第陸話「渦 船上」

―船上―

 屋代島陥落後、日本国教会神官の十三宮とさみやひじりは、かねてよりの盟友であるに、和平工作の大任を命じた。


 は、津軽安東あんどう氏の末裔と言われ、神話的な歴史を伝承し、などの影響を受けながら日本列島に潜伏した、異端的なの一族である。現在は雲母日女きらひめを戴く東京国府に臣従し、などを勢力圏にしている。


 私達はまず、静岡清水港からを経て、伊予松山に向かう。十三宮聖は、今回の渡航計画に万全を期するため、とある「武装修道会」に協力を依頼し、家所いえどこ花蓮カレンという若き女騎士を護衛に招いていたが、須崎司祭はこの人物の主に関して、少なからず思う所があるようだ。


 この後、私達は松山でに迎えられ、次いで畿内軍と共に神戸へと上陸する予定になっているが、既に数多の思惑が渦巻く航路において、一寸先は闇、四方は魔に満ちている。そして、船長室には…。


話「

・原作:八幡景綱

・編集:十三宮顕


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 瀬戸内は列島の両岸に広がる大洋から見比べればおよそ湖の如きものであるが、温暖な気候と豊潤な資源を以て沿岸に港を多く設け、洋上の先を行き来する人々を集めて来た。その内の一つ、神戸は幕末に開港して以来、列島有数の港湾都市として主を変えながらも発展を続けていた。


 その神戸を遠目に眺める沖合、コンテナ船が1隻松山までの航路を進んでいた。コンテナには多種の荷が積まれていたが、このコンテナは訳ありの人間も積むようであった。


 積荷の一つの名は須崎優和と言う。清水港にいかりを下ろしていたコンテナ船の船長へ知己を得ていたクライアントの計らいで、快適な荷積み航海をじっくりと楽しむ事になっていた。普段は二等航海士を追い出して占拠した部屋で護衛役と共に荷積み暮らしに諧謔かいぎゃくを交えた感謝を述べているが、岸から離れた沖合に差し掛かると時折甲板に出て潮風を楽しんだ。日中のんびりと時を過ごし、夜は船員の部屋を訪れ、主への祈りを望む者には主の肉体と血に成り代わり聖水3リットルボトルを、渇きを訴える者には清らかな水を2リットル直接流し込み、慰めと柔肌を求める者には護衛役の鉄拳をそれぞれ授け、いつしか彼女は人々の「盲目的」な「敬愛」を集めていた。


 彼女は昼下がりには甲板に出て、海を眺める。ここ数日は護衛役を少し離して日向ぼっこを楽しんでいたが、今日は傍らに呼び付けていた。


「船暮らしって言うのも悪くないね、こうしてみるとさ」


「それはあくまで『ただ乗り』だからでしょう? 船員達はそれ程でも無いかと」


「だーかーら、その『ただ乗り』が楽しいんでしょう? 安楽の思考の足らない人ね、ホント」


 いつも纏う黒衣の修道着ではなく、白のブラウスに黒のスラックスで肌を覆い、黒のヴァンプローファーを履いている。長い艶のある髪は平静の通りの扱いで、甲板を抜ける風に揺らされややせわしない様をしている。


「恐れながら司祭様、教会の高位であり、加えて一介の修道者である貴方様が安楽を望み貪るのは信徒の範に相応しからぬ事かと」


「だって、ここ教会じゃないし」


「お立場は司祭として招かれております」


「あのねぇ」


 司祭たる自分に諫言を申し立てる護衛役の律儀さには正直頭が下がるが、鬱陶しい。須崎はこの余裕のない相手に呆れていた。身なりからして今時こうまで凛々しく着こなす者は珍しいビジネスウェアであり、その真面目さと遊びのなさに須崎は彼女を推薦した十三宮とさみやひじりの意図を察した者である。加えて護衛役は凛々しく精強ながらも女であり、齢にして司祭に及ばぬのである。


「どうしてそうカツカツするかな、ミス・サージェント? 少しくらい気抜けば良いじゃないの」


「役に背いて安楽に没するのは、七罪にして」


「ああ、もういいですよっ、全く」


 護衛役の清く正しい高説を手で払い、須崎優和は持ち込んだ腰掛けに尻を降ろした。護衛役は遮られた事にも憤りすらなく、無表情で腰掛けの左斜め後ろに直立している。


 内海の沖合は波高く、しぶく様子は二人の視界にも入っている。鳴門なるとの渦潮を見ても、この護衛役は感傷もなさそうで、潮の光景が視界から出て行くのを黙って過ごしていた。仕える主人が潮の目に些か物思いしていた事など気にする素振りもなく、気付いていたかも疑わしい。


 時折、教会の熱心な信徒は日共の若き理論家達の在りし日に重なって仕方がない。須崎はこのところ特にそう思えて来た。


「ねぇ」


「はい、司祭様」


「貴方、生きてて楽しい?」


「いえ、全く」


「……即答ですか」


 戯れに対し、随分な答えを突き返して来た護衛役に須崎は呆れ以上の感想を得た。


「司祭様、ご質問の意図が分かりません」


「興味本位よ、別儀は無い」


「そうですか。わかりました」


 会話がまた途切れた。須崎は聞こえぬぐらいの溜息をついた。


 今日は彼女を良く知るために傍に寄せたというのに。このサージェント、家所いえどこ花蓮カレンは名前負けする振る舞いといい、理解が及び難い所が多い。そもそもカトリック教団が内々に組織した反クリスト対策部隊の一員であり、日共の誕生と崩壊により産まれた歪みに対しての穢れ仕事を請け負って来た。そういう手合いを率いる隠れキリシタン上がりの血族へ今回の役回りの危険性を危惧し伝手つてを通じ護衛役派遣を要請していた十三宮聖がリストからピックアップしたのが彼女なわけである。教育勅語を愛する教団の長に、日共時代はテロリズムを繰り返して主の威光を物理的に知らしめ、体制崩壊後は日共残党や敵対視した異端宗門を根刮ねこそぎ抹殺して来た最大宗派の殺し屋一族が送り込んで来た護衛役である。まともな相手でないのは分かっている。しかし、せっかくだ。せっかくの機会なのだから、という気もあるし、クライアントとの繋がり以外頼る物がない今回の務めに対して少しでも安全策を得たかったという本音もある。だが、この調子ではいかんともし難い。役に違える事を嫌う送り元のスタイルから裏切りの可能性は低い、と盟友十三宮聖は述べていたが、その十三宮教会自体本来なら異端討伐の対象として家所花蓮達を送り込まれかねない存在であり、十三宮教会の政財への繋がりや飽くまで影にあって世の趨勢を見定めたい花蓮の親方の意向―以外にも理由があるみたいだが―によって協力体制が成っているのだ。念のため、という考え方は決して深読みではないはずだ。少なくとも須崎優和という人格はそれに是の判定を下したのだ。


 それでも、この具合では如何ともし難い。馴れ合いをさせぬように仕向けたか。


 斜め後ろに舌打った。花蓮には聞こえただろうか?


 護衛役は微塵にも揺らぎを見せずに直立し、司祭は腰掛け時を過ごす。この姿が小一時間甲板に見受けられた辺りに、甲板に人がやって来た。船長の遣いである。


 護衛役が足音へ振り返ると共に腰掛けの背後に立った。遣いである一等航海士は護衛より5歩離れた場所に立ち止まった。


「ご用の向きは?」


「船長へ松山より入電がありました。その報告です」


 引き締まった肉体に多少日焼けた肌をした航海士は白い士官服の映える男振りで、流行りではないのだが、なかなかにハンサムな面立ちをしていた。


「聞きましょう、花蓮。羽床航海士、お願いします」


 花蓮越しに須崎の指図が聞こえ、航海士羽床はゆか一督かずよしは軽く咳払いをした。


「松山の赤十字より、お二方の受入と神戸への護送準備整ったとの事です」


「了解、ご苦労さま。他にはある?」


「もう一点あります」


「お願い」


「……」


 羽床は護衛役に視線を合わせた。花蓮は姿勢を改めない。


「花蓮、大丈夫よ。続けて貰って」


 須崎は座ったまま腕を回して花蓮の腰辺りをつついた。すると花蓮は体を須崎の左手に移って眼で羽床に促した。


 羽床は須崎の右手に素早く移り、身を屈めた。


「松山の赤十字には浮田郷家様の手の者が控えております。その際にはくれぐれも十三宮教会のお立場が悟られぬよう司祭様からもお気をつけ頂きますよう、三沢殿から言い含められております」


「…そこまでやって護送じゃないのかしら」


 須崎はそう言い切ると僅か睨むように眼を羽床へ向けた。羽床は一呼吸置いて改めて述べた。


「実を申しますと、神戸に入られた後お二方には宇喜多様と行動を共にして頂きたく事になっております」


「構わないわよ、でも何故?」


「この度の陣には多く傭兵を招いております。その内、勢威あってそれぞれの傭兵達を心服させている者は共にお二方に敵意を向ける危険性があります」


「何でそんなの呼びつけたのよ、彼は」


「狙いは定かならざる所でありますが、単に言えば歴戦の傭兵隊長故で御座いましょう」


「ただのごろつき風情が……。奴さんの名は? まさか、名前がYから始まるのとか、Kから始まるのとか、Tから始まるのとか勘弁してね。帰るからね、ソイツら居たら。それから、ほあー、とかもアウト。渡りかりなんて最低」


「はあ……」


 羽床は須崎の指し示している相手のどれにも思い当たる節がなく、気の抜けた返事しかできなかった。


「司祭様」


「何、花蓮? 御手洗?」


ホアーHoareは流石に無理かと思います。もう、90歳でヒイヒイ抜かしてるジジイです」


 須崎は目をしばたいた。羽床も呆けた面を晒している。花蓮はその顔を見て、咳払いをして続けた。


「いえ、言い直します。よぼよぼの、おじいさんです」


 言い直された報告に、聞かされた二人は思わず目を合わせた。


「……花蓮、彼に恨みでもある?」


 須崎は少し、引きった顔でそう聞いた。正直、こんな話し方をするのを初めて聞いたからだ。花蓮は常の通りに顔を整えた。


「いいえ、司祭様。恨みを抱く程の面識はありません。ただ」


「ただ?」


「傭兵稼業の連中は皆ど畜生だと、〈主人Master〉からいつも言われているので」


「ああ、そう……。あなたの所はそう思うわよね……」


 〈主人Master〉の方か。須崎は花蓮の主人については僅かに知っている。今は組織を〈指導者Mother〉に放り出して好き放題やっているようだが、あのが回復したらまた戻って来るだろう。花蓮の口振りからすると、まだ心の傷口は開いたままのようだ。開いたままでいれば良い。きっと奴には幸福だ。


 きっと、花蓮は知らないだろう。知らないでいて欲しい。出喰わせば、見るほどにおぞましく、脳裡より離さないだろうから。僅かに知る者は勝手にそう案じ、本題へ帰った。


「まあ、良いわ。んで、羽床君。続けて頂戴」


「あ、はい」


 羽床はまだ呆けたままだったようで、返事から一拍置いてから報告を始めた。


「1人はジャルコ・ゲリッチ。元セルビア陸軍の将校で、コソボで300人以上の民間人を殺害した咎の為に国際手配中の傭兵隊長です」


「弱い者いじめじゃないの」


 羽床航海士は屈めた腰回りに着けている携帯電話用のケースに手を伸ばし、そこから一枚の折り畳んだ紙を取り出して、目を落としながら続けた。


「現役の折りには様々な特務を任されてきた奴です。加えてチェチェン紛争とグルジア侵攻の際にはロシア兵として勲功を得ております。終いには南スーダン軍に加勢してアラブ民兵Janjaweed狩りをしていたようです」


「正真正銘の猟犬か。たまげたわ。セルビアでロシアって事は大セルビア主義者か。時代錯誤も良いところね」


「今はツル…ヴェナ、ズヴェズダ?とか言う傭兵隊を率いているそうで」


「ツルヴェナ・ズヴェズダね」


 須崎はメモを見ながら言い慣れず戸惑う羽床に少し苦笑した。


「これは一体…?」


「《赤い星》って意味のセルビア語。サッカーチームで知らないかな? レッド・スター。旧ユーゴスラビアYugoslavia時代は強かったんだけどね」


「…申し訳ありません。サッカーはあまり」


「んもう! 教養レベルよ、この程度は」


 須崎は少し詰るような口調をした。困った羽床はチラッと花蓮を見たが、すぐに無駄だと悟った。


 もっとも須崎自身最近ネットサーフィングをして知ったのだが、聞かされた二人は知る由もない。


「奴さんのセルビアへの思い入れは深いのね。しかし、セルビアなら正教でしょう? 目の敵にされる言われは」


「クロアチア人はカトリックですよ、司祭様」


 不意に横の花蓮から声が掛かった。言われてみればそうだった。須崎はああ、そうだっけと相槌を打った。


「まあ、ウチは」


「同類或いは異端扱いかと」


「…ですよね」


 花蓮の容赦ない一言に司祭たる身も肩を落とさざるを得ない。


「まあ、そんな奴はパッパッとやっつけてくれるでしょ、航海士が」


「無理です」


「おいおい、男が無理なんて言うもんじゃないぜ!!」


 須崎はからかい半分に焚き付けるが、羽床は顔の前で手を振った。


「自分、船乗りですから」


「全然格好良くないからね、それ」


 わざとらしく嘆息し不甲斐ない答えに失望してみせた須崎だが、二言目にはまあいいや、と流し


「で、もう一匹のワンちゃんはどこの誰?」


 と先を促した。


 羽床は咳払いをして区切りをつけ、改めて背をただした。


「もう一人はイブンIbnマスードMassoudという者です。元ヨルダン陸軍の将校で、中東戦争やリビア・赤道アフリカチャドの戦争、ソマリランド内戦等に参戦している傭兵隊長です」


「また傭兵ですか」


 僅かに花蓮が舌打つように呻いたのを須崎は聞いた。そして須崎の口元が少し綻んだのを羽床は見た。


「今度はムスリムなのね」


「はい。聞く所によれば過激派に連なるとも」


「あれかしら、宇喜多クンは私を誘い込んで石でもぶつけようって魂胆? ああ、ダメねこりゃ。取り舵ー! 回頭ー! よーそろー!」


「司祭様? 暫しお待ちを!?」


「待ってられますかいないな、あんさん!? 命狙われてんねんで!! アカンわぁ、堪忍してぇなぁ」


「司祭様、訛ってます」


「家所さん、ソコじゃない!!」


 ギャーギャー騒ぐ司祭とツッコむ所かボケに回る護衛役。この連中への引き継ぎを後悔したのは実のところ初めてではない羽床航海士である。


 甲板の騒々しさに振り返る水夫達は居ない。僅かの内にすっかり慣れきったのである。加えて、嫌な顔もしていない。日常の光景となってしまっているようだった。


「しかし、航海士」


 騒ぐ司祭を宥める羽床へ不意に花蓮が怪訝な顔で声を掛けた。


洋上ここからの撤退は兎も角としても、司祭様を危険な目に遭わせる訳にはいかない」


「話はまだ終わってません、お二方」


「・・・・・失敬」


 花蓮は羽床の言葉に引き下がった。須崎はまだむぅっとした顔のままでいるが、耳はしっかりと立っている。


「マスードは宇喜多様の旧知の仲の方。加えてゲリッチと仲が悪く、些か扱いに難儀しているようで」


「一方に敵すれば、一方に与できると?」


「そこまでは申しませんが、少なくとも宇喜多様の側近くにあれば…」


 須崎が顔を変えぬ中、家所花蓮が羽床に問い質し、羽床は少し難儀した。役回りか天然か、この女は対し難い。


「宇喜多クンもわざわざ呼びつけてナニさせる気なんでしょうね? まさか仲裁かしらね? 犬の喧嘩は家主も匙投げるわよ」


 須崎はそう言って溜め息をついた。仮にも政権の行方を賭けた戦いを犬の喧嘩同然に扱うのに羽床は唖然とした。もっとも羽床も慣れた男であり、唖然とした顔は露にも見せず、無表情のまま絶句していた。


 須崎は羽床に愚痴った所で意味などない事を良く理解していた。


「で、神戸に着くまでと着いてからのセーフティーはどうなってるの? まさか護衛が花蓮とSPだけとか勘弁してよ。性格の素敵な三沢クンとかが付き添いって話だったらそのまま大宰府行くからね」


「連絡では」


 羽床は再びメモに目を落とし確認を取った。


おか利増とします陸戦隊少校と配下部隊がお二方を直接護衛されるようです。松山から神戸までは奈佐なさ大和之助やまとのすけの戦隊が護衛に回る手筈になっています」


「奈佐? あら、あの海坊主がねぇ」


「ご存知で?」


「ん? まあ…色々とね」


 視線が外れたのを羽床は勘繰ったが取り敢えず次に進めた。


「松山から神戸港に到着し次第、岡隊と共に福原へ向かい、そこで宇喜多様と合流して頂きます」


「あとは案外ざっくりね。で、今聞いた中で危ない箇所は…」


「港に到着する際と船内でしょうか?」


 一考の最中に須崎へ花蓮が混じって来た。


「船内ね……赤十字が黒ければね」


「黒十字ですか?」


「はい?」


 須崎も羽床も思わず耳を疑った。


「花蓮? 熱でもあるの?」


 須崎はおかしな事を口走った花蓮に怪訝な顔をしたが、花蓮は主の言わんとしている事をわかっていないようだった。須崎は軽く溜め息をついて花蓮を無視する事にした。すると腑に落ちないと言うような顔をしていた羽床が須崎へ述べた。


「仮にも赤十字がそこまでやりますか? 名を汚してまで……」


 須崎は拍子抜けた顔で羽床の顔を見つめた。


「な、何です?」


「あなた……意外と間抜けねぇ」


「な……」


 須崎の凝視に戸惑う顔をしていた羽床は彼女の言葉に僅かだが顔を歪めた。須崎は羽床の様子を見ても調子を変えず続けた。


「あのね、羽床君? 赤十字が黒いどうのって私は言ったけど、赤十字という組織がどうのって言った覚え無いよ」


「……どういう事です?」


 羽床の声に少し陰が差している。だが須崎は、そして花蓮も何ら変わりなかった。


「医者やナースのカッコってさ、その職業の人しか出来ない?」


「……ああ」


 羽床は半端な相槌をしつつ、しかし引っ掛かりが残っているようだった。


「それと、仕事が内面まで人を強いれるのかな」


 羽床はそこで確かな引っかかりを感じた。


「しかし、それでは皆を疑わなければならないのでは? この船とて」


「勿論。誰彼まんべんなく疑うわね」


「な……」


 羽床は言い切られて何も言えなくなった。そして少なからず憤りが生じた。仮にも、この女達を乗船させているのは船側の善意でもある。こうして航海士を取次にしているのも同じだ。それを疑う? あまつさえ公言するとは。それは舐めきっていると言うのと違いはない。


 商船の船乗りにもプライドがある。そして働きもせずにくつろぎながら船員達を愚弄している女共を認める事などできはしない。羽床はそう憤ってこめかみに脈打つ感覚を得始めた。


 須崎はそれに気付いたようで、少し目を逸らして続けた。


「船に乗せてもらっている立場でおこがましいし、仮にも隣人愛を謳う立場が誰彼構わず疑うなんて言うのはダメなんだろうけどさ。しかしそればかりはどうしようもないわ」


 羽床は黙って聞いている。相槌も打たないでいた。


「言ったでしょ? 内面を誰が強いれるのってさ……少なくとも港に着く前に5回、私達はスコープ越しに見られてきたもの」


「は……?」


「五回よ。たまらなかったわ。首筋に寒気が走ったよ」


 須崎は自分の首に触れ、さすった。


 羽床は惚けた顔で何を言っているのか分からない様子だった。彼には良くわからない事をさらっと言われて理解に及んでないのである。


 様子を見たのか、それまで黙っていた花蓮が割って入った。


「率直に申しますと、5回程殺されかけた、という事です。相手は狙撃手ですが、それぞれ個性がありました」


「そ、それはつまり」


「そんだけ沢山狙って来てたのよ。私達が向かって来るのを知った連中がね」


 そう言い切られ、羽床は眼の下がひくついたのを感じながら、漸く理解したようだ。そう須崎は見た。


「ま、そういう訳なのよ。疑り深いのはゴメンナサイだけど、正直そうならざるを得ないかな。私だってまだ死にたくないですもの」


 須崎は羽床へ少し微笑んだ。


 羽床は先程よりやや態度を改めたが、それでも、はい、とは言えない。


「し、しかし……」


 羽床はそれでも名を知り、性を聞きし船員達を疑う彼女達に納得は行かなかった。


「船員さんについてのみ外せ、とは聞けない話ね」


 須崎は膝に調子をつけて椅子から立ち上がった。


「船に乗せてくれたのは感謝してるわよ? 貴方も付けてくれたし。でもね、それも払うべき物は払った上で、の事。ただの女、須崎優和をウェルカムで乗せちゃくれんでしょう、そっちだってさ」


「それは……」


 羽床は二の句を告げずにいた。須崎は敢えてそのまま続けた。


「信じる、とか頼りにする、とかそういう人情話をしに宇喜多殿の所に行く訳じゃないのよ?」


 須崎優和の顔は柔らかく笑みをたたえていた。それは、何も知らない純朴な者への、慈しみのようだった。だが、それ以上に突き放したものもない。感覚が羽床にそう教えていた。


「司祭様、あなたは……」


 羽床は屈みから立ち上がり、彼女に並び立とうとした。だが、須崎はそうはさせなかった。


「報告、ありがとう。また、宜しく」


 そう言うと、須崎優和は椅子を抱えて甲板を行き始めた。家所花蓮は羽床に一礼してその後ろに付いて行く。


 女達の足取りは軽く、迷いがなかった。見るうちに甲板より去って行った。


 羽床は何も言えず、甲板を行く二人を見ていた。自分だけここに取り残された。そう思った。


 甲板に差す日は先ほどよりやや傾いていた。だが、まだ真上にあるようにも見える。


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「羽床航海士はいたく機嫌が悪かったようだ」


「御客人に近寄り過ぎたんだ。自分も状況の一部だと勘違いしたんだよ」


 船長寒川さむかわおさむはそう言うと、革張りの大きな背もたれに体重をかけて、デスクから右手前にパイプ椅子を広げて座る大柄の男に笑いかけた。その顔には少し、あざけりがあった。


「彼女達は可愛らしいが、戦争の仲裁人だ。あんた達同様、俺達には遠い遠い存在だよ。今更だが、気付いて良かったさ、羽床も」


「難儀な事だな。青年とは誇大な事を思う。所詮はただの取次だと言うのに」


 パイプ椅子の男は腕を組み、脚を組んでいる。髪は剃り上げられて整うが、眉毛は手も入らず太く伸びきっている。肌の色は浅黒く、乗船士官用の白い服とは良く対を為していた。そして袖から露わになった腕は実に太く、力瘤ちからこぶが明らかに盛り上がっていた。


「小難しい話を聞いたり、取り次いだりすると、若い男はすぐ有頂天になる。性のようなもんかな。なにせ、こういうのはみんなが一度は夢想する浪漫に近いんだ。結局は後悔するんだがね。ああ、関わらなければよかったってさ。今度は死なずに済んだ。こっちはそう思うがね」


「俺にはわからん。小僧の浪漫など理解が出来ん」


 男の言葉に寒川は苦笑した。


胡乱うろん無きようにあるべし、ってか。古風で節度のあるお話しだ。だが、あんたが言うとどうしてそう尊大な感じがするんだろうね」


「さあな。俺はそう感じた事が無い。他人の感覚など知らん」


「そうかね」


 寒川はこの男の傲慢な口振りを愉快そうに聞いていた。男は少し、睨むように船長へ目を遣った。


「何がおかしい?」


「睨まんでおくれよ。あんた、やっぱり怖いね」


 そう言うと、寒川はもたれた椅子ごと身体をデスクから離し、そうして立ち上がった。中年の腹の出た男は後ろに手を回して組み、先ほどもたれ掛かっていた先の壁にある地図を眺めた。


「あんたを見ていると不思議な感じがするんだ」


「どんな感覚だ?」


「そうだねえ」


 男の語気には荒さがある。寒川はその受け方に慣れていた。


「大昔にみんなが無くした、荒々しい存在がそこにいる感じだ。そして、手放しで憧れるには末恐ろしいものだ」


「抽象的な事ばかり言うな」


「まあ、怒らんでくれ」


 寒川はそう言って一人笑い、決して広くない船長室の中を彼の声が占めた。


「実はね、俺も恐ろしく思うよ。これからあんた達がする事を思うとね。関わった、聞いてしまった。そう考えると震えてくる。たとえ下船後はもう俺達と関わり合いの無くなる、あんただとしてもさ。そういう人が居て、そういう事が起きる。そう思うだけでな」


「そうか。よくわからん」


 男は顰めた顔のままパイプ椅子からむくりと立ち、その脚で船長室の戸へ歩いていく。


「行くのかい?」


「ああ。もう寝る。連中がいつかわからんしな」


 男の声は低いが良く通る声だった。寒川はこの声に吼えられたくはないと常々思っている。


「明日もまた話そうじゃないか。支度は済んでいるんだろう」


 寒川の陽気な声が背に掛かる。彼は壁の地図を見たままだ。


「気が向けばな。こちらも暇とは言えん」


「寂しい事を言うなあ。状況はんだからよう」


 寒川はそうフシをつけて言うとまた笑った。男はふん、と鼻を鳴らした。


「お休み、船長」


 男はそう言って戸に手をやった。寒川は開く直前に声を掛けて男の手を止めた。


「お休みなさい、詫摩たくま藤十郎とうじゅうろう君。いえ、殿」


 男は顰めを取り、少しだけ口元が綻んだようだった。


「その名はまだ早い。今はまだ詫摩だ、船長」


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 女の不安は喩えでは済まないだろう。


――――――――――――――――――刃はとうに抜かれている。

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