第6話

「――――――――お兄様の阿呆。馬鹿。くそ野郎……」

 彼に聞こえないように小声で呟く。何故解らないのだろうか、兄様は。と、いうよりあれだけはっきり好意を示されておいて『お前の其れ、勘違いだろ』とか、脳味噌沸いているとしか思えない。……そりゃ、まぁ。あぁいう時にしか言ってはいないけれど。あぁいう時じゃ無いと言える訳、無いじゃないか。其れとも、私に好意を向けられるのが、鬱陶しいのだろうか。其れが、答えに一番近い様な気がして、首を振る。――――――――本当に嫌なら、兄様は相手にもしない筈だ。だから、まだ、大丈夫。……まだ、後少しは。兄様が私に飽きるまでは。其れは何時になるだろう。其れまでに私はセフレの一人から『大事な人』になれるんだろうか。私は道具以外、兄様しか知らないのに、彼は他に女を知っているだろう事に怒りと不安が滲む。あの時、無理にでも身体の関係を持っておけば良かった。ねぇ兄様。私が手首を切ったのは、兄様が家を出ていくと聞いたからなんですよ? 兄様は勘違いしていらっしゃった様だけれど。其れでも兄様は、私に対して、私に対してだけの言葉を下さいましたね。他の安っぽい同情では無くて、心からの言葉を。私がどれだけ嬉しかったか、兄様は御存じ無いでしょう? あの時も、今も。――――そして多分、此れからも。はぁ……と1つ大きな溜め息を吐くと、兄様がシャワーを浴び終えて戻ってきた。……昨日は筋張った二の腕や、程よく割れた腹筋を舐めたり、撫で擦れなかった事を思い出す。あぁ勿体無い事をしてしまった。悔しい。凄く悔しい。いや、今からでも。

「――――何ぼーっとしてるんだ?」

 怪訝そうな声は兄様のものだった。いつの間にか着替えは終わっていて、彼は帰る準備を整えていた。

「……寝不足ですわよ。誰か様のせいで」

 怒っている様な表情を作って睨むと、兄様は嬉しそうに、にやにや笑った。

「へぇえ? お前にいい人が居たなんて、お兄ちゃん初耳だなぁ~」

 こういう時だけ、自分の事を『お兄ちゃん』という彼が憎らしい。私の事を妹だなんて思ったこともないだろうに。と、いうより彼には多分「男」と「女」の区別しか無いのだろう。

「じゃあ今度紹介しますわよ。さっさと帰りましょうね、お兄様」

 軽口を軽口で返して、ドアに手を掛ける。……この部屋を出れば私たちは直ぐに別れる事になるだろう。身体だけの関係でしかないのだから、当然だ。…………其れが当然なのが、悔しい。

「何だ、壊れてるのか? ……開くじゃないか」

 何やってるんだよ。そう言って、兄様はあっさりと部屋のドアを開けてしまう。じくりと胸が軋んだ。そんな私の気持ちを知りもしないで、彼はさっさと先へ歩いて行く。ぁあ、嫌だ。行かないで。そう思うのに、声は出ない。言葉は出ない。ただ足だけが焦るように前へと進んでいくだけだ。離れてしまうのが怖いとでも、言いたげに。そう私だけが、乞い焦がれている。


 歩く。歩く。妹を振り切る様に。『じゃあ今度紹介しますわよ』軽口だ。解っている。解っているのだけれど、其の台詞が心臓を抉った。何時だろう。彼女が僕との『自慰』を止めて、他の男の所へ行くのは、何時だろう?幾ら子供が望めないとはいえ、そう遠い未来では無い筈だ。(僕の部屋に閉じ込めてしまえばいいか)歪んだ思考が脳を覆ってしまう前に、僕は妹から離れなければいけないのに。彼女は付いてくる。もう、ホテルからは出ているのに。

「……ホテル代を払ってくれる気にでも、なったのかい?」

 にやりと笑って、振り返る。何故か彼女はびくついた素振りを見せた。

「……偶々、此の先に用事が有るのですわ」

 そっけない口調だった。十中八九、嘘だろう。真意が解らずに、へぇ。と曖昧な返事を返す。……僕に用事でも有るんだろうか、だったらさっさと言えばいいのに。でも此方から話を振るのは癪で、黙ったまま妹の言葉を待った。

「……お兄様は」

「うん?」

「……結婚する予定は有りますの?」

 思い詰めた様な声だった。服の裾を掴む手が震えている。

「……無いよ」

 僕の考えを読んだのだろうか。もしや、彼女に本命の恋人でも出来たのだろうか。だとしたら。だとしたら僕はそいつを。

「――――――――あら、そうですの。其れは残念でしたわねぇ!」

 言葉とは裏腹に弾んだ声。笑顔。……僕を馬鹿にして、からかいたかっただけか。何だ。何だよ。人の気も知らないで。

「……お前だって、予定は無いんだろ」

 雑な声で投げ付けた言葉に、妹は押し黙った。か細い声で、何か毒を吐いている気配だけが伝わってくる。あぁ、やっぱりまだ本命は居ないのか。安堵で笑い出しそうになる。僕の此の感情を、お前は知らないだろう?

「――――――――っはははは! 可哀想だねぇ妹ちゃん! 男と違って女は期限が短いのにさぁ?」

 ふざけて笑った。其れに対して彼女は怒って、文句を吐く。ずっと此のまま、じゃれ合って居られたらいい。其の時が、来なければいい。死んでしまう其の日まで。

 そう僕だけが、乞い焦がれているんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

平行線上のコイビト @haiirosan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ