山口

 九州鎮台の日米同盟軍は屋代島の占領に成功したものの、は傭兵別働隊による後方撹乱作戦を試み、遂にへの上陸を決行する。一転して守勢となっただが、平和な時代を築くために勝ち残る覚悟を決めた首相のもとで、城原じょうばる詮二郎せんじろう及び在日米軍各隊が奮戦し、攻守は再び逆転した。九州軍はを攻略、次いでに入城し、敵方の県令も死亡、かくして一帯を制圧した。


話「

・原案:八幡景綱

・編集:十三宮顕


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 もはや拭い切る事は叶うまい。は、眼の前に倒れたすぎ良運よしつらの変色した顔を見てそう思った。


 を制し、での海上決戦に勝ってへ上陸した九州軍は、アメリカ軍の航空支援を受けて勢い付き、一週間で征服を完了した。から、和平の斡旋を託されて送られて来たが、から派遣された、八洲一門の「」とされる男と、東京側の誘引に乗じた八洲やしま余一よいちの襲撃を立て続けに受け、行方不明となっている間、達の奸計で侵攻が開始されたため、九州軍はある程度の不意を突く事ができ、優勢な軍事力を遺憾なく活かせた。の庁舎に籠もって抵抗を繰り返していた県令の杉は、山口市を灰燼に帰さんとさえした陸軍強硬派の司令官達を押さえ込んだ吉野菫と、復帰した須崎優和の説得を受け、降伏開城を全世界へ通知した。吉野首相は、敵の健闘を讃える形で開城させるべく山口市に乗り込み、杉県令と会談会食を催したが、食前の酒杯を傾けた途端に苦悶し倒れ落ち、挙げ句死んだのである。


 今、吉野首相は杉県令の前に立ち尽くしている。最早どうにも言い繕う自信はない。会食場所も、献立も、県令の好む赤のワインも調べ上げてまで支度をし、彼に献じたのは他ならぬ吉野達九州側のスタッフである。県令は僅かな世話役と、秘書宇都宮うつのみや勇人はやとを携えているのみだった。宇都宮秘書は会食に同席して県令の最期を看取ったが、死の時に狼狽し怒り狂って首相に掴み掛かり、危うく引き剥がされて世話役達と別室に拘禁されている。


 誰が仕掛けた。吉野菫は酷く怒っていた。いつ誰が頼んだと言うのか。こんな顛末を望む者が居るだろうか!? 煮えたぎる怒りのために毛の先まで熱を帯び、見通しを奪われたために吐き出したくなる程の悪感を得た。


 会見場所にあった兵が三人、杉県令の骸へと近付いた。一人の手には白い広幅の布が握られており、後には担架が続く。取り敢えず遺骸を運び出そうとしているのは分かった。誰が命じたかは知らない。少なくとも私はしてない。吉野菫は尖っていた。


「誰が言った?」


 語気が強い。兵は中途半端になっていた。権力者の剣幕に押され、兵はたじろいで口籠もっている。命じられた身の上は誰彼からも主格にされて、結局損のし通しとなる。兵は嫌というほど知っていて、後々の災いを懸念するあまり、問いに答える事さえままならない。


「誰が言った!? 何を命じた!?」


「こ、これは」


 尖った問いが胸に刺さり、答えを躊躇わす。首相はなおまくし立てて兵を困らせ、動揺させた。今、足下の杉県令は如何に思うであろうか?


 青筋立てた剣幕を見受けて、副官の蓮池夏希はにわかに急ぎ足でやって来た。


「ああ、それは私です。私ですから」


 間に割り込み、蓮池大尉は布持ちの躊躇い人の肩を2回叩いた。兵は吉野首相の眼を見ず会釈して腰を屈めた。半端な立ち位置で難儀した担架も、それに併せてしゃがみ込んだ。


 後背に動きを感じる。大尉は剣幕と対した。


「何時までもこうしちゃおれんでしょう?」


「一体どうなっているのよ!?」


 噛み合うはずもないが、首相は想像の内にある。大尉は現在の状況を把握した。


「誰の手かは分かりにくい。今は一つずつ虱潰すしかない。それに杉の死に化粧や回答もいるでしょう」


「どう言えって?」


「考えるしかないでしょ? いいから取り敢えず落ち着いて」


 蓮池大尉は杉県令から吉野首相を押し離した。二三歩後退すると首相は大尉の腕を払った。


「落ち着くって何よ、無礼者!」


「嗚呼、こいつは失敬。だがいい加減にしなね、兵が騒ぐ」


 蓮池大尉は僅かに眼へと力を込めて吉野首相に投げた。首相はそれを迎え撃っている。


 会場に運ばれ、敗将を持て成すはずだった彩り華やかな料理は、もうすっかり冷めて、加えて誰も近寄らない。皆が疑っているのだ。誰か定まらないが、きっと誰かを。県令が倒れてから各々が、頭に錯綜する情報をまとめかねていた。顔に出てしまっているのだ、分からないまま。


「私は」


 一時の間が空き、首相が口を開いた。直後に溜め息をつき、眼を強く瞑り、同時に眉間へ皺を寄せた。


 大尉は特に何も思わなかった。


 首相は一頻ひとしきり顔を険しくしながら


「…落ち着いてる。落ち着いてるわよ」


 と続けた。


「…大丈夫ね?」


「二度まで聞くな。そう言ったよね」


 眼をおもむろに開き、首相は睨むように大尉を見据えた。


「なら結構です」


 大尉は平然と主に述べた。


「んで、どうしよっか?」


「犯人探し。そっから」


 首相は確かに落ち着いているようだった。しかし、未だに混乱状態にはあると大尉は思った。


「犯人探しね。そりゃいいんだけど」


「何?」


「先に事実関係おさえておかない?」


「何の意味があるの?」


 大尉は少し拍子抜けた顔をした。


「…言い方が悪かった」


「何よ?」


「杉が死んだ事実に触りましょう」


「何!?」


 首相は思わず声を上げた。


「…だって死んじゃったし。利用するしかないでしょ?」


「――――――!!」


 どっちが先だったか分からない。しかし、カッとなると同時に首相は大尉の頬を張っていた。


 ドラマのように分かり易い音はしなかったが、張られた大尉の頬は分かり易く赤くなった。


「何考えてんのよ!? どうかしてんじゃないの、アンタ!!」


「どうしようもないからでしょう?」


 大尉は至って普通だった。首相の顔は怒りのままに紅潮していたが、対する方は叩かれた頬を触るでもなく、淡々と述べた。


「だってよ、正直ウチに杉が死んで得する事はないしね。難波なんば香奈かなに殺られた時もそうだけど、みんなウチに不利に働くし」


「そういう問題じゃ-っ!?」


 再び振り上げた手を大尉は払い落とした。


「二度もやらせんわ。痛いんだから」


 大尉は首相の腕を掴んだまま相手へ身体を寄せた。


「他にしようがある? どうせはこれ幸いと存分に煽り立てる。まともにやりやってウチに勝ち目はない。ならこちらは話の辻褄を合わせてウチで結論を出し開き直る。ウチに過失なしで話作ってね。そして取り敢えず勝つ。少なくとも防長は確保してね」


 大尉の顔は終始平然としていた。ただその眼は先程より厳しく、口調語調は勢いを帯びた。首相は実に腹立たしく思った。納得できるからである。


 二人に少し間が空いた。周りも静かである。両人の姿が緊張を強いているのだ。


「ホントにアンタ」


 首相が先を取った。


「はい」


「いい面の皮してるわ。正直、イカレてる」


「ソイツはどうも」


 大尉は一々反応しなかった。


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 杉県令の死を宇喜多へ通告してから一時間が過ぎた。諸々の手配は大尉に任せたが、弔問代わりの悔やみの文章は首相自らが書き、文言を周辺と検討して決めた。


 当たり障りのない、一方で預かり知らぬ事に動揺をしているかのように―実際動揺はしていたのだが―味を付けた内容をへ打電したが、すぐに返って来た反応は酷くあっさりしたものだった。


 連絡に対しての事実関係の確認である。


 杉の死に至る経緯も踏まえての回答を求めて来たわけだが、念のため正直に書いた。信用されるとは思っちゃいない首相だが、せめてもの誠意を示そうとはした。


 これを俗に「自己満足」と言うのを、当人は良く分かっている。しかし好き好んで悪役を仰せ付かる者は早々居ない。悪足掻きではあるがせめてもの抵抗はしたいのである。


 悪意あるいは強欲に従うのでないなら、その者はやはりどこかで良心の逃げ場を作らねばならない。吉野菫を時に野心家として強欲の徒と見る向きもあるが、彼女の本質は別の所にある。彼女の大衆向けのアピールは時にデマゴーグに類されるが、民権尊重・弱者保護の姿勢は、何ら嘘のない彼女の信念である。


 何物も得難い程、苦しい人生を送って来た。得たモノ以上に喪って来た。それ故に与える者と成った。


 県令に対しての饗応も古典的な振る舞いではあるが、しかし与えるという点においては、紛れもない彼女の意志に沿ったものだ。その意志の前で唐突に機会を奪われ、誠意を汚された屈辱は如何ばかりか。しかし幾ら憤っても疑われるのは唯一人を於いて他になく、今はただひたすらに低姿勢にして様子を伺うしかない。


 よもや敵の顔を伺うとは。


 思わず内心をあらわした形相を引っさげ、屈辱で身を震わせたくなった。


 そんな心持ちの中一時間が過ぎたが、宇喜多側は改めて送られた速報に対し未だ反応がなかった。


 長周県令の執務室に居る首相は、老いた政庁の内装と、僅かに脚を動かすだけできしむ床の音さえ気に障った。分かっていてもジリジリとした感傷が不快を催す。


 執務机の向こうへ目をやった。煙草をくゆらせつつスケジュール帳を両手でもてあそぶ大尉は、何事かを思案しているようだった。


「何かあるの?」


「……」


 大尉は声に反応しなかった。首相はペンで執務机を二回ずつ叩き、大尉は強めに叩いた四回目にようやく気が付いた。


 ハッとしたように振り返る。


「ああ、すいません」


「考え事中のシカトはアウトよ、夏希」


 首相の表情を見、大尉は態度を揺り戻した。


「はーい」


 やれやれ首相は適当な返事に肩を落とした。本当にいい加減で、分かり難い女だ。


「長い付き合いでしょうに」


「お頭は指示名詞がないんよ」


「この部屋誰か他にいるの?」


「……いや、居ないんだけど」


 大尉はスッと吸い込んで灰皿に煙草を押し付けた。そしてもう一本を取り出して口に咥えた。


「吸い過ぎ。さっきから何本やってる?」


「まだ2本」


「もう3本」


 えっ、と首相の指摘に夏希は思わず声を出した。箱の中身を確認し小声で本数を数える。その姿をつまらなそうに見る主人に、大尉は苦い顔を向けた。


「気持ち悪い。一々数えてんのね」


「失敬な。部下の健康管理は上司の務めです」


「私からすりゃ、煙草は医薬品です」


「そんな蓮池家の家庭の医学知りません。肺癌催す医薬品があるか。全く変な理屈まで持ち出すなんて、これだから薬中は」


 大尉は咥えた煙草を指に挟んで口から離し、ムスっとした表情を向けて来た。


「我が家は我が家です。そんな事より自分の腹周り気にしたらどうですか、元芸人」


 カチン、と来た。首相は少し眉を上げた。


「ああ、そう。今日から全職員禁煙決定ね。今決めたわ」


「宜しい、ならば挙兵する」


「何!? なんて理由なのよ…」


「煙草は生命線だ。奪うなんて有り得ない。生存権の侵害だよ」


「恐ろしや。うかうか禁煙なんて言えないわね」


「そもそも気が狂ってる。皆リスクは知ってるんだ。その上でヤニ狂いになってんだから、一々止めるな。お節介なんだよ」


「周りが迷惑じゃない」


「隔離場所すら奪っておいて迷惑も何もあるか」


「喫煙者とそれ以外の」


「社会弱者保護を訴えた貴方がマイノリティ理由にするのは本末転倒ってヤツだ」


「ぬぅ。言いよるな……このぅ」


「百年早いわ」


 首相の顔を見て大尉は得意げな表情になった。だが、大尉は煙草を箱へ戻した。どうやらその気が失せたようだ。


 やり取りの後に間が空いた。すると今度は大尉が切り出した。


「それで? 何話そうとしてたんです?」


 首相は一瞬何の事かと思ったが、切り出しを思い出した。


「ああ、えぇっと……ゴメン、暇でつい」


「なんだそりゃ。まあ良いんですけど」


 本当に他愛ない事を言おうとしていた。しかし、何となくだが気が進まなくなって言わないでおく事にした。


 彼女とよく似た煙草の吸い方をする人がかつて居た事を。


―――最大の右腕、そして反逆者、江上という男の事を。

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