオシャレにお金かかるんだろ? 食事は俺が払うからさ。お前は自分を磨くために小遣いとっておけって」
「どこでそんなキザな台詞覚えたのか知らないけど……わかったよ。そんなに奢りたいなら奢られてあげる」
押せば折れてくれる姉属性のレイナさんは苦笑している。しかし本当に苦笑するべきは俺だったのだ。
レジにて、俺はとんでもない失態に気づく。ここでこれをやってしまったら全てが台無しになるレベルの重大な過失を犯してしまった……。比喩じゃなく背筋をなにか冷たいものが突っ走るのを感じた。瘧のようなガクブル状態。どうしたものかと悩んだ末に、後ろでにこにこ笑っているレイナさんを振り返り、こっそりと耳打ちした。
「やばい。服に金使いすぎて、六百六十六円しか残ってない。ちょうど悪魔の数字だ」
「え? うそでしょ?」
そういったきりレイナさんは俯いてしばらく顔を上げてくれなかった。小刻みに肩を震わせレイナさんに、これは相当お怒りなのかと恐怖していると、
「もう~ちょっと、私ダメかも。ダサすぎて笑いが止まらないよ!」
俺の心配は杞憂に過ぎなくて、笑っているだけだった。怒られるよりは笑われる方がマシだ。正直このシチュエーションは自分でも草生えるわ。だってさっきあんなにキザな台詞いっておいてこのザマかよって! そう思い返してみたら可笑しくて、俺も弾けるように笑う。
「さそりくん、そういうの色んな意味で勘弁して!」
お腹がよじれるほど笑うレイナさんはとても新鮮だった。こういう風に笑うんだな。自分の失態もよそに、俺はすごくすごくあたたかい気持ちになれた。あったかあったかだよ~。
「そんなに笑うか?」
ちなみに店員さんは空気を読んで、背景の一部に溶け込むようにして待ってくれている。
「だってダサすぎて面白かったんだもん!」
「ダサいって何回いうつもりだよ」
と、急に冷静になった俺は恥ずかしくなった。いくらなんでもそこまで笑われると……
「それでどうすんだ? 払って、くれるんだよな?」
当然払ってもらえるもんだと思って、少し傲岸不遜ないい方になってしまった。ほとんど強要しているといってもいい。ふと、堀北の不敵な笑みを思い出した。
「仕方ないな~。特別だからね」
笑い疲れて息を切らしたレイナさんは、素早く会計を済ました。そして逃げるように店を後にする俺たち。この後映画とか観る気になれないんですけど。そういえば、映画を観るにもお金はかかるんだよなー。
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