第参話「神戸福原」

西海編

 屋代島の戦いより二十年以上前、当時の日本列島は、共産主義独裁政権のに支配されていた。それゆえ、日本人にしてイスラムIslam教徒たる宇喜多うきた清真きよざねは、迫害を逃れ、中東のアラビアArabia帝国で亡命生活を送っていた。


 宇喜多氏と言えば、かつては毛利もうり氏や尼子あまご氏と並ぶ山陰山陽の戦国大名であり、にも参陣している。


 そんな武門の末裔と語られる清真のもとに、トランスヨルダンTransjordan王国からの同志が、幾つかの重大情報を伴って訪ねて来た。その一つは、日本の出羽地方において、独裁政権に対する頑強な抵抗が勃発し始めているという事。そしてもう一つは、こうした混乱に乗じて、とある傭兵の人脈を借り、マラッカMalacca経由で日本に密航し、磐見いわみ浜田に上陸するという計画であった。


 この宇喜多清真こそが、後にの中國地方司令官として、瀬戸内海を挟んだ九州に展開する私達に対し、数多の謀略戦を仕掛けて来る事になるのである。今や広大な山陰山陽道を統治するに至った彼は現在、古くはの都であった神戸福原ふくはらに拠点を置いている。今回は、そんな強大なる敵将の伝記を読誦したいと思う。


第参話「

・原作:八幡景綱

・編集:十三宮顕


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 都に赤旗翻る頃、私は遠くアラビアArabiaの街にあって、ある日知己を得たとカフェの椅子に腰掛けていると、ヨルダンの男が懐より一枚の写真を取り出し私へ突き出した。


「君の御所望の物だ」


 ヨルダンの男、顔にいささかの変わりもなく淡々と言うにつけ、私は問いを投げねばならなかった。


「何を望むと?」


「絵を見たまえよ。聞くより早いさ」


 ヨルダンの男、そう言って再び懐を探り、煙草を取り出して一本を口に加えた。私は構わずに写真に目を下ろし、絵の内に見入る事とした。


 絵は私の脳裏に鋭い切っ先を突き立て、深く深く刃を差し込んだ。


「先頃、より送られてきた」


 ヨルダンの男、ただ突き入れられて呆けるままの私を一瞥し、いつの間にやら三本の吸い殻を灰皿に転がして、四本目に火をつけた。私は漸く正気に醒めて男に問うた。


「こは何か? 何ゆえ貴殿がにツテを持つというのだ!?」


ソビエトSovietの味方はムスリムMuslimの仇。それにあ奴らはアラーAllahに否を吐きかけた。見過ごす訳にはいかん。ツガルにはウイグルUighur上がりを潜らせた。ソビエトの出稼ぎに紛れている」


クラークkulakが…よもや、しかしにわかには…」


「悪いが、絵に付け足せる技も粋も持ち合わせてはおらん。ニホン人なら簡単なんだろうが」


 無論、日本人とて無理な話だ。しかし、絵に写るのは無理を押し通したモノであり、一揆など脳炎にでもかかったとしか思えない。


 清水しみず賢一郎けんいちろう、出羽の篤志のクラーク、彼の一揆は私の常識を打ち砕いた。そして、私の中にほのかに火種が生まれ、それが時を一つずつ刻んで進むにつれて段々とくすぶっていった。


「どうした?」


 ヨルダンの男、煙草を加えたまま私の顔を覗き込み、私の心中を察した。男は煙草を離して


「望むなら、国に帰してやるが?」


「どうするつもりだ?」


「知り合い頼みだが、ソイツから手を回して貰う」


「…信用に足るのか、そやつは?」


「このケースではな」


 ヨルダンの男、三度懐を弄り、一枚の名刺を出した。


「こういう店を商うのか、そやつは?」


ヘブライHebrew相手の情報源さ。奴は面食いでな。別嬪を見つけるとすぐに仕立てる」


「自分は食わないのか?」


「食わないそうだ。存外淡白でな。累代めかけは置かない家なんだとさ」


「名は?」


。噂に聴かないか?」


「…成る程、人間の屑にも潔癖さはあった訳か」


「ソイツは俺のニホン語教師だ。あんまり悪く言わんでくれ」


 ヨルダンの男、わざとらしく煙草の息を私にかかる様にふっかけ、私が顰め面で煙を払う間に吸い殻を皿へと落とした。


「貴殿、正規兵だったとは思えんな。交友関係に影が有り過ぎる」


「ジャのミチはヘビー、って奴さ」


 ヘビー?…ああ、蛇、か。彼は蛇というより猫だ。少し気紛れが過ぎる。


「請け売りか。しかし、八洲やしまの道は修羅道ぞ」


「シュラドー? 何だそれ?」


 シュラドー、シュラドー?


 この言い回しが気に入った様だが、一々構うつもりはない。


「ああ、いい。今度教えてやる。仏陀Buddhaの話だ」


「流石にニホン人。ブッダ好きだな」


「日本のコモンCommonセンスSenseなのは認めよう」


 ヨルダンの男を惜しく思った。貧しさ故に軍隊で暮らす事になり、遂に脚を洗えなくなったこの哀れなる者! もし、彼が大学へ通えるだけの富裕の子であれば、きっと、きっと多くの学を志す若者達の先達で有り得たであろう。彼の知的な好奇については彼の仲間内でも煙たがられる程であり、そんな男故に、東洋の亡命者であった私に付きまとって知己を得るに至ったのだ。


「幾らだ?」


「金はイラン。君はムスリム、同胞だ。同胞の里帰りだ。心ゆくまで時を費やしてこい。人は一応つけてやる」


「かたじけない」


「カタジケナイ?」


「…あ、ありがとう。そういう意味だ」


 フフッ、と笑うヨルダンの男。私は少し気恥ずかしくて顔を背ける。男は少しニヤついたまま、話を続けた。


「丁度、ここら辺からトンズラしたい奴がいてな。腕は立つ。何でもやれるから使ってみてくれ」


「物騒な奴なのか?」


ラミズRamizカダレKadareイリュリアIllyria人のゲグ族の男。元狙撃兵だ」


「何をやらかした?」


「軍隊で上官に逆らって処刑された弟の仇を討った。二年前に殺しをやって軍隊から逃げ出した。その後は放浪の中での高官共を襲って身包み剥いで日銭を稼いでいた」


 血の復讐Gjakmarrja。成程、そういう方面にも顔を出し始めたか。つくづく、堕ちる所まで堕ちたんだな。そう思わずにはいられなかった。


「頼もしいだろう? ああ、安心しろ。君の事は知っている。君のクランについての話も知っている。それに憧れたようだ。君自身も尊敬している」


「会ってもいないのに尊敬だと?…まあ、悪い気はしない。裏切って突き出されさえしなければ構わない。十分だ」


「安心したよ。の港につける材木積みの船が二週間後にマラッカMalaccaを通る。話は通しておくから、そこまで行ってくれ。後は船に乗ってしまえばこっちのもんだ」


「随分と簡単なプランだな」


「お得、と言って欲しいな」


 ヨルダンの男は笑いを漏らした。だが、すぐに表情を切り替えた。


「覚悟は、いいな?」


「無論。これを待っていたのだ」


 そうとも、私、いや俺はこの時を待っていたのだ。


 ヨルダンの男は、そうか、とだけ呟いて、暫し黙った。


 騒めく周囲を他所に我ら2人は何も語らず、ただ沈黙し、ただ日々を憶う。


「明日、いや明後日だ。皆呼んでくる。盛大に食って、好きなだけ馬鹿をやろう」


「ああ、いつも通りに。無礼講だ」


「ブレイコウ。そう、ブレイコウだ」


 ヨルダンの男、遂に意味を問わずして、言葉の真相を掴んだ。


「…


「ああ、私の国だ」


「必ず、手にして来い。君のクランのレコードを塗り替えて来い」


「いいだろう。やってやる」


は偉大なる壁だ。だが、越えていける。今生きているのは、君なのだからな」


 ありがとう、ヨルダンの友よ。きっと勝ってみせる。偉大なる祖をきっと超えてみせる。


「そして俺をショーグンにしてくれ」


 ジェネラルでなく、ショーグン、か。なら俺は…不敬な話だ。


 だが、別になってしまえば良いのだ。そうだ。そうだとも!


「良いだろう。貴殿を将軍に任ずる。わが友、トランスヨルダンTransjordanの浪人―――――」

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