真智の上履き
「ねえ、食べないの?」
気がつくとテーブルの上では美味しそうな牛丼が湯気を立てていた。空腹の時には牛丼とかラーメンとかがっつりしたもの食べたくなるよね。
「「いただきます」」
図らずも同時のタイミングで食前の挨拶をしちった。一口食べると肉の旨みと白米の甘味が口一杯に広がった。体中の細胞に栄養が行き渡っていく。俺は少し冷静になった。
「堀北」
そう呼ぶと、堀北は牛丼に夢中になりながら目だけをこっちに向けた。
「どうして手伝ってくれたんだ? お前からしたら、上手くいえないんだけどさ、麗奈は普通に存在してるんだろ?」
堀北はぴたりと箸を止め、器を置いた。そして神妙な顔で俺を見つめ、
「あんたのいってることよく分からなかったんだけど。マジみたいだったからさ」
やっぱりよく分からないに決まってるよな……。俺もそうだもん。
「そんなにマジに見えたか?」
「おう。だって目とか半分イってたぜ」
「それって……どんな姿だったんだよ。はあ」
クラスメイトに女子に醜態を晒してしまっら俺は、今更自分の言動行動を顧みて恥ずかしいのです。とほほ。
「応援してんぜ。あたしはマジな奴の味方だからな」
少年漫画の親友ポジションキャラのような気前のよさで、俺たちの徒労を肯定してくれた。
「ありがとう。お前とは仲良くなれそうな気がするよ」
「おお? そうか! あたしもだよ」
その気安い距離感が心地良い。また困ったことがあったら堀北に相談することにしよう。学校でもこんな感じで明るくフレンドリーにしてればいいのにな。クールで目つきも悪いせいで誤解されてると思うんだ。こいつの良いところを色んな人に教えてやりたくなってきた。
しかし危なかったな。心の中で胸を撫でおろす。
堀北の優しさは少年的な性質を帯びているが。あともうちょっとだけ堀北が少女らしくて、あざとくて、微妙な恥じらいがあったなら……並みの男子高校生はいちころかもしれない。
「にやにやしてんじゃねーよ」
「え? ああ、ごめんな。堀北が優しいのが嬉しくってな。もっと恐い女だと勘違いしてたからさ」
「……あたしそんな恐い人じゃないよ」
不本意なイメージを持たれていたことに口を尖らせ講義する堀北が、その一瞬だけ可愛く見えた……。
空っぽの胃袋に牛丼を流し込んで満足した俺たちは店を出る段になって、
「あ、今回やっぱ奢ってくれなくていいよ」
「そうなのか」
お金の問題でせっかく形になりかけた友情が壊れてしまうのも残念だしな。金の切れ目が縁の切れ目。
「でも財布持ってないから建て替えといて」
「おう、わかった」
たった四百円ぽっちですら律儀に払うというこの女の、どこが不良で、何がきな臭い噂を流すんだい?
外はすっかり暗闇に覆われていた。俺たちは別れの雰囲気が漂うしんみりとした冷気に晒された。自転車を押しながら最後の会話を交わす。
「そんでさ、ジャージ似合ってんな」
「どうしてそこまでジャージを褒めてくる⁉ ちょっと外出るだけだと思って部屋着のままなんだよ! 私服じゃないからな、これ」
「でも、似合ってるじゃん」
きっと今、見られたくない格好してるんだろなってのは分かってた。けれどいじらずにはいれれなかった。学校の外で偶然堀北と会えたのが嬉しかったのかもしれないし、堀北の親切に気を良くしていたのかもしれない。
「こんなの似合ってるっていわれてもなあ……。あたしはもっと可愛い服が似合う女の子になりたかったよ。理想と現実のギャップってやつかな」
快活な口調とは裏腹な苦笑めいたものが堀北の顔に張り付いていた。
「俺は変わって欲しくないな、堀北には。といっても俺はまだ全然お前のことよく知らないんだけどな」
「そうか? あたし真智の前だとけっこう素だぞ」
「だとしたら尚更だ。変わってくれるなよ」
「……えぇ。変わりたいって思ってる女の子に対して変わるなって放言するのは無責任じゃあないかな」
「責任か、取ってやるよ。俺は今のままの堀北をちやほやし続けるぞ。その内可愛い洋服だってプレゼントしてやる! 今日のお礼にな」
「もう、なんかさ、その発言自体が無責任だよね」
こうして軽口を叩けるぐらいにまで俺と堀北の距離は縮まっていた。
「さっきから俺が一方的に褒めてばっかだよな。堀北も俺のこと褒めてくれ! さあ!」
ここ数日間の疲労がたたって変なテンションになっている俺を、堀北は冷たくあしらう。
「あたしは世辞じゃあ人のこと褒めないから。じゃあね、あたしこっち行くよ」
あんなに優しくしてくれたのに別れ際だけ冷たくするなんてひどい! ひどいわ!
「この流れでバイバイなんて、そんなのってないよ! 待って堀北! 俺の良いとこを一つだけでもいってくれ!」
未練がましい俺の訴えに、優しい堀北は足を止めてくれて、
「まあ、強いていうなら、カモなとこ?」
カモ? 鴨そば? そんな鳥っぽい顔してないけど。
堀北との距離が急激に縮まった土曜日を終えて、日曜日は何もせずにだらだらと過ごした。麗奈を探しに行くことはしなかった。
なぜなら、自分の中で一応の整理がついたから。
明日、レイナに会ってみよう。麗奈の行方、この状況の解明、全てのヒントはあの綺麗なレイナが握っているはずだ。勿論、レイナにすら何も分かっていないという可能性もある。いや、その可能性の方が高いと思う。レイナは嘘をついていないはず。
当面の間はレイナの傍にいて行動を共にして観察しよう。事を荒げるのはナシ。冷静な判断力でもってこの不可思議な現象を分析するんだ。
うまく、できるかな……。
教室のドアをくぐって、レイナに挨拶して、他愛もない会話に花を咲かせる。少女漫画の主人公並みに入念なイメージトレーニングを積んだ俺だったが、現実はイメージ通りにはなってくれなかった。
教室に着く遥か前に、通学路でレイナと出くわしてしまった。うぇーん。
「さそりくん、おはよ! 今日から復帰するんだね。よかったー。もう具合悪いのは治ったの?」
「おはよう、レイナ」
実は俺の緊張の原因は、色々あって。
「久しぶりにさそりくんと一緒だなー。でもちょっと安心した。このまま疎遠になっちゃったらどうしようってさ、心細かったんだよね」
「疎遠になんか……なるわけないだろ」
「えー本当? こないだあんなに私のこと怯えた目で見てたくせに。私嫌われるようなことしたかなってすっごく気にしてたんだよ」
怯えた目、か。そりゃ怯えるっつーの。俺にはお前が何者だか分からねえんだから。
「熱っぽくてな。俺の方こそ、意識が朦朧として変なこと口走ったかもしれん。ごめんな」
「ううん。気にしてないよ。頭や体が思うように動かない時ってあるもんね」
「お、おう」
「ん? まだ本調子じゃない感じ?」
さっきの俺の緊張ってのは、このレイナの容姿に原因がある。
元の麗奈より輪をかけた美少女のレイナは、その美しさに無自覚なようで、必要以上の笑顔を振りまいてくる。その瞳と交錯すると心臓がどきっと跳ね上がてしまう。
さらに、制服がぴちぴちしてる。制服のサイズまでは改変されてないわけだ。元の麗奈より一回りほど背丈も胸も大きいレイナにとっては結構きついのだろう。
「なるほど。胸が気になってるんだね。最近制服が小さいんだよなー」
「自覚してたの⁉」
無自覚エロスかと思いきや。
てか、元の麗奈とは性格的に違いがあるんよな。
「うふふ。いつものさそりくんだ」
逆セクハラかましておいてお嬢様然とした上品な微笑みを見せるレイナもといレイナさん。
「いつもの俺ってどんなんだよ……」
「むっつりスケベ」
レイナさんの中での俺こと真智さそりの認識も大きく違いがあるんよな。
良い機会だしその他にも違いがないか確かめなくては!
「ところでレイナさん。今日はキックボードじゃないんだね」
「うーん……それはどういう種類のボケなのかなー。キックボードなんてここ数年乗ってないんだけど。乗らないのにまだ家にあるんだよね、なんでかな」
ちなみに普段は、というか前までは俺が自転車を漕ぐ横を麗奈がキックボードで走ってた。そのエネルギー消費に見合わないほどの遅さで。別に、キックボードをディスってるわけじゃあない。
現在、俺は自転車を押して麗奈と一緒に歩いている。
こっちの方が青春っぽいなと思ってはいけない。だってこのレイナさんは偽物の麗奈だ。紛い物の記憶で自分を満たして何になる!
「誰か乗るんじゃないのか? キックボードに。親父さんとかお袋さんとかが」
「えー? うちの両親が乗るわけないじゃん。そんなにキャラ濃くないってば」
「親父さんのぎっくり腰はどうなった?」
「どこの親父さんの話なの? うちのはそんな爆弾背負ってないよ」
俺らしくはない鎌をかけてみた。事実、麗奈の親父さんの腰はいたって健康だ。うーん。レイナさんにはそれが分かるのか。
思案顔の俺にも構わずレイナさんは喋り続ける。
「あっ! 上履き! ピザ落として汚しちゃったんだよね。ごめんね、私の新しいのと交換する? まだ名前書いてないから」
「結構跡ついてる」
「ごめん! じゃあ交換しようね」
「うん」
一連の何気ない朝の会話から読み取った情報から推察するに、レイナさんは麗奈と人格は異なっているが麗奈の記憶を受け継いでいる。そのからくりは謎だ。
昇降口の下駄箱兼個人ロッカーのとこで俺たちは互いの上履きを交換する。あれ? いつの間にこんな話が進んでたんだっけ。
「なあ、その上履き。真智って書いてあるんだけど」
いいのか、と問いかける。
レイナさんは答えず、真智の上履きを履いてつかつかと歩み去っていく。
無視された……。ショックで開いた口が塞がらないですよ。そして俺の手元には麗奈のクソ小さい上履きが残された。やっぱり上履きも小さいままなんだな。
この上履きサイズが合わないから新しいの買ってとレイナさんにいえばいい。しかし……どうせ踵を踏んで履くことだし、これでもいいか。
レイナさん、いいよな。綺麗で優しくて。
しかし前の麗奈のことがどうでもよくなってしまったわけではない。麗奈のことを忘れられるわけがない。
どうしてだ? 本当の麗奈はどこに消えてしまったんだ? 学校の奴らも、麗奈の家族すらも何の違和感もなく今のレイナさんに接している、これはどういうわけだ?
ここ数日、秋の微睡の中でレイナさんの優しさに埋もれていた弱虫な俺、真智さそりは新たに決心をする。必ずや、消失した戸泉麗奈を見つけ出してみせると!
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