少女は勝手に帰る
もはや曜日感覚も薄れてきたいつもの学校のいつもの朝。少し早く着きすぎた俺は、眠そうで眠くない不思議なコンディションのままぱらぱら単語帳を捲っていると、
「きゃー! 可愛い!!」
ふと前方に集まって騒いでいる女子たちの存在に気が付いた。
「なんかね、近所の中学にすごく可愛い男子中学生がいるんだってさ。その写真で今盛り上がってるみたい」
「へえ、男子中学生に騒ぐって……ショタコンってやつか?」
「私も見たけど本当にすごく可愛いんだよ? さそりくんも見たら絶対好きになるよ」
「なるわけねえだろ!」
いつからそこに立っていたんだとはつっこまずに、自然に会話をする。正直、このレイナさんとやらにも慣れてきてしまった俺がいる。クソガキな麗奈とは衝突してばかりだったが、レイナさんはお姉さん的な包容力で俺を包みこんでくれる。
「さそりくん、今日は放課後空いてるかな?」
「……」
けど、俺はやっぱり麗奈が……。どうしていなくなってしまったんだ。
「ねえ聞こえたでしょ?」
「あ、ああ。今日も文化祭委員の用事があってだな」
そんなの丸っきり嘘だ。俺はなんとなくレイナさんを遠ざけたかった。このままレイナさんと一緒に居続けてたら俺の中にある麗奈の記憶が失われてしまうような予感がしたからだ。根拠はない。
「そっか、大変だね。私も劇の主役頑張るよ!」
その劇の主役も元々は麗奈が務めるはずだったはず。段々と俺の生活の麗奈がいた部分をレイナさんが侵食してくる。
「そういや、その劇ってのはどんな話をやるんだ?」
「えっとね。女子高生パンツスティール事件だよ」
「は?」
「高校で女子生徒のパンツが次々と盗まれていくっていうサスペンスなんだって。トリックとか結構巧妙でおもしろいんだよ」
「……なんでそんな劇の主役がお前なんだ?」
「うーん。多分私が立候補したんだけど、何でそんな勇者なことしたのか自分でも分からないんだ。ここだけの話、やる前から黒歴史だよ。ここだけの話だからね」
なるほど。おい麗奈、お前レイナさんにめっちゃ迷惑かけてるぞ!
俺は苦笑混じりに、
「だったらミスコンの方がマシだったな」
「かもね。けど一度決まっちゃったことだし。もう逆らえないよ」
それには同情を禁じえない。脚本書いてるの誰だよ。
「さそりくんにいっぱい愚痴りたかったんだけどなあ。いつか一緒に遊びに行こう?」
「……ごめん。しばらく忙しいから」
もしかしたらこんなボロボロの嘘なんてとっくに看破されてるかもしれない。いくら文化祭委員といってもそこまで忙しいわけがないもんな。けどこいつの気持ちなんか汲んでいられない。
俺には麗奈と二人だけの未来があるはずだった。俺の願う未来にはレイナさんはいない。一刻も早く麗奈に会いたい。けどこのおかしくなった世界を元に戻す方法を、俺はまだ知らない。
放課後だ。学校の色んな場所を巡って時間でも潰すかな。ぼんやり計画を立てながら、めいいっぱいの緩慢な動作で俺は教科書類を鞄に詰めていると、
「おい、仕事だぞ」
自転車泥棒が無感情な様子で登場した。
「え、今日もなんかあんの」
「文化祭のポスターを貼ってもらえるように近隣の皆さんにお願いしに行くんだよ」
「すげえそれっぽい仕事だなそれ」
「他人事みたいにいってんじゃねえよ。さあ、行くぞ」
そこまで忙しくないと思ってたけど、意外とやることあるんだな。
「ところで堀北、近隣を周ってくっていったけどさ、自転車は貸さないぞ?」
昇降口に向かう途中、そう釘を刺した。
「あーもう大丈夫だ。あたしのスーパーカブの修理は完了してるからな」
「っ⁉ お前原付免許持ってるのか、すげえな」
「ばーか。小型限定普通二輪免許だよ。ははは、面白いな真智」
「いや、そんな細かいのは知らんけど」
もう季節は秋だというのに、汗が止まらない。必死に自転車を漕いで堀北の後を追いかけた。
人目に付きそうな店舗の従業員の方々に頭を下げて、結構な枚数のポスターを貼ってもらうことに成功した。そして最後に、カラオケ店へ。もう学校から大分離れてるし、なんなら電車で行けばいいくらいに遠かった。そのカラオケでは堀北の中学時代の友達がバイトしているらしい。
「いらっしゃーい。おお、絵里じゃん。どうしたの」
どうやら受付にいる女子が堀北の友達のようだった。もっとギャルっぽいのを想像してたが意外と普通で驚愕した。
「うちの高校の文化祭のポスターここに貼ってくんない?」
「いいよ~」
しかも、雑な頼み方で要求されても快く応じてくれる寛容さまで兼ね備えていた。
「じゃあ、入り口のドアに貼らせてもらうな」
「うん」
「そんな図々しい場所に貼ってもいいのか⁉ 店長の許可も取らないで⁉」
「なんなら閉店後に全部屋のドアに貼っといてあげるよ~」
「本当か? 助かるよ、ありがとう」
「あの~」
どんどん話が進んでいくところ悪いのだが水を差させてもらう。
「勝手にそんなこと決めていいんですか? それは越権行為というやつじゃあ」
しかし感謝はしていた。ただ俺は越権行為という単語を使ってみたいだけなのだった。
受付っ娘は気安い調子で、
「いいのいいの。店長は私の犬だから。ねえ、店長?」
「わん!」
店の奥の方から店長らしき男の鳴き声が聞こえた。草生えるぜ。
でもでも、カラオケ店の店長になってバイトの女子高生から犬として扱われる人生も悪くないと思ってしまったのは内緒だ。
と、堀北が受付に頬杖をつきながら、
「今から二人空いてるか? 二時間くらい」
「うん、空いてる~。十六番の部屋ね」
伝票を受け取り颯爽と歩いていく堀北に俺もとぼとぼと付いていく。実は俺はカラオケに片手で数えれる回数しか来たことがない。歌うのも苦手だし、どうしよ。
十六番の部屋は、わりと広いとこだった。八人分くらいの席がある。
「真智、寝ない?」
……。
「あたし寝たい。真智も寝よ?」
「っ⁉ お前……ごめん。気付いてあげれなくて」
こんなカラオケでいいのかそんなことして⁉ けど店員も堀北の友達みたいだし許してくれたりするんだろうか。
「いいのか? ここは歌う場所なんじゃ……」
「そんなのどう使おうが勝手だろ」
「勝手すぎるぞ!」
「あたしはこっちで寝るから、真智は向こうで」
そういって堀北は自分とテーブルを挟んで反対側の席を指差した。
俺は言われるままに指定された場所に座る。
「じゃ、おやすみ」
普通に寝た! 寝るってそのまんまの意味で寝ることかよ、スリープかよ。思わせぶりなこといってんじゃねえよ。
「てか帰れよ! 帰って寝ろ!」
その声は虚しく防音壁に吸収されていくだけだった。
しかし俺もそれなりに疲れていたらしく、前後不覚に眠りこけてしま……う。
夢、夢を見ている。
麗奈、じゃなくレイナさんだ。
襟元に青いリボン付きの白いワンピースで身を飾ったレイナさんが子供みたいに、麗奈みたいに、楽しげにはしゃいでいる。それを眺めながらほっと息をつく俺。
ここはどこだろう。ふと思い、首を巡らしてみる。
泉。森の中。風がそよいでいる。
木漏れ日の光を浴びたレイナさんが、蝶を追いかける。
その白い両手が差し伸べられた先に白い蝶が舞っている。
蝶はやがて疲れた羽を休めるかのように、レイナさんの手元へと優雅な着地をした。
その瞬間。
俺は腕を突き出し、レイナさんを強く押した。
バランスを崩したレイナさんは……泉に落ちていった。
そこで目が覚めた。意識を取り戻してみると、自分の夢の内容すら忘れていた。しかしなにかとても悲しい夢だったような気がする。
自分の寝ていた場所も覚束ないまま、とりあえず上半身だけで起き上がった。一瞬良い匂いがした。その匂いの主と一緒にここに来たはず。たしか……堀北だ。堀北とカラオケに来て、寝ちゃったんだっけ。でも部屋の中に堀北の姿は認められない。
ありえるわけない妄想に苛まれた。世界中の全ての人間が消えてしまった、麗奈と同じようになんて。
バカな考えに苦笑しつつ部屋を出て受付の少女に問いかけた。
「堀北、いなくなっちゃったんだけど、知らない?」
「絵里なら帰ったよ~」
「帰った⁉ いつの間に……。そうか、俺寝ちまったからな」
どんくらい寝てたんだろうと携帯で時刻を確認すると、もう八時を過ぎていた。部屋に入ってから二時間以上は経っている。
「そんなにぐっすり寝ていたのか。起こさないように気遣ってくれたんだな、堀北は」
「いや、そういうわけでもないと思うけど」
堀北のことをよく知っているはずの少女は憫笑を浮かべて俺を見つめてくる。この少女からは無機質な印象しか受けなかったが、感情を表情に出すこともあるんだな。
「あいつなんかいってたりした?」
「ううん、ニヤニヤしてた。ごめんね。ああいうコなの」
「そういえば代金はどうなってるんだ。部屋には一円も置いてなかったけど」
「申し訳ないけど、あなたに全部払ってもらうことになるわね」
「へえ」
ちょっとムっとしたけど、しょうがない。俺が爆睡してたのが悪いんだし。
「三千円になります」
高いような気もするけど、あんまカラオケ行ったことねえし分からねえ。素直に財布から千円札を三枚に抜き取ってレジに置いた。
「あなた、疑問に思ったりとか怒ったりとかしないの?」
なにがだ? とその意思を示すように俺は小首を傾げて見せた。
「だからさ、色々。説明しなきゃ分からない? 絵里ったらお金も払わないでとっとと先に帰っちゃったのよ~。おまけに当店自慢のサイドメニューを心ゆくまで堪能しちゃってさ~」
「サイドメニュー代金込みの三千円だったのか⁉ 妙に高いと訝ってはいたんだよ」
少女は力が抜けたように頬杖をついた。そして気まで抜けたような調子で、
「あなた無感情なの、鈍感なの、もしかして優しい人?」
「してやられたような気分ではあるけど、別に怒ってねえよ。だってあいつさ、笑ってたんだろ? その笑顔想像すると俺も可笑しくて笑いそうだよ。まったく、まんまとやってくれたぜ」
「え……壊れてるの、この人」
「あいつには悪気は無いと思うんだ。自転車盗まれた時はさすがに絶望させられたけどな」
少女は捨てられた子犬を見る目で、
「まあ、悪気は無いのかもね。性格もそこまで歪んだコじゃないし。ただし、今後気をつけて欲しいことがあるの。それさえ気を配っとけば大丈夫。トリセツってやつね」
「トリセツ? そんなもんがあるのか」
「あのコね、人に奢らせるのが好きなの。相手が男だろうが女だろうが関係ない、いかなる手段を弄してでも奢らせようとしてくる、より高い額をね」
「一回限りならまだしも、毎回それだとクソ迷惑だな」
俺の漏らしたそんな感想を聞いて、少女は弛緩したようにふっと微笑んだ。
たしかに気をつけるべきだ。しかし堀北には深い事情があるのかもしれないぞ。
「堀北って、貧しい家のコなのか?」
「違う。家は普通よ」
「あっそう。てことは純然たる趣味というか、性癖でそういうことやってんだな?」
「うん。ゲームみたいな感じかな。あと、こっそり帰るのが好きなの」
「こっそり帰る? どしてまたそんな変な行動するんだよ」
少女は嬉しそうに息を弾ませながら、堀北に関しての自己流の分析を語りだした。
「小学生の時にさあ、かくれんぼの途中で帰るコたでしょ?」
「おう、あったあった!」
ずっと探しても見つからなくて、皆総出て延々と探し続けちゃうやつね。
「あのコもそれの常習犯でさ~私なんか絵里が見つからなくて泣きながら夜まで探したことあるんだから」
「中学高校になっても同じことをしてるってわけか。呆れた奴だな」
けど、少女の口調は堀北を責めるでもそしるでもなく、
「嫌な彼女だね~」
宙を見つめながら、独り言のように呟いた。
「誤解してるみたいだな。俺はあいつの彼氏じゃあないぞ。ただのクラスメイトだ」
「……絵里のこと、ずっと見ててあげてね。見失わないであげてね」
「お、おう」
少女は俯いた。きっと喋り疲れてしまったんだな。急に静かになった空気から逃げるように俺は店を出た。思えば、初対面の他校の女子との会話がよくあそこまで続いたものだ。
にしても堀北は面倒くさい奴だ。現在俺の周りにいる女子たちはロクなもんじゃないということを改めて痛感した。
今日の一日は疲れたな。こんな遠いカラオケまで来て、今から帰るのが億劫だ。もう山の奥深く暮れてしまった夕日の方へ、重い体に鞭を打って進んでいく。イベントは沢山起こっているはずなのに退屈な毎日だ。遅々とした時間の流れにイライラする。こんなたっぷりとした時間を俺に与えて、一体何をしろというんだ。他のみんなは何をしているんだ。
無意味な想念のために限られた脳の活動領域を振り分けることは馬鹿のすることだとは分かっているのだけれど、連れに先に帰られ寂しい帰り道なのだからこういうことを考えても仕方ないだろう。堀北め、今度は帰さないぞ……。
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