憧れの青春、二人乗りの自転車
どうしてだ? 本当の麗奈はどこに消えてしまったんだ? 学校の奴らも、麗奈の家族すらも何の違和感もなく今のレイナさんに接している、これはどういうわけだ?
ここ数日、秋の微睡の中でレイナさんの優しさに埋もれていた弱虫な俺、真智さそりは新たに決心をする。必ずや、消失した戸泉麗奈を見つけ出してみせると!
そうと決まれば一早くこの退屈な会議から抜け出したいのだが、どうして俺は文化祭委員なんかになってしまったんだろうな……。
「よって今年のメインイベントとして、ひふみ高校ミス・ミスターコンテストを開催する! フハハハハハ! 撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ!」
と、文化祭実行委員長の三年生が大演説をようやく締めくくった。撃っていいのは云々の部分には特に意味がないっぽい。しかしその暑苦しさを、同じぐらい暑苦しい文化祭委員たちは難なく受け入れていた。異様な熱気に置いてけぼりにされた俺は椅子に深く凭れかかり嘆息する。隣に座る相棒も同じく嘆息した。相棒とは、学校内で不良少女疑惑が盛んに囁かれている、あの堀北絵里である。うちのクラスの文化祭委員はなぜか俺たち二人だ。どういう経緯でこうなったことやら。絶対他にやりたい奴らがいたはずなのに。
文化祭委員の仕事量はとても多いと聞く。自分のクラスの出し物を取り仕切り、さらに文化祭実行委員会全体としてのイベントも企画運営しなければならない。大変だからこそ、そこにやりがいを見出す生徒は大勢いて、毎年各クラス男女一人ずつの文化祭委員の椅子は取り合いになる。はずだった。そのご多分に漏れてしまったのか、特に争うことなく争われるべき椅子についてしまった俺と堀北はアウェイ感を味わっていた。
「盛り上げていこうぜ!」
「うおおお! やるぞおおお!」
この人たちは革命でも起こすつもりなのかなと思うほどの熱狂だ。全員躁病なんじゃねえの。って、それはいいすぎだよな。
「お、おー!」
と、俯いて顔を赤くした堀北が控えめに拳を突き上げている。
もしかして、こいつやる気なのか?
誤解されがちだけど、堀北は案外熱いものを秘めた女だ。こういうイベントは大好きだけど、恥ずかしくて自分の殻を破れないのだろう。こないだは一緒に麗奈を探してくれた堀北の温情に報いるために、俺も頑張ってみよう。
委員長の話は次第に具体性を帯びてきて、
「ミスコンなんだが、こちらの方で事前に候補者を選んでおいた。自薦他薦問わずとはいうが、我が校の奥ゆかしい乙女たちが自らこんな仰々しいイベントに名乗りを上げるとは考えにくい」
「そうだね。女子は、恥ずかしいよね」
副委員長らしき上級生が相槌を打った。らしきって何だよ! 話聞いとけよ俺!
委員長が挙げてきた候補者リストの中には戸泉レイナさんもいた。あいつが注目されてしまうのは芳しくないが仕方ない。美人だもんな。
「この候補者ちゃんたちのクラスメイトはいるか? 手を挙げてくれ」
委員長は満足そうに周囲を眺め渡し、うんと頷いた。
「よし! 君たちは、候補者ちゃんたちにミスコンに出場してくれるよう声をかけてきてくれ。最初にして最大の仕事だぞ。人が集まらなきゃコンテストも開催できないからなあ」
「はい!」
とても良い返事が空間に響いた。
「は、はい」
遅れて、堀北も。
文化祭が開催される頃には秋もより深まっているはず。穏やかで涼しい空気が快い夕暮れの通学路を、堀北と二人で歩く。
と、堀北が、
「戸泉にさ、どっちが話しかける? 仲が良い真智からいう? それとも関係が浅い私が頑張ってみる?」
「お前がやれよ」
「はあ? ひどいなあ。あんた文化祭委員の仕事真面目にやれっつーの」
そう咎めながらもひどく嬉しそうな顔をしている。
「文化祭っていつからだ?」
「十一月三日」
「ああ。そろそろだな。クラスの出し物の方はどうなっているんだ?」
「演劇だろ。ったく」
演劇だったのか。レイナさんですら前の麗奈の記憶を持っていらっしゃるというのに、俺のこの記憶力の悪さはひどいな。
ジーっとジト目で堀北に睨めれている。そして、ため息。
「しっかりしろよ。戸泉のことはもういいのか?」
「ああ」
こいつにどこまで話すべきかな。レイナさんを観察することにしたとかいったらさすがに気持ち悪がられるだろうし。
「大丈夫だ、問題ない」
涼しい風が頬を撫でていく。そろそろ学校の近くにある裏山も紅葉で真っ赤になっていく。
「そうか。明日、早速戸泉に声かけてみるよ。もしよかったらあんたも付き添ってくれないか?」
「任せろ! お前が失敗したとしても俺がカヴァーしてやる!」
「失敗?」
少しキレ気味に口端を吊り上げる堀北に、少しびびってしまったのは内緒だ。
ここは放課後の教室。
思えばレイナさんが俺以外の人間と会話しているのを見るのは初めてだ。異世界人だか宇宙人だか分からないが、上手く人とコミュニケーションを取れるのか見ものだな。
「あ、あの戸泉。ちょっと話があるんだけど」
「堀北さんが? うん、いいよ。何かな」
「文化祭委員の用事なんだけど、実は今度の文化祭でミスコンを開催するんだ。戸泉って美人だし、それに出場してくれないかな?」
「え~ミスコン……」
レイナさんは難しい顔で唸った。これが年頃の女子の当然の反応というものだ。つうかこの仕事ってかなり厳しいよな。ちなみに俺は遠くからこっそり見てます。
「あ……でもでも! そんなに恥ずかしくないと思うぞ! 私も精一杯協力させてもらうしさ」
「けど、ミスコンか~」
「皆も戸泉が出場したら喜ぶぜ。この学校には戸泉ファンが沢山いるからな」
「ファン? ファンなんて、いたかな?」
「いるよ! けど、やっぱり恥ずかしかったりするか?」
こくりと、頷く。
「恥ずかしくないよ。なぜなら戸泉は優勝するからだ! 勝つんなら恥ずかしくない!」
きょろきょろと目を泳がすレイナさん。
と、その目が壁際に隠れる俺を発見して固定された。
「文化祭委員ってさそりくんもだったよね?」
「おう、あいつはなんかやる気がないみたいだ」
「やる気? ちょっと、さそりくん。こっち来て」
ひょいひょいと手招きされた俺は、見えない力に吸い寄せられるように体が引っ張られた
「さそりくん? ダメでしょ。女の子に仕事押し付けるなんて」
驚いた、麗奈に窘められるなんて今までなかったことだ。本当にレイナさんは麗奈とは別人なんだな。
「それは誤解だよ。堀北が張り切ってるみたいだから任せてあげんたんだ」
俺はありのままの事実に基づいて抗弁しているつもりなのだが、
「別にあたしは文化祭なんて楽しみにしてねーよ。祭りごととか大嫌いだかんな」
「こんなに嫌がってるじゃない! しかもさそりくんが私に直接交渉してくれたらもっとスムーズに事は運んだのに」
「うっ! ほら、あたしはこういうことに向かないんだよ……」
話がややこしくなってるし、一人傷ついたし、どう収集つけるんだよこれ!
「私がさそりくんの頼みを断らない人だって分かってて、敢えて堀北さんに任せたのね! そんなレベルの高いさそりくん、ついていけない!」
「俺はそんな変態じゃない!」
禍根を残さないように最低限の最善を尽くさなければ。
「じゃあレイナさん⁉ ミスコンに出てくれるよね?」
「出ないよ? 文化祭はクラスの劇で忙しいもん」
あ、そのムカつく顔どこかで見たことあるぞ。けどそれは割と正当な理由だった。あんま覚えてないけど主役とかやるんだっけか?
「そっか、クラスの劇で忙しいなら無理じゃん。ミスコンは別に無理して出場する必要もないし、諦めるわ。残念だが堀北、そういうことだ」
「モチベーションが下がった」
抑揚のない口調で愚痴る堀北に、レイナさんは申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい。その分私は劇の方で一生懸命頑張るから、お互い文化祭を盛り上げていきましょうね」
「そ、そうだな。あたしこそ愚痴ちゃってごめんな」
ぎこちなく微笑みを交わし合う女子二人は、なんだか近寄りがたい良い雰囲気を形成していて、
「いいじゃん、こういうの」
俺は小さな声で独りごちた。
「しっかし疲れたわ~。やってらんね~」
糸が切れたマリオネットのように堀北は床にしゃがみこんだ。レイナさんは気おくれしてまた謝った。
「ごめんなさい。文化祭委員の仕事、幸先悪くしちゃって」
「あー違う違う。やってれんね~てのはあたしの口癖で特に深い意味は無いんだ」
「その口癖早いとこ直せよ」
教室の空気がゆるんできた。ミスコンの仕事は果たせなかったけど修羅場にならなくてよかったわ。文化祭シーズンは色々ごたごたして喧嘩が増えるらしいし。
しかし堀北、そんな風にしゃがむとスカートの裾がまくれてふとももが露わに……
「おや? おやおや、戸泉。この上履きは……」
しゃがみこんだ堀北の視線の先には、レイナさんの履いている例の真智上履きが。
「お前らやっぱりそうだったのか」
やはり余計な誤解を生みかねなかったか。
「妙な納得やめろ! これにはのっぴきならない事情があってだな」
慌てて急き込む俺の弁解をレイナさんが受け継ぐ。
「そう! 私がさそりくんの上履きにピザ落としちゃって汚しちゃったから交換したの」
「ほほう。たしかに上履きの一部がオレンジに変色してるな」
レイナさんは自分の足元をしげしげと視線で舐め回されて恥ずかしそうだ。
「てかあんたら学校でピザ食べてたのか⁉ あたしも学校に宅配ピザ頼もうとしたんだが、配達圏外だったんよ。やだよねえ田舎は」
そういって、堀北はいつの間にか手にしていた炭酸飲料を飲む。
「ピザっつっても手作りのピザパンだけどな」
「うん。昔さそりくんに作り方教えてもらったの」
そうだ。確かに俺は麗奈に教えた。そのピザパンのことまでレイナさんは知っている。相変わらずこの人間突然変化の仕組みは謎だ。
「……へえ、水色か」
堀北は話を聞いてないどころかレイナさんのスカートの中を覗いでいた。こいつ、やはり天才か。
「な、なにしてんの! てか色いわないで!」
「もっとやれ!」
もっとやれってなによ、と口を尖らせながら睨んでくるレイナさんを無視して、俺もいつの間にか手にしていた炭酸飲料を飲む。
とりあえずこんな感じでゆるーく日常を過ごしながら、レイナさんが麗奈に戻る方法を模索していこうと思っている。まあ、戻るという表現が正しいのかどうかすらも不明だがな。
俺と堀北はレイナさんとばいばいして学園祭実行委員長の元に赴き、レイナさんを口説くのに失敗した旨を告げた。もちろん、それには正当な理由があることも。
「うむ、了解した。下がっていいぞ」
「意外ですね。出直して来いとか怒鳴られるものと覚悟してましたよ」
「候補者全員が出場してくれるとは最初から思ってないさ。それに俺は演説してる時以外はこんな感じだ」
委員長は静かに話を終えた。ずずず、と茶を啜りながら十五禁くらいの少しエロい漫画を読んでいる。
俺はその漫画の内容が気になっていたのだが、堀北に促され後ろ髪を引かれるような思いで退出していった。
そんなこんなで今日も遅い時間に帰る羽目になってしまった。けれど毎日毎日こうして違う女子を侍らせて登下校できる俺は果報者だ。一人ぼっちは寂しいもんな。
哀愁漂う秋の夕陽が綺麗だったから携帯を取り出して写真を撮った。さりげなくフレーム内に堀北の横顔を収めたのは内緒だ。不良少女相手に盗撮するこのスリル! ばれたらたたじゃ済まない。
「もうあたし歩くの疲れたわ、自転車乗せてくれ」
「ダメだ。二人乗りは禁止なんだぞ?」
「いいだろそんぐらい。人はルールを破らずにはいきていけないんだよ」
二人乗りは禁止だが、盗撮はもっと禁止だ。後ろめたさが頭をもたげてきた。
「まったくお前ってやつは、乗れよ」
「素直だな」
俺、麗奈とも二人乗りしことないのに。うぅ、恥ずかしいよ。遮蔽物のないこの田んぼ道じゃあ誰に見られてもおかしくない。
「おい、何スタンバイしてんだよ。あたしが運転すんだ」
「そうなのか? ありがとう?」
感謝すべきなのか分からないが、俺の負担を軽くしてくれようとしてるんだよな?
しかし、堀北はそんな甘い少女じゃあなかった。
クラスの男子と二人乗りするような青春豚野郎とは違った。
実に鮮やかな手口で俺を自転車から下した堀北は、サドルに跨った途端持ち主を放っておいてペダルを漕ぎ出した。
「ま、待て! 自転車泥棒!」
「ははは! 後で返すよ」
秋空に誰かの不敵な高笑いが聞こえた。
三億円事件の犯人かよ!
田んぼ道をしばらく歩いた。
赤かった空~♪ 一人泣いてた帰り道~♪ ずっと忘れない~ずっと忘れない~♪
ノスタルジックなオリジナルソングを口ずさみながら。
田んぼ道が終わると突然の住宅街が現れる。まるで異なる世界のように田んぼの世界と住宅街の世界はくっきりと分断されている。その境目に盗まれた俺の自転車がぽつねんと置かれている。懐かしい我が自転車に近寄る。そして、そのサドルをしばらく眺めた。
ついさっきまでこのサドルに堀北が……。
咄嗟に首を振ってやましい考えを頭から振り払う。こんな変態の俺なんだから、自転車を盗まれかけるなんて罰を受けるのも運命だ。それから極力何も考えないようにしながら自転車に乗って帰路に着いた。しかしこのまま家に帰るのも味気ない気がして、家からかなり遠くにあるレンタルビデオ店に立ち寄ることにする。そこで偶然見つけたイタリア映画自転車泥棒を借りて、ようやく本当に帰る。
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