戸泉麗奈の消失
「さそりくん。私はおはようっていってるんだよ」
「おはよう」
ほとんど反射的にいってしまって悔しい。朝の挨拶の重要性は今はどうでもいいんだよ。
こいつ一体何なんだ? 麗奈とは完全な別人だよな。しかしこの相似っぷりには遺伝子的な繋がりを感じないでもない。姉か? 違う。麗奈は一人っ子だから近所の俺と遊ぶようになったんだし。
「て、転校生の方ですか?」
「え? 昨日からどうしたの? 私そんなに変わったかな」
「だ、だってお前つい先週まではそんなに綺麗な女の子じゃなかったじゃん!」
「出たそれ。新しい口説き方なの? 私、喜んじゃうよ」
後ろ手に鞄を持って、少しかがんで、上目遣い。その視線はばっちりと俺の目を捉えている。
こんな艶めかしい仕草なんて麗奈にできるわけがない。俺はおかしくないぞ。おかしいのは目の前のこの女だ。
「口説くとかそんなんじゃねえよ。俺の目を見ろ。そんな軟派な真似するような男に見えるか? 俺はさっきから、そんで昨日も、ずっと真剣なんだよ。」
「し、真剣に……プロポーズでもするつもりかな。てへへ」
変な勘違いをするレイナをスルーして俺は言葉を続ける。
「俺は本気で! お前が誰だか分からねえんだよ!」
「え……?」
俺が正気でこんなこといってると察したらしい麗奈は、怯えたように肩をすぼませた。無意識の内に腕で胸を押さえている。その胸元にすら腹が立った。麗奈はそんなに大きくない。
「お前は誰だ? 麗奈はどうした!」
「さそりくん? なんか、恐いよ? どうしたの、私気に障るようなことでもしたかな」
「気に障りっぱなしだよ! 俺の前から消えてくれ、本物の麗奈を連れてこい!! 約束してたんだよ。一緒に東京の水族館に行くってさ。お前とじゃなく、麗奈と!!」
はは、やっちまったな。もしこれがドッキリだとしたら大失敗だな。ターゲットがここまでガチギレしちまうなんてよ。けど、これはドッキリじゃないって俺の頭の中のもう一人の俺が告げている。だからシリアスに焦ってんだよ。
「私だって麗奈だよ。誰がなんといおうと、私は戸泉麗奈!」
俺と同じくらい真剣に切羽詰まった顔でレイナも啖呵を切ってきた。
うっ! なんだよ、なんなんだよこいつ。
「おいおい」
クラスの男子が遠慮がちに割り込んできて、
「お前らさ、痴話げんかもいい加減にしろよ」
ぽんと俺の肩を叩いた。その瞬間俺はふっと地に足がついたような心地がした。夢から覚めたばかりのように頭は朦朧としている。冷や汗を流しながら首を巡らせると、俺を咎めるいくつもの鋭い視線と目が合った。いつの間にか教室中の注目を浴びていたようだ。そして俺は何故か敵意を集めているようで、
「お、お、俺が悪いってのか? みんな顔にそう書いてあるぜ。へへ、そんな恐い顔するなって。俺は悪くないし、おかしくないぞ。おかしいのはこいつだ。自分が麗奈だと抜かしやがるこのふざけた女だ」
俺はそういってレイナの顔を指差した。
「さそりくん、今日はもう帰ろ? きっと熱があるよ。私が送ってくからさ」
レイナはそういって、俺が今まで会ったことのある女性の中でも最も優しい微笑みをした。
その笑顔の美しさは認めてやるよ。けど、けど、
「俺はあんたなんかに会ったことない!」
もう帰る。帰って寝る。
寝たら夢から覚めるはず。矛盾しているようだけどそれが真実なんだ。
これは夢。この世界での俺は、起きてから眠るまで夢を見なきゃならないんだ。早いとこ寝ちまえば夢は終わる。
駐輪場の定位置に置いてある自転車を取りに行く。いつもなら、迷惑にもその自転車にキックボードがもたれかかっていたはずだ。俺は自転車を押して門まで向かう。やけに人が多いな。時刻を確認すると、八時二十分。遅刻ぎりぎりの時間。そうか、まだ朝だったんだな。
学校を抜け出してさっき来た通学路を引き返して行く。逆走してるような奇妙な感覚がした。この時間なら、いつもは今と逆方向に進んでいた。日の位置にも違和感を感じた。世界がひっくり返ってしまったのか。
レイナのいったことを思い出した。
『私だって麗奈だよ。誰がなんといおうと、私は戸泉麗奈!』
あの目は真剣だった。その宣言の是非はともかく、本人的にはそう思い込んでいるのだろう。
突然消えた麗奈。その代わりに現れたのは、自分を戸泉里奈だと錯覚し妄信している謎の少女、レイナ。
俺は漫然と自転車を漕ぎながらため息をついた。考えれば考えるほど馬鹿らしい。いや、考えること自体が無意味だ。本物の麗奈さえ見つけてしまえばそれで済むんじゃないか? 俺が問題としていることは、麗奈の消失であって、レイナの出現じゃない。レイナのことはひとまず頭から拭い去っってしまおう。あいつが何者であろうと、麗奈が見つかりさえすればどうでもいいことだ。
麗奈の捜索作戦はその日の夕方から決行することにした。早すぎる帰宅をした俺は自室で寝たり、テレビを観たり漫画を読んだりして現実逃避した。
十分な休息をとり勇み立った俺は双眼鏡と一晩の食料をリュックに詰め込んで外に出た。傾き始めた夕陽に照らされたこの街のどこかに麗奈はいる。いなきゃおかしい。
いなかったら……どうしよう。
ともすれば俯いてしまいがちな顔を上げて、俺は麗奈を探した。あいつが行きそうな場所を順々に当ってみることにする。昔からよく俺たち二人と、近所の友達も交えてかくれんぼをした。麗奈の奴さ、隠れるのが下手くそで、すぐに見つかってばかりだったな。
けど麗奈はどこにもいなかった。次の日もその次の日も俺は学校を休んで朝から晩まで麗奈を探し求めた。公園の滑り台にも、卒業した中学校の校庭にも、コンビニにもファミレスにもどこにもいない。俺の動きの裏でもかいているのかと、そう思わずにはいられなかった。まさか本当に消えってしまったわけはない。
連日の疲れが溜まってきて足が棒になりそうだ。日は沈みかけてるし、そろそろ下校の時刻かな。と、思ったら今日は土曜日だったか。月曜に学校を早退してそれから学校には行ってないから曜日感覚が無くなってきた。来週はまた学校に顔を出さなきゃいけない。こんな生活を続けていけば現実から乖離してしまう。麗奈は……たぶん、いなくなってしまった。この数日間の捜索から導き出された結論は、そんな寂しいものだった。
そのまま惰性で街をさまよっていると、見覚えのある人物に出会った。それは、クラスメイトで、不良だとか転売やってるとか噂されていて、そして水族館のチケットを持っていた少女。
「あ、サボり魔だ」
野性的かつ無垢な瞳はいそいそと通り過ごそうとした俺を見咎めた。この後ろめたさはなんだろう。しばらく学校行ってなかったからだな。
「いきなり痛いとこ突いてくるな……」
「なにしてんだよ、学校休んで」
「う、うるせえ。お前には関係ないだろ。」
麗奈以外の人間なんて知るもんか。この際嫌われてもいから堀北を追い払う方法はないか。
「関係あるよ、同じクラスじゃん」
予想外の柔らかい反応に一瞬面食らった。俺は必要以上に攻撃的になりすぎていたかもしれない。
「堀北は、何してんだ? あとジャージ似合ってるな」
「あたしは親に頼まれて酒買いに行ってたんだよ、ほら」
がさっ、とコンビニのビニール袋を掲げて見せた。
「コンビニで酒? よく買えたな、高校生なのに」
「あたしは特別なんだよ。今度一緒に酒盛りする?」
酒なんて一度も飲んだことない俺だけど、堀北と一緒に酒を飲むというイベントにちょっとだけ心を惹かれた。
「だったらしようか、今夜にでも」
「冗談に決まってんだろ! あたしは酒なんか飲まねえよ。これ以上我が家に酔っ払いが増えてたまるかっつーの!」
なのに頼まれたら酒を買いに行くのか。そこら辺の事情は複雑そうだからつっこまずにおく。
「ところでさ、戸泉と水族館行ったのか?」
それは聞かれたくない質問でもあり、聞いて欲しくもあった。誰かに相談するのも一つの手だ。
「土曜日に約束してたんだけどな。麗奈は……来なかったよ」
「それは、妙だな。なにがあったんだよ」
「いなくなっちまった」
「いなくなったって? けど……」
と、堀北は困惑も露わに言葉を濁した。その後を俺は受け継いだ。
「けどレイナは学校に来てるってそういいたいんだな」
「そうだよ! どういうことだ? 約束すっぽかされて怒ってんのか」
「そうかもしれないな。俺は怒ってるんだ。だから麗奈を探して一言いってやらなきゃならん」
「探してる? 誰を?」
麗奈を、そう答えた俺に対して堀北は少し驚いたようだった。当然だ。頭がおかしいと思われても仕方ないほど変なことをいってしまった。大して仲良くもないクラスメイトから突然こんな妄言を聞かされた少女は、でも否定や拒絶をしなかった。
「だったら私も一緒に探す」
俺たちは無言のままあてのない捜索を再開した。
夕陽が沈み夜の帳が降りてきても、ひたすら麗奈を求めて歩き続けた。
そしてたくさんの麗奈を見つけた。正しくいうと、街には麗奈との思い出の残滓が沢山残っていた。より一層の寂しさが胸をついて、隣を歩く堀北の目を気にしながら涙を堪えた。
一旦今日のところは打ち切って、お疲れ会も兼ねて俺たちは牛丼屋へ。といっても、もうこれ以上探しても無意味だと思うが。山狩りするわけにもいかないし。
「腹減った~! 牛丼並盛で」
「僕は牛丼大盛でお願いします」
注文を受け取った店員が引き下がっていく。
腹減ってるのに牛丼並盛で足りるのかとぼんやり考えながら、
「ありがと、手伝ってくれて。お礼に今日は奢るよ。奢るっていっても牛丼一杯なんて安いもんだよな。もしよかったら、違うもので埋め合わせさせてくれないかな」
「焼肉」
「おう、任せとけ! 俺の財布が空っぽになるまで食べていいぞ!」
「自分で稼いだ金でもないくせに……」
堀北は目を逸らし、ぽつりと呟いた。俺に向けていってるわけではないんだろうな、となぜか直感できた。
あれ、麗奈以外の女子と二人きりで食事するのは初めてだっけ? にわかに俺は緊張してきた。
「戸泉、どこ行っちまったんだろうな」
脱力気味で吐息混じりに喋る堀北は、少しエロい感じがした。完全に俺の主観だけど。
「まさか、お前も気づいてるのか⁉」
「ん?」
「今学校にいるレイナはなあ、本物の麗奈じゃないんだよ!」
「は、はあ……そうなのか?」
と、堀北は訝しげに目を細める。その様子から、俺のいってることに共感を持ってはいないと分かった。
じゃあ何で、麗奈を探すなんて訳の分からない行動に付き合ってくれたんだ?
「ちょっと待ってくれ! ほ、堀北には今の麗奈はどう見えているんだ?」
それは事件の核心に触れる質問だった。
「私の目には普通の戸泉に見えるよ。そうじゃないのか?」
普通の戸泉って何ですか?
あれはいうなれば綺麗なレイナだ。レイナさん、もしくはレイナお姉さんともいえる。あんな綺麗でお淑やかな女子俺は知らない。褒めてるみたいになっちゃったけど、特徴を列挙すればそうなってしまうのだからしょうがない。
つまり俺にだけ麗奈からレイナへの変化が分かるのか? やっぱり、それだけ麗奈と一緒にいた時間が長かったから?
「昔と変わったなって思わない?」
「あ~ちょっと垢抜けた感はあるかもだけど、JKなんてそんなもんっしょ」
「垢抜けるどころの騒ぎじゃねえだろ、あれは別人だよ!」
「……へえ、よかったね」
堀北の返答に面倒くささや怠さが色濃くなってきた、しかもジト目だ。
これ以上の追及を避けて黙考に入る。人が行方不明になったとか、そんな刑事事件的問題を超えて、これは超自然的で世界の法則的にイレギュラーな事態なんじゃないか?
だって、認識が捻じ曲がってるぞ……。本物の麗奈が消失して綺麗なレイナと入れ替わったことに誰も気づかないなんて。
それとも俺がパラレルワールドに迷い込んだとか? この世界においての異分子は俺自身なのか?
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