第24.5話 美章園正知子のグルーミーデイズ#12

 始業式の前日、私は制服を着て学校へ向かった。

 誰もいない、静かな学校を体験してみたくなったのだ。

 しかし期待に反して学校は騒がしかった。大勢の生徒が部活動の練習をしており、新入生を迎えるために生徒会も活動していた。

 知り合いに会わないように学内を彷徨ったが、ひとりぼっちになれそうな場所はどこにもなかった。

 僅かな静謐さを求めて屋上へ続く階段を上る。

 暗がりの中でポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込み、回す。

 鍵は開いていた。

 ここもダメか。私はひどく落ち込んだ。しかもよりにもよってあの騒がしい有村梓に会うことになるとは!

 しかし、回れ右をしてそのまま帰るという選択肢は思い浮かばなかった。ドアノブを回して重いドアを押し開くと、冷たい風に顔を撫でられた。

 そこには予想通り先客がいたが、予想していた相手ではなかった。

 貯水タンクやエアコンの室外機に囲まれたコンクリート製の狭い空間、その人はそこに大の字になって仰向けに横たわっていた。金髪のショートヘアが風にそよいでいる。

女の人、二十代前半だろう。彫りの深い顔の中にある双眸が、ぎょろりと私を捕えた。

「こんにちは」

 寝たまま発せられた男前な声は怖いものではなかった。

「こんにちは」

 余所行きの声で返す。

「地球の動きを感じているんですか?」

 その質問に目をぱちくりと瞬かせる。

「詩的なことを言うのね」

 女の人は薄く笑いながら立ち上がり、敷布代わりになっていた黒のコートについた砂を手で払った。

「空を見ていただけよ」

そう言ってもう一度空を見る。

「私はここの卒業生なんだけど、ここから見る空は変わらないわね」

 そう話す雰囲気は、私が良く知っている人を思い出させた。

 外見や話し方はまったく似ていない。しかし、私はなぜか三年前に亡くなった姉のことを思い出し、目の前にいる人が誰なのか分かった気がした。

「もしかして、プレミアムソフトさきいかの人ですか?」

「え?」女の人は目を大きく見開いた後、今度は口を大きく開けて豪快に笑った。

「うふふふふ、そうね。でも違うわ。正確には極上プレミアムソフトさきいかの人よ」

 そう言いながら、まだお腹を押さえて笑った。

「あなたが正知子ちゃんね。この学校に入ったんだ」

 私は黙って頷いた。

「初めまして、座間聡子です。弥生……、お姉さんからあなたのことは聞いていたわ」

「姉も、よく話していました。大切な人がいるって。あなたのことですよね?」

「ははは、そうだと良いけど」

 そう言って座間聡子さんはまた空を見上げる。

「いつも二人でここから空を見ていた」

 そう語るので、なんとなく二人で空を見上げた。

「学校は楽しい?」

「はい。それなりに」

「えらいわね」

 座間聡子さんは空を見上げたまま続ける。

「私はね、最近まで何もする気が起こらなかったの。弥生がいなくなってから、何もできなかった。大学にもずっと行ってない。でもね、やっと動ける気がしてきたの。弥生なしでも歩ける気がしてきたの」

 期待と不安、僅かばかりに期待が勝っている目が私を見る。

「再出発のスタート地点はここしかないなって思って久しぶりに来たの。まさか、弥生の妹に立ち合ってもらえるとは思わなかった」

「お姉ちゃんが、引き合わせてくれたんですかね」

「どうかな?そんなことしそうにないけど」

「そうですね」

 意見があって、私達は笑った。

 強い風が吹く。黒いコートが翻り、スカートの裾が靡く。

 風が収まった後、息をつく様子を見て、お別れの時間が来たのだと悟った。

「これ、お返しした方が良いですか?」

 ポケットから鍵を出して差し出した。

「それはもうあなたのものよ。大事にして。それじゃお先に、いってきます」

「いってらっしゃい」と言えるほど親しくはなっていなかったので、黙って見送った。

「ああ、そうだ」

 座間聡子さんはドアを開けたところで振り返る。

「私はもう来ないと思うけど、誰か他の人がここにいたら、仲良くしてね」

 それが誰のことなのかは分かったが、そのことは口にしなかった。

「分かりました」

 座間聡子さんは満足そうに頷くと、ドアの向こうに去っていった。

 しっかりと見送った後、ゆっくりと振り返る。

 先ほどの強風で吹き上げられたのか、貯水タンクとエアコンの室外機に囲まれたコンクリート製の狭い空間に、桜の花びらが舞っていた。


 そして私も一つ、決意をした。




「美章園正知子のグルーミーデイズ」の終わり

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