The Long Passing
思春期の悩みというのは、千差万別でその深さも痛みも性質も人それぞれなのだろう。
しかし俺の悩みは、その神秘性や怪異性において群を抜いている。
幼なじみの女子が別人になってしまった。外見も性格も変わり果ててしまった。しかしどうやら記憶だけは継承しているらしい。
こんな悩みをスクールカウンセラーに相談してみても解決するわけない。年頃の女の子はちょっと目を離した隙にどんどん垢抜けて綺麗になっていくのよ、とか説き伏せられたらたまったもんじゃない。そんなくだらない回答は聞きたくない。これはそういう問題じゃない。
でも、もしかしたら……。その通りかも。
俺が麗奈の変化についていけてないだけ。俺が綺麗になった麗奈を認められないだけ。
全ては情けなくて狭量な俺のせい。俺が坊やだからさ。
さもなくば、前にも思ったことだが、俺が狂人になったという可能性もある。
特定の知人を知人として認識できない病気、調べればそんなのがあるかもしれない。狐憑きとか多重人格とか、よく知らんが、斬新なミステリー小説の主人公になってしまったのか。
それとも、人智の及ばないSF的世界改変に巻き込まれてしまったのか。
ここは異世界か、後ろを振り向いたら戻れないのか。
自分を疑うか、世界を疑うか。答えは一つ。
とりあえず現実的に俺ができることから始めよう。学校のクラスの生徒たちにレイナさんの変化について聞き込みをしてみるのだ。さすれば何らかのこの状況を打破するヒントが得られるやもしれぬ。
場所は学校。曜日感覚も季節感も希薄になってきたのは俺自身に余裕が無いことに起因しているのだろう。おそらく今日は木曜日だと思う。そして窮屈な長袖のシャツに身を包み自転車を漕いでいる。朝の通学路というのは静かなものだ。まあ、朝でも昼でもこの街が喧騒に包まれた試しはないのだが。愚にもつかない思考を巡らしながら登校していると、やがて住宅街ゾーンから広大な田んぼ道ゾーンへと景色は移り変わった。我が高校は街外れにぽつねんと佇んでいる。その奥には山が横たわっていて。ああ、説明すればするほど虚しくなるよ。もっと遊ぶ場所がたくさんあったらいいのに。
良いところの話をしよう。物事に対して純粋で前のめりに肯定し愛そうとする姿勢は大切だ。今の俺がそんな胸を張れるような人間ではないことは放っておいて。もう少しレイナさんはレイナさんで尊重してもよかったはず。化物扱いせずに。得体の知れない存在だからといって、感情が無いわけではないのだから。
さて、この街の良いところというのは、星がよく見えるところだ。特に学校奥の山の頂上から見上げる星空は絶景だ。
そういや、麗奈と最後に会ったのは九月最初の方の金曜日で、その翌日に麗奈は鈴江姫香と一緒に山へ行ったんだよな。
羨ましいな。俺も星を見に行きたいなあ。
朝のホームルーム前から精力的に聞き込み活動を実施した。無作為に男女問わず、つまり闇雲に聞いて周った。俺はいたってシンプルな設問を繰り返した。
「なあ、最近戸泉って大人っぽくなった感じしね? なんか心当たりある?」
さながら彼女の不貞を疑う彼氏だ。もしくはストーカーだ。
その返答は次のような具合だった。
曰く、『え、戸泉さん? 前とあまり変わらないと思うけど』
『安心しなよ、真智。麗奈は一途なコだよ』
『お前の手前こんなこというのはアレだけど、あいつ最近ちょっとエロいよな』
『あ~麗奈ね~。なんかあったのかもね~。けどそれは、あなたがすでに知ってることじゃない?』
『え⁉ ふわわわわわ! 真智くん? 戸泉さんが? うん、そうだね。近頃ちょっと可愛いよね。私じゃ適わないよぅ。ふぇ⁉ なんでもないよぅ!』
レイナさんの変化に気づいている人もいれば、そうでない人もいた。その割合は半々くらいだった。ただし一人もレイナさんのことを偽物だとのたまうような手合いはいなかった。
やっぱり俺がおかしいのか。そうだとすれば、そうじゃなくても、俺がレイナさんにした仕打ちは取り返しがつかないことだ。沈んだ気持ちで廊下を歩いていると、例のあのレイナさんとすれ違う。
俺は目を合わせないように顔ごとそっぽを向いて回避した。
それより今は聞き込みが大事だ。
しかし不特定多数の人よりかは、特定の麗奈と親しい間柄の人に絞って調査をした方がいいのではと思い直した。方針を変えた俺は、昼休みにとある女子生徒を連れて、人の少ない理科室前廊下に向かった。
「麗奈のこと?」
見事に俺の思惑を読み取ったその女子生徒は、鈴江姫香。冷たい性質の声が俺の耳をくすぐる。
「そうだ。鈴江の目には、麗奈はどう見える?」
「……いってることがよく分からないんだけど」
「う~ん。例えば、あいつが最近大きく変わったような気はしないか?」
「さあ、分からない。協力できなくてごめんね。話はそれだけなの」
「いや、まだある。お前、前に麗奈と一緒に山行ったろ。その時のことを詳しく聞かせて欲しい」
「っ! ……驚いた。そんなことまで知ってるんだ」
「まあ一応、麗奈本人から聞いたことだからな」
「ふーん。だったら、山に行ってみればなにか分かるかも。私は用事あるからごめん、それじゃ」
「ちょっと待てよ! 何だよ用事って。てか、山に行けってどういうことだよ」
俺は少し意味深な手がかりらしきものを感じて詰め寄った。こいつ、レイナさんの変化に気づいてる。
「ば、バレー部の昼練があるの! 急いでるの、じゃあね!」
肩までの茶髪を揺らしながら鈴江は小走りに逃げて行った。
あいつ運動部になんか入っていたのか? 色素薄いし、運動が得意そうには見えないけど。しかもよりによって強豪で有名なうちの女子バレー部とは。少し体動かしただけで貧血起こしそうなくらい病弱な外見とはそぐわない。実はスポーツ抜群なのかも。そのギャップであいつは妙にモテてるのか。よくクラスでも色んな男に話しかけられているとこ目撃するしなあ。
だが、謎多き鈴江のプロフィールよりも大事なことがある。
山、とあいつはいった。山? 山に行けば分かると。
分かるって何が? 麗奈の消失の真相が? 意味不明だ。しかしそんな不確かな情報こそ俺の求めていたもの。調べる価値のある情報だ。最初から俺はこの現象に分かりやすい易しい最適解など期待しちゃいないっつーの。よし、山に登ろう。標高三百メートル未満の小さな山だし、すぐ行ってすぐ帰ってこれる。懐中電灯と水だけ持ってけば十分でしょ。
放課後。帰りのホームルームが終わり、掃除をして、一日の役目を果たす。部活に入ってない俺はのんびりと帰宅する。廊下を歩いて階段を下りて靴に履き替えて駐輪場に向かう。ぼんやりといつ山に行くのかを考える。明後日の土曜日にでも行こうかな。しかし俺が行って何かを掴めるのか。もっと超常現象の類に詳しい専門家に付き添いして欲しい。なんなら鈴江が一緒に来てくれたらいい。何か知ってるのならもっと明晰な情報を寄越してくれよ。けどあまり仲良くないし、とこんな事態でも女子に対して排他的な俺。
と、駐輪場の俺の自転車の前に誰かが陣取っている。あれは明らかに、レイナさん。
俺に向かって一言文句でもいうつもりだろうか。感心するほど強情な女だ。
しかし、レイナさんは穏やかに微笑して、
「さそりくん。待ってた。帰ろう?」
まるで何もなかったかのように振る舞う。
「お、おう」
昨日の今日泣かしたばかりの女子に、気を遣われている……
「掃除当番だった?」
「うん」
「私も手伝えばよかった」
「……」
本当は腹に一物抱えてるんじゃないか? 不意にそう邪推してしまう己の器の小ささを呪う。
ばかやろう。自分呪うより先に、まず謝れって。
「あのさぁ……昨日はごめんな。昨日だけじゃなく、ずっと、ごめん」
レイナさんは少し笑ってから、嬉しそうに口を開く。
「さそりくん。私ってそんなに綺麗になったかな?」
あっ……
今日一日俺が聞いて周ってたことが、レイナさんの耳にも届いてしまったのだな。
途端に恥ずかしくなる。
「そ、そりゃもう……」
別人なくらいに、そういおうとして止めた。それをいったらレイナさんはまた悲しんでしまう。もっと違ういい回しがあるはずだ。俺は考え考えに、
「普通の男子ならどきっとするくらいには綺麗だと思う」
「へえ、普通のか~」
思案顔で空を仰ぐレイナさん。その空には、ここ何日も続く秋晴れの澄んだ青があった。
こうしていると、まるで仲の良いクラスメイトが二人で下校しているみたいだと思った。しかしそんな普通の青春の光景とは違う。俺にとってはどこまでも歪でしかない。
「もうすぐだね。私たちの誕生日」
俺が黙り込んでいると再びこの前の修羅場になってしまうので、きちんと俺も会話をしようと試みる。
「そうだな。俺達ももう十七才か」
ちなみに俺と麗奈の誕生日は同じ日だったりする。明後日の土曜日な。
レイナさんがそんなことを知ってることに今さら疑問を抱かないし異議も唱えたりはしない。したくない。女子を泣かすことはもうしたくないから。
それに、レイナさんは何も知らないんだ。自分が存在することに何の猜疑心も無いんだ。理由も仕組みも謎だが、何らかの超自然的によって生み出されたと推測されるレイナさんは、本人的には自分を普通の人間だと思い込んでいるのだろう。
ああ、もう疲れた。こんなの誇大妄想だと割り切ってしまえればどんなに楽だろう。レイナさんを麗奈として受け入れて平凡な日常をとりとめもなく暮らせたらどんなに心地良いだろう。レイナさんは麗奈よりおっぱい大きいし優しいし心広いし。俺さえ諦めれば、どんな幸せだって享受できるはずなんだ。
けどな、麗奈。戸泉麗奈。彼女の存在はかえがえのないもの。絶対に忘れやしない。
「俺たちの戦いはこれからだ!!」
なんてな。こんなとこで終わってたまるかっつーの。
「さそりくん、今日は元気だね」
このコが何者でも関係ない。俺の隣を歩き、優しく微笑んでくれて、しかもこんなに綺麗なクラスメイトにすげない対応をするなんてありえない。目には目を、歯には歯を、優しさには優しさを。美少女にはさらに優しく!
……。
「おう! 最近落ち込んでたけど、元気だ。今日からはずっと元気だ!」
「うふふ。声、大きいよ」
「お前はおっぱいが大きいな!」
「え? おっぱい、好きなの?」
真顔で際どい質問をぶつけてくる。どう答えたらいいものやら。
「顔、赤いよ」
嘲るように、笑った。
まんまと手の平の上で転がされている俺はあまり良い気分じゃない。
「もう~そっちが先にセクハラしてきたくせに~」
レイナさんはつんつんと俺の二の腕をつつく。微妙な刺激がとてもこそばゆい。
麗奈みたいなクソガキとか堀北みたいなふざけた奴ぐらいとしか交流してこなかったんだが、女子高生ってみんなこんな感じなのか⁉
俺も負けじとレイナさんの二の腕をつつき返してみる。こんなことしていいのか?
ぷにっとした弾力が指先に伝わった。思いがけない柔らかさに、もしかした触ってはいけない部位を触ってしまったんじゃないかと錯覚に陥る。問題ない、安心しろ。たしかに二の腕だ。しかし不思議なほど柔らかい。太ってもいないのに。
「くすぐったいよ。上手だね」
上手って何が?? もはや恐ろしい……。自分の行動も、レイナさんの言動も。
「てか、このカーディガン凄く触り心地が良いなあ」
童貞の不器用さゆえに積極的になってしまう。無遠慮にレイナさんの紺色のカーディガンをつまむ。
「ポリエステルじゃなくてカシミヤだからね。こないだ買ったの」
「素材とか詳しくないから分からねえよ」
「もうすぐ十七才なんだから、そんぐらい知っときなよ」
は? うるせえよ。
「はっはっはー。ダメだなあ俺は。そろそろ覚えなきゃな~」
「そうだ! じゃあ今度一緒に服買いに行こうよ!」
「お前、そんな趣味あったのか?」
「うん。でも私もつい最近からだよ。急に目覚めたってゆーか、必要に駆られたってゆーか」
遠く離れた校舎から吹奏楽部のロングトーンやスケール練習する音が聞こえた。ノー。ずっと聞こえていたのだろう。周囲の音に耳を澄ませる余裕が出てきたということだ。
「必要に?」
「なんか、制服のサイズが小さくなっちゃって……。電車乗って大きな街まで調整しに行って。ついでに色んなショップ周って洋服も買った」
いわれて初めて気づいた。ぴちぴちだった制服が丁度フィットする感じに変わっている。
「あ~そうなんだ、いいね。俺も連れてってよ」
「男子の服とかよく分からないけど頑張るね」
「付き合いたてのカップルかよ。まったく」
「いいでしょ? 幼なじみなんだし。そしたら、いつ空いてる? まあさそりくんはいつも暇だよね。明後日の土曜にとかどう?」
いいぞ、と頷く。明後日は山狩りする予定だったけどいいや。山に確信があるわけじゃあねえし。
こういうわけで長いすれ違いの末に(主に俺が悪い)、レイナさんとデートしに行くことが決定した。誕生日デートだ。
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